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12 メタモルフォーゼス

 エッフェル塔の次は凱旋門か、自由の女神か、サグラダファミリアか、ブランデンブルク門か、ローマやギリシアの遺跡、はたまた近いところで陽明門とか大仏像とか、え、万里の長城?

 みんなが、ぼくたちも先生たちも、テレビや新聞も、お次はなにかなと見守っていたんだけど、なにも起こらなくて、深まっていく秋にしみじみとしていたら、もう冬になった。

「あ、ひさしぶり、小牧くん」

 香山さんが図書準備室に入ってきた。香山さんのほうこそ久しぶりの委員会出席だった。臨時もふくめて何回も出て来なかったんだ。

「きょうはテレビ局じゃないんだ」

「そんな。毎日はないよ。意地悪いわないで」

 なんかぼくがスネてるみたいでカッコ悪いんだけど、いまや香山さんはテレビやネットでもてはやされる存在だったから、正面から見るにはまぶしかった。

「三上がまた入院しちゃった」

「知ってる。れいのエッフェル塔でしょ」

「うん。あ」

「え。なに?」

 香山さんの横顔を見た瞬間、そこに大人の顔が一瞬見えたような気がした。香山さんの顔を透かしてその向こうに大人の女性がいたんだ。ぼくはぎょっとして眼をそらし、両眼をこすった。気のせいか幻覚か、もういちど視線を戻すと香山さんの眼とぶつかった。香山さんもさぐるようにぼくを見ていた。

「え」

 そこにはもうまったく別の女性がいた。彼女はおなじ驚きの眼差しでぼくを見ている。

「え」

 彼女の瞳に男の顔が映っていた。びっくりした顔でこちらを見ている。それがぼく自身だと気づくのにずいぶんと時間がかかった。香山さんはとっくに気づいて妙な落ち着きで好奇な目をぼくに向けていた。

「小牧くん?」

「え、ええ~ 香山さん、なの?」

 ぼくたちは鏡のかわりになるものをさがして、窓ガラスや古い大時計の文字盤のガラスの、光線の角度が変わるように位置をずらしてのぞきこんだりしてみた。ひとめでは分からなかったが、ようく見ると、そこには大人のぼくがいた。なんで自分だとわかったんだろう。子供じゃない顔なのに。

「小牧くんなのね」

「香山さん。きみは、香山さんなんだ」

 これがアイデンティティーのふしぎなところで、おとなの顔になった自分なんか想像もできないのに、いま目の当たりにしてこれは自分だと認識できている。

「でも、どうして?」

「わからない。どうなっているんだ。でも、これはひょっとして」

 ぼくがとっさに考えたのは空間のゆがみのことだった。空間がゆがむならば時間がゆがんでもおかしくはないと思ったのだ。空間のひずみが、時間の乱れや飛躍を誘発する、なんてことがあっても、こんな状況では不思議ではない。だから起こるべくして起こっているのではとぼくは思った。

「ちょっと待って」とぼくは香山さんを制して、図書準備室のドアをうすく開いてみた。ほかの委員たちが集まっているはずだからようすを見るつもりだった。

「あれ?」

「どうしたの。みんな集まってるんでしょ」

「うん」

「みんなはどうなの」

「うん。それが」

「なんなの? ちょっとどいて。え。あれ?」

 そうなんだ。みんな、元のとおり、っていうか、変わっていないんだ。顧問の八馬先生はともかく、委員長の赤坂さんやほかの委員たちも子どものままにそこにいた。

「わたしたちだけ?」

「ああ。ぼくたちだけみたいだ」

「でも。どうしてわたしたちだけなの」

 それはぼくが聞きたい。ええと。あ、着ているものはどうなったんだろう。当然、体が大きくなっているのだから着衣も変わっているはずだ。あらためてぼくは自分と香山さんの服装を見た。着衣の非連続性がそこにあるのか。

「香山さん、その服」

「え、これ? この服ね。これは。えーと」

 香山さんは自分が身につけているものを上から下まで、靴もじっと見ていたけれど、首をひねって「わかんない」て表情をぼくに投げてきた。これもまあ当然のことなんだけど、自己のアイデンティティの一致を確認した後では、服装なんてあまり意味のないことかもしれない。

