14.赤色のミオソティス【後編】 ♠︎
今話は結構ハードな残酷描写があります。ご注意ください。また、今回はいつもの倍くらい長いです。
――何かが壊れた音がした。
耳触りな銅鑼の音は、未だにけたたましく鳴り響いている。
後ろの窓には、赤黒い液体が右下から左上まで一直線にぶちまけられていた。
鉄に似た臭いが鼻の奥を痛めつけていて、気持ち悪い。とりあえず、何が起こったのか分からないといった表情のまま固まってしまったリズの手を引っ張って外に出てみると――
「ヒャーハッハッハ! 野郎共、この村を破壊し尽くせぇ!」
屋根の上に、トカゲの亜人が、現在町を蹂躙している真っ黒な法衣を着た男たちに指示を出していた。その法衣には、全員例外なく胸章を身に着けていた。
『ナナシ』を表す胸章が。
突如、右の方から男性の悲鳴が聞こえてきた。視線をそちらに移してみると、近所に住んでいたおじさんが背中から剣で貫かれていた。更に悲鳴が聞こえて視線を左に移してみると、小さい頃からよく遊んでいた熊人の小柄な女の子――ユリアが、複数人の男に犯されていた。
徐々に込み上げてくる不快感を抑えて後ろに視線を移すと、リズが気持ち悪そうに口元を抑えている。
そして、前を見てみると、
「オラァ!」
法衣の男がこちらに切りかかってきたのを見て、咄嗟に指輪から剣を取り出してその斬撃を受け止めた。
久しぶりに聞いた金属の擦れ合う音は、あまり気持ちいいものではない。
「グヌゥ」
「ふぅ――――んぬ!」
歯の奥に漏れる空気の気持ち悪さを我慢しながら、男の剣を力任せに押し返し、がら空きの胸に蹴りを入れて距離をとる。
派手に背中から向こうへ滑って行った男だったが、それでもヒョイッと立ち上がり、狂ったような目のまま、またこちらの方へと駆け寄り、執拗に攻撃してきた。それを何とか剣であしらう。
しかし、いい加減うざったらしい。
痺れを切らした僕は、一歩踏み出して無理やりつば競り合いの形に持っていき、男の動きを止めることにした。そこに、
「やぁ!」
いつの間にか男の後ろに現れたリズが、どこからか持ってきた植木鉢で男の脳天をぶっ叩いた。割れた鉢とともにどろっとした赤い液体が飛び散り、それで、ようやく男は動きを止める。
荒れた息を整えて、リズの方に向いた。
「ありがとう、リズ」
「ああ、それより……」
リズは不安そうに、左の方に視線を向けた。その様子を見て彼女の言いたいことを察し、僕は少し胸を抑えた。そして群がっている男たちに向かって――一気に飛び出す。
「ぁぁああああああ!」
走っている最中に剣から爪に持ち替え、前に壁の様に後ろを向いて立ち塞がっている法衣の男たちの背中を横に切り裂いていった。
「なっ⁉」
「がっ⁉」
「ぎっ⁉」
初めて人を切った感触は最悪だった。硬いのか軟らかいのかよく分からない肉の感触、時々ガッと抵抗してくる骨の感触。もし今持っている武器が手に固定される爪でなかったのなら、嫌悪感ですぐにでもその武器を取り落していたことだろう。一瞬だけ、先ほど咄嗟に爪に持ち替えるべきだと判断した自分に深く感謝する。
「あ? なんだテメェ!」
残った二人の男が異変に気づき、押さえていたユリアの手足を離して剣を抜き、同時に切りかかってきた。それを、両手の爪で対抗する。
もちろん、それぞれ片腕で抑え切れるはずもなく、両方の剣の切っ先が、徐々にこちらの方へと迫ってきた。
「う……ぐっ……!」
徐々に腕に限界が来て、僕の両手がぷるぷると震えだした。
先ほどの男三人も、致命傷には至ってなかったのか、ゆっくりとだが剣を持って立ち上がってきた。憤怒、怨念、そして、今から僕を殺せるという悦び。彼らの目から、そんな感情が伝わってきた。
――もう駄目か。そう思い始めた、その時、
「あ……?」
僕に切りかかってきた男のうちの一人の首が、飛んだ。
「え……お、おい、何が――」
突然仲間が死んで動揺した男は、しかしその台詞を最後まで言うことが出来なかった。なぜなら、続けて放たれた斬撃によって彼も同じ末路をたどることになったのから。
急に楽になった両手をだらりと下ろして、先ほど二回の斬撃がやってきた方向を見てみると、
「父さん!」
「ここは任せろ」
いつもより強い口調の父さんは、この辺では珍しい『刀』というものを頭上に構えながら、未だに呆然としている三人の男たちに対峙した。
