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俺と僕、優しい人々

僕の名前は、アステル。今年で18歳になる。

何処にでもある小さな村の出身で元はただの村人、今は旅の魔法薬師を名乗っている。

もう2年も前に成人を迎えたのに、ゴブリン1匹倒す事ができない情けない男だ…


でも、そんな情けない僕にも旅の同行者がいて

情けない僕を見捨てられない心優しくも強い僕の自慢の人達なんだ。


その中でも特に大切な人が、僕の唯一の家族。双子の弟、アスベル。

生まれた時は、凄く小さくて僕の半分程の大きさしかなかったと聞いたけど…

今となっては、僕の倍といってもいい程に逞しく…腕周りなんか僕の太腿よりも太い。

同じ赤みがかった茶の髪に緑の瞳を持つのに、背も僕よりずっと高い。


家族だから贔屓目もあると思うけど、アスベルは強い。

国に仕える騎士団にも入れるんじゃないかと思ってるし、実際旅の途中で推薦があった。

そんな彼は、僕の自慢の家族だ。


そう、家族なんだ…


きっとアスベルも僕を唯一の家族だと、大切だと思ってくれている。

だから彼は、よわっちい僕を助ける為に同行してくれているんだ。


生まれた時の差は暫く続いて、8歳の頃までは僕の方がずっと大きかった。

僕の後ろを必死について来るアスベルが鬱陶しくもあり、同時に僕の自己顕示欲を満たす存在でもあった。


確かに家族として大事に思う気持ちはあったし、

農業に勤しむ両親に代わってアスベルの面倒を見るのは「俺」の仕事だと思っていた。

最初は本当にただそれだけだったはずなのに…


「アステルは立派ねぇ!」

「アステル君はこんなにもしっかりしてるのに、アスベル君は…」

「双子の弟の面倒を見れるなんてアステルは凄いねえ!」


誰も彼もが「俺」を褒めてくれた。自分が誇らしかった。

小さな村の数少ない子供の中で「俺」は、完全に調子に乗ってしまったんだ…


「たくさん褒めて貰いたい」そんな浅ましい考えを持った「俺」は、どこにでもアスベルを連れて回った。

体の小さいアスベルだから当然の様に疲れ動けなくなったし、時には熱を出す事もあった。

そうなれば「俺」はアスベルをおぶり、なるべく人通りの多い道を歩いた。

熱が引かなければ、必要以上に採取した薬草を抱え大げさに走り回った。


そんな「俺」を褒めてくれる両親や村の人たち、そして感謝するアスベル。



それが変わったのは11歳に差し掛かった頃だった…



村がゴブリンの集団に襲われた。


襲撃の理由は今も解ってない。なんの前触れも無く突然に、村人の数倍の数のゴブリンが村を蹂躙したんだ…

あの日、「俺」は熱を出して寝込んでいたアスベルと共に家にいたんだ。

微かな騒がしさを感じて玄関を開けてみると、村の端の方から火の手があがったのが僅かに見えた。

それから数秒遅れて村の自警団の青年を乗せた馬が家の脇を駆け抜けていった。

すれ違い様に走る馬上から怒声とも奇声とも言い難い声が飛んだ。


「ゴブリンだ!直ぐ逃げろっ!!家にいては駄目だっ!!!!」


「俺」は転げる様に部屋に戻り、まだ熱の引ききっていないアスベルを起こし家を出た。

ただただ火の手とは反対へと、アスベルを引き摺る様に走り出した。


いつもは小さいと感じていた集落が途轍もなく広く感じたのを覚えている。

振り返った先にはゴブリンは見えなかったが、同じ方向に逃げようと荷物を抱えた大人たちが見えた。

ゴブリンこそ見えなかったが、黒い煙が濛々と拭き上げ、数少ないはずの家畜の断末魔が響き渡っていた。


きっと襲われているんだっ!今の内に少しでも遠くへっ!

父さんと母さんは、後から絶対に来るっ!

大丈夫っ!逃げ切れるはずだっ!


