1.変わる空と終わる日常 ♠︎
ここから異世界です。
桜風ノ月――元旦から数えて四つ目の月――の十日の早朝、朝早いからなのかまだ肌寒く感じる気温を無視して、薄着のまま最近改築したばかりのトタン小屋から身体を出した。
そして現在、すぐそばの少し気に入っている幹が黒色の名前が分からない大樹の根元に腰掛け、ぼーっと明るくなっていく空を眺めている。これが、最近の僕の日課だ。
とても地味な日課だと僕自身でも思うのだが、僕はこの行いがちょっと好きだ。嫌なことも、悲しいことも思い出さなくていられるから。
不意に、グーっと昨日から仕事させていなかった胃袋が大きく鳴り出す。妙に恥ずかしくなった僕は、自分の三角形の耳をパタパタと振り動かした。
――今日のご飯、どうするか。
昨日の狩りは失敗してしまって気分が萎えているので、できれば狩りに行きたくない。この近くにある村まで行って、酒場などで誰かの食べ残しをもらいに行ってもいいのだが、多分、みんな僕の姿をを目に捉えた瞬間、僕に向かって石を投げつける。五年前の死傷事件を起こしてしまった張本人なのだから仕方ないが、できれば痛い目にあいたくないし、憎悪の目を向けられたくない。既に他人から最底辺の評価を下されているのによく言うよと自分でも思うのだが。
おもむろに、左手の中指にはめられた指輪をそっと撫でる。素材はよく分からないが、銀色の土台に大きさ二センチ程のシンプルな装飾、それは、現在消息不明である僕の師匠からもらった、僕の宝物だ。師匠はとある理由で大陸の真ん中にある『エルム王国』に連れて行かれたらしいが、大陸の南東にある孤島からは船にでも乗らない限りは到底たどり着ける所ではない。その理由というのは僕もよく分からないけれども。
話が逸れた。一応、まだ干し肉の蓄えはまだあるが、そろそろ底が見えつつあるので、何か獲物を探しに行った方がいいのだが……
「はぁ……」
仕方ない。今日こそ狩りを成功させればいい話だ。我慢して行こう。
僕は大樹の幹に手を掛けてゆっくりと立ち上がり、太陽が昇った方角にある生い茂った森を目指して歩き出した。
十分程森を歩いた頃、かなり視界が開けた場所にたどり着いた。
そこは草原だった。と言っても、草一つ一つの大きさが僕の膝くらいもある鬱蒼とした場所だったが。
辺りを見回してみると、一匹の全体的に淡い緑色の毛皮を持った生物――『花ウサギ』がこちらに背中を向けていた。毛の模様から察するに、こいつは昨日逃した獲物だった。
花ウサギの肉は臭みが無く、柔らかくてとても美味しいのだが、逃げ足が結構早いので、不意打ちでなければほぼ捕まえることは叶わない。
そいつに向かってそっと聞き耳を立てていると、微かにシャキシャキといった咀嚼音が聞こえてきた。どうやら好物の花を食べるのに夢中で、こちらには気づいていない様だ。
僕は姿勢を低くし、息を潜め、そっと左手に嵌めている指輪に魔力を僅かに送った。すると、一瞬で両手に愛武器の爪が現れ、それと同時に身体全体の筋力が膨張したかのような不快な感覚を覚える。
それを無視して重心を前に移動させ、爪を静かに構える。
意識を集中させていると、悪戯な風が僕の周りにある草木を大きく揺らした。と同時に、花ウサギが素早くこちらに振り向く。――気付かれた!
「ちぃッ!」
すぐに持てる限界の速さで飛び出す。
「はああああー‼︎」
初春の森の湿った空気の中、花ウサギの乾いた断末魔だけが鳴り響いた。
その後に猪を狩ったり、果物を採ってきたりしていると、既に太陽が東の方向に傾いていた急いで小屋まで戻ってきた。
僕は狩ってきた花ウサギや猪の内蔵を処理し、毛皮を剥いだ。そして、猪の肉は薄く切ってからコショウを撒いて家の前に干しておく。花ウサギは今日食べるので、串に刺してからその辺の地面に刺しておき、薪を取りに行った。花ウサギの肉は腐りやすいので、早く食うに越したことはない。
地面が煤けた場所に薪を並べてから、腰に下げている巾着袋の中に手を突っ込む。取り出した物は、白を基調とした、虹色の半透明の小さな石だ。
――『マナライト鉱石』。そう呼ばれる石を僕は指の間に挟み、そのまま握りつぶした。
すると、その石から真っ白な光が一つ飛び出し、僕の周りを回り始めた。
僕はその様子を確かめてから、右手を前に出し、そこに魔力を集めた。そして、小さく言葉を発する。
「火因子」
すると、白かった光が赤色に変色した。それを一目見て、さらに言葉を足す。
「発火》」
途端にその光が薪の方に移動し、それにぶつかった瞬間、薪が燃え上がった。
そして、まるで貧血を起こしたかの様に、僕の身体が傾く――
「……っ!」
が、なんとか倒れずに踏みとどまることに成功した。やはり、魔力が急激に減ったからかと、亜人故の魔力の少なさを恨む。
そして、遠くに聞こえる春風の音に耳を澄ましながら、置いていた花ウサギの肉を取って焚き火の前に串を立てた。
肉が段々茶色に変化していく様を観察していると、思わず腹がぐーっと鳴った。
ふと空を見上げてみると、既に太陽がオレンジ色に変わり、地平線の彼方へと隠れようとしていた。暖かい風の音が、妙に耳に纏わりつく。
そのまま肉が焦げない様に注意を払いながら、空をぼーっと眺めていると、風音とともに一筋の流れ星の様な物が、長い線を描いて流れていた。
今現在、こちらに向かって。
「……え? あ、ちょっ」
急いであの黒い大樹に回り込み、必死にしがみついた。そしてそれが、すぐ近くの池に突っ込んだ。
刹那ーー轟音。
そして衝撃波。
それらと同時に、爆風が周りにあった細い木々をほとんど吹き飛ばしてしまい、土を大きく巻き上げた。
やがて落ち着いた頃、トタン小屋は既にバラバラに解体され、墜落地点である池は縁が抉れて大きく広がっていた。今までの食料たちは言うまでもない。
しばらくすると、その落ちた物が池の真ん中に浮かび上がってきた。
それは、純粋な『人間族』の女の子だった。
「…………」
頭に浮かんだ様々な疑問をとりあえず棚上げにし、彼女を助けるべく池から引っ張り出した。
不思議なことに身体には全く傷が無く、脈もしっかりあった。藍色がかった長い髪、結構整った顔立ち、この辺りではまず見ない水色の変な服、これが、彼女の特徴だった。
とりあえず濡れた彼女をおんぶし、かねて見つけておいた南の方角のふもとにある洞窟へと連れて行くことにする。
太陽はもう既に見えなくなり、風は冷たくなっていた。
11/8 改行を多用しました。細かい表現を修正しました。
12/20 表現を修正しました。