「うん!」
爪をしまって、地面に倒れているユリアのもとに駆け寄る。そこにはいつの間にかリズがいて、ユリアの上に覆いかぶさって泣いていた。リズが僕にに気付き、晴れた目元をこすりもしないで弱々しく僕にすがる。
「――あにきぃ……」
リズの下には、身体だけでなく、内臓までもさらけ出したユリアがいた。眩暈がし、思わずその場で膝をつく。
すると、ユリアの瞼がかすかに動き、光が消えかけている目がこちらを向いた。
「ライ……ム…………」
「なんで……なんでこんなことに」
リズが気を使って離れたところに、代わりに僕が覆いかぶさる。
「ライム……最期に会えて……よかった…………」
ゴフッと、ユリアは血を吐く。そして、
「ユリア? ……ユリア!」
――動かなくなった。
「あ……あ…………」
喪失感に苛まれ、抜け殻になった身体を必死に掴んで、ひたすら声を殺しながら泣いた。まだ熱が残っている亡骸を懸命に揺さぶり、でも段々と熱が失われていって、ようやく彼女が死んだと実感した。それでもひたすら僕はその場から動かず――
この時の僕は、一つの大事なことを忘れていた。
それは――まだこの緊急事態は続いているということ。
「きゃああああ!」
突然、どこかで聞いた覚えのある声の悲鳴が聞こえてきた。顔を上げると、
「リズ!」
彼女が、あのトカゲの亜人に捕まっていた。
咄嗟に槍を取り出して奴との距離を詰めるが――
「動くな!」
トカゲの亜人がそう叫び、周りにいた全員が動きを止めた。
三人を始末したばかりの父さんも、その父さんに襲いかかろうとした法衣の男たちも、ほかの村人も、当然、僕も。
「まさかこんなちっこい村に、それなりに腕に覚えのあるやつがいるなんてなァ。完全に予想外だったぜ」
粘っこい態度を保ちながらも、奴はリズの首に短剣を当てたまま、わざと聞かせているように言った。リズは、少し苦しそうに眉を歪ませている。
「『ナナシ』は……亜人は襲わないんじゃなかったのか?」
父さんがどこか様子を窺うように、奴をじっと見た。
「ああ、まあ、組織の方針としてはそうだな」
この時、心なしか奴の短剣を握る手が強まった気がした。
「でも、俺にはカンケーねーんだよ」
「何?」
「俺にとっちゃあフツーの人間だろうが亜人だろうが、どーでもいいんだよ。どっちも殺す、それだけだ」
一瞬だけ、奴は怒気にも似たような声を出した。と思った直後、奴は手の位置を動かさないで、声だけ器用に舞台俳優のような抑揚をつけて続けた。
「が、気が変わった。そうだな……テメェ、村長だろ? テメェの身柄をこっちに渡してくれたら、この娘は離してやる。もちろん、村も見逃してやる」
「……本当だな?」
「『ナナシ』はウソをつかねぇ」
奴はにやりと笑った。
「分かった」
「パパ!」
リズが叫んだ瞬間、近くにいた法衣の男の一人がリズの腹に拳を入れた。
女の子だろうと容赦ない、強い一撃。
「ごふっ!」
「リズ!」
僕が叫んで近づこうとした瞬間、短剣がリズの首にわずかに食い込んだ。リズの首筋に赤い線が引かれる。
「ダメだろぉ? お嬢さん、人質は大人しくしないと」
奴の他人の癇に障るようなしゃべり方に、僕の心は一層穏やかではいられなくなった。
そこに、父さんが声を紡ぐ。
「……リズマリア、言うことを聞け」
そう言って、父さんは刀を地面に突き刺し、もう反抗しないという意思を示した。
「でも…………」
その様子を始終見ていた奴は、今まで以上に顔を大きく歪ませた。
「いいねェ。家族愛って奴か? 泣かせてくれるじゃねーか」
奴は「おい」とだけ言うと、周りにいた法衣の男数人が父さんの周りを取り囲み、その腕を荒縄で縛った。そして、そのまま連れて行かれる。
「……父さん」
「心配するな」
何か手はないのか。うまく働かない思考を懸命に動そうとするが、脳がびりびりする不快感がやってくるだけで、何にもならなかった。
やがて、答えが出る前に父さんが奴の横に着くと、奴はリズの首に当てていた短剣を僅かに離した。
「じゃ、こいつはもう用済みだな」
――――え?
どういうこと?
言ってる意味おが分からない。分からない。分かりたくない。
奴は、短剣の切っ先をリズの首のあたりの位置に戻した。
何をするの?
