最後のジハード(1)〜出撃
機は熟した、政治家や戦国武将ならそう言うのだろうか。決行の日が来てしまった。
あれから毎日、ダンゴムシの格闘技の基礎の基礎と、フジコのテコンドーの訓練を受けた。1週間ほどしかったので、なにか身についたわけではない。長年の運動不足が祟って、遅くやってきた筋肉痛が残っているだけだ。
車椅子の最終調整をしているロイホとアゲハと古谷夫妻をスイートルームに残し、俺たちはホテルの裏口から出た。4トントラックと、キャンピングカー3台が停まっていた。4トントラックの運転席から、体の小さいミントが飛び降りて出てきた。
「少しフロントを補強してもらいましたが、これが田中さんとこにあるので1番大きい車でした。本当はダンプカーとかが良かったんですけど」
ミントは脇に大きなクッションを抱えていた。クッションは、ミントの身長よりも長そうだった。
「エアバッグ破損してたら心配だったんで、これ持ってきました。お気に入りの抱き枕です」
抱き枕には、黒い忍者のような絵が等身大サイズで描かれている。
「ハヤブサが、ワタシを守ってくれるはずです」
ミントが運転席脇のボタンを押すと、片側のウイングパネルが開いた。なんかミュージシャンのライブ機材を運ぶツアートラックみたいだ。
キャンピングカーからは、ドクターを始め、野口くん、玄白さんと思われる医師、そして看護師が6名が降りてきた。キャンピングカー1台に医師1人、看護師2人の配分で乗っていた。
ドクターはでかい体を伸ばして、大きくあくびをした。でかい拳が太陽の光を遮る。不必要にギラギラと照っている太陽を、その長く太い腕が太陽を突き上げる。雲ひとつない晴天だった。
「よおぅし、みんな準備は良さそうだな。おい、シュワ。またお前、下痢とかじゃねえだろうな」
「今日は、快調」
ランボーとシュワちゃんは、この間まで作っていたプラスチックのでかい筒の物や木刀などの武器類と、マットレスや毛布をトラックに乗せた。荷台の前面フロントパネル部分に何枚もマットレスを立てかける。トラックで突っ込んだ時のクッションがわりだろう。その作業が終わると、中からスロープブリッジを出した。
そのタイミングで、甲高いモーター音が近づいてきて、ものすごいスピードでアゲハが車椅子を走らせていた。車椅子の下部には原付のマフラーみたいなものが取り付けられ、そこから入道雲のように真っ白な煙を出していた。S字に走ったり、急にバックしたり試した後、スロープを一気に登って半回転でこちらに向きを変えた。
「ロイホ!バッチリだよ」
アゲハの車椅子が目の前を通過し、遅れて焦げ臭い臭いが後からついてきた。
アゲハはトラックの荷台の上から、親指を立ててサインを送ってきた。
「100キロ出るようにしろとか、サイドからナイフが飛び出るようにしろとか、子供じみた注文が多くて。そんなにスピード出す必要があるんでしょうか。まあ、なんとか間に合いましたね」
アゲハがトラックに乗ったのを合図に、みんな荷台になり始めた。俺も乗り込もうとスロープに足をかけると、肩を叩かれた。ミントが「酔い止めドロップ小児用」を渡してきた。それを見て、楓がクスっと笑う。楓は松葉杖を持ってはいたが、片足を引きずって歩けるまで回復していた。俺は楓の手を引いてスロープを登った。
最後にフジコがスロープを上ってくると、なんだお前も来るのか、とダンゴムシが言った。
「1人でも多い方がいいんでしょ」
そう答えるフジコに、男手が増えると助かる、とダンゴムシが言うと、失礼よ、とフジコはダンゴムシを軽く蹴飛ばした。
ミントは運転席へ、ドクターが連れてきた医者たちは、それぞれの車に乗った。
ドクターは、トラックのパネルの照り返しが眩しく、手で庇を作り、大声で言った。
「まあ、みんな。死ぬ気でやってこい。こっちは腕のいい医者3人もいるんだから、心配するな。躊躇しないで殺してこい。敵も味方もみんな治してやる」
澤村、お前がなんか言えよ。ドクターは澤村に怒鳴る。俺が所長じゃねえんだよ。
俺たちは荷台の上で、澤村に注目した。澤村は咳払いをし、「本日はぁっ」と声が裏返ってしまった。一斉に笑いが起こった。結婚式じゃねえんだからよぅ、と誰かが野次を飛ばした。澤村の浅黒い肌の禿頭が、赤黒くなってきた。
