わたしの義妹はかなり変
能天気なお話です。
頭を空っぽにしてお読みくださいませ(#^^#)
「さあお姉様、リハーサルをしましょう!」
今日も今日とて、わたしの義妹アナベルはとっても元気だ。
そして、とっても変。
何故なら、この後二時間後にあるパーティーのためのドレスに身を包んだわたしの前に仁王立ちして、目をキラキラさせながら鼻息荒く宣うことが、わたしには到底理解できないことだからだ。
そう、何度繰り返しても。
「いいですか、お姉様。お姉様はパーティーでわたしに赤ワインをかけてこう言うんです。『ほほほ、アナベル、あんたは本当にとろくさいわね!』さあどうぞ!」
「……ほほほ、アナベル、あんたは本当にとろくさいわね」
「んもう! お姉様、そんな棒読みだと演技臭いですわ!」
いや、だって、演技だもん。
わたしは頭痛がしてきた頭を押さえながら、アナベルに求められるままにリテイクを繰り返す。
ああ、うちの義妹は本当に変。
……昔はこんな子じゃなかったのに。
わたしはため息をついて、母がこの家の当主――ベルリオーズ伯爵と再婚したときのことを思い出した。
わたし、コランティーヌと義父であるベルリオーズ伯爵との間には、血縁関係はない。
未亡人だった母は、わたしが十歳の時にベルリオーズ伯爵と再婚した。
ベルリオーズ伯爵には亡くなった妻との間に、わたしより二歳年下の娘が一人いて、それがアナベルだった。ゆえに、ベルリオーズ伯爵家の跡取りは彼女で、血のつながっていないわたしにはその権利はない。のだけど。
「わたしは王子様と結婚したいの! だからこの家はお姉様にあげるわ!」
母と義父が再婚して二年ほど経ったあたりから、アナベルがおかしなことを言うようになった。
「知ってるお姉様? ちまたで流行っている恋愛小説によるとね、王子様はいじめられている女の子をお妃様にするのよ!」
……うん、どうしよう。うちの妹ちょっと頭の弱い子かもしれない。
血のつながらないわたしにはとても懐いてくれているし、顔立ちもお人形のように可愛い。わたしにとって、とても可愛い妹だ。
だけど、いかんせん……頭の悪そうな発言が目立つ子だった。
これには義父も頭を抱えて、たくさんの家庭教師をアナベルにつけたけれど、どういうわけか、勉強はできるけれどこのお馬鹿な思考回路は治らなかった。殊、恋愛が絡めば妹の脳の中は一瞬にして花畑になるようだ。そうとしか思えない。
そして、母が再婚して八年が経った今。
十六歳になった妹は、今年から社交デビューを果たした。その結果がこれだ。
「王太子殿下は十九歳なの! わたしとも年が釣り合うわ。まだ婚約者はいないし、今がチャンスよ! だからお姉様、パーティーではたっくさんわたしをいじめてね!」
デビュタントを終えた直後からパーティーのたびに言いはじめたこの言葉に、母は青ざめ、義父は烈火のごとく怒った。だが妹は変わらない。とにかく、いじめられっ子になって王子様に見初めてもらうのだと、言って聞かないのだ。
ゆえに義父は妹のパーティーの参加を禁止しようかと本気で考えたようだが、貴族女性の適齢期は短い。女児は十六から十九歳あたりまでに結婚相手を見つけなければ、後ろ指をさされるような世知辛い世の中。それが貴族社会である。特にアナベルは伯爵家の跡取り。父としては、一刻も早く良縁を見つけてほしいはずだ。
だからだろう。
最終的に、母とわたしの方が折れた。仕方がないから、しばらくはアナベルの好きにさせようと考えたのである。
……しばらくしてうまくいかないとわかれば、夢から覚めるでしょ。
ということで、わたしは今も、アナベルのこの摩訶不思議なおままごとに付き合っていた。
「ほほほ、アナベル、あんたは本当にとろくさいわね!」
「そうそうお姉様、さすがよ!」
