VOL.42:アルバイト事件帖(前編)
「おかえりなさいませ、ご主人様」
扉が開いて客が入るたび、そんな声が響きわたるメイド喫茶・シエル。キッチンスタッフの峻佑、そしてホールでメイドをやるちひろとみちるは、この日も元気良く働いていた。
だんだん店が混雑し始める夕方のこと。店長・さゆりがメイド服からスーツに着替え、バッグを持って出てきた。
「あれ、店長お出かけですか?」
たまたま手が空いて、休憩に入ろうとしたちひろがさゆりにたずねると、
「ええ、急な用事が入っちゃって、どうしても行かなきゃならなくなっちゃったの。閉店後には戻れると思うから、他のみんなにも言っておくけど、少しの間店をお願いね!」
さゆりは早口でちひろに事情を説明すると、慌ただしく飛び出していった。
「わかりました。お気をつけて行ってきてください」
ちひろはさゆりを見送ると、休憩に入った。
「はい、オムライスとパフェ上がりました! ついでにケーキセットも出ます!」
この日は厨房の先輩・藤原が休みで、峻佑と臨時で普段はメイドをやってるはずのみちるが厨房に入っていた。ホールではドジを連発して“ドジッ子メイド”と呼ばれたみちるだが、厨房で調理を始めるとホールでのドジッ子ぶりはどこへやら、本職の峻佑や先輩の藤原をも越えるのではないかというような手さばきで注文をさばいていった。
「次の注文、麻婆豆腐とケーキセット入りました!」
ちひろが次の注文を厨房に持ってきた。
「了解! みちる、ケーキは任せた!」
峻佑が素早く麻婆豆腐を作り出しながら、みちるに指示を飛ばす。
「かしこまりました、ご主人様……じゃなくて峻佑くん!」
みちるはいつものクセでそう返事してしまい、少し顔を赤らめながら言い直した。
一方その頃、ホールの片隅のテーブルでは……
「やっぱ……ちゃんは可愛いし、……だよね……」
「うん、やっぱ今度……しちゃおうか……?」
怪しい雰囲気を醸し出す4人組の男性客がひそひそ話で何かを相談していた。
メイド喫茶・シエルの閉店は午後7時30分。ギリギリまで楽しんで、名残惜しそうに帰っていく客を、「行ってらっしゃいませ、ご主人様」と送り出し、片付けや掃除などの閉店作業をしているうちに、さゆりが帰ってきた。
「ごめんね〜、忙しかったでしょ? 特に市原くんやちひろちゃんたち姉妹はまだ慣れてないところにやらせちゃったりして、ホント申し訳なかったわ。お疲れ様、今日は上がってもらって大丈夫よ」
済まなそうに今日のことを謝るさゆりに対し、峻佑たちは「忙しかったけど、楽しんで仕事ができたし、目立ったトラブルも起きなかったので大丈夫です」と笑顔で話し、帰路についた。
翌日は峻佑が休みで、姉妹だけの出勤。
厨房を守るのは、藤原と店長のさゆりだったのだが……
「ゴメン! 今日も出かけなくちゃならなくなったの! 藤原くんも次のバイトがあるから上がりの時間だし……ホンットーに申し訳ないんだけど、ちひろちゃんとみちるちゃんで厨房に入ってもらえないかしら?」
夕方になって、また混み始めるころに、さゆりが出かけ、さらに厨房の藤原も帰ってしまうらしい。
「わかりました。やるだけやってみます!」
ちひろとみちる、2人の戦いが幕を開けた。
特に混乱は起きることもなく、無事に閉店を迎えた。だが……
「店長、遅いですね……」
掃除を終えて、あとは店長の帰りを待つだけなのだが、午後8時を回っても帰ってこなかった。
「マズいなあ……」
ホールスタッフの1人、エリコが時計を見てつぶやいた。
「あれ、エリコもなんかあるの?」
もう1人のスタッフ、あやのがエリコにたずねた。
「うん、ほら私大学生じゃない? 明日は前期試験の最終日で大学に行かなきゃならないのよ……って、あやのもなんかあるの?」