アスベルへの励ましの言葉は、同時に自分への洗脳の言葉だった。


どれだけ走っただろう…

数時間も走り続けた様な疲労感だったけれど、村はまだ小さくも視界の中にあった。

一早く村を飛び出したはずだったのに、必死な大人たちにはとっくに抜かれて、後方にはもう誰もいなかった。

アスベルももう限界だった。貸していた肩に重く体重が伸し掛かってきた。

流石にもう体格差はそこまでなく、アスベルを担ぐ事は容易ではなかった。

でも、置いていく事なんかできなかった。「俺」は凄い兄だ。それは、弟がいなくては成り立たない。

必死でアスベルを担ぎ上げ、震える膝に鞭を打った。

今の「俺」は、この世界のどんな生き物よりも鈍足だろう…そう絶望しながらも前を見据えた。


「……ルッ!……アス…ルッ!……アステール!アスベールッ!!!」


後ろからの声に振り返ると自警団の団長さんがこちらに向かって声を張り上げていた。

助かったっ!咄嗟にそう思ったが、こちらに近づくにつれて後方から来た集団は凄まじい有様だった…


村の自警団といっても所詮村人だ。しかし、それでもあの村では最強を誇る。

ちっぽけな「俺」の世界の最強集団たちは全員が血濡れで錆びた鍬の様な匂いがし…全員合わせれば10人以上いたはずなのに4名しかいなかった…

必死に村を守ろうとした自警団だったが、個々では最弱のゴブリンでも数の暴力に耐えきれず決壊…村を放棄し動ける者のみで、先に逃げた村人たちを追ってきたのだと言う。

あらゆる箇所に怪我を負い、血を流しながら無事な人は一人としていなかった。

軽傷の人でも複数個所に渡る刺し傷、一番酷い人は肘から先を失っていた。


はじめは元々の移動速度よりは幾分早まったものの、時間が進むにつれて出血の影響かどんどんと移動速度は落ちて行った。

このままでは誰かが死ぬ。

自警団の団長さんの指示で、日暮れよりもずいぶん早く野営を決めた。

アスベルは地べたに寝かされ、団長ともう一人が薪を拾い始めた。一番状態の良い「俺」は、アスベルの解熱用の薬草と傷薬になる薬草を探しに近くの草むらへ入っていった。顔を上げればみんなが見える距離。恐怖が勝った「俺」は遠く離れてまで薬草を探す事ができなかった。


