表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Story  作者: 鳩梨
6/8

 石畳を蹴る音がする。

 月明かりだけを頼りに走る二つの人影。二人は外套を目深に羽織り、容姿は判らなかったが、男女であることは判った。二人は建物の影に身を隠すと唇を重ね合わせ、互いの息を潜めた。

 慌しく石畳を蹴る幾つもの足音が通り過ぎていく。

 完全に遠ざかるのを確認すると、男と女はそっと唇を離した。

 幻想的な月明かりの中、男と女は手と手を取り合い通り過ぎた足音とは逆の方向へと走り出した。

 男と女は逃げていた。

 男と女は愛し合っていた。

 男と女の愛は到底許されるものでは無かった。


 身分違いの恋は赦されないと知りながらも二人は惹かれあった。


 伯爵の娘と使用人の男。

 それだけでも許されないというのに、娘には親同士が決めたとは言え婚約者がいた。けれど、男と娘は互いに愛し合っていた。しかし、時と階級と言う檻は二人の愛を認めなかった。認めるはずが無かった。


 

 だから、娘と男はその狭い檻を蹴って抜け出し逃げている。遠く自由へと。

 


 嗜虐的な貴族趣味から逃げ出し、幻想的な月明かりの下を走る、愛し合う者達。嗚呼、なんと戯曲的なことだろうか。だが、忘れてはならない。

 ――――戯曲的な逃避行。その果ては退廃を経て背徳へといたり、破滅に辿り着く。これこそが戯曲的な逃避行――恋物語のシナリオであると言うことを。



「娘はまだ見つからんのか!」

 豪奢な服。彩る装飾品。傲慢な態度。彼こそ娘の父親たる伯爵である。

「早く娘を見つけろ!娘さえ無事ならば男のほうは殺しても構わん!!」

 伯爵の怒鳴り声が館に響く。その傲慢な態度と怒気を含んだ声に侍女や執事は焦り、雇われた男達は伯爵を見上げた。

「いいか!早く見つけるのだ!もう時間が無い!!――褒美は幾らでもとらす!!」

 伯爵はそう怒鳴ると広間を後にした。硬貨の詰った袋が音を立てた。男達はほくそえんだ。



 娘と男はできるだけ暗いところを選びながら走り、港へと辿り着いた。深夜の港には船が幾つかあるが人がいる様子は無い。と、一隻だけ人のいる気配がした。娘は言うにあらず男のほうも船の動かし方を知らないので、その船の持ち主だと言う男に船を出すよう頼んだ。船主は外套を羽織る二人組みに最初不信そうにしていたが、硬貨を幾枚か握らせると、男は下卑た笑みを浮かべ船を動かすことを快く承諾した。

 行き先は遠ければ遠いほどどこでもいい。夜の河を一隻の船が泳ぐ。



 男達は街中を探し回っていた。世間知らずのお嬢様とたかが使用人の男が一人。そう簡単に遠くまで逃げることはできないだろうと考えていた。

 けれど探せど探せど二人は見つからない。

 当然だ。運命の女神は恋人達に微笑みこの街から逃がしたのだから。

 それと知らず探し続ける男達。だが、見つかるのは時間の問題。

 運命の女神が恋人達に微笑むのであれば、破滅の女神は果たして何に微笑むのか……。



 街から離れたどこかの森の岸辺。

 船主である男は、この先をしばらく行った所に町があると告げると、街へと戻って行った。

 帰っていく船主に自分達のことを口止めし、上乗せで金貨を数枚渡すと二人は手を取り合い森の中、町を目指し歩き出した。

 不気味に鳴く鳥。喧しく騒ぎ立てる虫。たまに吹く風でざわめく木々の枝葉。深夜の森。月明かりすら届かぬそこは娘にとっては全くの異界。手差具ノリの闇の中、明かりすら持たぬ二人は先の見えぬ不安感に苛まれながらも進む。

 娘は不安だった。恐怖に苛まれていた。けれど、手を握り隣を歩く男が共にいることを想うとそんなものは全て吹き飛んだ。温室で育った娘には愛しき人と共にいる唯それだけで世界が希望に溢れて見えた。

 男は不安だった。焦りに包まれていた。だが、手を握り隣を歩く娘を想い、それらを押し込める。二人で生きていくと決めたその時から男は娘を何があっても守ると、手放さないと誓った。その誓いに偽りは無い。



「おい。貴様、こんな夜中にどこへ行っていたんだ?」

 船主が街へと戻ると運悪く、二人を探している男達に見つかった。船主は硬貨をもらった手前、何とか知らない振りをしようとした。

 そんな船主に男たちの中の一人が妙に優しい声音で、だからこそ不安にさせる響きで言った。

「何もアンタに危害を加えようとなんか思っちゃいないさ。ただな、下賎の輩が伯爵の娘を誑かして連れ去ったのだ。伯爵はそのことにたいそう立腹されている。……知っていることがあるなら、話したほうが身のためだぞ?」

