Episode4. コバヤシの追憶 前編
───ティエラが死んだ。
厳密に言えば彼女はまだ亡くなっていないけど、その魂を剣に移した為その体はもう言葉を発する事はないだろう。
毒にその身を蝕まれてもどこまで気高い人だった。彼女がいなければ魔族は今も奴隷のままだっただろう。
「その体はどうする?埋めるか?」
ドワーフの魔法使いマクスウェルが僕に問いかけてきた。特徴的な長い髭だ。その目が語りかけている、どうするのかと。その言葉にティエラを見る。傷のない美しい体だ。前世を含めても彼女より美しい女性を見たことがない。
物言わぬティエラをずっと眺めていると抱いてはいけない劣情が込み上げてきそうだ。くだらない感情を振り払うように息を吐いて、マクスウェルに視線を移す。
「マナクリスタルで保存しようと考えています」
「ほぅ…残すのか? 魔王を蘇らせる為に。だが、その体は毒に蝕まれているぞ。残した所で意味が無い気もするが」
「マナクリスタルは外部からの干渉を断ち、中に入れたモノの状態をそのままに永久保存できます」
「そんな事は知っておる。入れてどうする?出せばまた毒が進行するだけだぞ」
「時を待ちます。今はエルフの毒の解毒方法がないですが、いずれ必ず解毒方法は見つかります。いえ、僕が見つけます」
懐から取り出した緑色の水晶に魔力を込める。魔力を吸って淡い光を放ったの確認してから魂の抜けたティエラの体の上に置くと、彼女の体が吸い込まれるように水晶の中へと消えていった。
この世界でもまだ4つしか見つかっていない希少鉱石。魔力を込める事で物の保存をする事が出来る。元々はティエラの夫であるテスラが持っていたものだ。彼の死後に譲り受けたけど、こういう形で使う事になるとは思わなかった。
やってる事はコールドスリープに近い。前世ではまだその方法は確立されていなかった。魔法が存在する空想の世界だからこそ出来ることだろう。
「シルヴィ」
「妾が仕舞えば良いのだな?」
共に来てきた娘に声をかけると床に転がった水晶を拾い『収納』の魔法で仕舞った。これでティエラに危害を加えようとしている者からから彼女を守る事が出来る。
ドワーフから支援を受けている立場ではあるけど、そのドワーフ全てが信用出来る訳ではない。ティエラに毒を盛ったのはドワーフの侍女だ。エルフに弱みを握られていたとは言え、彼らは損得勘定で簡単に動く。決しては心は許していけないと彼女は言っていた。
テスラがいれば彼女は毒を盛られずに済んだかも知れない。あの男は常にティエラの事を思って行動していた。食事から身の回りの事まで、無頓智なティエラに変わってテスラが気を使っていた。今になって思えば彼の死から全てが狂ったと言っていい。
テスラが生きてさえいれば僕たちの戦況は今よりもずっと良かったかも知れない。バージェスが死ぬこともティエラが倒れる事もなかった…、タラレバだね。テスラは死んだしティエラもエルフの毒によって倒れた。後に残された僕たちに出来ることをするしかない。
「その剣はどうする?不要なら私が預かるが」
「ティエラの魂が宿った剣だ。この剣に相応しい者に渡すさ」
「お主ではないのか?」
「僕は魔法使いだからね。剣は扱えるけど飾り物になってしまうよ」
ティエラの魂の宿った剣を拾う。刃こぼれひとつない美しい剣だ。使い手が良かったのもあるだろうけど、この剣を造った者の腕が良かったのだろう。名前は忘れたがドワーフの中でも腕利きの鍛冶師だった筈。
シルヴィに手渡すと水晶と同じように『収納』の魔法で剣を仕舞った。
───剣に魂を移す事でこの世界に彼女は残ろうとした。死に抗う為ではない。全ては僕たちの人生を玩具のように弄ぶミラベルに一矢報いる為。
彼女からミラベルの本性を聞いた。シルヴィの件があったからこそ、その話を抵抗なく受け入れる事が出来た。僕たちの事を思って行動しているように見えて、その実は自分の欲を満たそうとしているだけ。退屈は人をダメにする。それはどうやら神とやらも同じらしい。
僕たちという異物を放り込む事によって騒がしくなった世界を見て楽しそうにしていたそうだ。
必死な思いで起こした魔族の反逆もミラベルからすれば彼女を楽しませる娯楽の一つに過ぎない。
屈辱だったと思う。彼女から話を聞いて腸が煮えくり返る程の怒りを感じた。だからこそ彼女の思いに応えてあげたかった。
魂についての研究をしていたマクスウェルを巻き込み、魔法によって彼女の魂を剣へと移した。道具に魂が宿る現象は既に何件か確認されている。詳しい条件は確認出来ていないけど、キーとなるのは未練や執念といった強い感情のようだ。
亡くなった者の強い感情が魂を現世に残留され、この世界に留まる為に近くの道具へと宿る。亡くなった者と縁のある物ほど親和性が高く魂が宿りやすい。
過去の事例として道具を所持していると夢の中に魂の主が現れるようだ。あくまでも魂の主と親しかった者の前にだけのようだが…。
過程は違うけど同じように剣に魂が宿ったティエラもまた夢の中に出てくるかも知れない。もしそうなら、この剣を持つのに相応しいのは僕ではない。
彼女が最後まで気に掛けていた、ティエラの息子であるアデルに託すべきだ。出来ることなら彼の夢の中で出てあげて欲しい。君が倒れた事がアデルは酷く落ち込んでいた。母親一人救えない俺に魔族を率いる事など出来る訳がないと、自暴自棄になるほどに。
ティエラの跡を継いで魔族を率いる事が出来る者がいるとしたらそれはアデルだけだ。だからこそ彼には立ち直って貰わないといけない。
母親として息子に発破をかけてくれないかい、ティエラ?
