1・Come Together
橘奈緒はボカロPではない。だからあの歌も初音ミクではなかった。あの動画の曲を作詞作曲し、自ら歌っていたのが橘奈緒である。橘奈緒は実在の人間だった。
その事実に口をつぐみ、あまつさえあれ程の騒ぎを起こしたのは俺である。奈緒には何の責任も無い。何故なら、あの事件の半年前に奈緒は事故で他界したからだ。
だからこれから語る物語は事件に至るまでの経緯‥‥ある意味言い訳である。だがそれ以上に俺が伝えたいのは、橘奈緒というアーティストの素顔だ。
俺たちは幼馴染で、俺はあいつの一番の理解者だったと思う。フワフワしたファニーフェイスに似合わず頑固で負けず嫌い、一度決めたらとことん突っ走りどんな努力も惜しまない情熱家‥‥だがその情熱はあまりにも強過ぎた。奈緒は死後半年もの間オリジナル曲を作り続けていたのだ。
信じる信じないは自由である。だがこれがあの動画が制作された過程であり、奈緒の最初で最後のフルアルバムへのいきさつである。だからこれは奈緒の情熱の物語と言っていい。
願わくば奈緒の情熱が後に続くミュージシャンたちの道標とならん事を‥‥。
第一章・リトルガール
1・Come Together
長野県塩尻市‥‥ここが俺と奈緒が生まれた街である。交通の要所という事もあり県内ではそこそこの街だ。ただ東京と比べると、まあ所謂地方都市のレベルである。都内在住の方は都下の街並みを想像してくれれば遠くはないだろう。駅から離れ市街地を抜けるとごく普通に畑や水田がある‥‥俺たちはそんな街で育った。
奈緒と俺は保育園からの仲だった。親同士も付き合いがあったし、小学校半ばまでは本当に仲が良かった。
小さい時のアイツは目が大きく猫っ毛なせいでキューピーちゃんそっくりだった。で、物静かでイジメられても声を出さずに涙だけ流している様なヤツだったんだ。それが小学生になるころには変に活発になってクラスの女子の中心になっていた。
ちなみに俺は奈緒の付属品としてよく女子のグループに混ぜられた。だから小学校低学年まで女子と遊んだ記憶しかない‥‥我ながら悲惨な子供時代である。だが活発とは言い難い俺としては正直女子に混ざっている方が楽だった。そのせいかテンションの上下が激しい同年代の男子はいまだに面倒に感じる。俺の冷めた性格は多分この頃決定されたのだろう(じゃなかったら生まれつきだな)
まあ、そんな訳で奈緒がガキの頃の笑える話や恥ずかしい話は掃いて捨てる程ある。俺まで恥ずかしくなるエピソードを省いても本一冊分はあるだろう。しかしそこらへんは割愛。アーティスト橘奈緒を語るなら高校時代から始めるのが順当だからだ。
高校の三年間、俺と奈緒は軽音楽部に所属していた。そこから俺たちの音楽活動はスタートしたし、奈緒の才能が開花したのも軽音の活動の中でだった。だが入学当初、俺たちは軽音に入ろうなどとは一㎜たりとも考えてはいなかった。こんな事を書くのははばかられるのだが‥‥ハッキリ言う、俺たちの入部は話の流れだった(特に俺は)
入学三日目の昼休み、俺は普通に自分の席で弁当を食っていた。所謂ぼっち飯なのだが、だからといって他のクラスまで中学時代の友人を訪ねるのはめんどかった。だから俺は教科書を広げて黙読しながら弁当をつまんでいた。
と、俺は変な視線を感じて顔を上げた‥‥見ると前の席の角田貴明が背もたれに肘をついてこちらをガン見していた。俺は眉をひそめた。因縁をつけられる覚えは無いし、そもそも角田のルックスはヤンキーというよりチャラ男だ。ケンカになれば俺でさえ勝てるだろう。では何が目的だ? 弁当でも狙っているのか?
俺は教科書で弁当を隠して様子をうかがった。すると角田は顔をシワクチャにして笑いながら言った。
「慶太郎、子供ん頃ピアノを習ってたんだって?」
言っておくが角田とはこの時初めて口をきいた。初手から下の名前を呼び捨てだった。
「ああ。誰に聞い‥‥」
「軽音入って一緒にバンドやらね?」
「‥‥はあっ?」
藪から棒な話だった。俺はバンドなんて考えた事も無いし、そもそもピアノだって小五の時にやめている。だから今更弾けるとも弾きたいとも思っていなかった。
説明がてら話を聞くと、角田はプロミュージシャンを目指しているという。ギターは中学の時から兄貴に教わっていたそうだ。
「バンド組んで、一緒にプロ目指そうぜ!」
根拠もなく自分の才能を信じられるヤツが羨ましい。でも才能は自己申告制じゃないと思うぞ。
「女子にモテるぞ!」
そんな理由で寄って来る女に興味は無い。
「お前、冷めてるなぁ」
角田は俺を正当に評価した。
だが、無下に一蹴する理由も無かった。プロになるつもりは無いが、部活への参加は義務だった。俺は学業に支障の出ない範囲を条件に誘いに乗った。
当然希望のポジションは無かったので、担当はあまりもののベースになった。エレキベースは初めてだったが、ピアノをやっていたおかげで概念はすぐに分かった。要するにピアノの左手だ。
しかし理解と演奏は別問題‥‥リズムキープがこんなにキツイとは思わなかった。夕食後の時間はほとんど練習に費やされた。それでもまともに弾けるようになったのは中間試験の後ぐらい。 その後もリズム練習は毎日欠かせなかった。
俺の一学期は練習と試験勉強で終わった様なものだ。
期末試験を控えたある日、夕食後に突然奈緒が訪ねて来た。
「慶ちゃんお願い、イッショーのお願い!」
奈緒は青い顔で俺を拝み倒した。その剣幕にさすがの俺も何事かと思った‥‥が、
「頼むから宿題教えて!」
心配した分力が抜けた。しかも奈緒は隣のクラスだ。よそのクラスの宿題まで知るか!