「ねえアナベル。それはいいんだけど、今日のドレス、あなた、お気に入りの一着じゃないの? 赤ワインなんてかけたら、シミになってもう二度と着れなくなるわよ」
「ええっ⁉」
「だからねアナベル。どうしても何かかけてほしいなら、水で我慢しておきなさい」
「でもぉ、水だと『ひどいわお姉様、わたし、着替えがないのに!』ってセリフが言えないわ。そう言って泣いて、王太子殿下に着替えを借りるつもりだったのに。水だったらほっとけば乾くものね!」
「……アナベル。普通は水でも着替えるわ」
やはりこの子はちょっとずれている。
自分のドレスをひっぱって「そうかなぁ」と言っているが、普通の伯爵令嬢なら水をかけれた時点で泣くか怒るかしてパーティー会場から出て行くわよ。その場で着替えてパーティーに居座ろうとは、普通はしないと思うの。
それから、何故王太子殿下が女性のドレスの着替えを持っていると思うのだ。持っているはずがない。というか、着替え持参でパーティーに来るような用意周到な人は男女ともにいないだろう。いったいどんな恋愛小説を読んでいるのかしら、うちの妹……。
「むむむ、じゃあ方法を変えて……、そうだ! お姉様、パーティーのどこかでわたしのほっぺたを叩いて『あんた、生意気なのよ!』って言ってちょうだい」
「アナベル、痛いの嫌いでしょ?」
「そこはちゃんと手加減してくれれば大丈夫よ。さ、リハーサル」
どうぞ、とアナベルが右頬を差し出してくる。
わたしはため息をつきながら、アナベルが痛くない程度の力で、彼女の右頬をぺしりとやった。
「あんた、生意気なのよ!」
ぺちん。
うん、なんともしょぼい音がしたわ。
ルモワーニュ公爵家で開かれたパーティー。
アナベルと一緒に参加したわたしは、妹に請われるままに指示されたセリフを言い頬を叩いた……のだけど、痛くないように加減しながら叩いたからだろう。痛そうな音はちっともしなかった。
だけど演技派のアナベルは赤くもなっていない右頬を押さえて涙目になりながら「ごめんなさいお姉様」とよよよ……と泣き出す。
周囲にいたわたしのお友達は「あらまたなの」というあきれ顔で、アナベルのお友達たちも揃って苦笑い。わたしたち姉妹のこの珍騒動は、わたしのお友達やアナベルのお友達にとって、面白い見世物と化しているのだけど、うちの妹は気づいていない。
……さてと、わたしの役目は終わったわよ。
もういいわよね、とわたしはお友達たちとアナベルの側を離れようとした。
何度かこの手の演技を繰り返したが、何も知らない人たちはたいてい遠巻きに眺めているだけで、わたしたちに関わろうとはしない。今日もそのまま、何事もなかったかのようにパーティーが続けられるだろう。わたしはそう思っていた、のだが。
「何の騒ぎだ」
どうやらうちの妹は、何度目かにして、ついに狙っていた魚を釣りあげることに成功したらしい。
……何て引きの強さ。
側近だろうか。ルモワーニュ公爵家の三男で騎士団に所属しているエタン様をはじめ、数名の男性を引きつれて、直視できないほどのイケメンがこちらに歩いてくるのが見えた。王太子ロベール殿下である。
アナベルが右頬を押さえながら顔を上げ、そして痛い演技も忘れてぽかんと口を開けた。
その気持ちはわかるわアナベル。ロベール殿下の顔はもちろん知っているけれど、そのご尊顔を間近で見る機会はないものね。すぐ目の前まで歩いてこられたら、ぽかんとしてしまうのも無理はないわ。だけどね、さすがに不敬だから、そろそろカーテシーでご挨拶してほしいのだけど。
アナベルのお友達も、肘でアナベルをつついて、王太子殿下のオーラに気おされたようにカーテシーをする。数秒遅れて、アナベルもカーテシーをした。だけど頭を下げていない。じっと王太子殿下を……殿下を……うん?
……ちょっとあの子の視線、王太子殿下を素通りしていない?
