ゲット アップ ルーシー(5)〜執行後
右手の小さな微振動に気づいた。
鳴っているのは拾ったイヤホン。
俺はそのイヤホンを耳に入れた。
「なにやってんだ!聞いてんのか!ダンゴムシ!もういいから、早く戻れ!聞いてんのか!戻れ、早くしろ!」
だ誰かが怒鳴っていた。
このモニターを見ているのは、澤村とロイホたちだと思っていたから、指示を出しているのも澤村たちだと思っていたが、イヤホンの声は、その誰でもなかった。音声の関係で違って聞こえるのだろうか。
それにしても、戻れ、と怒鳴っていた。もしかしたら、誰かに目撃されたとか、警察が近づいてきているとかの類だろうか。とにかく緊急を要するようだ。
俺はそのイヤホンをダンゴムシに渡した。彼はイヤホンの指示を聞くと、最後にもう1度、火村の顔面を蹴り上げた。火村の体が転がった。
俺たちは急いで、車まで走った。
車を停めた場所まで戻ると、フジコは赤いスポーツカーの運転席に座っていた。
「なにやってんだ、こっち乗れ!」
ダンゴムシが怒鳴ると、フジコは赤いスポーツカーのエンジンをかけた。
「いやよ。アンタの車、汚いもん」
そう言うとフジコはサングラスをかけ、派手にドラフトして、車道に出た。俺も運転席に乗り込み、ダンゴムシが助手席に乗ると急いで車を発進させた。
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しばらくは無言で車を運転した。とにかく1秒でも早くあの場所から離れなければと、慣れない運転ではあるが、いつもだったら出さないスピードを出して運転した。
さすがにダンゴムシは寝てなかった。息上がっていて、興奮もまだ冷めないようだ。問題は血塗れの顔。車の中にあったウエットティッシュでは全く落ちない。かといって、顔を洗うためにコンビニなんて、こんな血塗れの人を連れていけない。とりあえず、今はタオルを巻いて隠していた。それはそれでミイラみたいで怪しいが、血塗れよりはマシだ。
対抗車線から見えるとマズイので、助手席のシート倒した。後部座席は物でいっぱいなので、途中までしか倒せなかった。
タオルぐるぐる巻きのミイラは、息苦しいのか、口の部分だけ出して喋り出した」
「おでこ、超痛え。せっかく瘡蓋になったのに、また傷になっちゃったよ」
「なんで頭突きなんですか?殺すなら、拳銃持ってたでしょ」
「これか?これモデルガン。本物なんて手に入るわけねーじゃん」
口だけ出した状態で笑う。覆面レスラーみたいだ。
「それにしたって、頭突きって」
「引退したって、俺の拳はボクサーの拳なんだ。ボクサーの拳は、ボクサーの拳はな、凶器なんだよ。その凶器で殴ったりなんかしたら、人を殺しちゃうかもしんねーんだ」
その答えにしばらく考えてみたが、やっぱりこの人はバカだ。人を殺しに行って、ボクサーの拳は人を殺してしまう恐れがあるから、頭突きで人を殺した。
なんの漫画かテレビドラマか忘れたが、すごいアホな役柄の台詞で、「てめー、自殺したらぶっ殺すからな!」というシーンを思い出した。
「俺は人殺すとき、絶対、拳は使わねー」
この質問は無駄だったことに気づいて話題を変えた。
「依頼領って、本当に1人5千円だったんですか?」
「ああ、本当だよ。だって藤原景子、ホームレスだぞ。金取れねーだろ」
「じゃあ、こういう交通費とか、いろんなことを含めて、割に合わなくはないですか」
「なんだ?割に合わないって。金なら、火村からバンバンとってるから大丈夫だよ。アイツの預貯金とか、ロイホのハッキングっていうの?あのパソコンで、ちょこちょこってやって、銀行の口座から、ガバッて勝手に全部貰っちゃう」
「ああやって、1人の対象者に対して2人から依頼が来るってことは結構あるんですか?もう1人の依頼人って誰なんですか?」
「まあ、稀だな。たくさんの人に恨まれてる人間なんて、世の中たくさんいるけどな。今回は特別だな。もう1人っていうのは、こいつの母ちゃんだ」
