18 真実
「ぼくたちの小学校に限らないんだけど、卒業アルバムの課題はクラスごとにテーマを決めて制作する。毎年、最高学年になった年初にテーマを決定することになっているんだ。
『太陽系の第三惑星がいいと思います。成熟した文明があって採集に適した環境です』
そう提案したのは菊池、きみなんだぜ。(『太陽系』などの呼称や、名前も言葉もすべて地球の用語だ。でないと話が通じなくなるからな)
担任の橋口先生が惑星に関してはめちゃ詳しくって、解説を交えながらこの惑星は興味深いからちょっと遠いけどこれでいこうかてことになったんだ。近隣恒星系への観測旅行なんてぼくの提案は吹っ飛んじゃったさ。
(この話はよくわかる。だからいまのおれも地球に強く興味を感じているんだ)
かくして遠征が始まり、ぼくたちのクラスは地球に着いた。高次の座標軸を経由するから時間も空間も思いのままだ。たとえ地球上に何十年も留まってもぼくらの星系ではほんの数分に過ぎないことにもできる。地球上での作業時間が十年以上かかったとしても、帰還したら数日しか経っていないのさ。
今回の遠征は地球上での作業時間は十五年ていどと見積もってある。ぼくたちはそれぞれ母胎のなかへ潜入し、それぞれが地球で生まれたことになった。その地で生まれて育ちながら学んだほうがより確実に文化の習得ができるからね。もちろん父兄も参加の一大イベントなんだ(え。てことは父さんも母さんも知ってたってことか。それなら、ぼくたちといっしょに宇宙船に乗り込んでいるんだ。そう考えてぼくはほっとした)。
日本をターゲットにしたのは、東西の文化基準や南北の経済格差にとらわれる必要がなく作業がすすめやすかったからさ。ややこしい宗教問題もなかったからね。セルゲイとか楊さんとかMI6とかCIAとかモサドとか東西のエージェントが参戦してきたのは誤算だった。目立ってはいけなかったんだけど耳目を集めてしまった。
彼らの登場のせいではないけれど当初の予定より数年早く活動を切り上げることになった。というのは地球でなにか異変が起こりそうだったからだ。異変がぼくたちの作業にどんな影響をもたらすのか、定量化できない状況だったから安全を期すために作業を早めに切り上げることになった」
「だからなんの前触れもなくいきなり亜空間が出現して出発したのか」
おれは半信半疑ながら三上の話に傾倒していった。
「収集を急ぐことになったから契機にはなったかもしれない。実際にセルゲイたちが来たからね」
「小型化したエッフェル塔とかはともかく、漱石とか鴎外とか過去の人物を蘇らせたのはわからないな。連れてくわけじゃないんだろ」
「本人の意思を先生たちが何度も確認して同行が決まったさ」
「え。じゃ、みな、亜空間に」
「いるよ。だから菊池、きみも早く戻ろう」
「おれは。おれは、ここでまだ調べたいことがある」
「異変のことだろ。不確定な事象だから下手したら巻き込まれるぞ」
「なにかが起こるのは確かなんだ。それを見たい」
「見た瞬間に死んでもか。いやイベントの前に死んでしまうぞ」
「それでもかまわない。しかし道筋がつかめればなにが起きるのか予見できるはずだ。それから脱出してもいいだろう」
「突き止めても記録をどう残す? 残しても地球では誰にも伝わらないぞ」
「この目で見て体験しておきたいんだ」
「きみの実体はもう出発しているのにか」
「その実体ていうのはさ、このおれのことなのか」
「ほかにあるか」
「じゃここにいるこのおれは何なんだ」
「実体から逃れたきみさ」
「おれはおれだ。区別などない」
「実体のほうのきみもそう言うさ」
「別々の存在なわけがないだろう。おれはおれだ」
「すっかり地球の存在感覚に染まってしまったな、菊池。ムリもないけど」
「また訳のわからないことを」
