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Story  作者: 鳩梨
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詩を忘れた詩人

 暗い場所。目の前すら見えぬほどの暗さだというのに視ることはでき、感じることもできる。

 終焉へと至る場所。どれほどの偉人であろうと、どれほどの犯罪者であろうと、賢者であろうと愚者であろうと。ここでは一切の差別無く扱われる。

 果ては同じ。

 どこまでも暗いだけのこの場所に、男は揺るがぬ決意を持って訪れた。

 男の、もはや異常とも言える意志の強さ故か、それともそれは只の執着でしかないのか……。何れにしろ、男はこの場所ではありえぬモノとして立っている。

 たとえこの身が、とは思わない。「この身が果てようと」この考えは愚考だ。身が果てた末に達せられる思いに、如何ほどの意味があるというのか。

 届かざる彼岸。叶わざる悲願。

 届かざる悲願。叶わざる彼岸。

 男は異常な、それだけに純真な曇りない唯一の想いを胸に歩き出す。

 ――――たとえどのような結末になろうとも、それを捻じ曲げてでも。

 


 暗い場所だからだろうか。それとも元からなのか。なんにしろ、男が最初に訪れた河は立ち籠める霧と不気味なまでの暗さでもって男を出迎えた。

 その暗さは泳いで渡ろうものならこの世のものとは思いがたいほどの苦しみの果てに死を迎えるだろう……と。いや、果たして死ぬことができるのか。仮に死んでもそれで終われるだろうか。そう考えずには、そしてその考えが事実であると判るほどに禍々しい。

 男はこの河――いや、大河と形容するほうが正しいだろう――を前に考える。

 ――どう渡るか。

 男の思いは強い。それが故に浅はかで愚かしい真似をとるようなことはない。

 男が考えていると霧の向こうから音がする。風も無く波も無いというのにこの音は何の音だろうか。そう考えていると一隻の小船がやってきた。音の正体はこれだったらしい。にしては――。

 なんにしろ、男はこれで向こう岸へといけると船に乗り込もうとした。

「待て。お前にはこの船に乗る資格はない」

 船へと乗り込もうとする男に、かすれてしわがれた声が言う。

 声のするほうを見ると、この船の船頭なのだろう、夜闇のような襤褸いローブで顔は分からないが櫓を手にし髭をたくわえた老人がいた。

 男には、老人の資格がないという言葉の意味がちゃんと判っていた。それでも男は老人に乗せてくれないかと頼んだ。私はどうしても向こうへと行きたいのだ、と。

 老人はしばし考えると、男のその曇りの無い必死さに一つ提案をした。

「――渡し守をしていると感情が磨耗していくものでな。私は久しく涙を流していないのだ。私の感情を動かすことができたのなら、向こう岸へと運んでやろう……」

 男は老人の提案を飲んだ。それ以外に方法は無かったし、男にはどうにかするだけの自信があった。

 男は使い込まれた、けれどしっかりとした竪琴を取り出すと詩を謳いだした。

 紡がれるは麗しき調べ。謳う声は力強さと切なさを内包し、どこまでも響いていく。

 それはこの老人のためだけの詩。即興だがそれでも感情を動かすに足る詩。

果てなく続く悲しみの環。救いの訪れないことは知りながら、それでも悲しむことをせず、己が役割をこなす者への賛歌。たとえその果てに救いも無く絶望を絶望で塗り固めていくだけだとしても。それでもそれは悲劇ではないと信じ続ける嘘偽りの無い詩。救いは無くても絶望でまみれていても、彼らはあなたに感謝している。それは心の篭った詩。

いつしか男の詩は終わりを迎えた。老人は滂沱と涙を流していた。

「この任に就いて幾星霜。感動とはこれほどのものだったか。ああ、……懐かしい」

 老人は男を向こう岸へと連れて行くことを快く引き受けた。

 最後に老人はこう言った。

「この感動を忘れたくない。お前さんの竪琴を私に譲ってくれないか?」

 男は迷った。この竪琴はとても大切なものだったからだ。けれど、男はそれを譲ってやることにした。たとえ竪琴が無くとも男は詩を謳える。だが、この老人はこれからもずっとここで救いの無い渡し守を続けねばならない。この竪琴で少しでも老人の心が感動を忘れずにいられるのなら、それでいいじゃないか。

 竪琴を渡すと老人は

「ありがとう。お前さんが今度来る時は融通を利かせてやろう」

 


