10 世界の懸念
過去から有名人がやって来たことで、また世界が大騒ぎになった。日本政府は科学者や文科省のお役人、ジャーナリスト、SF作家の人たちを集めて有識者会議を開催した。今回もぼくらの担任の橋口先生が招集された。ただ、現象を検証しようにも原因に迫る知見もなければ技術もないので、会議の内容はこれまで起こったワープ事象のまとめと今後起きうるであろう現象の検討会になった。要は四方山話に終始しただけだと橋口先生は言ってた。
「今回のこれはいままでのワープとは訳がちがいます。なにせ漱石や鴎外、テグジュペリですからね」
座長の大学教授が興奮気味に口を切ると、興味津々のようすで文科系の学者や作家たちが我先にとべらべらとしゃべり出した。
「シェイクスピアとかヘミングウェイとかも来ますかね」
「ダンテ、ジョイスやブレヒト、マンとかバルザック、トルストイ、ゴーゴリ、ドストエフスキー、イプセン」
「いやいや、カミュ、マーク・トウェイン、カフカもだまってないでしょう」
「これって、著作をぜんぶ書き上げる前に来ちゃったらどうなるんでしょうね。漱石さんは『明暗』のつづき、こっちで書いてるんでしょ」
「はて。まあ書いてないものは書いてないってことになるんじゃないですか。消えてしまいますかね。我々の記憶からも」
「こっち来てから書くかもしれん。しかし、それでは文学史上に混乱が生じるな。『マクベス』とか『ロミオとジュリエット』なんか消えた日には、演劇界ががらっと変わって、映画界もえらいことに」
だれしも興味本位、面白半分になりがちなのはそれだけセンセーショナルで、人知を超えた現象を前にしているということだ。対処のしようがなく、手の打ちようがない、いわばお手上げなので笑い飛ばすしかないとみな思っているのだ。
「まあ文学者で書いてないぶんはこれから書いてもらうとして、現在までの解説書とか評論とか、影響受けて書かれたものなんかはぜんぶパーですわ」
「水の泡でんな、て笑い話じゃ済みませんよ。また世界がなんと言って抗議してくるか」
メガネのずれ落ちかかったツイードジャケットの評論家が橋口先生のほうを見た。橋口先生は真正面から見返し、その眼力に負けた評論家はプイと横を向いた。その間にも火のついた談論は止まることを知らずだらだらと続いてたってさ。
「文学史に影響落とすとしたら、日本なら紫式部とか西鶴とか近松かな。あ、大伴家持や紀貫之、藤原定家が歌集の編纂前に来たらヤバいですよ」
「万葉集はともかく、以後の歌集はほかに編纂者おりますからなんとかなるんじゃないですか」
それを聞くと、社会科学系の、たぶん哲学教授が口角泡を飛ばすとはこのこととばかり、まくし立て始めた。
「劇作や和歌やらよりも人間の根本概念に影響を及ぼす人々がいます。ソクラテスとかアリストテレス、デカルト、カント、ショーペンハウエル、パスカル、ニーチェ、ヘーゲル、ケインズ、マルクス、メルロ=ポンティ、サルトル、レヴィ=ストロース、フロイト、ユングあたりがヘンなときに来たら、存在論や人権思想など思想体系はもとより精神医学までめちゃくちゃになります」
これも同じく社会科学系の宗教思想の教授かな、息せき切って口を挟んだ。
「まだ純粋に思想上のことなら、なんとか繕うこともできるかもしれない。それよりもですね、イエス、仏陀、モハメッド、アレクサンダーとかナポレオン、ルターなんかがヘンなタイミングで来たらとんでもないことになりますよ。イエスなんか特に、十字架を背負う前に来ちゃったら目も当てられません」
それを聞いたパネリストたちはてんで勝手に反応した。
「モーゼも海渡る前に来たらマズいですわな」
「モーゼさんは末裔の方はおられるんですかなあ」
「そうですね。だれが引き取りに来るかでモメそうですね」
「漱石さんみたいにお孫さんなんかがご存命ならいいですが、信長あたりになると直系、傍系で子孫の方が何人も名乗りでてきそうです。げんに徳川家の方がもう何人か、家康が来たら真っ先に知らせてほしいと連絡があったそうですよ。ねえ、橋口先生」
引き取り手の話になると具体的に当事者たる橋口先生が意見を求められた。
「はい。その種の依頼が、当校には日本のみならず海外からも多数メールやFAX、郵便で来ています。いずれも歴史上著名な方たちの子孫だそうです」
「そうやって名乗ってこられる方がいる場合はいいですが、だれも名乗りでてこない方もいらっしゃるでしょう。どうなりますか。そういう人たちは」