「行こうかシルヴィ」
「アデルの元に向かうのだな」
「そうだね。ティエラの剣を持つのに相応しい者は彼しかいない」
剣にティエラの魂を移したのは毒から彼女を救う為だ。ティエラは肉体はどうなってもいいと考えていたようだけど、それではダメだ。僕の我儘に過ぎないけど、君にもう一度会いたい。君と共にミラベルに抗いたい。もう一度僕たちを導いて欲しい。その為に君には生きて欲しい。テスラに託されたマナクリスタルはこの為にあるんじゃないかと思えた。
その肉体を蝕む毒を解毒出来たら、再び魂を肉体に返す。そうすれば以前と同じ健全な身体で彼女は復活出来る。
マナクリスタルが生物も保管出来たらわざわざこんなリスクの高い事をしなくても良かった。マナクリスタルが保存出来る対象は魂の存在しないモノかな? 未だに謎が多い鉱石だ。
捕らえた人間を使って既に実験はしている。その結果から彼女の肉体をマナクリスタルで保管出来る事はあらかじめ分かっていた。
後はエルフが使った毒の解毒方法を探すだけだ。
───シルヴィと共にマクスウェルの部屋を後にする。敵ではないのは分かっているけど、気心を許せる相手ではないね。彼の根本にあるのは魔法の探究心だ。容易に行う事の出来ない魂の研究を行えるという事で、僕たちに協力してくれたに過ぎないだろう。
魔法を極める為なら魔族にもエルフにも人間にも手を貸す。利用する分にはいいけど、信用はしてはいけない。
僕の後をついて来るシルヴィの表情からは相変わらず感情というモノが読み取れない。娘の姿をしているけど、その中身は別人だ。今までの彼女ならもう少し表情が豊かだっただろう。
魂が抜けた身体を動かす為に人格が生まれた…か。この世界は不思議な事に満ちていると改めて実感する。
かつての世界では起きることのない現象だ。映画なんかではそういった題材で作品が作られていたかな? 決まって敵役だけど。
アンデッドである事を表すような青白い肌、『擬態』の魔法が使えるのだから隠すべきだと何度か言っているのだけどね。シルヴィはまるで気にした様子がない。
死という概念が存在しない事や、感情がない事がそうさせるのかも知れない。娘が死んだという事実は変わらず、その肉体を操るのは別人格だ。それでも僕の娘である事に変わりは無い。
娘と同じようにとまではいかないが、喜怒哀楽の感情が宿って欲しいものだ。彼女がこの世界を謳歌する為にもこの戦いに決着を付けないといけない。
「シルヴィ、君は昨日アデルと会っていたね。彼はどんな様子だったかな?」
「女のように泣きじゃくっていたな。妾が話しかけても反応しなかった」
「そっか…」
抑揚のない声。仮にも幼なじみであるアデルに対して思う事は特にないようだね。その目で見た事を僕に報告しているだけ。娘の生前の記憶がないから仕方ないのかな?