解熱用の薬草はすぐに見つける事ができた。

アスベルの為に何度取りに行ったか…生えていそうな場所も薬草の形状も大人並みに熟知していた。

しかし、それ以外の薬草に碌に目を向けなかった「俺」は傷薬になる薬草を見つけるのに苦労した。

村長が「弟思いの俺」に譲てくれた薬草の本を無碍にしてきた結果だった。

傷薬になる薬草には、そっくりのしびれ草がある。しかし、見分け方が全く思い出せない。思い出そうと思考を巡らせると、出てくるのは恐怖の感情ばかりだった。

団長に頼るしかないと思った「俺」は、手あたり次第に近くのそれっぽい薬草を引き抜いた。


日が傾きかけたのに気が付て慌てて顔を上げると、皆のいる場所で煙が上がってるのが見えた。

野営するのに十分な薪が集め終わっていたのだろう。

慌てて胸まである草むらを掻き分けて戻ると…そこには、更に悲惨な光景が待っていた。


戻れば、火を囲んで一息ついているはずの自警団とアスベルがいるはずだった。


しかし、そこにいたのは5匹の魔狼の群と対峙する自警団団長と寝かされたままのアスベルの姿だった。

肘から先を失った団員は地面に横たわり、一面は血の海になっていた。

薬草を放り出し木の枝を拾い上げると「俺」はアスベルの元へ駆け出した。

途中、岩の影にもう一人の団員の頭が見えた。あれは…たぶん…もう生きてない…そう思った。


アスベルが寝かされてる場所まで辿り着くと団長さんが「俺」の存在に気が付いたのか声を発した。

いや、正確には声を出そうとしたんだ。


「…!?にgぅ…ゴヒュ…」


「俺」は、見た。「俺」に声を掛けようとしたその瞬間、それを隙と捉えた一等大きな魔狼が動いた。

次の瞬間、団長さんの首がゆっくりと傾き…ゴポゴポと音を鳴らしながら千切れた…


「俺」は、恐怖のあまりその場でへたり込んだ。

そのままズリズリと後退り、アスベルを抱え込んだ。

アスベルを守りたかったからじゃない…、恐怖のあまりの無意識の行動だった。


大きな魔狼は、こちらを一瞥すると興味を失った様に他の魔狼に目を向けた。

すると他の魔狼が動き出し、死んでいた自警団員を引きずって来た。

そして…喰った。「俺」の目の前で、時折「俺」に意識を向けながらも見せつける様にして貪り喰った。

「俺」は目が離せなかった。離す事ができなかった、「少しでも動いたら食い殺す」そう言われてる気がした。


アスベルを抱く手に力が籠った。

「俺」の震えはきっとアスベルにも伝わっていただろう。

「俺」の口から洩れる極小の悲鳴もアスベルには聞こえていただろう。



この日、「俺」は死んだ。



自分の中にあった「凄い兄である俺」が死に、「卑怯で臆病で役立たずの僕」が生まれた。


魔狼が「僕」に見せつける様に食事を続けていると、魔狼たちが耳をピクリと動かし一斉に顔を上げ一方向を見つめた。

この時、「僕」には聞こえていなかったが隣町のゴブリン討伐部隊がすぐ近くまで接近していた。

魔狼たちはそれを察知したのか、一瞬思案するそぶりを見せてから音もなく闇へと消えて行った。


気が付けば辺りはすっかり暗くなっていて、まだ僅かに燻っていた焚火があたりの惨状を照らし出していた。



この直ぐ後に焚火に気が付いたゴブリン討伐隊から来た偵察者に発見され、無事助けられたらしいが僕はこのあたりをよく覚えてはいない。



それから暫くして、村が片付いたからと避難先から半ば追いやられるように村に返された。

片付いたと言われた村だったが酷い状態だった。


両親は結局見つからず、遺体の無いまま質素な墓が建てられた。

少しばかり盛り上がった土に木の板が刺され、そこにナイフで掘っただけの名前が刻まれていた。


僕たちの家は、中に人がいなかったからか食糧庫を荒らされただけで済んだ。

中に人が居た家は殺到したゴブリンによって住める状態ではなく、全て取り壊されていた。


無事だった畑から食料が集められ、僅かばかりの支援金で村の復興が始まった。


まだ成人しておらず、親無し子になった僕らには大した仕事は与えられなかった。

人手は欲しいが、僕らの面倒を見る余裕が村にはなかったから、と言うのが表向きの理由で頼る親戚もなく完全に血縁者を失った僕らへ公平さを欠かずにできる最大限の配慮なんだと僕は気が付いていた。

毎日大人一人分程度の配給だけが与えられ、自由にしろと言われた。


あの日を境に「俺」は死に、「僕」が生まれた。人から見れば、僕は性格が変わってしまったと思われていただろう。

そして、それは弟のアスベルもだった。

きっと情けない兄の様になるまいと思ったのだろう…走り込みから始まり、出来る手伝いを率先してやるようになった。

少しづつ努力していた結果、体調を崩す事はなくなり、食事量も増え、逞しく成長していった。


僕はと言うと、あの日の自分が情けなくて薬草の本を片手に勉強を始めた。

これは同時に、卑しい僕が生きる為でもあった。

あの日を境に僕は肉が食べられなくなった。干し肉であろうとも、どんなに小さくしたものであっても体が受け付けなかった。

弟の食事量が増えたことで配給では賄いきれなくなり、薬草を学びながら食べられる野草や木の実の採取をする為だった。


弟は村の若手として力仕事で村を支え、空いた時間で剣の稽古に励んだ。

僕はあの日の後悔から薬草学を学び、村の薬師として罪滅ぼしをしていた。


そして成人を迎える16歳の少し前、一般的な薬草学を学び終えた僕は、優しい村長の計らいで取り寄せた新しい薬草学の本からある事に気が付いた。


「テル、何か悩んでるのか?難しい事は解らないけど…話しくらい聞くぞ?」

「あぁ、ベルか…うん。悩みって程じゃないんだけどさ…」


話しても仕方のない事だったが、アスベルに打ち明けてみた。


「一般薬草学の次に魔法薬草学を学び始めたのは知ってるよね?」

「テルは今じゃ村一番の薬師だかんなぁ、凄いよ。尊敬してる!」

「いやいや、そんなお世辞はいいよ…。一般薬草学の薬は劣化しにくいから普通に行商人からも買えるだろ?一番も二番もないのは皆知ってる。村に一人しかいないってだけだよ」

