VOL.45:熱海到着
――そして、あっという間に時は流れて8月1日の朝。熱海旅行ご一行様は、竹崎駅の北口で集まり、さとみと一樹が迎えに来るのを待っていた。
「まだかしら……ねえ、ちひろちゃん。藍沢先生、9時に迎えに来るって言ってたんでしょ? もう9時30分よ。そろそろ来てもいい頃だと思うんだけど」
暑さにしびれを切らした雲雀がちひろにたずねる。
季節は真夏。しかもこの日の天気は快晴で、気温は朝からグングン上昇し、駅前の液晶温度計の数値は、すでに32℃を表示していた。
「さっきメールが来て、あと少しで着くようなことを言ってたんですけ――」
ちひろが最後まで言い終わらないうちに、駅前を行く人々がざわめいた。
「なんだ、あれ!」
「でっけえ! カッコいい!」
そんな人々の声が気になった一行が駅前ロータリーの入り口付近を見やると、普通の車を2台くらい縦につなげたような長さの黒塗りの車が、存在感をありありと示しながらロータリーに入ってくるところだった。
「すげえな……どこの金持ちの車だよ……」
峻佑がつぶやきながらその車の行く先を目で追っていると、なんと峻佑たちの前で停車した。と、ドアが開き、出てきたのは――
「やっ、お待たせ! 遅くなってゴメンね!」
「ね、姉さん!?」
そう、そこにいたのは誰あろう、さとみだった。
「姉さん、この車は……? レンタカーで来るはずじゃ……」
ちひろが恐々と車を指差しながらさとみにたずねると、
「ホントはレンタカーにする予定だったんだけどね、一樹くんが別荘のカギを取りに実家に行ったら、執事の近藤さんがぜひ送迎させていただきますなんて言うもんだから……」
さとみが事情を説明すると、
『ええええええええ!!?』
ほぼ全員が同時に絶叫した。
「さ、そういうわけだから乗った乗った。荷物はテキトーに詰め込んじゃって」
そこで一樹が助手席から降りてきてみんなに早く乗るよう促した。
「すげえ……まさかこんな車に乗れる日が来るなんて……」
耕太郎はシートの柔らかさに感激し、涙を流してつぶやいていた。
「世の中、あるところにはあるものね……」
雲雀はただため息をつき、また、一条は無言で座ってる……と思いきや。
「ZZZ……」
寝ているだけだった。
「すごい……それにしても、いいのかしら? 私たちはただちひろちゃんやみちるちゃんと一緒に働いてるってだけなのに、こんな豪華な車に乗せてもらって一緒に旅行だなんて……」
さゆりのつぶやきを聞いていたのか、さとみが反応した。
「えっと、ちひろとみちるがお世話になってるみたいですね。わたしはちひろやみちるの姉のさとみと言います。今回の旅行で皆さんも誘ったらと勧めたのはわたしたちなんで、お気になさらず楽しんでください」
さとみがさゆりに挨拶すると、
「どうもすみません。4日間、お世話になります」
さゆりも頭を下げて礼を言った。
「あ、申し遅れました。わたくし、藍沢家の執事を務めさせていただいている、近藤と申します。熱海までの道中、安全運転で皆様を送り届けさせていただきますので、宜しくお願い申し上げます」
ふと思い出したように、車を運転してる執事の近藤が自己紹介した。
「近藤さん、忘れてたのなら着いてからでもよかったんじゃない? 何も運転中に挨拶しなくても……」
一樹が助手席から近藤をたしなめた。
「坊ちゃま、これは失礼いたしました。それでは、到着後に改めてご挨拶させていただきます」
近藤は一樹に謝り、再び運転に集中し始めた。それっきり車内は静かになり、しばらくして一樹が後ろの様子を見るために振り返ると、全員寝ていた。
「ん? みんな寝てしまったか。近藤さん、僕も着くまで寝るから、着いたらみんなと一緒に起こしてくれ。到着を急ぐ必要はないから、安全運転で頼むよ」
一樹も近藤にそう頼むと、目を閉じた。
「かしこまりました、坊ちゃま」
近藤は一樹に対し大きく頷くと、車を走らせていった。
そして、3時間後。
「坊ちゃま、皆さん、着きましたよ」
近藤の声にのそのそと起き出し、車から降りた一行は、景色を見て一瞬にして目を覚ました。
「では改めまして、わたくし――」
「すごーい!」
「ホントに海が目の前だよ!」
口々に感嘆の声を上げる一行に、近藤の挨拶は無残にもかき消された。
「それじゃあ、ちょうどいい時間だし、荷物を置いて昼食にしようか。そうしたら早速遊びに行こう」
一樹もあえて何も言わず、近藤からカギを受け取ってドアを開けながら、未だに海を見て騒いでる一行に言った。
「はーい! あれっ、ところで、メシはどうするんですか?」
峻佑が元気良く返事をして走り出したが、急に立ち止まって一樹に聞いてみた。
「心配は無用だよ。ここに来ることはもう藍沢家のメイドさんに伝えてあるからね。内部の掃除はもちろん、食材もきちんと買い揃えて冷蔵庫にしまってあるのさ。ああ、今はいないよ。今朝までに準備を済ませてもらって、帰京してるはずだから」
一樹は笑いながら峻佑に言ったが、その中の“メイド”という単語にシエルの面々がピクッと反応した。
「みんな……ここは‘アレ’の出番ね。用意はいい?」
さゆりが瞳に怪しげな光を宿しながらちひろとみちるも含めたシエルスタッフ一同にたずねる。一同は一斉に頷くと、女性陣は「ちょっと失礼」と言って冷蔵庫とかのある食堂から姿を消した。その間に峻佑と藤原の男性陣は、すぐに食事を作るから、とみんなを座らせていた。
「しかし、お客様である皆さんに食事の用意をさせるわけには……」
やはり一樹や近藤は少し慌てて止めようとしたが、
「まあ、ここは任せてください」
峻佑と藤原のコンビに押し返され、仕方なく座って待つことにした。
やがて、女性陣が戻ってきた。――メイド服で。
「さあ、始めるわよ!」
あ然として声も出ない一樹たちを尻目に、さゆりの号令でみんなが一斉に動き出す。さすがに食べる人数が多いので、エリコと千佳以外は全員調理をしていた。
普段からやり慣れてるだけあり、てきぱきと昼食のオムライスができていく。
「はい、これで全員分ね!」
ちひろが最後の1人分を完成させ、賑やかな昼食が始まった。
「ちひろさんのメイド姿……素敵だ」
オムライスをほおばりながら、耕太郎はちひろのメイド服を眺めていた。
「もう、沢田くんってば、ほめても何も出ないよ?」
ちひろは笑いながら耕太郎を軽くあしらい、食堂は笑いに包まれた。
「それにしても、どうりで私たちに比べて荷物が大きいと思ってたら、まさかそういうアルバイトをしていて、そんなものを持ってきてたなんてね。驚いたけど、よく似合ってるじゃない」
雲雀がちひろやみちるをからかうようにニヤリと笑いながら指摘すると、2人は真っ赤になってしまい、さらに食堂は賑やかな笑い声に包まれるのだった。
「ん、もう! 峻佑くんは笑いすぎ! あとで覚えてなさいよ!」
多少予定とは違ったものの、一行は熱海に到着。
次回、一行は海岸へ遊びに出る。これだけの人数が集まれば、トラブルが起こるのは必然なわけで――
次回、VOL.46:海で遊ぼう―セクハラは制裁よ―
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