藤原 景子の件(1)
藤原さぁーん、と名前を呼びながら、ミントはブルーシートを捲っていく。怒られたり、絡まれたりするんじゃないかと思ったが、ホームレスたちは、わりと気さくに答えてくれた。これはミントの幼い見た目が功を成しているのだろうか。
それにしても、なんだか異様な臭いがする。川から流れてくる臭いもあるだろうが、やはり彼らの体から漂ってくる汗と食べ物の入り混じった臭いに、鼻を摘みたくなる。
この臭いを少しでも和らげようと、ミントから受け取った魔法瓶のアイスミントティーを飲むが、鼻を通るミントの香りが一瞬で消えてしまう。
それにしても、よく平気な顔をしていられるなぁ、と思いながらもミントの後ろについていくしかない。
彼女はトートバックからiPad を出して、画面を見ながら、この辺なんだけどなぁ、と独り言を言っている。
「メールで地図きたんですけど、この辺なんだと思うんですけど、違いますかねぇ?」
ミントは俺に画面を見せてくる。確かにメールで依頼らしい文と共に、ここを示す簡単な地図も添付されていた。住所を載せたいところだから、ここは河川敷。番地なんかわからない。
俺は、ガセではないかと思っていたが、黙っていた。
文面はこうだ。
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本当に殺し屋なんですか?
私は、ある男に騙されて、今ホームレスをしています。
もし本当なら、この男を殺してほしいです。
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地図と一緒に男の写真も添付してある。
ただ依頼としては、はっきりとしていない文章だ。このメールを送った女性も半信半疑で送ったのだろう。怒りをぶつける場所もなく、独り言のように読み取れる。
第一にここはホームレスの「住宅街」だ。こんなところからメールが送られてくるなんてあるはずがない。
「ねーちゃん、藤原さんって誰探してんだい?生き別れた父さんか?」
この人たちには、名前というものは然程重要ではないらしい。みんな訳あって、素性を隠していたり、過去を捨てて、ここに集まってきてしまったのだから、本名という概念はないんじゃないかと思う。みんなあだ名とかで呼んだりと、澤村の事務所と一緒じゃないか。
「違う、女の人です」
ホームレスたちがみんな顔を見合わせた。
「最近来た、綺麗なねーちゃんじゃないか?」
「その人、藤原景子さんですか?」
「名前なんて知らねーよ。聞かねーし。ただ、今そのねーちゃんだったら、ここの人気もんだよ」
膝丈くらいに伸び放題の雑草をかき分けて進むと、アスファルトの歩道に出る。川沿いをしばらく歩くと、頭上に車の通る橋の下に、この「住宅街」のなかでは、ちょっと立派な「お屋敷」があった。
失礼しまーす、とミントは入り口らしい部分のブルーシートを捲り、中を覗いた。
そこには少し髪は乱れているが、上品なタイトスカートのスーツを着た30歳前後の女性が座っていた。