二十一、母として守りたかったもの
着いた屋敷は以前侍女をしていた屋敷よりも広く、庭の隅々まで手が行き届いていた。
案内された部屋でようやく奥様の顔を見ることができた。
上質な絹のような美しい白髪で、瞳の色は琥珀色だった。
あまりの美しさに、口を開けて、眺めていた。
奥様は微笑んで、あまりじっと見ないでくださるかしらと言った。
急に恥ずかしくなり、申し訳ございませんと言って下を向いていた。
歳はいくつ?と聞かれ、十八ですと答えたら、私の方が姉ねと言って微笑んだ。
静宜はよくわからず、不思議な顔をしていると、部屋奥から、母上と叫びながら小さな男の子が走ってきた。
その男の子はこの人は誰ですかと聞いていた。
奥様は、まだ私も名乗っていなかったわねと笑い
「私は高瑾、息子の濤よ。侍女の春嬌。今日からあなた、ここで侍女として働いてもらうわ。もちろん子供もここで産みなさい。夫には話してあるから心配しなくていいわよ」
予想もしない展開に理解が追いつかなかった。
「失礼ですがここの屋敷の旦那様は・・・その、どなた様であらせられるのでしょうか?」
自分でも何を言っているかわからない言葉遣いになっていた。
「父上は尚書の楊剛泰だよ」
「尚書・・・」
静宜はとんでもない家に来てしまったと理解した。
高瑾は静宜に声をかけた場所で何度も見かけてたらしい。だんだんとお腹が大きくなっていく静宜を見て、夫に相談し、侍女として雇うことにしたという。
「どんな事情があるかは聞かないわ。今日から私たちを家族だと思って」
沈家が没落してからは父も母も失い、暴力に耐える辛い日々でしかなかった。
久しぶりに感じた温かさに静宜は泣くことしかできなかった。
それから無事子供が産まれた。双子の男児だった。静宜はその子たちに狼と竜と名付けた。
その二年後に奥様は琳琅お嬢様を産んだ。
息子たちもお嬢様とともに順調に育っていった。
琳琅が劉家に嫁ぐと同時に静宜は劉家の侍女となった。
息子たちも劉家の護衛として働き、静宜は母としても立派に育った息子たちが誇らしかった。
息子たちには父親に関しては一切話さなかった。
静宜があの家を追い出された後の話だが、取り潰されたという。あの息子は捕まる前に家から逃げ出し、いまだ行方がわかっていないらしい。もうどうでもいい話だ。二度と会うことはないのだから。
そう、二度と会うことはないはずだと思っていた。なのに・・・
静宜はいつものように市場で買い物をしていた。
「雪華お嬢様を出産されて、奥様は食欲が減っているわ。何かいいものはないかしら」
何を買おうか選んでいる時だった。
「久しぶりだな」
静宜はその声に聞き覚えがあった。忘れたくても忘れられない、二度と聞きたくない声だった。
静宜は恐る恐る振り返るとそこにはあの家の息子がいた。陸振だ。
陸振は静宜の手を引っ張って、路地裏に連れ込んだ。
静宜は離してと思いっきり手を振り上げ、ようやく陸振から手が離れた。
「何でここにいるの?目的は何?」
陸振はそう焦るなよと言いながら、にやにやしていた。
「俺の息子、息子たちか。元気か」
静宜は一気に血の気が引いた。子供が息子であることだけでなく、双子であることも知っている。
陸振は顔面蒼白になっている静宜の顔を見て、その顔は俺の言うことを聞いてくれるなと言って耳元で
「俺の要求は一つだ。劉雪華を誘拐する。お前はそれを手伝え」
静宜は首を横に振りながら、それはできないと繰り返し言った。
ふーん、と気持ちの悪い嫌な顔をして
「できなのか、しょうがないなぁ。息子たちに会って、俺が父親と伝えよう。母親との出会いや息子たちがどうやってできたのか。何度も愛を育んだ結果、息子たちが誕生したこともね。俺の息子たちが劉家の護衛とは。これは死ぬまで養ってもらえそうだな」
そう言って大笑いをしていた。
静宜はその場で殺したかった。しかし、昔の恐怖の記憶がよみがえり何もできなかった。
こんな男があの子たちの父親とは死んでも知られたくない。
「わかった・・・私は何をすればいいの」
そう言ってくれると思ったよと言って陸振は静宜に雪華お嬢様の誘拐実行当日にやることの詳細を伝えた。
静宜は一つだけ答えてと言って
「なぜ、雪華お嬢様をさらうの」
と聞いたが、
「それは教えられない、おじ・・・いや、やっと皆が俺に跪く日が来るんだ!」
何訳の分からないことを言っているのだろうと思いながらも早くこの場を離れたいため、陸振を無視して帰った。
あとは指示通り、旦那様が家を出たのを確認し、それを伝え、二人の男が逃げるのを確認し、悲鳴を上げた。