 これは貴様のために言っているのだぞ?もし嘘をつこうものならどうなるか想像はつくだろう?男はそう言っているのだ。

 船主は脂汗を流しながら頭をめぐらせたが、どうしようもなく。ついに男達に白状した。

 所詮は金の上での口約束。脅し同然のことを言われなお白を切り通すなど、無関係と言っていい船主にはできるはずが無かった。

 

 人間とは赤の他人のために危ない橋を渡ることなどできず、自らの安全を先に考えるのは当然のことなのだ。誰にも船主を責める事など出来やしない。たとえこの結果、使用人の男が殺されることになったとしても。



 もうどれくらいの時間を歩いただろうか。

 歩いても歩いて町は見えてこない。もしかしたら迷ったのかもしれない。 船主が言っていたことは嘘なのかもしれない。

 月明かりすら届かない暗闇の中。思考までも暗いほうへ暗いほうへといってしまう。 

 暗闇の中を歩きつづけていると時間の感覚までも狂ってしまうものらしい。ずいぶん歩いたような気もするが、もしかしたらそれほど歩いてないのかもしれない。僅かに見える木々はどれも同じに見え、同じ場所をグルグルと延々と歩いているように感じる。

 男が暗闇の与える精神的疲労からマイナス思考のループに埋没していると、ぎゅ、と手を握られた。見ると娘がニコリと微笑みながら男の両手を握っていた。娘は微笑んでいるが実際は不安でしょうがないのだろう。男の手を握る手は震えていた。それでも娘の手から伝わる温もりに、男は顔を上げた。愛しき者が隣にいるということに、二人の不安は確かに遠のいた。 

 人間は愛しき者、親しき者が隣にいるというだけで希望がもてるものらしい。たとえそれが幻だとしても。

 その先で破滅の女神が微笑んでいるのだとしても。


 ふいに月明かりが二人を照らす。

 男と娘はようやく森を抜けたのだ。二人の顔に笑みが広がる。

 しかし、笑みはすぐに硬直し絶望へと染め上げられる。

 森を抜けたところで男達が待ち伏せていた。

「今晩は。……さぁ、帰りましょうかお嬢様。なに、心配は要りませんよ。帰りの駄賃ならば十分すぎるほど頂いております」

 リーダー格らしい男が進み出てそう言う。

 男は娘を守るように一歩前に進み出る。それを男達は嘲笑う。

「ああ、けれど彼は」

 男達はそれぞれ剣を抜いた。

「――ここでさよなら、だ」

 娘を傷つけぬようにという配慮からだろう、銃を使う気配は無い。それでも10人ほどの男達を相手に、男一人で立ち向かうなど、無理な話だ。

 それでも男は娘に、大丈夫だから、と優しく言って娘を下がらせ男達と対峙する。

 男たちの中から一人が踊り出た。そのまま男に斬りかかる。けれどその男は剣を振り下ろす前に倒れた。夜の静寂を裂く銃声。男の手に握られた拳銃。その拳潤からは煙が出ていた。男は丸腰ではなかった。丸腰であるわけが無かった。最悪の場合を想定していて当然なのだ。

 男達は色めきたった。先ほどまでの余裕の表情を怒りで染め、一斉に斬りかかる。男の銃が再び火を吹いた。けれど男は銃の扱いに長けているわけではなかった。何発かは当たったがそれで倒れたのは一人だけ。

 振り下ろされる剣。それをかわし弾の無くなった拳銃でカウンター気味に顔面を殴りつける。何かの折れる嫌な感触が手に伝わってきた。

 振り下ろされる剣。腕を切られる。かなり深く斬られたのか傷口から流れ出る血の量が半端ではない。

 振り下ろされる剣。それを転がってかわしながら腰からもう一丁の拳銃を抜く。

 振り下ろされる剣。それが自分に当たる前に引き金を引く。至近距離で放たれた銃弾は男の眉間を打ち抜いた。

 拳銃を向け牽制しながら男は男達から距離を空けた。片腕の感覚がなくなってくる。早く治療をしないとまずいかもしれない。ちらりと隙を見せぬようにして娘のほうを伺う。今にも泣きそうになっている。前に向き直る。容易いと思っていた男に四人もやられたからだろうか、男達は慎重にしている。それでも銃を抜かないところは流石と言える。もしかしたら持ってきていないのかもしれない。それでも油断してはいけない。