「いいか。これは地球上でのぼくたちの仮の姿なんだ。それを忘れるな。本来の姿のはすでに出発した実体のほうであり、それは何光年も離れた惑星で育ったほんとうのぼくたち自身だ。五感とか言語とか文化とかどれも異次元の話で共通点もない。これはぼくたちがムリをしてるってことだ。そもそもの構成粒子が異なるんだからね。安定性のある粒子が優先的に選択されるのは当然のことじゃないか。体や物の構成粒子が異なるのだから、互いに共通点があると考えるほうがおかしい。物資の構成粒子が惑星環境によって異なるのは自然なことなんだよ。地球は独自の構成粒子から植物や動物や人間、大気、水など物質環境を形成している。いわば構成粒子に規制された範囲で存在は確定されている。だから、ここは本当はぼくたちが居られる環境じゃないんだ」
「いるじゃないか。こうして」
「だからこれは仮の姿なんだ。実体じゃない。つまり、ぼくたちは地球ではあくまで異星人で仮の姿を呈するしかないんだ。地球人から見ればそれは実体なんだけど、本来のぼくたちからはほど遠い姿なのさ」
「そうは言っても地球で生まれたのは確かなんだろ。だったら、地球の構成粒子で形成されているはずで、地球人以外の何者でもないじゃないか」
「それこそが虚体なのさ。本来のぼくたちじゃない」
「堂々巡りだな。で、出発が早まったのはどうしてなんだ」
「地球環境の変化で生物種の存続が危ぶまれているからだ。地球はだいじょうぶだけど。地球環境といったって自然保護とか温暖化といった軽微な問題のことじゃない。もっと根源的な存在の仕方のことで、地球がいま銀河系の中心へ近づきつつあることと関係があるのかもしれない。太陽の活動にも関係しているだろう。太陽だって銀河の位相によって状態が変わるし、太陽そのものが変容しても不思議はない。近い将来、といってもすぐそこに迫ってるんだけど、生物相に混乱が生じて絶滅も視野に入る危険な状態なんだ地球は」
てなことを三上は口走って消えた。おそらくきみたちのところへ行ったのだと思う。きみたちも三上のあまりな無茶振りに閉口するだろうが、これ以上に合理的な説明は成り立たないのではとおれもつい考えてしまった。しかし、おれにはおれの方法がある。短い時間だがおれなりの推論も出してみた。それは三上の説とは真っ向から反対の考えだ。
『いま何が起きているのか。街が崩れ、瓦礫の残骸が空を覆って降り注いでくる。しかし人に当たることはない。視界に捉えられて目には見えるのだが、衝突はしない。落ちたものはこうしておれが収集しているのだから幻影でもない。物質なのはたしかだ。
ざっと調べたところではコンクリ片やプラ板にガラスや金属などなじみのものに見えるけど、地球上の物資でないものがあった。アミノ酸に近似のものや亜物質とでも呼びたい奇態なものが混じっていた。
また、生物の体組織の一部と思ったら無機物だったり、逆に有機物が無機物の塊だったり、目を疑うことばかりだ。詳しく解析してみないとわからないが、根本から認識を変えないと正体に迫れないと思う。物質は精神を包含していて、入れ替わったりしているとしたらどうだろう。人に当たる寸前に精神だけになったら物理的に衝突することはない。色即是空、空即是色というわけだ。
都合よく交替するようにできてるのは人為ではないにしろ、なんらかの意図をもって現象が起こっているからだ。神が宿っていると言ってもいい』
「ねえ、色即是空だって。なにが言いたいのかしら菊池くんは」
香山さんがのぞき込んでいたスマホからふと顔をあげた。薄暗闇にスマホ画面の光がぼくたちを下から照らしていた。見えるはずのない光の粒子が視界を漂う錯覚を覚えた。メールに触発されて感覚が鋭敏になっている。
「うーん。『地球上の物質ではない』てことは別の宇宙から来たってことかな」
「三上くんの言ったことを裏付けているみたいね」
「ぼくたちが他の星からやって来たって。そんなの信じられないな」
