醤油ラーメン
午前授業の今日、
講習中に一人、腹を鳴らす男がいた。
彼、矢嶋正之である。
今日の彼の思考は醤油ラーメンで埋め尽くされていた。
昨日の夜、ラーメン特集の番組を見て以来、
ずっとラーメンが食べたくて仕方がなかった。
運のいいことに、彼の最寄り駅の近くにはラーメン屋がある。
それも醤油ラーメンを売りにしている店だ。
彼はただひたすら待っていた。本日最後のチャイムが鳴るのを。
キーンコーンカーンコーン、
キーンコーンカーンコーン。
鳴った。同時彼の腹の音も盛大に鳴り響いた。
誰にも笑われない程度に。
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駆け足で駅の階段を降りている。
少し躓いてこけそうになるも執念、踏ん張り、立て直す。
彼の通う高校より三つ離れた駅が彼の最寄り駅だ。
(ああ、ラーメン。豚骨や塩もいいけど、今日はとにかく醤油ラーメンが食べたい。食べたくて食べたくて仕方ない。)
駅の改札を急ぎ足で、しかし確実にICカードをタッチして通り抜ける。
出口を出てすぐに左へ曲がる。
そして、少し薄暗い裏路地へ入る。
すると目の前に赤い暖簾が現れる。
彼が月一の割合で通うラーメン屋だ。
ガラガラガラ
「おう、来たか。今日あたり来るんじゃねえかって思ってたとこだ。」
ガラガラガラピシャッ
「おじさん、いつもの醤油ラーメンとライス中一つ。」
「あいよ。」
必要最低限の言葉でコミュニケーションを取るその姿は、まるで熟練のコンビである。
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「ヘイお待ち。醤油ラーメン、麺固め、メンマ大盛り、ライス付き。」
彼がニュースを見始めて4分くらい経った頃、店主がラーメンを持って来た。
彼の目の前の醤油ラーメンには、やけに多いメンマが盛られていた。
乗るというより盛ると言った表現が合う。
彼は割り箸を割り、麺を啜り、汁を口に運んだ。
(ああ、ああああああああ、し〜み〜る〜。
こぉれだぁ、昨日から食いたかったのはぁ。)
至福の表情を浮かべ、恍惚に浸っている。
ただひたすらにすすり、時折具食み、ライスを口運ぶ。その単純な作業を繰り返す。それだけなのだが、彼はその工程一つ一つに恍惚となっていた。
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気がつくと、彼が入店してから30分経っている。
丼の中にはもう汁しか残っていない。
ライスは残り半分といったところだ。
彼は動き出した。ライスを汁に投下したのだ。
よくかき混ぜ、お茶漬けのようになったところで、丼を両手で掴み、喉に一気に流し込む。
ゴク、ゴク、ゴク。
「プッハァ〜、ふぅ」
全て飲み干した彼の表情は、満足感と幸福感で恍惚となっているのがよく現れていた。
その両頰は弛緩し、だらしのない笑顔になっている。
丼をカウンターに残し、代金を置いて彼は暖簾をくぐる。
「ごちそうさま。」
その言葉は静かに、だが確かに店内に響いた。
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駅の改札前に戻ると彼は唐突に不機嫌な顔をした。
(そういえば、今日部活あったな。今から戻るか?いや、時間がかかるからやめておこう。第一この満腹感ではおそらく寝てしまう。
仮病で休んでしまおう。部活だから単位は関係ないしな。)
彼は携帯を取り出した。
同学年の人間のほとんどがスマートフォンを使う中、彼は絶滅危惧種のガラケーを使っていた。
そして電話をかけた。
仮病で休むという言い訳の電話を。