8 転校生は諜報機関のエージェント
これで世界からの非難はやむはずだった。アマゾン子たちのワープもひと区切りついたように、ぱたりとやんでいた。ぼくたちの小学校は平穏ていうか、騒ぎから解放されて落ち着きをとりもどした。しかし、こんどはワープそのものが世界じゅうから問題視されるようになった。
「ほんとうはもうワープ技術は完成していて、それを実験改良している最中なのではないかって疑われているんだ」
政府の会議からもどってきた橋口先生が説明してくれた。SF作家や物理学者たちのところへ問い合わせが殺到しているって。
「ネットでも拡散していて、日本はなにか怪しいと本気で思っている国もある。軍事目的で開発されたんじゃないかって、まあ疑いだしたらきりがないんだが、事実だけを純粋に見てくれるほど世界はあまくないってことだ」
ややこしいんだ、世界は。でもまだ日本の国内では、ワープをおもしろがる空気が圧倒していた。視察とかいって、SF作家の一団がぼくたちの小学校にやって来たくらいだ。
「え、ほんとか。筒井康隆が来るのか!」
父さんが興奮して当日、会社をほっぽらかして学校に駆けつけた。若いころ、ありったけの、その筒井って人の本を読んだんだって言ってた。そういえば、うちの古い本棚で名前を見たことがある。
そのSF作家の人たちは視察のついでに体育館で講演会をやったんだ。国語の松浦先生が司会をやって、一般の人たちも聴きに来た。父さんもその一人さ。筒井って人は壇上で、遠くに目をやってしみじみと言った。
「え~、まことにややこしいこの世の中に、このようなスキッとしたワープが現象としてまさに起こるとは。あああ。小松の御大が存命ならどんなに喚起雀躍したことか!」
ほかの若手作家や評論家の話が済むと質疑応答の時間になった。『ワープ』と呼ばれている現象について仕組みや意図に関する質問が発せられたが、けっきょくはフィクションの人たちなので、実際にぼくたちの小学校で起こっている現象についての解釈は憶測や想像の域を出なかった。
「タイムリープとかタイムスリップのたぐいかもしれませんな」
「時間が横すべりして空間移動になったとかね」
「瞬間移動の装置さえ不要なんだからこれはもう神隠しのレベルですわね」
「高次の異次元が介入しているかもしれませんよ」
「祟りとかオカルトの領域ですかな」
「まあまあ。議論の横滑りはともかく、事実は小説より奇なりですよ」
いろんな可能性について話が出て、聴いている人たちからもさまざま意見が出た。ただやっぱり、これといって決定的なものはない。まあ、けっきょく、みんなワイワイやって楽しんでいたんだけどね。
そんなある日のこと、ぼくたちの小学校に相次いで外国からの転校生がやって来た。
「きょうはみんなに新しいお友だちを紹介します。楊小鈴さん」
橋口先生が黒板に大きく名前を書いた。
「『こすず』ちゃんじゃん」
「ほんとだ。『こすず』ちゃんだ」
「はい。静かに。じゃ、彼女。自己紹介を」
「こんにちは。ヤン・シャオリンといいます。趣味はヴァイオリンとカメラです。おうちにも遊びに来てください。よろしく。仲良くしてね」
おおお~と歓声があがった。よどみのない調子で発音もかんぺきな日本語だったからだ。中国語もペラペラらしいけど。
「席は、えーと。久地の横、ちょうど空いてるな。ヤンさん、久地君のとなりへ。彼、学級委員だから、なんでも聞いたらいい」
で、彼女はさっそく久地君にワープのことを聞きまくった。授業中はメモなんかでやりとりして、休み時間になると大っぴらに質問攻めにしていた。ちょっと可愛い子なので、久地君といえど逆らえない。はたで見てると、こっちが恥ずかしくなるくらいハイハイと答えている。
「うん。ワープもしたよ。体験したんだ。あっという間だったけど」
「アマゾンの子たちは帰ることができたのかしら」
「うん、みんな帰ったよ。一部をのぞいて」
彼女は写真部に入って八馬先生にも接近している。これはどう考えてもあやしい。何日かすると、よそのクラスにもっとあやしい転校生が来た。ロシアからの転校生だ。
「セルゲイ・ゴリツィン君だ。みんな仲良くするように」
と紹介されたその子は、日本語はいまいちだけど、相手をじっと見るんだ。ワープの経験者がいるって聞いたらしく、ぼくたちのクラスにやって来ると、あいさつもそこそに、ずかずかと入ってきた。色白だけど中学生じゃないかと思うほどデカくてイカつい。