そうか、アデルは大切なモノを全て失ってしまったのか。両親に、想いを寄せる者。僕の目から見てもアデルがシルヴィに想いを寄せていたのは分かった。親心として複雑な所はあったけど、アデルにならシルヴィを任す事が出来ると思っていた。
娘が亡くなる事がなければきっと2人は結ばれていたと思う。だけど現実はそうはならなかった。娘は亡くなり、蘇ったシルヴィの身体を動かしていたのは別人格で、生前の記憶を所有していなかった。何もかも上手くいかないね。これも君の仕業かい?ミラベル。言っても仕方ない事か。
マクスウェルの屋敷を出てから暫く歩くと目的としていた場所に辿り着いた。これといった特徴のない一般的な家だ。扉をノックしたけど反応がない。ティエラに渡された鍵で施錠を解除して、中へ入ると僕の視界にアデルの姿が映った。一目で分かるほど憔悴している。
ティエラ譲りの黒い髪、アップバングの印象が強かったけど今は髪を気にする余裕もないのか前髪を無造作に垂らしている。それだけで随分と雰囲気が変わる。その顔立ちはテスラに似ていると思う。切れ長の青い瞳はテスラと瓜二つと言っていい。快活な青年を思わせる明るい顔が今は沈んでしまっている。
「コバヤシが来たという事は、母さんは亡くなったのか」
記憶の中に残る彼とは違う力のない声。立て続けに起きた不幸に心が弱ってしまっている。歳は23か、24だったかな? この世界でも既に大人として扱われる年齢ではあるけど、大切な者の死に心を痛めるのに年齢は関係ない。
むしろ若いからこそ、その悲しみは大きいだろう。彼の傍には家族といえる存在はもういない。アデルにはしっかり伝えるべきだ。そうしないと彼は立ち上がる事すら出来なくなる。
「厳密に言えば亡くなってはいない」
「どういう事だ?」
声の強さは変わらないけど、顔を上げた彼の顔は先程よりは明るい。亡くなっていないという言葉に僅かながら希望を感じたのかも知れない。
そんな彼に伝えるのは少しばかり心が痛むね。亡くなった訳ではないけど、以前のようにティエラがアデルに話しかける事はない。夢の中で出てきてくれたらいいのだけど…。
シルヴィに目配せをすると『収納』の魔法でティエラの魂が宿った剣を取り出して僕に渡してきた。
「それは…母さんの剣か」
「そうだね。この剣にティエラの魂が宿っている」
「なに!?」
想定していなかった事態にアデルが動揺しているのが分かる。落ち着いて話を聞いて欲しいと、興奮して立ち上がろうとしたアデルを宥めてから彼に説明した。剣に魂を移した事。その肉体をマナクリスタルに保存している事。エルフの毒の解毒手段さえ見つかればティエラが元に戻る事。そして、ティエラにアデルの事を任された事を伝えた。
眉間に皺を寄せて僕の話を聞いていたアデルも、話の内容を理解すると口元に笑みを浮かべていた。
「要するに、エルフの毒を解毒さえ出来れば母さんは復活出来るんだな?」
「そういう事になるね。秘中の毒のようだし、簡単にはいかないと思うけど」
「いや、それでも希望が見えた。俺はまだ全てを失った訳ではなかった!」
顔色が元に戻った。飛び上がって立ち上がったアデルが口元に笑みを浮かべながらその手を強く握り締めている。その言葉に彼の思いが詰まっていたと言っていい。大切なモノを全て失いかけた。それでも僅かながらの希望が残っていた。彼を再び奮い立たせるには十分すぎる程の希望だったようだ。
アデルにティエラの魂が宿った剣を手渡す。大切そうに受け取った彼が剣の刀身を眺めていた。
「この剣に母さんがいるんだな」
「そうだね。これまでの事例と同じなら、アデルの夢の中にティエラが出てくる可能性が高いと思う」
「コバヤシの言葉通りなら、今の姿を見せたら叱られてしまうな」
自嘲気味にアデルが笑う。小さく息を吐いたアデルが僕に視線を向けてきた。ただそれだけの動作だけど、空気が重く冷たいモノに変わったのが分かる。こちらを真っ直ぐに見つめてくるその顔にティエラの姿がダブって見えた。彼の纏う雰囲気はティエラにそっくりだ。
「コバヤシ、俺に力を貸せ」
「どうするつもりだい?」
「エルフを滅ぼす。母さんを助ける為にエルフから全てを奪う」
「僕たちの敵はエルフだけじゃない。人間達も立ち塞がってくるよ。君が思っているより簡単ではない」
