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第二章 定番品を増やしたい~切石豆腐店 6

「そ、それは極端すぎですよ。お豆腐のことだってたまたまで」

「仮に小花ちゃんが先月退職して、別の人を雇っていたって、その人は今日の商談を実現させることはできなかったでしょう。そういうことの積み重ねよ、必要な人材というのは。その人がその人であるという意味を見つけることね。今日のことは、分かりやすい例だったというだけ。事務の仕事は、普段は目立たない縁の下で会社の日常を支えているものだから、その価値を正確に捉えられる人が少ないのよ。事務職本人も含めてね」

 鬼無里さんは、表情は柔らかいけど、声は真剣だった。

 もしかしたら私のような弱音を吐く人材を、何人も見てきたのかもしれない。

「さ、あまり引き留めちゃいけないわね。私ももう少しで帰れるから。また明日ね、小花ちゃん」

 鬼無里さんが立ち上がった。

「はい。なんだか、すっきりした気分です。ありがとうございます」

 私も立って、休憩室のドアを開けた。

 外は日が沈み、空気の熱も落ち着いてきている。

「小花ちゃん、ひとつ教えてあげる。この会社ね、数年前までは、営業にとっても事務にとってもかなりしんどい、限りなくブラックに近いグレーなところだったのよ。色々な改善が施されて、今ではだいぶましになったけど」

「え……今より忙しかったんですか」

「悪い働き方をしていた、という方が正確ね。これじゃまずいということで、会社としても変革していったんだけど。その中心の一人が、座光寺支店長だったの。労務改善に真剣に取り組んでくれた」

 支店長は、快活な物言いをすることは多くても、軽薄というわけではないし、勢いだけというわけでもない。それは私も分かっていたけれど、そんなことがあったとは。

「ただこういう時、うちって事務が蚊帳の外に置かれることが多かったのね。だから私たちは、どうせ総合職の方で勝手にやるだけでしょうと思っていた。でも座光寺支店長は、真っ先に当時の総務課長のところに来て、こう言ったの。『変革は事務から始める』」

「それは……意外な感じがします。事務からですか」

「そうよ。そしてこう続けた。『営業会社の運命は、営業が握っている。その営業の質は――』」

 鬼無里さんは一度息を吸い込んでから、ゆっくりと言った。

「『営業の質は、事務で決まる』って」

 鬼無里さんが事務所への階段に向かって歩き出した。私も後を追う。

「それはただの鼓舞じゃなくて、現実的な改革もあの人は推し進めた。そうして、今のこの支社があるし、私も退職せずに済んだ。これでも色々あったからね」

「あ、あのっ。すみませんでした、私、弱音なんて吐いて」

「いいのよ、そんなものいくらでも吐いて。でも、相手は選んでね。もちろん私なら、二十四時間三百六十五日いつでもオーケー。じゃ、お疲れ様。掛け替えのない小花ちゃん」 

 鬼無里さんは投げキッスなど(なぜか)して、事務所に戻っていった。

 私も駅までの道を歩き出す。

 もうすぐ、どこからか犬若が現れるだろう。

 それまでの間、私は鬼無里さんの言葉を胸の中で反芻していた。

 考えたこともなかったことだ。

 会社の運命を握る営業の質は、……事務で決まる。

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