「すまん。みんな、最後の最後に締まらないなあ。こんな所長で、今まで、すまん」
また数回咳払いし、周りの笑いが収まるのを待った。そしてみんなが静かになると、澤村は低い声の真面目モードで話し始めた。
「今まで、みんな、こんな私についてきてくれてありがとう。私のくだらない正義感のために、みんなを巻き込んできてしまった。すまん。でも、これが最後の仕事とする。警察が乗り込んできたら、逮捕者が出るかもしれん。どうなるか俺にも全くわからない。
これだけは約束してくれ。みんな死ぬな。みんな自分のことを考えろ!やばいと思ったら逃げろ!頼む、みんな無事でいてくれ!」
そう言って澤村は深々と頭を下げた。澤村の頭のてっぺんがこちらを向き、鼻をすする音が聞こえた。
「おい、所長。ちょっと泣くタイミングじゃないんじゃないの」
ダンゴムシがみんなに向かって言った。
「おい、頭上げてくれよ。まあ、俺たちはよ、アンタに助けられたんだ。死のうと思ってた奴や、生きてんだか死んでんだかわかんねえまま生きてた奴とか、そんな俺たちを拾ってくれて家族みたいにしてくれたじゃねえか。誰も巻き込まれたなんか思っちゃねえよ」
車体が急に揺れ、ウゥゥゥゥゥン、という低いモーター音がして、ウイングパネルが下がり始めた。それと同時に荷台のクーラーが作動し、涼しい空気か流れてきた。
フロントパネル上部に埋め込まれたスピーカーから、ガサガサと音がして、ミントの声が聞こえた。
「それでは間もなく出発しまぁす。閉まるパネルにお気をつけくださぁーい」
ミントのふざけた口調で、少し重たくなった空気から解放された。
「まあ、アンタがそう言うなら、俺たちは死なねえよ。だからアンタも死ぬなよ。危なかったら死ぬ気で助けるぜ」
ダンゴムシの言葉と同時にトラックのウイングパネルが閉まった。一瞬光がなくなり暗くなったが、しばらくすると天井両脇のライトが点き、明るくなった。所々、腰の高さの辺りに手摺が取り付けられていた。
荷台の中は前から、澤村、ダンゴムシ、フジコ、ジバンシイ、少し間隔を開けて、ランボー、シュワちゃん、後部には、アゲハとライト、俺と楓が座っていた。アゲハは車椅子のまま手摺に捕まっていた。
「はあい、それでは出発しまぁす。走行中、車体が揺れますので、取り付けた手摺にお捕まりくださぁーい。それでは、しゅっぱーつ!」
トラックがゆっくり動き出した。みんなの体が揺れている。
「ランボー、お前ら、なんか一生懸命作ってたその筒は、なんだ?」
これか?あっ、そうだった。と言ってランボーは荷台の隅に寄せた荷物から大きめのスポーツバックを持ってきて、中からゴーグルと酸素ボンベが一体化しているマスクを何個も出した。ボンベ部分が10センチほどの簡易的なマスクだった。
「これ、酸素ボンベ。これだと長く保たないけど、この手作りの催涙バズーカ弾は1発しかないから、これで充分だろ」
そう言いながらマスクを分け、自慢気にプラスチックの筒を指差す。ランボーはマスクをみんなに分け終わり、あれぇ?と素っ頓狂な声をあげた。ランボーはマスクを1つ持っていた。
「あと1個はミントの分だろ。ヤバイ。フジコの分、考えてなかったから1個足りない」
「お前のミスだから、お前が我慢しろ。っていうか、これもう付けてもいいか?今日のジバンシイ、すげえ香水がキツイ」
ダンゴムシはそう言って、マスクを被った。
「今日が最後の仕事だからな。香水、いつもの倍付けてきた」
みんながマスクを付けようとするので、ランボーが慌てて、
「だから、それあんまり長く保たないから、まだ付けない方がいいって」
そう言って、みんながジバンシイから離れるが、既にこの荷台にはジバンシイの香水の匂いが充満していた。俺もミントから貰った酔い止めドロップを舐めてなかったら、調子が悪くなっていたかもしれない。
揺れている荷台の中、体育座りしたジバンシイだけが前の方に座り、みんな後部に下がってきていた。ジバンシイは膝に顎を乗せ、不貞腐れた顔をして、最後だから言うけどさあ、と話し始めた。
「親父が、俺のこと『ジバンシイ』なんてあだ名付けやがって、みんな俺のこと、そう呼んでるけど、俺、いつもジバンシイ着てないからな」