「分かっているさ。だから俺に力を貸せ。俺一人では母さんに強さで及ばない。だが、たった一人で戦局を変える必要はない。力を束ねて、同胞の絆で奴らを倒す」
アデルにはティエラのように他を圧倒するような強さはない。彼女の強さ文字通りの一騎当千だった。魔族で彼女より強い者は存在しない。いや、この世界で彼女より強い者はいないだろう。
彼女を支えるテスラという存在がそれをより強固なモノにした。2人が揃っている内は、ティエラを排除する事は出来ない。
正攻法では彼女を倒すのは不可能と思える程に彼女は強かった。だからこそ、先にテスラを狙い、毒という手段でティエラを倒そうとした。
アデルも決して弱くない。むしろ魔族の中でも強者の部類に入るだろう。ティエラの魔力を引き継ぎ、テスラの教育でその頭脳を伸ばした。レオパルドから剣を学んだ。バージェスから体の鍛え方を教わった。ドレイクから魔力の扱い方を指導された。僕から魔法を伝授された。
皆がアデルに期待している。その期待に応える為に我武者羅に努力した姿を知っている。大きすぎる親の存在を前にしても、彼は怯む事はなかった。アデルに足りてなかったのは覚悟だけ。今の彼を見ればそんな心配は必要ない。ティエラの跡を継いで魔王となるべき存在はやはり、彼しかいない。
「俺が魔王として魔族を率いる。母さんが笑って復活出来るように、世界を変える!」
「…………」
「その為に俺に力を貸せ、コバヤシ」
「こんな僕で良ければ力を貸すよ。共に戦おう、アデル」
2代目魔王 アデル・デュランダル。後の歴史において最もエルフと人間を殺した魔族として恐れられる事になる。彼の始まりきっとこの日だっただろう。
ティエラを連想させるオーラを纏った彼を前に自然と膝を着いていた。僕もここに誓おう。
ティエラとテスラに変わって僕がアデルを支える。共に魔族の世の為に闘おう。たとえこの身が滅びようとアデルだけは護ってみせる。
───気付けば30年の時が過ぎており、前世において高齢者として扱われる年齢に達していた。それでも体に衰えはない。若さをずっと保っているようだ。魔族はエルフやドワーフと同じ長命種らしい。具体的な寿命はまだ分からないけど、1000年近く生きると言われている。
そこまで生きた者が今の所いないからそれが真実かどうかは不明だ。
「不思議な所だよね、ここは。初めて来た時も何故か懐かしさを感じたよ。」
場所は人間の領国、『レグ遺跡』と呼ばれる石造りの遺跡の中だ。初めて足を踏み入れた時、得体の知れない何かを感じた。心が酷くザワついた。郷愁感だろうか? 初めてくる場所なのに自分の生まれた故郷に帰ってきたような、そんな感覚を覚えた。僕が今いる空間もどこか見覚えがあるように思える。
綺麗に装飾された台座以外何もない真っ白な空間。天井と壁が存在せず真っ白な光景が果てしなく続いているように見える。行き止まりはあるのだろう? 気になる所ではあるけど行ったら最後、迷子になって帰って来れない気がする。目印もなければ同じ光景が永遠と続く、きっと方向感覚が狂ってしまうだろう。
足元には黒い魔法陣が浮かんでいる。出入口はこの魔法陣だけだ。レグ遺跡の外周にある、とある壁画。そこに闇属性の魔力を流すとこの空間に訪れる事が出来る。
「君に報告しないといけない事が沢山あるんだ」
台座の上に置かれたマナクリスタルに話しかける。無機質な水晶から返事が返ってくることはない。静かな空間に僕の声だけが響いた。
物言わぬ道具に懺悔するように語る姿は第三者から見れば滑稽な光景だろう。語りたい事は山ほどあるけど、僕に残された時間はそれほど多くない。
「アデルは君の後継者に相応しい魔王だったよ」
彼が魔王として立ち上がってから戦況が大きく変わったと言っていい。大陸を二分する程巨大な勢力を誇っていた人間とエルフもアデルが率いる魔族の猛攻によって疲労し、かつての栄光は見る影もない。
ドワーフと獣人が国を起こし彼らの領地だった場所を奪ったのも大きいだろう。僕達の事を影ながら支援していたのはこのタイミングをずっと待っていたからだ。それについて思う所はあるけど、僕たちの主な敵は人間とエルフだ。その2つの勢力が縮小する事は望ましい事だと思う。
この勢いで人間とエルフを攻め滅ぼす事が出来たなら良かった。けど現実はそう上手くいかない。