「科目は?」
「数Ⅰ‥‥なんだよね‥‥」
「分かった、上がれよ」
別に俺が数学が得意だったからではない。奈緒は昔から記号を使った計算が大の苦手だったのだ。コイツ一人では一晩掛かっても解けやしないだろう。
部屋に通してやると、奈緒はすぐに借り物のベースに興味を示した。
「何コレ? エレキギター?」
「エレキベース」
「どう違うの?」
ベースはギターに比べて一オクターブ低い。ギターが伴奏楽器であるのに対し、ベースはドラムと組んでグルーブを作る事を主眼に置くためリズム楽器の色彩が強い。形は似ているが全く役割の違う楽器なのである。
奈緒は説明を聞きながら、FENDER JAPAN/プレジジョンベースをもの珍しそうに見つめた。
「弾いてみるか?」
「いいの!?」
奈緒がアメ玉をもらったガキみたいに目を輝かせた。俺はベースを奈緒に持たせミニアンプのスイッチを入れた。
「凄い! 音が出る!」
当たり前だ(笑)
だがこの時点で奈緒の頭からは、宿題の事などすっかりサッパリ消え去っていた。俺が簡単なフレーズを教えると、奈緒は二時間もの間黙々とベースを弾き続けた。始めは俺もポジションを指示したりしていたが、そのうちやる事がなくなったので奈緒の宿題を片付けた。
全部解けたところで声を掛けた。
「お前、教わりに来たの? やってもらいに来たの?」
「‥‥ヘっ?」
「宿題!」
「うわあああ! ごめんなさいゴメンなさい!」
奈緒は慌てふためいて謝りまくった。いやもう、阿呆らし過ぎて怒る気にもならなかったよ。
奈緒の家は二㎞ほど先にある。ガキの頃通い慣れた道を、俺は五年ぶりに奈緒と歩いた。歩きながら俺は、道の風景が昔と全く変わっていない事に不思議な安心感を覚えた。レタス畑もその向こうの高ボッチ山もあの頃のまま。背が伸びた分多少近く感じられるぐらいだ。
疎らな街路灯の下を並んで歩きながら、奈緒はずっと左手を気にしていた。
「ヒリヒリすると思ったら、マメ出来てるよー」
奈緒は俺をからかう様に唇を尖らせた。しかし二時間も弾き続けたのは俺ではなく奈緒だ。だから当然の様に無視。
「慶ちゃん、あんなのよく弾けるねー!」
「少しすると指が硬くなるんだよ」
「どれどれ?‥‥ほほー!」
奈緒は俺の左手を取って指先をぷにぷにした。いくら相手が奈緒でも女子に手を取られるのは変な気分がする。そんなテレのせいか、俺は要らん事を口走った
「興味があるなら軽音に入れよ。練習すればすぐ弾ける様になるぞ」
奈緒は既に美術部員だったし、結構マジに部活に励んでいる事も知っていた。しかも奈緒は金輪際無いぐらい楽器に向いていなかった。コイツは構えると徹底的に不器用になるタイプで、小坊の時のリコーダーなんて下手を通り越して別の曲の様だった。
「‥‥やっぱり楽器は自信無いなー」
同じ事を思い出したらしく、奈緒は突然落ち込んだ‥‥悪い事を言ったな。
「だったらボーカルって手もあるぞ。オマエ、歌は上手い方じゃん」
世間一般ではこれを〝口から出まかせ〟と言う。奈緒の歌なんて小学校以来聴いた事がないし、声変わりした現在は想像すら出来ない。
だが奈緒は黙り込み、真面目に入部を考えている風だった。会話の無いまま俺たちは、まだ肌寒い夜風の中を歩いた。
と、奈緒が独り言の様に訊いて来た。
「美術部と掛け持ち出来るかなー?」
「んー‥‥バンド練習は週に一、二回だから出来んじゃね?」
「そっか!」
奈緒が満面の笑みを浮かべた。実質、アイツを焚き付けたのは俺だった。
期末試験終了と同時に奈緒は入部手続きをした。バタバタだったがこれで奈緒も軽音の部員になった。
だが一学期中に部内のバンド編成はほぼ決まっていた。だから奈緒は俺と角田のバンドに入る事になった。
「女子いると見栄えイイじゃん!」
角田の安易な発言で奈緒の加入は承認された。ドラムとサイドギターも即答で、
「いいよ~」
‥‥いいのか? 頼んだのは俺だがメンバーの事だぞ、もう少し真面目に考えた方がいいんじゃないのか?
と、角田が俺に耳打ちした。
「奈緒ちゃんの足、スゴく色っぽくねー? 太過ぎず細過ぎず、白くてほんのりピンクで‥‥」
俺は心底呆れ果てた。世の男子とはこういうものなのだろうか?
「奈緒ちゃん、カップ幾つ?」
「二つじゃねーか?」
んな事知るか!
ってか、奈緒には後でスカートの丈を長くする様に言っておこう。
バンドは角田がギター&ヴォーカルだったので、奈緒はコーラス。何曲かでメインヴォーカルという形になった。
まあ、そんなこんなで俺たちはバンド活動を共にする事になった。話の流れに座興の延長‥‥ホント、ありがちを判で押したような始まりだった。
何処にでもありそうなありふれた話。
だが気づく気づかないに関わらず、俺たちの物語はこの時始まったのだ。そして動き出した歯車はもう誰にも止められなかった。