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死神と完全変態する私  作者: くにたりん
第3章 エコール
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第24話 星を探して その1

 メトゥサは得意顔で、甘過ぎるであろう砂糖大盛りのコーヒーを飲み干している。


 人とは違う時間を生きる存在なのだから、実際の年齢は不明であるとしても、外見は愛らしい児童である。そんな彼の口から囁かれた、子供らしからぬ色気ある言いっぷりに、百合子は少し驚いている。


 それにしても、繰り返し「選べ」と言われているせいか、徐々に百合子の表情に苛立ちがにじんできた。


「分からないわ。愛だとか恋だとか……選べって何なのよ」


 うっかり口から漏れてしまった自分の発言に、百合子はドキッとした。ばつの悪さに、心身共に萎縮してしまう。


 そこへ、パッシオがドキッとするほど大きな音を立て、巻き毛を揺らしながらカウンターに平手打ちを見せた。


「いいじゃない! それ続けなさい! でも口にするなら、相手の目を見て明瞭快活に! ついでに自信を持って話すこと!」


 何がどう良かったのか理解できずに、百合子は困惑の表情を浮かべる。


 ヴァニスタが微笑みながら、そんな百合子の前に白い小さなバスケットを置いた。


「はい、どうぞ」


 百合子は険しい顔で、バスケットに視線を落とした。そして、もう一度ヴァニスタを見る。


 ヴァニスタが向けてくる極上の笑顔に、早く開けろと即されている気がした。上蓋を遠慮がちに開けてみると、中には色鮮やかな装飾が施されたケーキが見える。

 

「これは?」


「良かったら道中で食べてください。まだまだ旅は続きそうですもんね」


「え? 今、なんと?」


 コホン、と小さく咳払いする、ヴァニスタの照れ隠しのような仕草も、百合子には意味が分からない。


「いやあ、お恥ずかしい。僕、マジパンでケーキを可愛く装飾するのが得意なんですよー」


「いえ、そこではなく……」


 百合子の戸惑う声も虚しく感じるほど、カウンターの向こうから、善意の塊のような笑顔が向けられている。


「ちなみに、スポンジはスペースのお手製です。甘さは控えめ。ふわふわの食感が特徴です。美味しいですよ。これが、いわゆるコラボレーション、ってやつですね」


「あの、聞きたいのは」


 ツッコミ不在の中、百合子がヴァニスタに聞き返そうとするも、パッシオが頬杖をつき宙を見つめながら、誰に言うでなく甘えるように話し始めた。


「なーんだ、もう行っちゃうんだぁ。昔の男の話をもっと聞きたかったな。叶わない恋って辛いけど、他人のあたしには最高のロマンスにしか感じないのよね。ああ、キュンとしたいわあ」


 楽しげなパッシオに、百合子は一瞬だけ顔を歪めた。だがそこは、伊達に九十年も生きたわけではない。これはこれ、それはそれ、と気持ちの切り替えは早い。


 注目すべき点は、百合子がいつの間にか、追い出されようとしていること。確かに、ヴァニスタは「道中」と言った。


 百合子は夕飯の支度を心配するより、次の移送先を疑問視すべきだろう。


「私、いつ帰れるのですか?」


 メトゥサが百合子の低い声に反応して、意地悪そうにケラケラと笑った。


「いつって、何言ってんの。まだ選んでないじゃーん」


 皆に期待された答えは出せずとも、最終的には家に返してくれるだろう。百合子は曖昧で根拠のない結末を、一人勝手に想像していた。


 隣から聞こえるメトゥサの高笑いと一緒に、そんな考えは吹き飛んだ。同時に、寒気を背後に感じた百合子は、恐る恐る振り返ってみる。


「どうよー。盛り上がってる?」


 百合子が入ってきた扉の前には、にんまりと笑い顔のスペースが、ひょいっと片手を上げて立っている。黒い細身のスーツ姿も、派手な水玉のネクタイも、身軽を信条とするスペースに似合っているのが憎らしい。


「そろそろかなあ、と思って来てみたんだけど。心は決まったかな?」


「……いいえ」


 その声は、弱くか細かった。なんで私が、と募る不満の中に、愛がなんたるやが理解できない己にも落胆している。


 スペースは口を大きく開けて、ワザとらしく驚いて見せた。それから、背中を丸めて不安そうに座っている百合子の虚ろな顔に、ジーンと似た細く長い指先を向けてきた。


「あれ? 俺、言ったよね?」


「何をですか?」


「ふうん、そういうこと言っちゃうんだ。お兄さんは、がっかりだなぁ」


「分からないことは分かりません。今すぐ選ぶのは無理です。私は今すぐ帰りたいんです」


「ほう。言い切ったね」


 強めに放たれた語気に、スペースは口元をほころばせた。他の三人は沈黙をきめこみ、百合子とスペースの成り行きを静かに待っている。


 その様子は、彼ら四人に位置付けられたヒエラルキーを感じる。パッシオはスペースの一挙一動に秋波を送り続けているのは、また違う序列があるのかもしれない。


 スペースは百合子にゆっくりと近づきながら、胸の辺りに右手をそっと添えて言った。


「さっきのはちょっとグッときた」


 カウンターの中に立つヴァニスタが、スペースと以心伝心したかのように、無言で二度頷いた。スペースも呼応するように続ける。


「だろ? このお嬢さんも少しは言いたいことを、表に出せるようになったわけだ」


 どこぞの子息の坊ちゃんのような顔で、メトゥサはスペースに背を向けたまま、スペースの言葉に繋げる。


「でも」


 スペースは広角を上げ、眠そうな半目でにんまりと笑った。


「そう! でも、帰れないのよねえ。少しばかりの成長と、俺からのオーダーは全然関係ないから」


「他にどこに行けと?」


「大丈夫、大丈夫。すぐそこだから。そうね、今頃はちょうど我が弟も君を探して、辺りを彷徨ってるはずだよ」


 百合子はドンと部屋に音を響かせ、カウンターに両手を叩きつけ、勢いよく立ち上がった。勢い余って、座っていた椅子が床に倒れるのも御構い無しに。


 東京の部屋でジーンと離れ離れになった一瞬が、ずいぶん昔のことのように思えてくる。懐かしさからなのか、原因は分からない。この思いがけない胸の高まりに、百合子は内心たじろいでいた。


「あれあれ? 会いたくなっちゃった? それなら、探しに行くしかないよねえ」


 意味ありげな笑いを浮かべ、スペースは右腕をすうっと持ち上げ、カウンターの上を指差した。


 視線の先には、ヴァニスタから受け取ったバスケットがある。百合子は不満を露わにに、スペースを横目で睨む。


「これを持って出かけろ、ということでしょうか?」


「そうそう。いつ会えるか分かんないからね。お腹が空いたら食べてもいいし、道を教えてくれそうな、親切な精霊にでもくれてやればいいさ」


 カウンターの中で微笑むヴァニスタから「おしぼりは中にあります」と要らない情報と一緒に、渋々、百合子はケーキの入った小さなバスケットを手に取った。


「ボンボヤージュ。良い旅を」


 せっかちなのか、問答無用なのか。あの時と同じように、困惑した百合子の目の前で、スペースは指をパチン、と高らかに鳴らした。

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