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復讐鬼  作者: 黒瀬 三咲
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第一話 帝國人類館

よろしくお願いいたします。

第一話


 ――帝國人類館。


 大和国に遥か昔から住んでいた「大和人ではない民族」の資料館である。其処には、大和人ではない異民族の文化史が記され、彼らの使っていた狩猟の武器、服装、祭事の道具や子供の玩具、彼らの主な食べ物、そして「彼ら自身」が飾られている。

 狭い透明な檻の中で、彼ら独自の服装を着せられ、彼らの食事を模したものが与えられ、彼らの生活の再現が強制される。それを「文明人」たる大和人が奇異と侮蔑の視線をもって「野蛮人」と見下す。

 異人の心からは次第に生気が失せていき、最後には人形のように与えられた生活を繰り返すのみとなる。これのどこに異人の誇りがあるというのか。否である。誇りを失った文化に価値などない。

 要するに単なる見世物小屋である。「崇高なる大和の支配者」が笑わせる。他文化の保護を目的として作られたとされる帝國人類館は、既にその方法が他文化を殺すという矛盾に満ちている。尤も「他文化の保護」というのは建前で、「本当に単なる見世物小屋を作りたかった」というのが真実なのかもしれないが。

 ――青年は帝國人類館の一画で足を止めた。

 其処には、紅い着物を着た少女が飾られていた。彼女は虚ろな目をしながら淡々と「指示された動作」を行う。それは、彼女たちの間での一種の遊びを模したものであったが、動作は同じでもその本質は異なる。遊びとは本来楽しいもので、決して強制されるものではない。見世物として飾られた彼女は「楽しい」という感情は無く、無機質に動作を繰り返しているだけである。

 ――(お兄ちゃん!!一緒にあそぼ!)

 青年の胸に昔の彼女の姿がよみがえる。見世物として飾られている今よりもずっと幼く、そして生き生きとしていた。

 (君は俺のことを覚えているだろうか――)

 あの日、あの頃、一緒に無垢に遊んでいたあの頃のことを。

 青年は彼女を閉じ込める透明な硝子に手を触れる。彼女はピクリと一瞬反応したが、何も言わずに「一人で遊ぶ」という作業に戻ってしまった。

 「その子がお気に入りなんですか?」

 ふと、声がした。見れば、初老程度の男が立っていた。青年はその顔に見覚えがあった。男は帝國人類館の館長を勤めている猿島という者だ。

 「いえ……ただ、不自然だと」

 「……不自然、ですか?」

 「えぇ」

 青年は猿島の方に向き直る。猿島は心なしかやつれており、一見すると弱弱しそうに見えた。

 「この遊びですよ」

 「遊びですか……?」

 青年が少女を指差すと、猿島も興味深そうにそちらを見た。

 「この遊び、彼女一人でやっていますが、本当は大人数でやる遊びなんですよ」

 「ほう、それは知りませんでした」

 猿島は感嘆した表情で青年に向き直る。

 「いやいや、館長としてお恥ずかしい限りです。あぁあぁ、そうと知っていたなら他の数匹は売らなければよかったなぁ」

 「他にも居たのですか?」

 「あぁええ。いましたとも。でもね、飼育にコストがかかるので好事家に売ってしまいましたがね」

 ひひひ、と猿島は醜悪な笑みを浮かべた。

 「ところでお兄さん、もう閉館時間は過ぎておりますが、何故こちらに?」

 「それは申し訳ありません。もうすぐ用は済みますので、そうしたらすぐに立ち去ります」

 「そうですかそうですか」

 猿島は数歩後ずさり、前かがみの姿勢をとった。

 「ところでお兄さん、腰にある刀はどうされたのですか」

 「これは、とある者に対する私怨を晴らすために持ち歩いているものです」

 「なるほど、それは興味深いですな」

 猿島はポケットに手を忍ばせた。

 「ところでお兄さん、随分と『鬼が島』の文化についてお詳しいようですが?」

 「えぇ、私も鬼が島で生まれ育ったものですから」

 その言葉を聞いた瞬間、猿島は奇声を上げ、青年に飛び掛った。


■□ ■


 ――間違いない間違いない。この男は、あの島の生き残りだ。全部を全部、嬲り殺したかと思ったがそんなことはなかったのだ。それならばそうと、大人しく床下の団子虫のように隠れ住んでいればいいというものを。お仲間でも救いにきたのか。それとも私に復讐しにきたのか。どちらにしろ愚かに相違ない。