「テルは本当に自信がないよな…。村の皆言ってるぞ?テルの薬は効き方が全然違うって!もっと誇れよっ!」

「あー…うん。…ありがとう。みんなのやさしさが嬉しいよ」

「…はぁ。まったく…。で?何が悩みなんだよ」

「あぁ、そう…えっと、魔法薬草学を学び始めたんだけどね、魔法薬は行商人も持ってこないだろ?その理由がやっと解ってさ」

「そういや見たことなかったな…高いからじゃねーの?」

「いや、高いのはまぁそうなんだけど…一番の問題はそこじゃなかったんだよ」

「どこだったんだ?」

「魔法薬草は、魔法薬草の状態なら持ち運ぶ事が出来るけど未処理では少しづつ魔力が抜けていくし、薬の状態にしてしまうと振動であっという間に魔力が抜けてしまうんだ。」

「うん?魔力が抜けると駄目なのか?」

「駄目だよ!魔力が抜けるって事は効果が無くなるって事だよ?駄目に決まってるじゃないか」

「…そっか。じゃあ振動を与えなければいいだけだろ?」

「じゃあ作った魔法薬はどうやって持って歩くの?」

「揺らさないようにそーっとだろ?」

「馬車でそれができる?」

「…でき…ない?」

「そう、できないんだ。じゃあ魔法薬師の居ない村で必要になったらどうやって手に入れたらいいと思う?」

「んー、魔法薬師を連れてくるんじゃないか?」

「ただでさえ高い魔法薬を作れる魔法薬師がわざわざ来てくれると思う?」

「そうだよなぁ。無理だろうなぁ…」

「魔法薬学は人を助ける凄い事なんだけどさ、本当に欲しい人の手にはなかなか届かないんだ…それが嫌だなって思ってただけ。だから、悩みっていう悩みじゃなくて漠然とした不満なだけなんだよね…聞いてくれてありがとう」

「あー…うん。どういたしましてだ。おっと、そろそろ畑に戻るわ!」


少し悩むそぶりを見せたアスベルは、いつもの様に畑に戻っていった。


そして成人を迎えた16歳。

広場で成人の儀が終わり帰路につこうとした時、村長に声を掛けられた。


「アステル!ちょっと待つんだっ!」

「はい!なんですか村長?」


村長の前まで駆け寄ると、成人の儀の見物に来ていた村人が揃ってこちらを見ていた。

僕は何かしてしまったのだろうか…そんな不安で頭がいっぱいになった。


「アステル。お前は、村の為に沢山の薬を作って助けてくれた。最近では少しだが魔法薬まで作れるようになって村に多くの貢献をしてくれた。村長としてとても感謝している」

「え?いや、そんな!とんでもない!僕は、親無し子になったのに育ててくれた村に恩返しをしてるだけです!」

「恩返しがはじまりだとしても、あまりある恩恵をこの村はうけたんだよ?魔法薬のおかげで私はあの日失った指を取り戻す事ができた。諦めていた息子の嫁の火傷の跡もきれいさっぱり失くしてくれた。それに薬師ならまだ誰にでも可能性のある職だが、魔法薬師は違う。誰にでもなれるものではないんだ。…本当に村人一同、感謝している」

「…」

「…それでだ…アステル、もう無理はしなくていい。アスベルから全て聞いた。お前は、魔法薬を必要な人に届ける仕事がしたいのだろう?おい、アスベル!!」


僕に問いかけた村長は、アスベルに声を掛けた。

後ろの方からガラガラと荷馬車の音が聞こえてきた。

慌てて振り返るとそこには、村で使うのよりも幾分か立派な帆馬車があった。


「どうだよ、テル!村の皆に協力してもらってなんとか今日に間に合ったんだぜ!」


誇らしげな表情を浮かべたアスベルと村の人々が僕を囲んでいた。


「中を見てごらん、アスベル」

「…はい、村長」


恐る恐る帆馬車の後部を捲ると調理場の様になった薬を作る設備と薬草の保存箱、移動中でも作業できるようになのか固定具のついた薬研やこね鉢、申し訳程度に設置された壁掛けの寝具など…そこには小さくも利便性が考えられた製薬室があった。


「…凄い。…え?なんで?え?これは…?」

「アステル、驚いたかい?両親を亡くし、あれだけの目にもあったのに真っ直ぐに育ってくれてありがとう。もう十分に恩は返してもらった。今度は自分の夢を追いかけなさい。アスベルと共に望む人の所に魔法薬を届けて欲しい」