さっきのクシャクシャの写真の1枚を見せてきた。運転中なので、じっくり見ることはできないが、チラッと見ただけでも、知らない人物だった。
「藤原景子の友達ってのが自殺してんだろ。あの彼氏だよ、依頼人してきたのは、その母ちゃん。この男が火村の友達で、火村が騙す女探してたわけよ。そうしたらこの男が彼女の女友達を連れてきた、その女友達が藤原景子だ。
で、その彼女ってのと火村がデキちゃったんだな。まあ、火村にとっては遊びというか、自分の友達の彼女となんて、やっぱりアイツ、クソだな。それだけど、女の方は本気になってきたんで、面倒くせーからこの女も騙しちゃえってことになり、結局ショックで自殺したわけよ。
しかも、そういう面倒くさー女は、なんとこの男の目の前で自殺したらしいんだよ。だから、この男、今ちょっと心の方がおかしくなっちゃって、こいつのお母さんが依頼してきたわけ。意味わかった?」
「なんだか、誰が1番悪いのか、わかんないですね」
「順番なんかどうだっていい、みんな悪いんだから」
藤原景子はどうして、2人ではなく火村だけ、殺してほしいと依頼してきたのか、今までなんとなく腑に落ちないと思っていたことが、解決した。
「あの人、本当に死んだんでしょうか」
多分死んでいるんだろう。目が腫れて鼻が折れて、もう顔面はグチャグチャだったし、頭の形も変形していた。頭蓋骨とかも割れていたんではないか。
たとえ依頼だったとしても、あそこまで執拗にやれるだろうか。依頼人の話を聞くうちに感情移入してしまうのだろうか。それともあの拷問みたいな殺し方は彼の趣味なのだろうか。あんなになるまで蹴ったり頭突きしたりしている間、彼は何を考えているのだろう。
「あの、人を殺している最中って、いったい何考えてるんですか?」
「んー、ゲット アップ ルーシー」
「え、何ですか、それ」
「ミッシェル ガン エレファント」
「はぁ?」
「お前、ミッシェル知らないの?マジかよ、その歳でミッシェル知らない奴なんているのかよ。チバだよ、チバ」
そう言って、ダッシュボードからCDを出し、再生した。古い車なのでHDDではなく、ナビは後付けのもので、オーディオはCDチェンジャーだった。ディスクが吸い込まれると、彼は6曲目に飛ばした。
ドラムの音から始まり、ギターリフが始まる。知らない曲だった。ボーカルのしゃがれた声を聴くと、どこかで聞いたことがあるような気もする。
「相手を攻撃するときは、考えちゃいけねーんだよ。こっちでジャブ打ったから、こっちからくるんじゃねーか、なんて考えてたら隙が出ちまう。ダンスとかそうだろ、次にこうするなんて考えてたら遅えーんだよ。でも人間、考えねーようにしようとしたら、考えねーようにしようって考えちゃうんだよ。だからな、こういう激しい曲を頭ん中で流して、何にも考えないようにしてんだよ」
少し興奮気味に喋る、ボクシングのトレーナーみたいだ。ダンゴムシはボクサーのポーズでシャドウを炸裂させながら話すもんだから、顔に巻いたタオルが少しずれて、片目が出てしまった。それでも直すことなさ話し続けた。
「パンチが当たんなかったら、すぐ次のを出す。それも当たんなくても、より早く次のを出す。当たんなくても、次のをすぐ出しゃあいい。次のをいかに早く出すのか、だ。ダメなら次。次、次、次。他のやつは知らねーが、それが俺のボクシングだ」
辺りは暗くなり始めていた。フジコの運転する赤いスポーツカーは、既に見失っていた。車は東関東自動車道に入った。
「だけど、殴る相手は考えなくちゃならねぇ」
少し間をおいて静かに言った。それから黙り込んだ。
高速道路は空いていた。対向車線のライトが目に入り眩しい。俺はライトを点けた。車が少ないので、目の前の光景はずっと同じ、ひたすら前の車の後ろを走った。
ダンゴムシがあまりにも静かなので、また寝てるのか、と視線を彼に移すと、彼はスマホを眺めていた。スマホの明かりで、彼の顔に影ができていた。口元だけ明かりで見えている。その顔は笑っているようにも、泣いているようにも見えた。