「すまない。僕はアデルを守りきる事が出来なかった。君に託されたアデルを死なせてしまった…」
懺悔するように台座に置かれた水晶に頭を下げる。
2代目魔王 アデル・デュランダルが戦死した。その一報を聞いた時、足元が不意に無くなるような絶望感を感じた。僕たちが戦況を優位に進めていた事もあり、少しばかりの油断が生まれたようだ。僕とシルヴィがエルフの国を抑えている間に、アデルが残りの四天王と名の知れた魔族を率いて人間の国を攻めた。
難しくない闘いになる筈だった。誤算があったとすれば、新たに誕生した勇者パーティーの実力を測り間違えた事。
「勇者パーティーの中にミラベルの息のかかった転生者がいたらしい」
アデルの実力ならば苦戦はしても、勇者パーティーが相手でも勝てる筈だった。そうならなかったのは勇者パーティーの1人が使ったとされる能力の影響が大きい。ベリエルから魔力を感じない謎の力を駆使していたと報告を受けた。
どういう力が働いているのかは不明だけど、その者が使う針を受けると体が一定時間硬直してしまうそうだ。何もない空間から針が現れる不思議な現象は見た事がない言っていた。
毒でもなければ、魔法でもない。魔力を使った形跡もない力となると思い当たるのはミラベルが転生者に与えた能力だ。
僕とティエラが与えられた能力は魔力を使うけど、ティエラが殺した先代勇者は魔力を使用せずに能力が使えた。先代勇者が使った結界を張るあの能力には手を焼いた覚えがある。
同様に勇者パーティーの転生者も魔力を使わずに能力が使えるのだろう。露骨に贔屓されているのが分かる。あるいは僕たちが目障りなのかも知れない。
「転生者の能力によって体の動きを止められ、聖剣によって首を刎られたそうだ」
転生者の能力がなければアデルが負ける事はなかった。その事実にミラベルに対する怒りが込み上げてくる。気付けばギュッと音が出るほど手を握り締めていた。
決死の思いでアデルの遺体を取り戻す事は出来たけど、彼の所持していた剣は転生者に持って行かれてしまったそうだ。
「君に託されたアデルは殺され、君の魂が宿った剣を奪われた。どこまで役たたずなんだ、僕は…」
ポトリと床に血が流れた。強く握りしめた手の爪が皮膚を破ってしまったようだ。掌に伝わる痛みなんて比じゃないくらいに心が痛い。
この身が滅びようとアデルを護ると誓ったにも関わらず、そんな簡単な事さえ出来ていない。アデルを真に思うなら彼の傍を離れるべきじゃなかった。アデルの強さなら大丈夫だろうと、彼の言葉に甘えた自分が許せない。愚かな男だよ、僕は。
テスラなら最悪を想定して動いただろう。あの男は常に未来を見据えていた。だからこそあの男は常にティエラの傍にいた。世界最強とも言えるティエラの事をただ一人心配していた。
───テスラはティエラを護って死んだ。その命を犠牲にして、ティエラに迫る聖剣を防いでみせた。彼がその身を犠牲にしなければあの場でティエラは死んでいただろう。僕より遥かに弱い存在なのに、僕よりも君の為に動いていた。
「敵わないな、本当に」
付き合いでいえばティエラと並ぶ程に長い。彼がシルヴィの母親である使用人の人間を僕に紹介してきた時は怒りを覚えた。ティエラに手を出した事を知った時は殺してやろうかとも思った。
同じ女性を愛したからテスラに負けたくないと思った。2人の間に産まれたアデルを見て、僕ではティエラを幸せに出来ないと悟った。僕が見た事のない笑みを浮かべるティエラの傍にテスラがいた。
憎たらしい恋敵だったけど、彼だけがティエラの事を心から思っていた。
「ティエラ、僕の命はもう長くないんだ」
僕の体もまた、彼女と同じエルフの毒に蝕まれている。アデルの戦死を聞いて戦場であるにも関わらず固まってしまった。その時受けた剣に毒が塗ってあった。幸い微量だった事もあり即死する事はなかった。けど徐々に体から力抜けていく感覚がある。自分に死が迫っているのが嫌でも分かった。
いや、それ以前の話だ。毒を受ける以前に僕は心の臓に病を発症してしまった。今でも時折痛みが走る。立つことさえ困難な程の痛みと苦しみが襲って来る事がある。
今になって思えば僕の病気の事を察していたから、アデルは僕を連れて行かなかったのかも知れない。
「僕に残された命の時間は短い。でも僕に出来る限りの事はしようと思う」