 あぁ、だがしかし。

 私にとっては好都合だ。たとえどんな理由であれ、闘うということには興奮を覚える。肉を裂き、怖れ脅える表情をいたぶりながら、千切れるような断末魔をこの身に浴びる。

 さぁ、どこから裂くか、どこから刺すか。どのように裂くか、どのように――

 猿島は青年を殺せると確信していた。それは、猿島の歴戦の勘がそう伝えていたし、何より猿島は自身の負けを想定したことがなかった。

 だが、その確信は、過信であることを猿島は知ることとなる。


 ――居合抜「笹舟」

 

 一瞬、青年にあと少しで猿島の隠し刃が触れるというその瞬間に、猿島は嫌な雰囲気を感じ取り、即座に青年への軌道をずらした。結果としてこの判断―直感は正解であった。猿島が居た場所を何かが削り取った。だが、完全に猿島がそれを回避するには一瞬遅く、猿島の右腕は地面に落ちた。

 「――ぐぎゃッ!!!!!」

 赤い血が右腕の切断面から噴出する。

 (何が起きたッ!?)

 猿島には痛みよりも先に驚愕が襲ってきた。切られたッ?切られたというのか、この俺がッ!?そんな馬鹿な、だって「奴」はまだ何の予備動作も起こしてはない。故に、こんなことは想定していないし、第一不可能――

 人は、何らかのアクションを起こす際、①脳からの指令、②それに基づく筋肉の緊張、③具体的なアクションへの準備行動を経なければならない。それが予備動作である。この動作時間のロスは、特に戦闘の際には致命的なロスとなり得る。

 故に、戦闘の際にはこの動作時間を減らすため何らかの構えを取ることになる。ただ、構えを取ることによる弊害も生まれる。それは相手に、自分が「どのような攻撃をするか」という情報を与えてしまうことである。刀であれば、例えば上段に構えを取った場合、次の攻撃方法は必然的に刀を振り下ろすことによる斬撃である。上段の構えからの突きやなぎ払いは基本的には不可能である。これは、その他の構えによっても同じである。

 この点、目の前の青年は構えらしき構えをしていなかった。したがって、攻撃に移る際には大幅な時間のロスが必要となるはずだ。そして、そのロスの間に俺の隠し刃が奴に致命傷を与えていたはず――

 ――剣先が目の前に出現していた。

 「ひっ……!!」

 思考よりも先に猿島の身体は左へ飛んだ。結果として刀は猿島の右頬を大きく削り取った。血しぶきが右目に入る。世界が赤に歪んだ。猿島は恐怖に気が狂いそうになったが、恐慌を起こさずに青年から距離をとれたことは、曲がりなりにも数々の死線を潜り抜けてきた経験からであろう。

 (まただッ――!)

 また、奴の攻撃は予想を超えた形で出現した。猿島は青年から目を離していない。そして青年は攻撃をする素振りを見せなかった。にも関わらず、刀は猿島の右頬を抉っている。これでは、さながら不可視の敵と戦っているようではないか。

 「どうしましたか?猿島さん。顔が蒼いですよ」

 青年は笑っていた。愉悦の笑みか、嘲笑の笑みか。その笑みは、まるで十年前に鬼が島で大虐殺を繰り広げたときの自分のような顔であった。

 (赦せない――)

 そのような強者の笑みを俺に向けるなど赦せない。その笑みは俺の物だ。俺が、唯一つけていい笑みだ。

 猿島にとって、闘いは狩りと同義である。即ち、自分が絶対的強者になり、相手はなすすべも無く蹂躙されるだけ。それが猿島の闘いであり、彼の本質である。なぜならば、猿島は古くから続く忍者の血をその身に宿しているからである。

 (忍術とは絶対的優位性を保ち続けること。即ち、その優位性が崩されたときは敗北を意味する。今は相手の攻撃に少々動揺してしまい遅れを取ったが、これからは俺が優位に立つ)

 ――相手の攻撃が不可視だとすれば、俺の攻撃も不可視にしてしまえば良い。

 「この帝國人類館に足を踏み入れたことを後悔しますよ」

 猿島は羽織っていたシャツを脱ぎ捨てると同時に姿を消した。後には血染めのシャツだけが残された。そして次の瞬間――

 館内の光が全て消失した。

 