エリコは事情を話し、あやのがエリコ“も”という言い方をしたことに気づいてあやのにたずねると、
「あたしはもうひとつのバイトが9時からなのよ……もうそろそろ出ないと間に合わないわ……」
こちらもしきりに時計を気にしながら、あやのが答えた。
「あのー、あやのさん、エリコさん」
そこに、ちひろが割って入った。
「なーに、ちひろちゃん?」
あやのが聞き返すと、
「あたしとみちるで店長を待ってますから、上がってもらって大丈夫ですよ。あたしたちは高校生で夏休みに入ってるから課題も急ぎじゃないですし、他のバイトもありませんから」
ちひろはあやのたちにそう提案した。すると、
「ありがとう。でも、大丈夫? 最近このあたりも何かと物騒らしいわよ。今日もテレビのニュースで、閉店後の喫茶店に男が侵入して店員の女の子を襲ったって言ってたから……」
エリコは礼を言って上がろうとしたが、思い出したようにニュースの話をして心配なことを伝えた。
「大丈夫ですよ。あたしたち2人ですから。1人ならともかく、2人ならそう簡単に襲われませんよ。それに、あたしたち、こう見えても腕っぷしには自信あるんですよ」
ちひろは軽く力こぶを作って笑いながらエリコたちに話した。もちろん、本来の2人はそんなに力は強くない。自信あるのは魔法だけなのだが、そんなことは言えるはずがなかった。
「ちょっと不安は残るけど、背に腹は替えられないわね。それじゃ、悪いんだけど、お願いね。私たちが出たらすぐに鍵をかけてね。お疲れさまー」
エリコはちひろたちに念を押すと、あやのとともに着替えて帰っていった。
「じゃあ、みちる。あたしは1階の通用口の鍵を閉めてくるから、みちるは2階にある窓とかの鍵を閉めてきて」
午後9時を回っても店長は帰って来ない。ちひろとみちるは、手分けして各所の施錠を確認しに行った。
1階の裏にある通用口。
「ここの鍵を閉めて……あれ、ドアが少し開いてる? あやのさんたち、急いでたから閉め忘れたのかな?」
ちひろが首を傾げて施錠しようとした瞬間。
「今だ! 手を縛れ! 早く!」
通用口の内側の暗がりに潜んでいた何者かがちひろに後ろから襲いかかった。
「きゃあっ!」
完全に不意をつかれたちひろは、魔法で逃げることはおろか、身を守ることさえできずに身動きを封じられた。
一方その頃、2階を見回っていたみちるは――
「いま何か悲鳴みたいなの聞こえた……?」
窓の鍵を確認している途中、ちひろの悲鳴が聞こえてみちるは足を止めた。
(みちる、聞こえるっ!?)
と、そこにちひろからのテレパシーが聞こえてきた。
(姉さん、どうしたの? いま何か悲鳴みたいなの聞こえなかった?)
みちるがテレパシーを送り返すと、
(裏口から変質者が侵入してあたし、捕まっちゃったの。まだ仲間がいるかもしれないから、あんたは階下に降りて来ちゃダメよ、いいわね!)
ちひろは冷静に状況をみちるに伝えた。
(姉さん、魔法使って逃げられないの? それか私がそっと階下に行って姉さんを救出するのもありだけど……)
みちるはなんとか抜け出せないかちひろにたずねた。
(できれば一般人相手に魔法は使いたくない。それに、みちる、あんたの最近のドジッ子ぶりを見てると救出作戦も不安が残るわ。そうだ、携帯をさっき取りに行って持ってるわね? それで峻佑くんを呼んで、そこから警察を呼びましょう。頼んだわよ)
ちひろはそれっきり応答がなくなったので、みちるはメイド服のポケットに入れておいた携帯を取り出し、峻佑にメールを送るのだった。
シエルに侵入した変質者(?)の目的はいったいなんなのか。そしてちひろは無事なのか。
以下、後編へ続く。6/25 0時更新予定です。
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