エルフの毒の解毒方法は未だに判明していない。僕が生きている内に見つける事が出来れば良かったが、残念ながら僕の命が終わりを迎える方が早そうだ。
ティエラの事は四天王以外にもクロヴィカスやベリエルといった共に闘った戦友たちに共有してある。僕が亡くなったとしても彼らが引き継いでくれると信じている。
それでも念には念を入れてティエラの肉体の隠し場所は僕とシルヴィ、そして亡くなったアデルしか知らない。当初はシルヴィに『収納』の魔法で保管して貰っていたが、殺す事の出来ないシルヴィに対して封印という方法で対処してくる者が増えてきた。
シルヴィ実力を考慮すればまず有り得ない事だが、万が一を考えて僕が今いるレグ遺跡に隠す事にした。当初は遺跡の最奥に隠しておくつもりだったけど、郷愁感に導かれるようにこの空間に訪れていた。
闇属性の魔力がなければこの空間に来れない事から、隠し場所を決めた。僕がここを訪れるのはこれが最後になるだろう。
「僕のこの命を燃やし尽くしてでも、君の魂が宿った剣を取り戻す。あの剣は人間たちが持っていていい物じゃない」
ティエラの復活に必要不可欠な剣だ。彼女の魂が宿った僕たち魔族にとって替えのきかない大切なモノ。
30年の月日が流れたけど最後まで君はアデルの夢の中に出てこなかった。魂が宿るまでの過程が違ったからだろうか?君の存在が遠くなったように感じた。
本当にあの剣にティエラは宿っているのだろうか? そんな心配さえ浮かんでしまう。
「行ってくるよティエラ。そして先に逝くよ」
勝っても負けてもその先に待っているのは僕の死だ。負けるつもりはない。彼女を取り戻す為に僕は命をかけて闘おう。
取り返そうとしているその剣に例え彼女の魂が宿っていなくても…。
ティエラの肉体を保管しているマナクリスタルに頭を下げてから、足元の魔法陣に魔力を流す。体が光に包まれ、気付けば魔法陣の刻まれた壁画の前にいた。見慣れた石造りの遺跡も見える。空を見れば月が見えた。満月まで後少しだね。
「行くのか、父よ」
声のする方へ視線を向けると石で造られた柱の上に座るシルヴィの姿が映る。僕が注意をしなければ衣服にも気を使わないらしい。胸元と腰を布で巻いただけの装いに目眩がする。アデルが見たら何て言うだろうか?
顔を赤くして服を着ろと怒るだろうな。僕もそうするべきなんだろうが、この先の未来に僕の姿はないだろう。それならシルヴィの好きなように生きて欲しい。僕の娘の分まで人生を楽しんで欲しい。そして、生まれた意味を知って欲しい。
何のために生まれたか今はまだ分かっていなくても構わない。けど、生きていればきっとその答えに辿り着く事は出来る筈だ。
「後のことは託したよシルヴィ」
「妾も共に行こうか?」
「いや、僕の命の捨て場に同胞を巻き込むつもりはないよ。ティエラの剣を取り返したら『テレパス』でベリエルかクロヴィカスに連絡する。彼らから剣を受け取って欲しい」
「あい、分かった。父よ」
「なんだい?」
「悔いなく逝ってくると良い」
「ありがとう」
抑揚のない声に見送られレグ遺跡を後にする。僕の目的と言える勇者パーティーの居所は既に分かっている。タイミングを狙って強襲をかけよう。時を待って確実なタイミングで仕掛けるべきだけど、それまで僕の命が持つとは限らない。さ、行こうか。
「『ゼロス』」
───僕の魔法が勇者パーティーの魔法使いに直撃し、上半身と下半身が真っ二つに割れて地面に落ちた。これで2人目。だけど、これが限界のようだ。
心の臓に痛みを感じて一瞬動きを止めてしまった、その隙を見逃さなかった転生者が飛ばした針が僕の腕に突き刺さる。麻痺とは違う体の中を支配されるような感覚。自分の体を思うように動かせない。これがベリエルの言っていた転生者の能力か…。
僕の体目掛けて転生者の持つ剣が迫ってくる。ティエラの魂が宿った剣だ。避ける事は出来ない。せめて彼女に謝りたいと『テレパス』を使おうとするが対象がいない所為か、能力を発動出来なかった。やはりあの剣に魂は宿っていないのかも知れない。
「すまない…ティエラ」
その剣が僕の胸を貫いた時に能力が解けたのか口が動いた。自然と零れたのは謝罪の言葉だ。剣が僕の心臓を貫いている。同時に自分の能力で気付いてしまった。今、この瞬間ティエラの自我が目覚めたと。