 船を下りるとすぐ目の前に巨大な門が見えた。

 異様な威圧感と存在感。見るもの全てを絶望へと叩き込む禍々しさ。

 男は門を前に怯える心を叱咤し、震える足に力を入れる。

 目の前と言っても、男と門の間には100mほどの距離がある。それでも門には巨大な番がいるということが判った。。

 黒い姿。燃え盛る炎より、流れ出る鮮血よりアカい瞳。

「……ナにをシにキタ?」

 そう声が聞こえた。いや、これは声ではない。頭の中に勝手に無遠慮に無理矢理に響く、目の前の黒い番から私へと向けられ伝えられた意思。

 それに声などというものは無かった。だが、男はもし目の前のそれが声を放つのならこうだろう思った。頭に入ってきた黒い番の意思は男の思った通りの声で響いた。

 目の前の黒い番は言った。

「ここハきサマのヨウなやカらのクるばしョではなイ」

 意思には煩わしさが含まれていた。

 男は言う。私はこの先にどうして行かねばならない。果したい思いがあるのだ、と。

 黒い番は必死に言う男を見、考えるような間を置くとこう放った。

「……ソのおもイガまことなラば、ススむことヲとめずニおこウ」

 黒い番は進みたければ進めと言う。男はいぶかしみながらも喜んだ。

「――きヲつけろ」

 黒い番の方を見るとそこにはもう姿はなかった。

 最後に見えた黒い番の姿は、巨大な犬のようにも見えた……。



 門は勝手に開いた。番の了承さえ得られれば門が開く仕組みなのだろう。

 門をくぐり、中へと足を踏み込むとそこにあったのは歪で巨大な城だった。門から城へと至る道は石畳。周りを彩るはずの木々はことごとく腐り、朽ち、枯れ、暗澹と荒廃していた。だが、それらは良く見ると秩序正しく、整理された荒廃というなんとも言い難い不気味さを持っていた。

 城内には蝋燭で火が灯されていた。青い暗い火だった。歩いているのに足音の響かない回廊。進んでいるという実感の得られないそれは進めば進むほどに不安感を上昇させていく。

 数十秒か、数分かはたまた数時間かしてようやく広間に出ることができた。

 血のような真っ赤な絨毯。壁際に整列された鎖に繋がれた何か。そして、

「何用だ?」

 豪奢な椅子に座す男と女。男は肘掛に肘を乗せ気だるげに。女は只そこにいて招かれざる客を見るとも無く見ている。

 男は得体の知れない何かに捕らわれそうになる心に気合を入れ、座す男に自らのここまで来た理由と、願いを告げる。

「私は自らの手で想い人を殺めてしまった。そのことに許しを乞おうとは思わない。だが、私は本当に心から彼女を愛しているのだ。お願いだ。彼女を生き返らせて欲しい」

「自ら殺めておいて、生き返らせてほしいだと?……知っているぞ。貴様がしてきたことは」

 座す男は嘲りと侮蔑をあらわに男に言う。それでも真摯に男は言う。

「それでも、私は彼女を愛している。そのためにはどんなことでもする。お願いだ。どうか――」

 男は真剣に懇願する。すると今まで黙っていた女が口を開いた。

「良いではございませんか。この者の思いは真のようです」

 座す男にそう言い、続いて男にこう言う。

「けれど、生き返らすことは不可能です。あなたも色々としてきたようですが、それが無意味であったことはもう知っているでしょう」

 男は何かを言おうとしたが女に制され開きかけた口を閉ざした。

「そこでどうでしょう――――」

 女はあることを提案した。

 その提案を聞き終えると、男は驚愕した。そんなことができるのか、と。だが考えてみるとそのほうがよほど現実的なような気もした。

 座す男は女を一瞥すると男にこう言った。

「良かろう。これでよければ叶えてやる。――貴様としてもこの方が良いだろう。貴様には生き返らせたその後の願いがあるのだろう?これならば、それも叶う」

 男の答えは決まっていた。



「――これが、貴様の狙いか」

 誰もいない間で座す男はそう口を開いた。

 答える者はおらず、凄烈に笑む気配だけが確かに存在した。




 男は選択した。

 届かざる彼岸。叶わざる悲願。

 届かざる悲願。叶わざる彼岸。

 男は夕日に背を向けて歩く。

 連れ添う者はおらず、ただ、孤独に。唯一の思いを胸に。

 男は夕日に逆らって歩く。

 それが彼岸に届き、悲願を叶えると信じて。

 男は歩き続ける。狂気にも似た、それ故に純真な唯一の想いを胸に。



 ――――それが、残酷な呪いであるとも知らず…………

 ………………

 …………

 ……



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