 拳銃には弾が後五発入っている。残り六人。運良く一人一発で倒せても一人残る。弾切れ拳銃と剣ではどう考えても勝ち目が薄い。

「もう諦めろ。お前は良くやった。だがこちらには後六人も残っている。一人でこの数は無理だ。伯爵にはお前は死んだと報告しておいてやる。……娘を渡せ」

 命が惜しければ娘を渡して逃げろと言う。そんなことをするくらいなら始めからこんなことはしない。

 男は考える。どうすれば良い。後ろは森。この暗さだ。森に逃げ込めば何とかなるかもしれない。だが、きっと、何れ捕まる。前には男達。男達を全て何とかしてもきっと伯爵は諦めない。同じことの繰り返しになるだけだ。

 男が悩んでいると娘が進み出た。何を、というヒマもなく娘が口を開いた。

「私達を見逃してもらえませんか?」

「それは出来ませんよ。お嬢様。伯爵からはすでに前金を頂いておりますし、仲間が四人も殺された」

「お仲間のことは気の毒ですが、先に手を出したのそちらです」

「ま、そうですがね」

「……ここに、家から持ってきたお金が少しですが、あります。これで手を引いてもらえませんか?」

 娘は硬貨の詰った袋を男達に見せた。その量はかなりのもであることがわかる。

 娘はもう涙を流していなかった。毅然とした態度で男達と交渉する。

「……しかしですね。こちらも手ぶらでは帰れないのですよ」

「…………でしたら、私達は死んだことにしてください。あなた方がこの人を殺し、私は河に身投げしてこの人の後を追った」

「ふむ……」

「あなた方は河を探したがかなり深いところまでいったらしく見つからなかった。しかし、偶然にも私の身に付けていたネックレスだけは見つかった、と」

 そう言って娘は見つけていたネックレスを外した。

「それは?」

「これはお母様から譲っていただいたモノです。これを見せればきっと父も信じるでしょう」

 どうですか?と男達はしばし悩むとそれで手を打とうと言った。俺達は金さえ貰えればそれで良い、と。

「……俺達は貴族って奴等が大嫌いだ。だが、お嬢さん、アンタは別だ。……精々幸せにな」

 リーダー格らしい男は最後にそう言うと、硬貨を三割だけ残して去って行った。三割と言えどそれだけあればこれから二人だけで暮らしていくのに困ることは無い量だ。

 男達が去ると娘はぺたんと座り込んだ。男が大丈夫かと聞くと、娘は腰が抜けちゃったと微笑んだ。

 そうなのだ。温室で育ったと言っても娘は只弱いだけの女性ではない。毅然とした強さももっているのだ。先ほどまで泣いていたのはきっと男が人を殺してしまったからだろう。娘は優しい。手を汚してしまった男の代わりに泣いてくれたのだろう。そう思うのは、自惚れ過ぎだろうか。男はそう思うと苦笑しながら、ありがとう。と言った。





 それから、数年経った。

 娘と男は街から数十キロ離れたある町で静かに暮らしていた。

 男は朝から夜まで配達員をし、娘は疲れて帰ってきた男のために家事をこなしながら暮らしていた。娘は最初こそ不慣れな家事に悪戦苦闘していたが、物覚えが良くすぐに上手くなった。

 娘は娘を産み母となった。

 しかし難産で、娘を産んでまもなく他界した。

 男は深い悲しみに暮れたが、娘――いや、女と自分の間に出来た娘を大切にしようと新たに誓い、娘と二人でそれなりに幸せに暮らしている。

 娘は生まれつきの病気もちで体が弱かったがそれでも不幸を感じることは、二人にはなかった。

 配達員と言う仕事は何かと情報を耳にしやすい。もしかしたら娘の病気を治す手がかりも手にはいるかと思っていたが、そう簡単にはいかなかった。

 娘は母に似、家事が上手かった。父親たる男が帰ってくるまで家事をこなし、その合間で本を読んで暮らしていた。男は最初娘が家事をするのに反対したが、娘のお願いと医者のそれくらいの運動はしたほうがいいと言う言葉に、渋々ながらも折れた。

 娘と男の至福の時間は夜の語らいだった。男の話に娘は興味を持って聞いていた。

 娘は父と母と何時か三人幸せに暮らせると夢見ていた。

 



 ――――忘れてはならない。運命の女神は幸福の女神ではない。幸福が訪れたらその先に待っているのは破滅。

 運命の女神はどこまでも等しく、どちらか片方だけを与えることは無い。

 日はいずれ落ち、月が顔を出す。

 ――嗚呼、もうすぐ破滅の女神が微笑む時間がやってくる。

 運命の女神はどんな綻びも見逃さない。


 ――――嗚呼、いつからが始まりなのだろう……

 物語はまだ紡がれたばかり…………



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