何もこんなタイミングじゃなくていいじゃないかと思いながらも、自分が死ぬまでの短い時の中で彼女に思いを伝えたいと『テレパス』を使った。
何時も通り僕から一方通行。その筈だけど、何故だが彼女の返事が聞こえた気がした。
ティエラにアデルを護る事が出来なかった事を謝った。彼女の力になれなかった事を悔いた。共にミラベルに抗いたかった事を伝えた。魔族の為に一緒に戦えた事を感謝した。話したい事は山ほどあったけど、時は僕たちを待ってくれない。
だから最後に伝えたい事があった。
「『ずっと君の事が好きだった』」
痛みはなかった。目の前が真っ暗になっていく感覚と共に僕の思考はそこで途切れた。
「何もかも報われない、見ていて面白かったわよ」
不愉快な声と共に夢でも見ているような感覚から意識が覚醒した。見覚えのある真っ白な空間。僕が転生する前に1度だけ訪れた場所だ。
目の前にいる神を名乗る女の存在が、記憶の底に眠る不快感を呼び起こした。転生するきっかけもそうだ。本来まだ死ぬはずのなかった僕は彼女の手違いで死んだ。謝罪はあったけど、その言葉に心が籠っていない事は直ぐに分かった。
文句を言いたかったけど、それすら出来ず転生特典として魔法使いの才を貰って魔族に転生した。事の始まりから心を許せる存在ではなかったと思う。
「貴方たち2人は実験の意味合いが強かったんだけど、それでもここまで世界が荒れるとは思わなかったわ。たった2人の存在が世界を大きく変えた。最高だったわ!」
ティエラから事前に聞いてはいたけど、なるほど…これは確かに不愉快だ。彼女の口調から僕たちに対する扱いが見えてくる。
玩具で遊ぶような軽い感覚だ。
「転生者を世界に送るだけだと、何一つ代わり映えのない退屈な日々を過ごす事が多いんだけど。貴方たちの運命を決めるだけでこんなに変わるのね!いい実験結果だったわ!
ありがとね、名も忘れた転生者君。お礼に貴方には昆虫として来世をプレゼントしてあげる」
言葉も発せない。体も動かない。何一つする事が出来ない。心底腹立たしいよ。不愉快な声を聞いて、不愉快な事実を知って、その不愉快な顔を見て僕は何も出来ない。
「バイバーイ」
ミラベルの左手に青白い光が宿る。その光を認識した時、僕の意識は途切れた。
暗闇の中をひたすら走っている。光源がない真っ暗な空間。足元だけが薄らと見える。なんの変哲もない黒い道。道路とは違う。それが何か答えとして導き出せない。
ここはどこだろうか? 何故僕は今走っているのだろうか? 走るのを止めようという気持ちにならない。何故かは知らないが走らないといけない、そんな思いにかられる。
どれくらい走っただろうか。少し息が切れてきた。そんな時に僕が走っている先で光が見えた。そこがゴールだと言うように眩く輝く光。
吸い寄せられるように全力で走った。体が悲鳴を上げているがそんな事は関係ない。この暗闇から抜け出したかった。逃げ出すように光へと飛び込んだ。
「おや、漸く目覚めたようだね」
少し高めの男性の声にパッと意識が覚醒した。見覚えのある真っ白い空間に、見た事がない男が一人立っていた。
手入れがされているのが分かる艶のある黒い髪、短く切り揃えた髪とシミ一つない綺麗な肌から清潔感が伝わってくる。
銀縁の眼鏡の奥に見える左右違う色の瞳。ミラベルと同じ赤と青のオッドアイだ。彼女と同じように彼が着ているのは前世で馴染みのある黒いスーツだった。
「違和感はないかな?先程まで君は昆虫としての生を満喫していた。人として記憶も自我も全て失って生存本能のままに生きていた筈だ」
その言葉に僅かに残る記憶がフラッシュバックする。転生した直後はまだ自我がハッキリとしていた。けど、次第に自我が薄れていき、生存本能のままに生き残る為だけに動いていた。
昆虫として生きるなんて出来ないという思いも気付いたら消えていた、いや、考える事も出来なくなっていたというのが正しいか。
昆虫の脳みそでは元のように思考を巡らせる事も出来なかった。次第に本能に体が引っ張られていった。僕の心も昆虫に成り果てる所だった。
「さて、色々と言いたい事もあると思うけどまずは自己紹介といこう。私の名はクロノス。君のよく知るミラベルの同僚だよ」
柔らかい口調と人の良い笑み、それでも彼の口から出た名前から容易に信用してはいけない結論づけた。クロノスと名乗る男が自分の唇をトントンと叩いている。