何を言いだすかと思ったら、大した話ではない。たまたま、澤村があだ名を付けた日に着ていたスーツがジバンシイで、実のところジバンシイのスーツは1着しか持っていない、と言う内容だった。そんなこと、わざわざ今言う必要があるのだろうか。
それなら、あたしもあるよ。アゲハが車椅子の上で子供の授業発表みたいに手を挙げた。
「あたし26歳だと思ってるかもしれないけど、ホントは22歳なんだよね。6年前に所長にスカウトされた時、キャバで働いてたんだけど未成年で働いてたから、所長のこと補導員かなんかだと思って、とっさに20歳って嘘ついちゃったんだよね」
またどうでもいい告白。驚いていたのはロイホで、じゃあアゲハさんって歳下なの、というどうでもいいことを聞いた。
「それなら、俺もある!」
そう言って、ものすごく怖い形相でランボーが立ち上がった。揺れる荷台の上で、なんとか体制を保ち、拳を握りしめていた。
「ミントがいないから言うけど、DVする俺だから今まで言えなかったけど、俺は、俺は、俺は、俺は.........」
ランボーは握った拳を高く突き上げた。
「俺は、ミントが好きだぁぁぁぁぁぁぁ!」
どうでもいい内容の衝撃の告白に一同黙る。
その時、フロントパネルのスピーカーが、またガサガサっと鳴り、
「あっ、こっちにもスピーカーがあるので聞こえてますよー。ワタシは、ランボーは、無理でーす。イケメンがいいでーす」
ランボーを除く全員が笑いを堪えて、ランボー1人が地団駄を踏んで半狂乱になって大声をあげた。
「うわぁぁぁぁぁ!言わなきゃよかった!もうだめだ、俺は死にたい。この仕事最後に、俺は死にたい!」
揺れる荷台の中、ランボーはサバイバルナイフを出し、自分の首筋に当てようとするので、みんなが笑いながら止めに入った。
実はね、隣で膝を抱えて座る楓が俺にだけ聞こえるくらいの声の大きさで喋り始めた。
「アタシね。小さい頃、トリマーになりたかったんだ」
そう言えば、まだ里穂が生まれたての頃、楓は犬を飼いたいと言い出したことがあった。小さい頃からペットを飼っていると命の大切さがわかるから、と楓は言っていたが、まだ里穂が赤ちゃんだと危ないからと俺は反対した。
「意外だった?」
「そんなことない。じゃあ、これが終わったら、ペット美容室でもやろうか」
「でもアタシ、資格持ってないよ」
「そんなの取りに行けばいいよ。金ならあるじゃん」
「なに、シンちゃん。シンちゃんにしては即決だね」
俺は澤村とみんなと働くようになって、少しは決断力がついたのだろうか。今まで悪い方にばかり考えて、新しいことをやろうとしてこなかった。今は、楓に言われて、深く考えず、やってみようと軽く思えた。素直に、やってみようと思えたことを、清々しく感じた。
「今、ライブ会場の前を通過してまーす。やっぱり警備員、増員してますね。やっぱり香川警備保障とアムレト警備の制服着た人、ざっと見ただけでも予定より多く見えまーす」
スピーカーから、またミントの声。
澤村はポケットの中から、リモコンを出した。10センチほどの黒い楕円形の物で、先に赤いボタンが付いている。
「それでは『Mr.ブラック』。スイッチお願いしまーす」
一同緊張が走る。
アイドルの殺人予告、爆破予告のメールを送ったが、それだけだとガセ情報だとバレてしまう。それだと増員された警備員、SPが香川警備保障のビルに戻ってきてしまうため、ライブ中には人がいない、予備電気室に小さな爆弾を仕掛けてある。
それのスイッチを、今、澤村が押した。
爆発音は聞こえなかった。少し遅れて、荷台の下から地響きのような揺れを感じた。
外から警報機の音が聞こえ始めた。
サイレンの音というのは、人の気持ちをざわつかせる。本当の意味でもう、後戻りできないところまできた。みんなの緊張感も最高潮となる。今まで感じたことのない高揚感を感じた。トラックでビルに突っ込むなんて、Vシネマでいう暴力団同士の抗争みたいだ。
「間もなく、香川警備保障が近づいてきました。もうすぐですよー」
ミントのアナウンスで、全員フロントパネルのマットレスに背中を付けて踏ん張った。
トラックの荷台の中では、外が見えない。
たが、だんだんと車のスピードが上がっていくのを感じた。