気が付けば僕は泣いていた。

あぁ、また情けないところを皆にみせてしまった。僕は、みんなのやさしさで生かされている。そう思ったんだ。


「…グス。…ありがとう…ございますっ!」

「まぁ、なんだ…。たまには戻って来て、この村にも薬を届けれおくれ?もちろん、格安で頼むよっ!」

「もちろんですっ!」


優しくて逞しいアスベルはもちろんついて行くと言う。

ゴブリン1匹倒せない、ひ弱で情けない兄を見捨てる事ができない心優しく強くて立派な自慢の家族。


こうして成人したばかりの情けない僕アステルと立派な双子の弟アスベルとの旅が始まったんだ。




一番最初に、行商の許可証と別の魔法薬学の本を手に入れる為に商業都市を目指した。

村からはまっすぐ向かっても20日掛かると村長から聞いた。


道中で薬草や魔法薬草を採取しながら、できる処理を行いつつ村々に立ち寄った。

まだ行商の許可証がないので販売はできなかったが、村で聞き取りを行って足りない薬や出来る範囲の必要な魔法薬を調合し食料や生活に必要な備品などと物々交換をした。


まっすぐ行けば20日で到着する道程を、倍の40日掛けて進んだ。

アスベルは、連日の野営にも文句一つ言わずに真剣に付き合ってくれた。


商業都市に着く頃には、足りない魔法薬草を使う物を除き殆どの魔法薬が作れるようになっていた。情けない僕がアスベルに見捨てられない為にはもっともっと頑張る必要がある。早急に新しい魔法薬書が必要だと感じていた。


しかし、まず訪れた商業ギルドでこの旅最初の壁にぶち当たった。


行商の登録料がなんと金貨五枚もしたのだ。

しかもそれだけじゃなかった。毎年、商業ギルドに手数料として金貨2枚が必要だった。


僕たちの手元には、三年間で必死に貯めた金貨が六枚と少ししかなかった。

今年は手数料が掛からないとしても手元に残るのが金貨一枚と少し。


村では、定期的に来る行商人以外でお金を使った事がなかった。

一月にお金を使う額は平均すると銀貨三枚程度。それで生きていけると思っていた。


しかし蓋を開けてみればどうだ、当たり前の事だが宿泊する宿屋にも食事にも全てにお金が掛かり、成人が一人一月生きているだけで金貨1枚近くが必要だった。僕ら二人で、最低でも金貨二枚。とてもではないが新しい本を購入している余裕などなかった。


村を出れるはずもないと思っていた僕は、外の事など全く学んでいなかった。

こんなにも村とは違うのだとは思ってもいなかった。


「アー…まじかぁ…、どうすっかー…宿取るのやめとくか?」


アスベルが苦笑いを浮かべながら頭を掻いていた。

頼りない兄だと思われただろう。何故外の事をもっと調べておかなかったのかと情けなさを感じているのだろう。僕は、恥ずかしさと情けなさで一杯になった。


そこからは、失態を取り戻すべく必死に知恵を巡らせた。


まずは、アスベルに不自由な思いをさせたくなくて評判の良い安宿を一週間連泊で抑えた。

連泊の方が安くあがると商業ギルドで聞く事ができていたからだ。

それからアスベルには銀貨三枚を持たせ、冒険者ギルドに登録する事を進めた。冒険者の登録料は凄く安い。行商登録は信用を金で買うから凄く高いが、冒険者の登録に信用は付いて来ない。依頼をこなす事でランクを上げて信用を自分で積み重ねるからだ。それと冒険者になれば依頼での街の出入りが無料になる。毎回掛かる通行料はばかにならない。そうしてアスベルには冒険者になってもらい町の周辺で低ランクの獣を倒しつつ、解る範囲で薬草の採取を行って貰った。


僕は、露店の場所代に銀貨一枚を支払って魔法薬の販売をはじめた。


譲ってもらった木の板には、木炭で「調薬承ります。採取地で処理された魔法薬草につき効果保障致します。」と書き馬車の脇に立てかけた。

初日は新参者だったせいなのか、遠巻きに見に来る人はいるものの普通の傷薬がいくつか売れただけだった。一日の収支は、ギリギリ赤字にならずに済んだが殆ど利益にならなかった。明日こそどうにかしなくては…。