「クジサン」
そう呼びかけると、手をあげた久地君に歩み寄るなり、じっと上から見おろすかっこうになった。で、なにも言わないんだよ。ただじっと見おろして、目をのぞきこんでいる。久地君は動じるとことなく、下から見あげてニコニコしていた。やがてロシアっ子はプイと横を向いて、また呼んだ。
「コミネサン」
小峰さんはびくっとして知らんふりして教室を出て行った。つづいて呼ばれたのはぼくだった。さすがに相手したくないなと思って、ぼくも知らん顔をしていたら、つかつかとこっちに近づいて来た。
「コマキサン」
ぼくをまっすぐ見てそう言うのでおどろいた。なんでぼくだってわかったんだろう。とにかく、目をそらさないようにしてたけど、ずんずんと心の中に踏み込まれるようでイヤな気分だった。さいごの水野君は自分からロシアっ子に近づいた。
「おれが水野だ。やるか!」
にらみ合いになったけど、意図するところが異なって、ロシア人は水野君の目をのぞきこむのが目的のようだった。心をさぐっているようなヘンな感じだ。水野君はとうとうキレた。
「この!」
と言うが早いか、水野君の拳が飛んだ。その拳はロシアっ子の顔をぶちのめすはずだったが、空振りした。すんでのところでよけて、水野君が体勢をたてなおす間に、すたすたと教室を出ていってしまった。このロシアっ子は職員室にも現れ、橋口先生にも同じことをしたらしい。先生はあきれていた。
「なんだろうね、あのロシアの子は。三上の病院にも現れたっていうし。目の奥をじっとのぞきこんで、あれは超能力なのかな」
中国やロシアが来たとなると、アメリカも負けてはいなかった。いちどに三人が転校してきた。名前は、なんだっけ。とにかく各国とも家族ごと、この小学校の学区に引っ越してきてる。イギリスも参戦してなんか大がかりな情報戦がはじまってるみたいだ。
大国のあからさまなスパイ行為に日本はどうするか。社会科の滝先生が言うには、なにもしないだろうって。
「あれだけ学者や調査員が来て調査したのに、怪しいものはなにも出なかったんだ。隠す必要ないし、隠そうにも隠すものがなにもありゃしない。な、楊さん」
滝先生が楊さんを指したので、ぼくたちはびっくりした。彼女がスパイというか、探っているのはたしかなんだけど、お互い知らんフリを決めこんで、それには触れないようにしていたんだ。みんな前を向いたままだったけど、気持ちの視線は中国人転校生に集中してた。張りつめた空気のなか、立ちあがる気配がして、ほんとに鈴のような声が、みんなの耳に心地よくひびいた。
「わたしはそうは思いません。日本の、なんらかの組織がかかわっているとしても、それは言わないでしょう。秘密にしておくと思います」
おおーと声にならない歓声とともに、みんないっせいに楊さんを見た。顔を上げ、まっすぐ前を見ている。その視線の先にいる滝先生も、感心したようにまっすぐ彼女を見ている。
「楊さんは、日本が怪しいと。日本が開発したなにかが作動していると思っているんだね」
「わたしはそういう可能性もあると思うだけです」
「仮にそうだとしたら、これって何の役にたつと思う。すもうとりやらアマゾンの子がやって来ては帰っていくだけだ。国がこんなことに力をかたむけるだろうか」
「これは始まりにすぎなくて、ほんとの目的はまだ明らかになっていないだけなのではないでしょうか」
「それは、開発した人間にも意図がわからないってことかな」
「意図もなにも、目的はないかも。ただ作ってしまっただけなのかもしれません」
「なるほど。むしろ、この技術をどう使うかがカギか。しかし、だれが、どうやってワープを起こしているのか、まったくわからんからな。自然現象かもしれんし」
「自然現象ならどうしようもありません」
「そうだね。台風とか地震と同じく自然が起こしてるのなら、人間がコントロールできるようなものではないからな」
宇宙人がやってるとしたら、とぼくはふと考えた。地球人から見たらそれは自然現象に見えるのかな。いや、オカルトか、やっぱり。
「いまはわけがわからなくて、超常現象とか超自然現象にしか見えないけれど、やがて解明されれば自然現象に分類されるだろう」
「人間の新しい能力かもしれません」
楊さんはすわりながらハッとしてまた立ち上がった。となりの久地君が楊さんのただならぬ気配に目をきょろきょろさせると、りっぱな服装のヒゲのおじさんがそこに立っていた。