やめて、やめて、やめて、やめてやめてやめてやめてやめて‼
なんとか一歩駆け出す。必死に腕を伸ばす。それでも……
――リズの首が、切断された。
彼女の身体が、崩れ落ちる。
世界が止まる。色彩が無くなる。音を失う。
「――――! ――――――――!」
「……――――…………。…………――!」
ナナシたちは、あのトカゲの亜人が何かを言った途端、すぐにこの村から出ようと門の方へ走って行った。
……リズ。
そう呟いてみるが、リズは反応しない。なんで、なんでこんなことに? そう自責して顔をうつむかせていると、
「……あに……き」
聞こえないはずの声が、聞こえてきた。顔を上げてみると、閉じていたリズの瞼が僅かに開いていた。慌てて彼女に手を掴む。
「リズ…………リズ!」
よかった、生きている。首を切られたせいで出血がひどいが、まだ助けられるかもしれない。
「早く、早く薬草を!」
そう言ってすぐに薬屋へ駈け出そうとした僕の手を、しかしリズは離してくれなかった。
「……⁉ なんで……」
「あにき…………」
リズは僅かに首を振り、そして、どんどんと僕の手に指を絡ませてきた。
「ごめん……な…………」
そして、絡んでいた指がすべてほどけ、彼女の小さな手は、力なく落ちた。
「リズ……?」
僕はリズの瞼がまた閉じていたのに気付いて、泣き叫んだ。
叫んで、叫んで、今日のこの出来事を激しく呪った。
呪って、呪って、そして激しく自分を責めた。
そう、僕の所為で、僕がもっと警戒するように促したらこんなことにならなかった。さっきだってそうだ。リズが捕まっていても他に助ける手立てはあったかもしれないのに、そもそもナナシと抗戦中にユリアを亡くして勝手に悲しみに明け暮れていた僕がおかしい訳で、そういえば戦っている最中もリズから離れていたことが多くて、だからそうだよ。そんなだからリズが捕まっちゃうんだよ。結局リズもユリアも死んで父さんが捕まって村がこんなになって、大体昨日の見張り番の時ももっと警戒させておくように言えばこんな事にならなかった訳で、そうだね。僕ってば救いようがないね。仕方ないね。僕が悪い、僕が悪い。悪い、悪い、悪い、悪い悪い悪い悪い悪い悪い――――――――!
――でもちょっと待って。そもそもの原因はなんだったのだろう?
狂ったまま動かない頭の一片に、そんな考えが生まれた。そして考える。なけなしの頭で考えて考えて、そして、ようやく僕の中で一つの答えが生まれた。
――ナナシが悪い。
瞬間、両目の奥がひどく熱くなり、今まで感じたことのない痛みが僕を襲った。けれど、不思議とこの痛みが気にならない。
「お、おい、お前……」
――うるさい。邪魔するな。
僕は、急に声をかけてきた煩わしい男をその場で一切で殺した。
直後に生まれたざわめきや悲鳴は、無視することにした。
ナナシ共が行った方向へ走り出す。走って走って、村から出てしばらくしてからようやく――
「な⁉ いつのまに――――」
エモノを見つけた。
そこから先は、よく覚えていない。
村に戻ってきて、顔を上げて見た。
アイリス村の中で最も大きいあぜ道の大通りで、無数の人達が横たわっていた。全員、例外なく身体をぼろぼろに引き裂かれていて、原型をほとんど留めていない。血だまり、と言うよりは血の泉が家や作物を赤黒い色に汚し、夕方であったこともあり、一面、目に痛い光景だった。誰がやったのか? 言うまでもなく、僕の掌についている赤黒いものが全てを物語っていた。
やけに静かで、時折吹く風の音がとても騒がしく、なぜか寂しい。視線を下に向けると、僕と同じ三色の髪の毛を持った、僕の妹だったものが辛うじて胴体と繋がっている頭をこちらに向けていて、光の無い目が僕を見ていて…………僕を……見て……
ふと、瓦礫を運んでいた犬人の女性と目が合う。すると――
「きゃああああ!」
瓦礫を足元にばらまき、ひどく引きつった顔で、地面にへたり込んだ。
「いや、やめて、殺さないで!」
彼女は股の間が濡れていることにも気づかず、懸命に足を動かして僕から距離を取ろうとしていた。
「――化け物!」
「…………」
反論できず、僕はその場から立ち去った。行くあてはない。
途中、勇敢にも僕に石を投げてきた人もいたけれど、今はどうでもよかった。
空が完全に真っ暗になった頃、僕は、どこにあるか分からない広い洞窟にたどり着いていた。
そこで僕は、一日中吠えた。
【補足】
ミオソティスの花言葉は「私を忘れないで」
12/20 表現を修正しました。