「海外の例で言いますと、現代の地理に照らして該当する国の大使館の方がお迎えにいらっしゃってます。ただ、よくわからない人たちもいて。例のアマゾン子に似たケースですね。明らかに南米の先住民族の方なんですが、どの地域かはっきりしない。きらびやかな装飾品を身につけておられて身分の高い方とはわかるのですが、時代も地域もはっきりしない人が何人かいて、そういう方は学者やNPOが時代を特定して該当する地域へ帰還できるよう尽力されています」
実際ぼくたちの小学校では手に負えないケースが散発していて、知らんふりを決めこんでいた日本政府も海外からの圧力でしぶしぶ関わるようになってはいた。
「ただ、ヤバい人が来たらどうなりますかね。たとえばヒットラー」
「わ。わ~ それはいけませんわね。出てこないことをひたすら祈りましょう」
「え。でも早めに出て来れば、たとえば政権を取る前に来てしまえば、あのような惨事は避けられたわけです。第二次大戦もどうなってたかわかりません」
「そういう楽観論は通用しないんじゃないですか。彼が来るとすれば、やはり陥落する首都ベルリンの地下で自爆する直前とかだと思います」
「うわ~ 最悪!」
語られる事態の深刻さとは裏腹にどことなく嬉々とした調子で外務省の役人が茶々を入れる。
「日本は同盟国でしたから当然、保護というか手厚くもてなすしかありません」
「そんなことしたらドイツが怒鳴り込んで来ますよ」
ため息が漏れるなか、科学者の一団がふと気づいて発言した。
「エジソンとかテスラはどうです。発明前だとものすごくマズいんじゃないですか、電気」
「電気はねえ。そりゃいかんよ。人類の生存が危うくなります」
「電化地域全滅でも未開の地域は関係ないです。アマゾンとかね」
「あまり考えたくないですな」
「でもそのほうが平和だったりしますかね。静かで穏やかな地球になって」
「うーん」
こんな内容の会議録がネットを通じて出回ると、このままワープを放置するとほんとうに歴史が変わってしまうと世界じゅうの人々が心配した。人類が積み上げてきた進歩をぼくたちの学校が台なしにするかもしれない。世界はあわてた。
「危険だ。そんな学校はつぶしてしまえ」
世界の声に日本政府もぼくたちの小学校自体を問題視した。地元の教育委員会では政府の意を受けて議論が交わされた。
「学校を移転させましょう」
「あの学校そのものに根本原因があるとしたら、移動してもそこでまた同じことが起きますよ」
「いや、学校に罪はない。あの空間に問題があるのだ」
「空間が怪しいとすれば、なにかあったんですかね。むかし隕石が落ちたとか」
「記録にはありませんな」
「子供たちのうわさには、学校がロボットで犯人だって説があってですね」
「校舎のデザインがああだからでしょ。ロボットみたいに見えますから」
「子供らしいほのぼのとした想像ですね。なごみます」
「そんなことより、なんとかしないと。米中露が干渉してきますよ」
「どうするって言うんだ。ミサイルでもぶち込もうっていうのか。やれるもんなら、やってもらおうじゃないか!」
これはぼくたちの学校の先輩の議員が言い放ったんだけど、そりゃ怒りたくもなるよ。ぼくたちの学校のことなんだから、かってなことは言ってもらいたくない。しかし、そうは言っても、もう問題はグローバルな展開になっていて、ぼくたちの小学校の問題なんてのは相手にされなかった。
「文明の存亡の危機だ。人類が危うくなる。小学校などはどうでもよろしい」
ある新聞社の社説に暴論とも言える意見が載ったりすると、呼応するように神経質な議論が政府内で展開された。
「ワープさえ止められればなんでもかまわない。いっそ学校は廃校にしてしまいましょう。児童は手近な学校に引き取ってもらえばいい。跡地は更地にして政府が管理すればよろしい。近くに自衛隊があるから駐屯地にすれば一石二鳥だ」
「いや、それでは近隣住民が反対するでしょう」
「基地じゃなくて官舎でもいいんじゃないですか」
「もし、それでもワープが続いたらおちおち寝てはいられません。お国の安全を守る自衛隊員が寝不足になっちゃ困ります」
「うーん。どうしましょう」
「さてこうしましょう、という決定的な案が出るまで動かないほうが賢明ではないでしょうか」
「知らんフリを決めこむのですか。しかしそれでは諸外国が抗議してきますよ」
「言わせておけばいいじゃないですか。まさかほんとにミサイルぶち込んではこないでしょう」
「米中露からスパイとして転校してきた子たちがいますから、その子たちがいるうちは大丈夫じゃないですか」
「米中露だけじゃなく、いまでは英仏独、中東やイスラエルからの転校生もいます。もちろんみんなスパイとして送り込まれた子たちです」