「『実体はもう出発している』てほんと、どういうことなのかしら」
「うん。こうして触れられるんだからねホント」
ぼくは右手で彼女の頬にふれた。彼女は不意をつかれて飛び退いた。
「きゃ」
「ははは」
彼女はそのまま立ち上がり、伸びをしてからあらためて周りを見回している。ぼくはすわったまま菊池君のメールに目を走らせた。
『時間や空間が乱れて嵌入しているのは確かだが、嵌入してくるものが地球上のばかりではなく、ほかの天体からも来ているのではないか。よその惑星やら恒星からもさまざまな物質が地球に押し寄せているとぼくは推測している』
「これって三上くんの話ともつながるんじゃないのか」
「わたしたちが、外宇宙からここに来たってこと?」
「そう。物質だけじゃなく、ぼくたちも」
「え、わたしたちってこと。三上くんの言ってたように、その、よその星から」
「外来種てとこかなぼくたちは」
「エイリアン」
「生まれは地球なんだけどな」
菊池君のメールは続いていた。
『そうだとすると三上の言葉にも一理あるんだ。ぼくたちが地球外からやって来た異星人で、文明収集の過程で諜報機関の知るところとなってセルゲイたちが調査に来た。ぼくたちが時間や空間をいじったせいで調和が乱れて、それも地球だけじゃなくて近隣だか遠隔だか知らないが別の宇宙も巻き込んで時空の混乱が生じた。その結果、地球上で他惑星の物質が噴出し、おそらく他惑星では地球の物質が噴出しているのではないか』
「わたしたちのせいで世界がこんなことになってるって言うの」
「三上くんの説だとそうなるな。ぼくたちがここにいること自体が異常なんだから」
「でもわたしたちはこの地球で生まれて育ったのよ」
香山さんはそう話し始めてなにか違和感を感じたのではないか。ふと口をつぐむとはっとして口に手を当てた。ぼくもなにか変な感じだった。
「予定より早まったってメールに、三上くんがそう言ったって」
「この地球でなにかが起こるからって。なんだろう。危険なことだろうか」
「危険なんでしょう。でもいま起こってることのほうがもっと危ないわ」
菊池君も三上君と同じく警鐘を鳴らしていた。
『いまの地球は時間的にも空間的にも穴だらけだ。入り放題で出放題さ。向こうがどうなっているかわからないが相互にこうなっているはずで、あっちの世界でも大騒ぎなんじゃないか。とにかくいま起こっていることが何なのか、正確にはつかめていない。誰にも分かっていないんだ、世界中の誰にも』
『カギになるのはぼくたちの学校なんだけどもう校舎はないからね。ネット情報によると校庭や周辺は立ち入り禁止区域になって厳重に管理されている。日本をはじめ世界中の警察や軍隊、諜報機関が動き始めたらしい。手がかりになるのはぼくたちだそうだ。誰でもとにかくワープの当事者を確保して調べようとしていて何人かがすでに捕捉された。きみたちも気をつけて』
菊池君のメールをさらに読もうとスマホの小さな画面に二人してかがみ込んだ時だった。地響きがして地面が小刻みに揺れた。
「わ」
「なに、これ」
ぼくたちはあわてて立ち上がった。薄闇のなかで気味の悪い地鳴りがして遠くに閃光が放たれていた。なにものかがこちらへ近づいてくるようだった。目を凝らして視覚に注意を注いでいると仄明るい空間が移動してくるのが見えた。その空間は近づくにつれて形を顕わにしてきた。土煙が光をはらんで膨らんでいく。地響きがますます大きくなる。
「なんだろう」
「隠れましょう。怖いわ」
そんなこと言ったって隠れるとこなんてありゃしない。ぼくたちは突っ立ったまま近づいてくるものを見守るしかなかった。ぼおっと光る粉塵が長い尾を引きながら巨大な塊となって迫る。近づくにつれ煙幕の粒子が粗くなって本体の輪郭が見えてきた。暗いなかにさらに黒々としたシルエットを見せるのは砲身ではないか。地鳴りの正体はキャタピラだった。鉄のごつい帯が地面を叩く音が断続して響いて足下の地面を揺らす。
