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死神と完全変態する私  作者: くにたりん
第2章 リコール
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第15話 桜の樹の下で その1

 死神兄弟と入れ違いに、帰宅した百合子が台所に食材を持ち込んでから、二時間が経過。


 居間ではジーンがソファに寝転がり、ごろごろしていた。すぐ側には、主人あるじを見習ってか床に寝そべったまま、パラディが長い尻尾をパタパタと振っている。


 よく陽が入る小さな窓がついた六畳ほどの台所では、百合子が2ドアの白い冷蔵庫を開けたり閉じたりしている。


 料理というものは、或る日突然、魔法のように出来るものではなく、日々の生活の中で勝ち取っていく技術である。


 若い頃から一人暮らしで、誰かのために作ることもなければ、作る必要もないまま、膨大な時間だけが過ぎてゆき、今に至った結果が現状を招いている。


 最後に花見に行ったのは、恐らく八十年以上前。

 戦前の話だ。


 あまりに遠すぎる記憶である。


 花見とは何を食べ、どんなだったかを思い出せと言われても、百合子はおぼろげにしか思い出せない。


 ただ、小春日和の空の下で、共に食事する風景を心に描くだけで、胸がいっぱいになる。弁当の蓋を開けた時、ジーンが驚く顔を見たい、百合子はそう思った。


 台所の出入り禁止を言い渡されたジーンは、ソファの上で仰向けに寝転んだまま、床に伏せっているパラディの眉間から鼻にかけてを、ゆっくりと指先で撫でている。


 奮闘しているであろう百合子の姿を頭に浮かべ、ジーンはクスっと笑った。


「頑張っているよね」


 パラディは鼻先を撫でられ嬉しそうに目を細め、顔をジーンの垂れ下がった手にこすりつけた。


 ジーンは灰色の毛皮を撫でながら「一緒に来てもいいよ。姿を見せては駄目だけど」と呟いた。


 同行のお許しに、パラディは歓喜したのか、鼻息荒くジーンの腹に大きな前足を乗っけてきた。


「お、重いよ」


 じゃれている間に準備が整ったらしく、百合子が白いエプロンを取りながら、居間にようやく姿を現した。


 ジーンは起き上がると、パラディの頭をぽんぽんと叩きながら、


「おまえは留守番」


「あら、犬なら一緒でも大丈夫でしょ。犬なら、ね」


 含みある百合子の言い方に、ジーンは苦笑い。


「子供たちが怖がるかもしれないだろ?」


「あなた、たまに人間臭いこと言うわよね」


 と百合子は笑って、続けて言う。


「この子は利口だから平気だと思うけど。まあ、ジーンがそう言うなら」


 百合子は行儀よく座っているパラディの頭をひと撫ですると、寝室に入りクローゼットから黒いコートを取ってきた。


 忘れ物はないか確認した後、百合子は大きな包みを抱えて部屋を出る。


 その後ろでジーンはパラディに微笑み「さっきの約束、いいね?」とウインクして玄関へ向かった。


 靴を履いて準備万端。

 あとは、ジーンが出てくるのを玄関で待つだけ。


 その日は春らしい装いを選んだ。


 華奢な体にぴったりとした、アイボリーのタートルネックのセーター。そして、白っぽいベージュの生地に草花が描かれた、春らしい膝丈スカート。スカートをふくらますペチコートは座りづらいので無し。白い靴下と黒のエナメルのペタンコ靴を合わせた。


 髪もアップにまとめ、スカートの花柄に入っている赤と同じ色の細いリボンをあしらい、それが良いアクセントになっている。


 体の前で重そうに両手で抱えているのは、正絹しょうけんの風呂敷で包んだタッパー三段重ね。


 タッパーという大衆的な入れ物とは対照的に、風呂敷は鮮やかな金赤の上に白い椿が刺繍された華やかなものだ。


 すぐにジーンが、にこやかに現れた。揃えて置かれたスニーカーにつま先を素早く入れると、慣れた手つきで靴紐を結んでいる。


思いがけず、ジーンの手がスッと、百合子に差し出された。


「なに?」


「重いでしょ? 持つよ」


 百合子は取り澄ました顔をジーンに向けた。


「結構よ。このくらい平気。年寄り扱いはお断りします」


「そうじゃないよ。重いものを持つとね、指の形が悪くなるんだって。いい子だから。さあ、僕に渡して」

 

 百合子は頬を赤らめつつ、不満そうな態度を隠さない。まず風呂敷の結び目を確認してから、「落とさないでよ」と、ジーンの手に包みを渡した。


「任せておいて。さあ、行こうか」


 向かった先は、広大な敷地を誇る世田谷のきぬた公園。地下鉄で用賀駅まで行き、そこからバスを乗り継けば到着だ。


 柔らかな日差しの下、二人は手を繋ぎ、桃色に染まった並木道を歩く。身も心も春の訪れを感じずにはいられない最高の午後に、顔が綻ぶのを止められない。


 百合子は幸せの絶頂にいた。

読んでいただきありがとうございます。

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