どういうことだ、と思ったけれどそれどころじゃない。殿下が顔を上げていいと許可する前から顔を上げてじっと見つめるなんて不敬にもほどがある。
わたしは大慌てでアナベルの側に駆けていくと、その頭を抑えつけて、自分もカーテシーをした。
「お、お騒がせしてもうしわけございません。殿下」
妹にかわり謝罪を述べる。
殿下の視線が、わたしのつむじあたりに注がれている気配を感じた。
……我が家にお咎めがあったらどうしよう…………。
まさか本当に王太子が釣れると思っていなかったから、わたしも義父も母も、実際にアナベルが殿下を釣りあげてお咎めがあるかもしれないなんて可能性はこれっぽっちも考えていなかった。
あんなお粗末な演技を王太子が真に受けたとは思えないので、絶対にパーティーを騒がしたことに対するお咎めを言うために近づいてきたはずだ。
……謝り倒せばなんとかなるかしら?
びくびくしていると、ロベール殿下がバリトンの落ち着いた声で「顔を上げろ」と命じる。
「コランティーヌ・ベルリオーズ伯爵令嬢、アナベル・ベルリオーズ伯爵令嬢、君たち二人が、パーティーに参加するたびにおかしな騒動を起こしているという話は聞いている。せっかく居合わせたんだ、ぜひその理由を訊ねたく思うのだが、構わないだろうか」
わたしは内心で「ひぃっ」と悲鳴を上げた。
王太子殿下はなんてどうでもいいことに興味を持ってしまわれたのだろう。捨て置いてくれればいいのに!
「お、恐れながら、殿下のお時間を頂戴するようなことでは……」
「エタン、休憩室を貸してくれ」
わたしが必死に逃げようとしているのに、ロベール殿下はその退路をあっさり塞ぐと、公爵家の休憩室にわたしたち姉妹を連行していく。
ちらっとお友達に視線を向けると、「がんばれ~」と手を振られた。助けてくれないらしい。まあ、王太子殿下に逆えるほど肝の据わった女性は、わたしのお友達にはいないからしかたないけどね!
あれだけ「王太子殿下の妃になる!」と息巻いていたアナベルは、ぼーっと熱に浮かされたような顔のまま、ひょこひょことわたしの後ろをついてくる。この子、本当にどうしたの⁉
休憩室に到着すると、ロベール殿下と、それからエタン様を除いて、殿下の他の側近たちは席を外した。
ソファに座るように言われたので、わたしとアナベルは腰を下ろす。
殿下が対面のソファに腰かけ、エタン様はその背後に立った。
「さて、単刀直入に聞くのだが……君たちは、一体何がしたいのだろう」
その疑問は、はい、もっともだと思います。
毎度毎度わたしはパーティーでアナベルに請われるままに彼女を「いじめ」ているけれど、誰もそれを本気だとは思っていないだろう。
だって、世間的にわたしとアナベルは仲良し姉妹で通っているんだもの(そして事実でもある)。
パーティーのときだけ毎回あのような喧嘩をしても、誰も信じやしないのだ。ましてや……わたしの、ポンコツすぎる演技ではなおさらだと思う。
ロベール殿下の問いに、この珍騒動の元凶である妹は応えない。というか、聞いていない気がする。アナベルの目は、じっとエタン様に注がれていて、ロベール殿下を素通りしているから。
……アナベル⁉
何故エタン様なのだ。ロベール殿下を狙っていたんじゃなかったのか。
いろいろツッコミたいが、ロベール殿下の前でそんなことは言えない。
仕方なく、わたしは苦し紛れの言い訳をすることにした。
「そ、その……大変失礼いたしました。ええっと、わたくしたち姉妹はまだ婚約者が決まっておりませんで、ええっと……こ、婚約者を得るために、その、め、目立つために、あのようなことを……」
馬鹿正直にアナベルの「王子様はいじめられている女の子と結婚する」と恋愛小説に書いてあるからなんて言えない。
だけどわたしの言い訳も苦しすぎる。でもほかに思いつかなかったのよ! 妹をいじめている演技はバレバレだもの!