「その子たちがいるうちはミサイルが飛んでくることはないでしょう」
「しかしまあ、よくも堂々とスパイ送り込んで来ますね」
「まあ、好奇心も手伝ってるんじゃないですか。他校からの転入希望が後を絶たない状態になってますから。転出はだいぶ減りましたけど」
というわけで世界の危機感よりも好奇心のほうがいまは勝っているということで、ぎりぎりぼくたちの学校は生き残ることができた。
世界の心配をよそに、ぼくたちの小学校はいつもどおりに授業が行われていた。授業が終わるころには、学校をぐるりと囲む塀に沿って、毎日、人垣ができていた。ヤジ馬とマスコミの人たちだったんだけど、校門から出て来る児童ひとり一人にマイクを向けていた。ぼくたちはみんな、おもしろがってマイクに群がって、わーわーぎゃあぎゃあ、あることないこと言ったり叫んだりした。
「すごいんだ! ゾウに乗ってさ。インドゾウ」
「あれ、アフリカゾウだい」
「小さいからインドゾウだよ」
「へーえ。どういう人なの、その来たって人は」
キャスターだか記者だかのきれいなおねえさんに聞かれるとぼくたち男子はとくに、あることないこと得意になってしゃべりたくなってしまう。
「インドだかアフリカだかの、えらい人って言ってた」
「その人、どうしたのかな。まだ学校の中にいるのかな。いつもの保健室?」
「え。いないよ」
「いないって。もうどこかへ行っちゃったの」
「え。来てないもん。ビデオで見たんだ」
「え。だから! ワープの話、聞きたいんだけど」
「だれか来たって。知らない人」
「おじさんだか、おばさんだかで、見たことない人」
「あれ、人だっけ。動物って言ってなかった?」
「白いおヒゲのおじいさんで、外国の人だよ」
「チョウチョの話、聞いた」
「長い棒、持ってたんだ」
「ヘンな服。お着物の、それもね、うんと長いヤツを着てさ」
「勇者の人、ぼく見たよ」
「ちょんまげの人、すごかったあ」
「あの刀、ほんものだよ」
おねえさんの気を引こうと突拍子のない描写がどんどん発せられた。
「それって、みんな、昔の人ってことかな」
こまった顔してキャスターのおねえさんは聞くのだけど、虚実ないまぜになったぼくらの頭はもう事実なんて吹っ飛んでいた。
「でも、服着てたから原始人じゃないよ」
「え。北京原人とかクロマニヨン人とかが来たんだ?」
どんどんエスカレートする展開におねえさんはたじたじとなる。
「魔法使いだよ」
「悪魔さ」
「神さまが」
「仏さまが」
などと話が及ぶに至ってもう本気にはしていないようだった。
「それって漫画の『聖☆おにいさん』のホンモノかな? わかんない?」
「しらな~い」
とんちんかんなのはしかたがない。ぼくたちだって、その来た人がどういう人なのか、よほど有名じゃないかぎりホントにしらないんだ。仏さまにしたって、ホンモノの人はお寺の仏像の顔じゃないんでしょ。
「われはヒミコぞ」
そう言って現れた女の人はなぜだか知らないけど、文科省のお役人が引き取りに来たってさ。社会の滝先生が目を輝かせて、すごいすごいと授業中ずっと言ってた。
「これで邪馬台国の場所が明らかになるぞ。なにせ当人が来てるんだ」
ほかにもヤマトタケルって人が、伊吹山からいきなりやって来て、熱でぶっ倒れて救急車で運ばれた。集中治療室に入って手を尽くし、なんとか一命を取りとめたってさ。この人は宮内庁の人がお迎えに来た。
「この人は中世の騎士にちがいない」
というぐあいに服装なんかであるていど推定できたときはまだよかったけど、もっともっと古い人たちが出てくると、さっぱり見当もつかない。見かけもそうだけど、ことばで困る。スパイ転校生たちのおかげで、たいていの国のことばはわかるんだけど、彼らでもちんぷんかんぷんのことがある。先生たちも首をひねる。
「まあ、着てるものからして、古代から来たんだろう」
でも、そんな人たちの場合、引き受ける国がはっきりしない。じゃあ、どうするかっていうと、市内に収容施設ができている。『古代史研究センター』っていうんだ。プレハブなんだけどね。
「防疫の観点から国の要請があったんだが、世界中から研究者がやって来てるぞ。聞き取りがなかなか大変だけど、ことばの壁は絵や図を描くことでなんとなくコミュニケーションが取れるようになっている。日本だけじゃなく広く海外の古代史の謎がこうしてほぐれていくのだ」
滝先生は得意げに胸を張った。ただそれでも、ほんとにわからない怪しい者たちがやって来ることもあった。
「ほんとに人類なのかな」
「ほんとに地球人かしら」
そう疑いたくなる風貌の者らも数知れなかった。