翌日早朝、露店街がまだ開きだすより少し早くに行き、銀貨一枚を支払って昨日と同じ場所で魔法薬の調合をはじめた。

お客さんがチラホラ露店街に現れた頃、一個の魔法薬が完成した。

僕は恥ずかしいのを必死に堪えながら声を張り上げた。


「魔法薬の調合やってまーす!お試しで、程度の軽い古傷を直す魔法薬を塗布致しまーすっ!是非、魔法薬の効果を実感してみてくださーい!」


何度か声掛けを行ったところ、はす向かいの露店で野菜を売っていた老婆が恐る恐る声を掛けて来た。


「…ねぇ、あんた。見ない顔だけど本当に魔法薬師なのかい?」

「はい、小さな村から出て来たばかりですがちゃんと魔法薬を作れる薬師なんです」

「はぁ~…若いのに…本当かねぇ?」


薬師には、ギルドが存在しないので証明のしようがない。

薬学会という薬学を研究する組織はあるが、少しでも効果のある薬が作れれば誰でも薬師を名乗れる。魔法薬に至っては、作れる人が極めて少なく運搬も出来ないので、平民には存在こそ知れど何処で売っているのかも解らないし、解っていたとしても単価も高い為にお試しに気軽に買うという事もできない。

じゃあ世間の魔法薬師はどうしているのかと言えば、一般薬師の間に作った人脈で魔法薬師になってからは国や上位貴族のお抱えになったり、下級貴族複数を相手に商売をしているのでお金に困る事がないので努力をしないのだという。


「…ハハハ。そうですよね、心配ですよね…」

「あんたが見ない顔なうえに若いからねぇ、尚更胡散臭いもんさ」

「…」


言い返す言葉がなかった。

いくら無料で試せると言われても、万が一それで悪化したりしたら目も当てられない。

とっておきとばかりに張り切ってみた結果がこれだ。

これならば、少しくらい買い叩かれようとも採取地処理済みの魔法薬草として売った方が良かった。自分の手で作った魔法薬を必要としている人に届けたいなど、まだ僕には早かったのだ…。


「なんだい、男がそんなしょぼくれてっ!これじゃ、私がいじめてるみたいじゃないかい!」

「…すみません。ちょっと思い上がってたのが恥ずかしくて…」

「かーっ!頼りない男だねぇ!!」

「すみません…」


老婆が声を上げて怒り始めると周囲の人が注目しはじめた。

僕は、周囲に目を合わせない様に俯きながら謝る事しかできなくなっていた。


「…よし、わかったよ!生い先短いこの私が実験台になってやるっ!」


ひとしきり騒いだ老婆が、注目が最高潮に達したタイミングで実験台を名乗り出た。

驚いて老婆の顔を見ると、糸の様に細い目の片方をギュっと瞑って見せた。


「!?」

「…ほらっ!さっさとしなっ!ここに小さな火傷の後があるだろう?」


老婆が差し出した手の甲には小さな火傷の後があった。これならば効果の範疇だ。

その手を慌てて取ろうとしたが、老婆はスルリとそれを交わし周囲の野次馬に火傷の後を見せて回った。


「さて、準備は整ったね。…あんた、悪化したら容赦しないからね!」


そう言ってまた手を差し出した。

その手を今度こそしっかりと取り、小さな火傷の後に魔法薬を塗布した。

効果があるのは僕自身が一番良く解っている。それなのに、背中にはじっとりとした汗が伝わっていくのが伝わって行くのが解った。


周囲の野次馬が食い入る様に老婆の手の甲を見つめる。

程なくして塗布した魔法薬が微かな淡い光を放ち、肌に吸い込まれる様に消えて行った。

魔法薬が消えた肌には、茶色く変色していた小さな火傷の後は無くなっていた。


解っていたとはいえ、心底安堵した。


老婆のすぐ横にいた男が「すげぇ…」と小さな声を上げると、それを皮切りに歓声と驚きの声が次々と上がった。


「ちょっと!ちょっと、魔法薬師さん!私のこのシミも治るんかいっ!?」


声のする方に顔を向けると、少しふくよかなおばさんが前のめりに質問してきた。


「え、えぇっと…生まれつきでなければたぶん…?」

「んじゃ、ちょっとやってみておくれよ!?無料なんだろ!?」

「はい、お試しなのでその位であれば」


少しふくよかなおばさんの差し出した頬のシミに魔法薬を塗布すると無事に効果を発揮した。シミが古傷に当たるのか少し自信はなかったが、問題なく消す事が出来た。

その様子を見ていた野次馬が、次々にお試しを希望し、古傷が消える度に歓声があがった。


その日、魔法薬が売れる事は無かったが通常の傷薬や腹痛の薬などがそれなりに売れた。しっかりとした黒字を上げる事ができたし、今日の目的であった魔法薬の宣伝は老婆のお蔭で大成功となった。