「戦車だ」
「まさか。ここはスタジオの中よ」
「だって、ほら、あれ」
光をひきずって見えてきたのはたしかに戦車だった。それも一台や二台ではなく、車列となってどこまで続いているかわからないほど膨大な数の戦車が目前に迫って来ていた。これは現実なのだろうか。
「ウソよ。こんなことあるはずがないわ」
「セットかな。戦車も本物じゃないかもしれない」
車列がどんどん迫ってきて、それが本物じゃないにしろ、威圧感が半端なくぼくたちは恐怖で足がすくんで思わず互いに抱きしめ合っていた。ギュイーンと気味の悪い唸りを上げて鉄の装甲が軽々と通り過ぎていく。ぼくたちのことなど意に介していないし察知してもいないのかもしれない。ぼくは内心ほっとしてこのまま車列が通り過ぎていってくれればいいと思った。ところが
ウイー! キュイーーーン
油圧で動く機械の甲高い音が耳を聾し、凄まじい光景がぼくたちに現前した。一台の戦車が列から離れ、あろうことか砲身をこちらに構えて近づいてきたのだ。砲口をやや下げてぼくたちに狙いを定めている。隠れる場所はない。ぼくはとっさに香山さんの手を引っぱって向かって来る戦車のほうへ駈けた。砲身の死角に入ればなんとか逃れられると思ったからだ。しかし
ピュン!ピュンピュンピュン!
装甲の小窓から小さな機銃が火を噴いていた。弾丸が連続して宙を切り裂き、ぼくたちの体は穴だらけになった。そのようすをぼくはじっと見ていた。痛みを感じるより先に意識が飛んだり跳ねたりして混濁した。だから痛みの感覚は麻痺していたのかもしれない。香山さんも同じく腕や腹部を銃弾に貫かれていた。口径が小さいのか肉片が吹っ飛ぶことはなかった。気が遠くなってぼくの目には、淡い光の粗い粒子のなか香山さんが倒れていく姿がコマ落としのように映っていた。
『死ぬんだ』
そう思った。しかし、なかなか意識は薄れていかない。へんな感じだ。視覚がおかしい。横たわった体の目の位置から見ているのではなく、空中から俯瞰しているのだ。だから自分の体が草の上に横たわっているのが見えた。すこし離れたところに香山さんが倒れていた。どちらも動かない。穴だらけになって血を流している体が生命を保持しているはずはない。死んでて当然だ。死んだ者は動かない。
『死んだんだ、ぼくも香山さんも』
ぼくは横たわった自分と香山さんをあらためて見下ろしてものすごく悲しい気分になった。悲しみで視界まで朦朧としてきたが、意識は鮮明なままだった。
戦車の背後からやって来ていた装甲車の中から何人かが走り出てきた。よく分からない言葉が飛び交って担架が下ろされ、ぼくの体と香山さんの体を運んでいった。装甲車の中へ消えていった穴だらけの体を見送りながらぼくは途方に暮れた。
『体を持っていかれたら戻る場所がない』
漠然とそう思い、追っかけなければと気が急くが、同時に考えた。
『もう死んでいる体なのだから役には立つまい』
視界はさらに朦朧としてきて、かろうじて光を感じられるほどに低下した。それもスタジオの淡い光なのでもはや視界と言えるのかどうか、粒子状の光のもやが広がるばかりだった。音も砂埃もすでに捉えることはできない。ふわふわと浮いている感覚だけがあった。
『香山さんはどうしただろう』
意識が遠ざかろうとしている。どんどん表層的な感覚が失せていき、手がかりを失った感覚器官は閉じていくようだ。
「小牧くん!」
遙かな天空で呼びかける声をたしかに聞いたように思った。ぼくも渾身の力をこめて発声器官らしきものを奮い立たせた。
「香山さん!」
その声は発せられたのかどうか。聞く者に届いたかどうか、ぼくの知るところではない。それは闇の海に溶ける自我の断末魔かもしれなかった。




