VOL.26:番外編-警部 榊 英里-
塾に行くのが嫌で逃げ出した息子・琢磨を追って、現在ちひろとみちるが居候している市原家にやってきた榊 英里。峻佑や姉妹の協力のもと、琢磨を捕まえて、帰ろうかと言うときに突如として携帯が鳴った。
「はい、榊。え、あ、はい。わかった。すぐに行くわ」
英里は電話の相手にそれだけ伝えると、いったん電話を切り、琢磨を峻佑たち3人に預けて市原家を飛び出した。すぐさま携帯を取り出し、たった今かけてきた人物にかけ直す。
「いつもの手段で現場に入るから、処置をお願い。10分後に行くわ」
手短に用件を伝えると、『了解』とこれまた短い答えが返ってきて、電話を切った。
いつもの手段、それはいわゆる“瞬間移動”だ。魔法使いたる英里にとっては遠方へ向かうとき、あるいは急ぐ必要があるときの常套手段なのだ。こんなことができるのも、すでに英里が魔法のことを同僚に話し、捜査に役立てると同時に、同僚や上司が受け入れてくれて秘密厳守が徹底されているからなのだ。
そして10分後、英里が現場に入ると、現場からは人払いがされ、万に一つも見られないよう、青いビニールシートで壁が作られていた。おそらく、犯人が興奮して危険だから、という理由で人払いをしたのだろう。
「秋塚くん、状況は?」
現場に入った英里はすぐに部下の秋塚に現在の状況をたずねた。
「はい」
秋塚は短く返事して、これまでの状況を説明し始めた。
それによると、午後2時30分ごろ、サクラ銀行竹崎支店に2人組の男がやってきて、行員に拳銃を突きつけて金を要求。しかし行員はやんわりと拒否しながら警察への通報ボタンをこっそり押し、警察が駆けつけた。この段階で犯人たちはそのとき中にいた客数名と行員たちを人質にとって立てこもり、現金一億円と逃走用の車を要求してきている。また、これまでの交渉により、人質は男性行員を除いて全員解放されている、とのことだ。
「わかったわ。じゃあ、私は裏口からそっと忍び込んで犯人を押さえるから、秋塚くんたちはこれまでどおり彼らの要求に応じる用意がある素振りをしておいて」
英里は状況を把握するとすぐに秋塚に指示を出し、自身は建物の裏側に移動した。
裏口の扉はかなりボロボロで、迂闊に開けば、その音で犯人に気づかれてしまう危険があった。気づかれたとしても英里なら余裕だろうが、まだ残っている人質を危険に晒すことだけはしたくない。ここまではビニールシートで覆われていないので、英里は素早く周囲を確認し、誰も見ていないことを確認すると、ドアのすぐ先に瞬間移動した。
そのままゆっくりと移動し、犯人たちが立てこもるフロアまであとドア一枚のところまで来た。まだ犯人たちは忍び寄る英里に気づいていない。
(フロアの隅っこに人質の行員が計5名と、それを見張る犯人の1人。もう1人は……ああ、いた。外の秋塚くんたちに向かって怒鳴ってるわね)
扉一枚隔てたフロアの様子を透視で伺う英里。すでに事件発生から8時間以上経過し、人質の様子にも疲れが見え始めている。
(あまり長引かせると人質が保たないわね。とりあえず人質の方々には眠ってもらって、と)
英里がブツブツと何かつぶやくと、人質のいるフロアの隅っこを柔らかなピンク色の霧が包み込んだ。それを吸い込んだ行員たちは一瞬にして眠りに落ち、ついでに人質を見張っていた犯人の1人も一緒に眠ってしまった。
「おい、ヤス、どうした?」
出入り口のドア付近で外に向けて怒鳴っていた犯人の男が視界の隅の異状に気づいてもう1人を呼んだが、すでに深い眠りに落ちているため、反応はなかった。
「いつの間にか人質どもまで寝てやがるし、こいつら緊張感なさすぎだな……おい、起きろ!」
男は眠りこけている相棒を蹴って起こそうとした。
「ZZZ……アニキィ……見てくだせえ、札束ですぜ……」
しかし、何度蹴っ飛ばしてもヤスは起きなかった。それどころか寝言まで言っている始末だ。
「無駄よ。彼らは私が合図しない限り起きないわ」
英里がフロアに飛び出しながら蹴り疲れて荒い息をしている男に告げた。
「てめえ、警察か! どこから入りやがった!」
アニキと寝言で呼ばれた男は素早く拳銃を取り出すと、英里に向かって怒鳴りながら発砲した。
「どこって、裏口からよ」
銃弾を全てかわしながら平然と英里が答える。
「ちっ、表のヤツらは囮か! だが、俺は捕まらねえ! ここにいる警察はてめえ1人みたいだしな、てめえを殺してしまえば済むことよ」
男はニタリと気持ちの悪い笑みを浮かべると、2丁目の拳銃を英里に向けて連続で発砲してきた。
「見た目がゴリラだと知能もやっぱ低いのかしら。なぜ私が単独でこんな危険な現場に侵入してるのか、それがわからないわけじゃないでしょう?」
英里は銃弾をすべて避けながら、男を挑発するように言い放った。
「へっ、強がりだろ。丸腰でマシンガンに勝てる気でいるのか?」
男は弾切れになった拳銃を2丁とも英里に投げつけて一瞬時間を稼ぐと、眠りこけてる相棒から自動連射のマシンガンを奪い取り、英里に向けて構えた。
「残念、強がりなんかじゃないわ。私は、単独であなたたちを制圧できる能力があるの」
英里が目を細めてそう言い放った瞬間、マシンガンを構える男の周囲に黄色い霧が発生した。
「なんだ、これは……!? 身体が、動か……な……」
男は最後までしゃべることができずに床に倒れ込んだ。
「強力な麻痺成分を含んだ霧を散布したわ。これで終わりね」
英里は犯人2人に手錠をかけると、行員たちの眠りを解き、外にいる秋塚たちに合図した。
こうして英里の活躍によってこの事件は1人の犠牲者も出さずに解決した。
「いやぁ、榊さんが来てくださったおかげで事件がスピード解決しました。すいません、日勤の後に呼び出したりしまして」
事件の処理が全て終わって撤収するとすでに深夜1時過ぎで、秋塚は自分が奢りますと言って英里を食事に誘った。
「気にしなくていいわよ。自分で言うのも恥ずかしいけど、私がいなかったら解決までにもっと時間がかかってるか、それか少なからず犠牲者が出ていたでしょうね。それに比べたら私が呼び出されることくらいなんでもないわ」
英里は秋塚にそう話した。
「そう言っていただけると少し気が楽になりますね。あ、来た来た。榊さん、食べましょうか」
秋塚はホッとした表情を見せると、ちょうど来た料理に英里と2人で舌鼓を打つのだった。