 無論だが、猿島には青年の姿がはっきりと見えている。帝國人類館の機能の壱、一切の光の遮断。これで、青年は聴覚と触覚と嗅覚に頼って闘わなければならなくなった。

 だが、それではまだ足りない。猿島の圧倒的優位を確保するのは足りないのである。

 「くけけけけけ!」

 猿島は笑みを取り戻す。立ち尽くす青年を尻目に右腕と右頬の止血を済ませた。

 「どうですか?見えないというのは中々の恐怖でしょう?」

 「いえ?ただ、貴方の醜悪な笑みが恐怖に歪む様を見られないのは残念ですが」

 「減らず口を!」

 猿島は近くにあった展示物の壷を手に取り、それを床に強く叩きつけた。激しい破砕音が鳴り響く。そしてその瞬間――

 館内の音が全て消失した。


 ――絶対的優位。この時点において、猿島の優位を揺るがすものは何もない。帝國人類館の機能の弐、一切の音の遮断。後は青年を嬲り殺すだけである。だが、ここに至っても猿島は注意を怠ることはない。近接戦闘を行った場合、相手が闇雲に振るった刀が自分に当る可能性がある。それに奴の刀の技術は常軌を逸している。近づかないに越したことはない。

 猿島は毒のクナイを取り出し、それを投擲した。クナイが青年の肩口を掠める。青年は苦悶の表情を浮かべよろめいた。額には玉のような汗が浮かび、呼吸も荒くなっている。クナイの毒は致死性の毒ではない。だが、あの毒は相手を死に至らしめることはないが、下手な致死性の毒よりも遥かに相手を苦しめることができる。

 もはや相手は全身が痙攣し満足に動くことは出来ない。ここに猿島の勝利は確定した。

 「右腕の恨みは晴らさせてもらうぞ」

 猿島は再び青年に飛びかかる。既に相手は動けない。猿島に笑みが漏れる。だが――

 「何ィいいいッ!」

 青年が刀を構えた。動いた!まだ動けるというのか!とすれば奴は常人ではない。いや、確かに奴は常人ではないのかもしれない!

 猿島は失念していたが、鬼が島の住人には時々特異な能力を持った者が生まれるといわれている。その力はまさに悪鬼羅刹の如くなり。猿島が、嘗て鬼が島で対峙した者にそのような者は居なかったため、ただの迷信の類だと思っていたが、もしや目の前の男が――

 猿島は近接的な攻撃を取りやめ男から離れようとする。だが、猿島は同時に驚愕に目を見開いた。男が猿島を追ってきたのである。

 「馬鹿なっ!」

 奴は今、眼も見えなければ、音も感じられないはず。ならば、何故「俺の位置が分かるかのように」俺の居る方向へと突進してくるのか。猿島は恐怖を感じた。絶対的優位性の崩壊。それは即ち敗北である。そして敗北こそは死――

 猿島には、まさしく死が向かってくるかのように見えた。


 ――紫電一閃


 それは漆黒の闇の中で、まばゆい光をともなって猿島を穿った。


 「――何故、俺の場所が分かった……?」

 倒れ行く中、猿島は自身の床に落ちた右腕を見た。あぁ、そうか。

 ――血の臭いが、消せなかったのか……


 ■ □ ■


 翌日、帝都新聞の一面を、帝國人類館館長の殺害と帝國人類館の「見世物」が消えたという記事が飾った。


 「猿島が死んだか」

 因果応報。自分がやってきた行為の報いを受けるときが来たか――

 警察庁の一室で、紫煙をくゆらせながら犬塚は思う。

 嘗ての同胞、異民征伐という大儀を掲げながら、虐殺を行った災厄の者たち。

 せめて次にやられるのが俺であるといい。そして願わくば、まだ顔も知らぬ復讐者の怨念が俺で止まることを――


■□ ■


「ねぇ、お兄ちゃん。お兄ちゃんは、またいっちゃうの?」

無垢な少女は青年に問いかける。

「あぁ、そうだね」

「戻ってきてくれる?」

「うん。きっといつか。だから幸も元気で過ごすんだよ」

 青年は嘘をつき、少女は嘘に従う。少女の悲しげな瞳に送られ、青年は去っていく。夕陽が彼の後姿を照らしていた。

 

 ――第一話 了



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