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2, 反桂田勢力

越前を支配した朝倉氏が織田信長に攻め滅ぼされ、信長の代官に任じられた桂田氏は朝倉氏の下級家臣だった。その桂田氏に対する不満を持つ上級家臣と一向一揆勢が共通の敵で手を結ぶ。はたして越前での争いはどうなるのか。

朝倉氏の一乗谷が織田信長の軍勢に焼き討ちされ、越前の国は織田氏の勢力範囲になった。朝倉氏の家臣たちの多くは織田信長の軍勢が攻めて来たとき、我先にと織田方に寝返ったものが多かった。朝倉氏の敗因はそこにあったともいわれている。織田信長に認められ道案内役を務め、一乗谷城の城代になり越前守護代になったのが桂田長俊である。朝倉旧臣時代には前波吉継と名乗っていた。しかし、この桂田は朝倉旧臣の中では決して高い位ではなかった。同じように寝返った朝倉旧臣の中には桂田のことをよく思わない者もたくさんいた。その中でも特に快く思わなかったのは龍門寺城を与えられた富田長茂であった。富田は守護代の桂田に対抗するため秘かに一向一揆勢力との関係を構築していった。


 鳴鹿村でもその動きはあらわれていた。一乗谷の焼き討ちを見てきた栄吉と与蔵はいつものように畑仕事や山仕事をして貧しい生活をしていたが、その年の暮れ、鳴鹿の道場(どうじょう)に村の若者たちが集められてた。道場と言うのは田舎で浄土真宗のお寺のない村では信仰の中心になる場所で、蓮如がその教えを御文書と言う形で広めたが、その教えを村々で集まって自分たちでお経をあげ、御文書を読むという形で信仰を続けていった場所である。村にお寺があればそこに集まるが、貧しい農村ではお寺がないところも多かったのである。その道場に集まった若者たちの中に道場の坊主役でもある庄左エ門がいた。

庄左エ門は道場の台所の囲炉裏で火を囲んで若者たちの顔を見渡していた。師走という事もあり肌寒い夕暮れ、囲炉裏の火に照らされた若者たちの顔はほんのり赤く見えた。

 庄左エ門は10人ほどの若者を見渡して重い口を開いた。

「みんなも知っての通り織田様の軍勢が朝倉様の一乗谷を焼き尽くし、桂田様が守護代として越前を支配し始めた。しかし桂田様のやり方はこれまでの朝倉様より余計厳しくなって俺たち百姓町人は暮らしていけなくなってきている。先日、加賀に落ち延びている超勝寺のご住職様から密書が届いて、加賀の一向衆がまた来てくれるから越前で一揆を起こせと言っていらっしゃる。70年ほど前にも20万人ほど加勢してくれて一揆をおこしたことがあったが、その時は朝倉様に一揆勢力が簡単に蹴散らされてしまったので、超勝寺も本覚寺もみんな加賀へ逃げたのさ。今回はそれ以来だがまた加賀からの援軍が越前を救ってくれるらしいんだ。それに桂田様に反旗を翻す俺たちに加勢してくれる強い味方が元は朝倉家臣の富田様だ。各村から加勢してくれる門徒を集めるというんだ。鳴鹿からも若者を中心に10名ほど出してくれと動員が来ているんだ。鳴鹿としては10人出さねえと示しがつかねえ。どうだい、お前たちは鳴鹿の百姓の代表として一揆軍に加わってもらえねえかな。」

庄左エ門は道場坊主として命がけになる守護勢力との戦さに村から兵を集めるという大役を背負っていたのだ。


 各家から若い衆は道場の集まってくれと言うお触れがあったので何も知らずに夕方道場に来たのだが、話の内容の重さに憂鬱な感じがしていた。南無阿弥陀仏は大事なことだとは感じている。しかし命がけの戦場に駆り出されるというのはまた別の話である。70年前の一揆の時には朝倉様の不意打ちで一向一揆勢は総崩れになって退散したらしく、百姓の死者はそう多くなかったと庄左エ門さんから聞いたことがあった。しかし戦さなんてやったこともなかった。百姓同士の喧嘩だって子供の頃以来、とんとご無沙汰だった。栄吉は庄左エ門の言葉に質問を投げかけた。

「道場さん、一つお伺いしますが、刀や鎧、具足といった武器や道具はどなたかがあてがっていただけますんですか。」

栄吉の疑問はもっともな話だった。百姓の家には武器などなかった。戦うなんてことは百姓の生活には関係がなかったからだ。周りのみんなも頷いて栄吉の考えに同意していた。困ったような表情の庄左エ門は

「どこからも武器をあてがわれることはないだろう。あるのはそれぞれの家に鎌や鍬がある程度だと思う。ただ70年前の永正の一揆の時に使ったと思われる刀や槍がこの道場と向こうの神社の床下に隠してあるはずだ。ただ70年も前のもんだから錆びついて使えるかどうか、わからない。でもな、我々は浄土真宗の門徒だ。親鸞様や蓮如様の教えに導かれて『我らが今度の一大事の後生、御助けそうらえとたのみもうしてそうろう。』だ。み仏の教えに従って南無阿弥陀仏と唱えながら前に進めば後生では極楽に行けると言われているんだ。み仏のために死ねればいいのだが、死ななくても戦いに参加したという事は大きな徳になると思うぞ。」

とみんなを勧誘した。与蔵は

「めしは食わしてもらえるんですか。お給金はないんですか。」

と聞いてみた。

「めしは食えるぞ。腹いっぱい食えるだろう。加賀から大量の兵糧が届くことになっているらしい。ただ、金は出ない。俺たち越前の一向衆を助けるために加賀からたくさんの一向衆が来てくれるんだ。お礼をこちらから出さないといけないくらいだ。桂田様の悪政に対抗して加賀のような百姓の国を作るための戦さだ。自分たちのためなんだ。頑張って参加して欲しい。他の村からも鳴鹿と同じように動員されることになってるから越前だけでも10万人くらいにはなるはずだ。」

庄左エ門の言葉に若い衆はキツネにつままれたような感覚になったが、加賀のような百姓の持ちたる国は夢のような響きだった。

「加賀のような百姓の持ちたる国になればみんな幸せに暮らせるはずだな。」栄吉の言葉に集まった若い衆は目の色を変え始めた。やるしかない。そんな雰囲気が道場中に満ち溢れた。鳴鹿からは10人の参加が決まった。


信長の勢力を追い出すために再び一向一揆の戦いが始まる。いざ、戦いの決着は?

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