「よく似合ってるよ」

 ぼくはとんちんかんなことを言って、しまったと思ったけれど、あながち文脈から離れた物言いでもないかと気を取り直した。

「ありがと」

 香山さんは特に、テレビの関係もあってブランドもので揃えているから、ブランドイメージが前面に出ていて、子供と大人の区別なんか希薄になってよくわからない。ましてぼくの着ているのはユニクロだから子供であれ大人であれイメージに違和感がない。子供から大人への服装の差異が出てこないんだ。

「どうする?」

「どうしようか」

 もうなにが起こっても耐性ができていた。驚きはしないけど、じつを言うと、ぼくは浮かれた気分になってた。ぼくと香山さんだけにこんなことが起こってぼくはちょっとうれしかったんだ。ぼくたちがなにか特別な存在のように感じられたから。夢によく見てたんだけど、香山さんとぼくがみんなに祝福されて結婚しているシーンで、ぼくたちだけ成人していて目立って大きくなっていた。いまやそれが現実になっている。祝福されるかどうかは別だけど。

「どうするの。このまま出てく?」

 香山さんは大人になった体でぼくに身を寄せてくる。いや、ぼくも大人になってるんだけど、自意識というか、アイデンティティは小学六年生にとどまっている。

「どうしよう。このままここにいるわけにいかないし」

 香山さんの息づかいが肩先でなまめかしく感じられてぼくはどきどきしていた。

「出てみる?」

 香山さんは動揺しているどころか、大人っぽくなった自分を見せたくてウズウズしているようにみえる。悪戯っぽく笑みを口の端に浮かべると、ぼくの手をとり、さらに背に手をまわしてドアに押しつけるのだった。ドアが開いてぼくの体がすべり出た。

「わ」

 たたらを踏んでおっとっとっとみんなの前を通りすぎたところで止まった。

「ふう」

 顔を上げると、みんなのキョトンとした顔がこっちを見ていた。見知らぬおとなが躍り出て来てびっくりしてるんだ。

「だれだ! きみは!」

 八馬先生が立ち上がって歩み寄り、みんなをかばうようにぼくの前に立った。状況から見て明らかに不審者だからね。先生は警戒してぼくを注視していたが、でも、その視線のなかに見知らぬ人物への眼差まなざしとはちがう趣きが浮かんできて、さぐるような目つきになった。

「きみ、小牧か」

 さすが八馬先生、カメラが趣味だけあって見る目がちがう。同じ人間の古い新しいを一発で見抜いた。まあ面影はあるとは思うんだけど。

 ぼくは大きくうなずいた。先生の目から警戒の色は失せたが、それでも信じられないという顔でぼくを見ている。そのすきに香山さんが準備室からこちらへ出てきた。べつに隠れるふうでもなく、それどころか、なんか見てもらいたくて、コホンとか咳払いさえするんだ。しぜんとみんなの目は香山さんのほうへ向かった。

「きみは香山、だな」

 八馬先生がまじまじと香山さんを見る。みんなもじっと香山さんを見る。香山さんはまんざらでもないようすで、あれ。ポーズとってんの?

「香山、それに小牧。きみら、いったいどうしたんだ」

 どうしてこんなことになっているのかぼくには見当もつかない。ただ事実として、いきなりおとなになってしまったんだ。八馬先生はぼくらだとわかると心配そうな表情になったけど、あれ、八馬先生、え、先生、どうしたのかな。先生の顔が変容をはじめていた。

「せ、先生!」

「うん? なんだ。え。これは!」

 八馬先生の顔がコマ落としのように変化していく。パラパラ漫画みたいだ。じっと観察していると八馬先生の場合はぼくたちとは反対方向へ、つまり若返る方向へ向かったようだった。もともとジジむさかった八馬先生なので、その爽やかな変貌には目を瞠るものがあった。

「あれ。あれれれれ」

 八馬先生も自分の変化に驚いて両手をひらいてその手に見入り、絶句している。そんな八馬先生のようすを見守っていた新聞委員の面々にも変化が現れていた。時間の流れの加速化をそれぞれが経験することになったのだ。

「あれ。わ」

「え。なんで。きゃ」

「へんよ、わたし。あれぇ~」

 目くるめく時間の流れの氾濫は図書室から始まって校内でいっせいに起こったらしい。児童だけでなく先生たちもその渦のなかへ引きずり込まれていた。もっとも先生たちは若返りの方向だけどね。

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