ロベール殿下はぽかんと口を開けた。
「はぁ?」
思わず漏れたのだろう、そんな小さなつぶやきに「ぷくくくくっ」という笑い声がかぶさる。見ればエタン様が肩を揺らして笑っていた。
「どうせくだらない理由だろうと思っていたが、そんな理由なんて、お、お、面白すぎる……」
ああ、穴があったら入りたい。
わたしの顔は真っ赤になっていることだろう。
これで殿下にもエタン様にも「変な姉妹」と思われた。噂になったら結婚にも響く。お義父様に怒られるかも……。いや、もう遅いかもしれないけど。
だけど、わたしはともかく、跡取りのアナベルにはちゃんとした相手を見つけなくてはならないのだ。恥を忍んで、ロベール殿下に今の話はここだけにしてほしいと頼むこむべきか否か。
ロベール殿下は苦笑とも失笑ともつかない顔で嘆息した。
「つまり、結婚相手が見つからないから騒動を起こしていると」
「は、はい、その通りでございます……」
本当は違うのだけど、ここまで来たらこの嘘をつき通すしかない。
すると、ロベール殿下はぽんと膝を叩いた。
「ならちょうどいいな、エタン」
「そうですね、殿下」
……うん?
何がちょうどいいのだろう。
首をかしげるわたしに、ロベール殿下はくるくると巻かれた羊皮紙を差し出して来た。読むように言われたので広げて見ると――うえ⁉
……勅書⁉
羊皮紙には、国王陛下のサインがしてあった。そして内容は、わたしへの登城命令。恐ろしくて震える……。
「わ、わたくしは何か陛下のお気に障ることを……」
「ああ、そうじゃない。そうじゃないんだ。私の婚約者選びの件でね。コランティーヌ嬢、君のおじい様はディオール侯爵だろう?」
「は、はい、そうですが……」
わたしの母の前の夫は、ディオール侯爵家の次男だった。嫡男ではなかったので、わたしを連れての再婚にも反対されることがなかったのだが、再婚後は祖父母や伯父たちとはあまり会っていない。パーティーで見かけた時に挨拶するくらいだ。
「私の祖父……先王陛下とディオール侯爵が親友同士でね。昔、孫娘が生まれたら孫……つまり僕の嫁になんて話をディオール侯爵と約束していたらしいんだよ。どこまで本気だったのかは知らないけどね。だから一度顔合わせをしてはどうかと父が。ディオール侯爵の孫娘は、君一人だからね」
そ、そんな話聞いたことありませんけどおじい様⁉
わたしは目を剥いたが、陛下の勅命を無視できるはずがない。
「も、持ち帰って、家族に相談させてくださいませ……」
ゆえにわたしには、せいぜいそう言うことしかできなかった。
☆
ああ、頭が痛い……。
今日は、陛下の勅命に従って登城する日である。
わたしとロベール殿下の間に縁談が持ち上がったというのに、アナベルはちっとも気にした様子はない。というか……。
「王子なんてもう古いわ。今は騎士よ騎士!」
なぁんて、あのパーティー以降、またおかしなことを言いはじめたからだ。おおかた、エタン様に一目ぼれしたのだろうと見ている。
そして、アナベルはまた恋愛小説を買いあさり、騎士を振り向かせる方法を研究しているのだが……妹よ。何故、恋愛小説に頼る⁉
また突飛なことを言いださないかと、わたしも義父も母も冷や冷やしていることに、アナベルはちっとも気づいていない。
だけど今は妹の困った思考回路に頭を悩まされている状況ではない。わたしはわたしのことで手いっぱいだった。
「い、いい、いいいいいいことコラン! 陛下には失礼のないように、き、ききき、気を付けるのよ!」
玄関に見送りに来たお母様ってば、顔を真っ青にしてぷるぷると震えている。
今日は義父と登城し、城でおじい様――ディオール侯爵と合流する手はずになっていた。
アナベルに至っては「頑張って王子様を射止めてね~」なんて手を振っている。能天気すぎるわアナベル。
はっきり言って、王太子殿下のお相手なんてわたしには荷が重すぎるのだけど、陛下のご命令がある以上お城には向かわなくてはならない。
……お、お城に行って、わたしには荷が重いってお断りしましょう、そうしましょう。
わたしは緊張のために早鐘を打っている心臓の上を押さえてそう心に決めたのだが――
まさかその後、ロベール殿下にあっさり退路を断たれて、あれよあれよと婚約者の座に座らされる羽目になろうとは、この時は露とも思っていなかった。