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死神と完全変態する私  作者: くにたりん
第3章 エコール
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第33話 スクランブル交差点

 スペースは、いかなる時も飄々と朗らかであれ、を信条としているはずだが、今日は珍しくブツブツと悪態をつきながら、ジーンの目の前で、忽然こつぜんと姿を消した。


 挨拶もなく消えた兄を見送った後、手紙を封筒にしまいながら、廊下を歩きだした。


 部屋では、百合子が出かける前の最終チェック中だ。壁にある木の彫り物でかたどられた楕円形の鏡に向かい、帽子の位置をあれこれ変えている。


 鏡の中で、ジーンと目が合う。


「なんだったの? 家に上がらず帰るなんて。らしくないわね、あなたのお兄様」


「なんでもないよ」


「そう」


 帽子の位置が決まったところで、百合子は鏡の前で自分に微笑んでから、ソファに座ったジーンに振り返った。


「で? 本当に、その映画を見るつもり?」


 百合子はコーヒーテーブルの上に、置きっぱなしになっている雑誌をチラッと見た。スペースがやって来る前に、ジーンが見ていた映画情報のページである。


「最後の映画になるかもしれないのよ?」


「駄目かな?」


――ここは、私が大人になるしかないわね。


 ジーンに生かされていることは、百合子には希望であり、同時に負い目でもある。それが、このような他愛ない選択の時に、ひょっこりと意識に潜り込んでくる。


「あなたの観たい映画にしましょ」


「いいの? 後悔しない?」


「いいったら、いいの。でも、つまらない映画だったら、私、怒るわよ」


「恐いなぁ。でも、きっと君も気にいると思うよ」


 覗き込んだページには、今時の若者が笑い合う、洋画の宣伝写真が掲載されている。


「そうかしら」


 百合子のスカートに、パラディが甘えるように鼻をこすりつけてきた。


「――そうね」


 そろそろ出かける時間だ。


 ジーンはソファから立ち上がると、隣に置いておいた薄手のコートに腕を通しながら、百合子に聞いた。


「そうね、ってなにが?」


「今日は、パラディも一緒に連れていけないかな、って。最後くらい、一緒にどうかしら?」


 準備できたジーンはパラディに近寄ると、鼻筋を撫でながら困った顔をする。


「どうかな。この姿のままでは――」


「じゃあ、人の姿に変身でもさせる?」


 百合子は自分で言ってクスっと笑ったが、ジーンは目をまん丸にして驚いている。


「冗談のつもり、だったのだけど?」


「うーん、まあいいか。もう驚かないよね?」


 驚くはずがない。


 今となっては、サンタクロースの存在を疑わない幼児並みに、かなり柔軟な想像力を百合子は宿している。


「もしかして、変身できるの?」


 両の瞳を爛々と輝かせる百合子に、ジーンは観念したらしく、パラディにウインクで合図を送った。


「パラディ」


 まばたきの一瞬。

 パラディの姿は一変した。


「百合子様、お久しぶりです」


 性別の判断は難しいが、三白眼の可愛らしい子がジーンの横に立ち、百合子を上目遣いで見ている。大きな白いフードがついた変わった形のマントを身につけ、短いボブがよく似合う。


 年の頃は十二、三歳。一直線に切り揃えられた前髪からのぞく薄いブルーの瞳は、百合子のハートを射抜いた。


「まあ、可愛らしい。でも、どこかでお会いしたことはない?」


 パラディと出会った夢の中の出来事は、百合子は覚えていない。


 スペースの策略にのっかったパラディは、百合子を列車に乗せて冥府に連れ去る算段だったが、ジーンに阻まれてしまった。


 そして、その記憶は夢の終わりと同時に、百合子の頭から消されていた。


「ええ、まあ……」


「そう、ごめんなさい。全然思い出せないわ。私、頭はポンコツなのよ」


「僕らの子供に見えるかもね」


「家族三人ね。素敵だわ」


 心が踊るように、はしゃぐ気持ちを抑えられない。


「パラディは何か食べたいものとか、行きたい場所とかない?」


 パラディは突然の展開についていけない上に、かつて百合子をあの世へ葬ろうとした呵責がある。


 後ろめたさがあるものだから、可哀想に頭が自然と落ちていった。


「自分、ですか? いえ……」


「そんな顔しないの。笑ってごらんなさいよ。きっと可愛いわ」


 あの夜、冥府へ向かう列車を待つ間、百合子に掛けられた言葉を思い出して、パラディは泣きたくなった。


「私、何かひどいこと言ったかしら?」


 人の姿のまま、クウウウンと物悲しく、パラディは主人あるじを見上げながら声を上げた。


 ジーンはパラディの肩を抱くと、泣きべそをかくパラディの顔を覗き込んだ。


「嬉しいんだよね」


 百合子は待ちきれないように、二人を玄関へ追いやる。


「パラディが嬉しいならいいわ。さあ、行きましょう。電車に乗るのは初めてよね?」




 一日の通行量五十万人、一回の通行で多い時は三千人と言われる、渋谷名物となった世界最大規模のスクランブル交差点。


 渋谷には国内外から多くの観光客が訪れ、三人の背後にあるハチ公前広場にも、多種多様な老若男女の喧騒で埋め尽くされている。


 真紅のドレスの上に古びた黒いコートを羽織った百合子と、銀髪以外はごく普通の青年に見えるジーン。そして、今日は二人の間に、人混みに怯えるパラディがいる。


「大丈夫よ、パラディ。私とジーンの手をしっかり握っておいてね。絶対に離しちゃダメよ」


 無数の人、車、交差点を取り囲むビル群。各壁面に設置された大型モニターから発せられる、大音量の音と映像。


 群衆の中にいるからこそ感じてしまう刹那。


 スクランブル交差点とはよく言ったものだ。歩行者に向けた全ての信号がグリーンに変わった瞬間、全車両は停止。四方から人々が一斉に歩き始める。


 この縦横無尽に渡る稀有な交差点の中で、記念撮影する観光客も多いと言う。


「パラディ。渋谷は初めてだろ?」


 信号待ちの中、ジーンは目の前のスクランブル交差点を真っ直ぐに見つめながら、言葉を続けた。


「際限なく地下から地上に溢れてくる人間と、地上から地下へと潜っていく人間の多さ。これだけ人が存在していても、僕と彼女は、この世界でたった二人っきりのように感じるんだ。何故だろうね」


 パラディは常に微笑んでいるジーンしか知らないが、それでもジーンの言わんとすることは、なんとなく理解できた。


 その日、三人はまるで家族のように並んで座り、ポップコーンとアイスクリームとコーラを手に、ロマンチックな映画を楽しんだ。 


 この世で最後の映画を特にジーンが堪能した後、パラディの希望で、何故かディナーがお好み焼きになったのは、良い思い出になったに違いない。


 二人がこの世を去った後も、今宵のささやかな時間を、パラディが覚えてくれているだろう。

読んでいただきありがとうございます。

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