露店を引き上げる前に老婆のところで何かを購入しようと思っていたが、気が付けば老婆の露店は無くなっていた。また、助けられてしまった…。きっと新参者で頼りなく見えた僕を不憫に思ってくれたのだろう。


そして、翌日。

二日間露店を出した場所には、僕が行く前から人だかりができていた。

噂を聞きつけて集まったお試し目当ての人や、どんな魔法薬があるのか聞きに来た人、人だかりに釣られて集まった人々でごった返していた。

この日はじめて、古傷に効く魔法薬が一つ売れた。老婆には、会えなかった。


更に、翌日。

お試しはもう無いと解ったのか集まっている数はかなり減っていたが、変わりに本気で購入を考える人たちや一般薬の効果が良かったと聞きつけた人たちが購入に集まっていた。

古傷に効く魔法薬は主に女性の冒険者の間で評判になっているらしく、その日は三つも売れた。

この日も老婆に会う事は無かった。


次の日。

僕たちは、商業都市に来て初めて休日を取った。

アスベルはランクが低い為、報酬こそ少なかったがそれなりの数の依頼をこなしていた。あと10日も頑張ればランクが一つあがるかもしれないと言う。これはかなりの速さなのだと聞き、とても誇らしく思った。

魔法薬草の在庫数を確認をしたところ、五日後に採取の為に移動する事を決めた。

本屋で目的だった魔法薬学の本を二冊購入し、アスベルの防具も全身とはいかなかったが改める事ができ、早めに宿に戻って少し豪華な夕食を取ろうと話しながら宿屋に戻ると、何故かあの時の老婆がいた。


「あぁ、やっと帰ってきた!あんた!探したんだよっ!」

「おばあさんっ!!僕も探したんですよ!?一体どこにいたんですか?お礼を伝える事が出来なくて毎日同じ場所で探していたんですよ!」

「ん?そうだったんかい?そりゃ、悪かったね」

「いえ、いいんです。こうして会う事が出来ました。あの時は、僕の為にありがとうございました。お蔭で一般薬も魔法薬も売る事が出来ています。本当に、ありがとうございました」

「あー、そんな事かい!いいのいいの!あの前の日から新参の薬師がいるねぇと思ってみていたんだよ。いくつか傷薬を売ったろ?あの時の真剣な表情は、あんたが偽物じゃないってのがよーーーく伝わったからね。気まぐれに一芝居打ったってだけさ。火傷の後も消えたし、感謝はこっちがしたいくらいだよ」


そう言うと老婆は、火傷のあった掌をヒラヒラと振ってみせた。


「そんな…、とんでもないですよ…。こちらこそです…でもあれ?おばあさんは何で宿屋にいるんですか?この街の人なんですよね?夕飯でも食べに来たんですか?」

「まさか、そんな訳ないないっ。無駄金を使う余裕はうちにはありゃしないよ!ここにはあんたに会いにきたのさ」

「そうなんですか?でも、なんでまた…」

「んまぁ、あれさね…あんたを助けようと思ったのは…身内に薬師がいるってのもあってねぇ…ちょっと!いい加減こっちに来なっ!あんたの為に魔法薬師の坊やを探したんじゃないかいっ!」


老婆が振り返って声を荒げると、まるで他人の様に宿屋のカウンターに座っていた男がのそりと立ち上がって此方に向かってきた。


老婆がピョンと飛び跳ね、その男の頭を思いっきり引っぱたいた。


「イテッ!何すんだばーちゃんっ!!」

「あんたが澄ました顔してるからだよっ!ほれ、しっかり挨拶しなっ!」

「あー…、この人の孫の…シアンです…魔法薬師を目指して…ます」


少しバツの悪そうな表情で、言葉を選ぶように自己紹介をして来た彼は、丁寧な仕事で下処理の遅い僕を助けてくれる魔法薬師仲間であり、自称僕の助手であり弟子となるシアンとの最初の対面だった。

読んで下さって、有難うございました!

宜しければ、次回も宜しくお願い致します。

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