「私が自己紹介したから次は君の番だ。名乗ってくれないかな? あぁ!昆虫としての生が長かったから喋り方を忘れてしまったのかな? ほら、私と同じ口がついているからそこに力を入れて喋ってごらん」
「僕の事をバカにしているのか?」
少しイラッとしたのは仕方ない事だろう。思わず口に出していた言葉に自分自身が驚いた。その言葉にではなく、喋る事が出来た事に驚いたと言っていい。この空間にくるのはこれで3度目だが、今まで一度も喋る事が出来なかった。
この空間では僕は喋る事は出来ないと勝手に思い込んでいた。だからこそ驚いてしまった。クロノスが満足そうに笑みを浮かべている。
「喋る事は出来るようだね。なら私からのお願いだ。私に君の名前を聞かせてくれないかな?」
素直に名乗って良いのか分からず躊躇ってしまった。そんな僕の様子を楽しそうに眺めている。目の前にいる男はミラベルと同じ神と呼ばれる存在だろう。油断はしてはいけない。
「僕の名前はコバヤシ。コバヤシ・リュウジロウだ」
「コバヤシ君か、いい名前だね。コバヤシ君って呼ばせて貰っても構わないかな?」
「好きに呼んでくれて構わないよ」
「よし!なら今からはコバヤシ君と呼ばせて貰おう。さて、今君は何が起きているか分からず困惑している筈だ。違うかな?」
「悔しいけど、その通りだ」
僕の返答にクロノスが楽しそうに微笑む。悔しいが、何が起きているのかさっぱり分からない。最後に会ったミラベルによって昆虫に転生した所まで覚えている。
この男が僕に何かしたのか?
「君はミラベルによって昆虫に転生させられた。そこまで覚えているかな?」
「ハッキリと覚えているよ」
「昆虫としての第三の人生を満喫している所、非常に申し訳ない気持ちではあったけど、私がコバヤシ君に用事があったから無理やり魂を引き寄せてここに連れてきた訳だ」
クロノスの言葉だと僕は昆虫としての人生…、虫生?を満喫していたらしい。そんな事はないと否定したいけど、途中が自我が薄れていたのでもしかしてという気持ちになってしまう。
「何の目的で僕を呼んだ?」
「いきなり答えを聞くのかい?こういう時は過程を楽しむんじゃないかな?」
「そんな気持ちになれないから、こうして聞いているんだ」
「なるほど、そういうパターンもあるのか。私もまだまだ勉強不足のようだ。さて、君を呼んだ理由についてだったかな? 簡単だよ、君たちにミラベルをぶっ倒して欲しいからだ」
「は?」
想定もしていなかった言葉に思わず声が漏れた。その様子をクロノスが楽しそうに笑う。不思議と苛立ちは覚えなかった。
「君もミラベルは嫌いだろう?同じだよ。私もミラベルが大嫌いなんだ。あの女のやり方が気に食わない。だから君たちにぶっ倒して貰おうと思ってね」
「そんな事が僕たちに可能なのか?」
「出来ないよ」
速攻で否定された。これには流石にイラッときた。声も出る。同様に体を動かす事も出来た。殴っても構わないだろうか?
「相手は仮にも神だからね、君たち定命の者がどれだけ頑張ってその手が届く事はない。けど、方法がない訳ではない」
「何が言いたいのかはっきりして欲しい」
「私が協力すれば君たちの手もミラベルに届くという訳だ」
コツンコツンと革靴の音を立てながらクロノスがこちらに近寄ってくる。条件反射で身構える僕を見てクロノスが楽しそうに笑う。
「私が君たちに協力する理由を伝えておこうか。ミラベルが嫌いってそれだけの理由ではコバヤシ君も納得出来ないだろう」
納得出来ない?違う。信用出来ないが正しいだろう。神という存在は常に僕たちの敵だった。容易に信用する事は出来ない。
僕とクロノスとの距離は凡そ1メートル程だろうか。歩みを止めて真っ直ぐにこちらを見つめている。
「知っての通り私たち神の主な仕事は死後の魂の管理と世界の調和だ。最高神様によって定められた定命の者の魂を世界へと導き、世界が崩壊しないように調整するのが私たちの仕事だ」
「僕たちが死んで転生する事は予め決められている事だろう?」
「ミラベルから聞いていたのか?話が早くて助かるね。その通り、君たち定命の者の魂は最高神様によって全て定められている。何時死ぬのか、死んだらどの世界へ行くのか全て決まっている。とはいえ完璧という訳ではなく、ちょっとした誤差は起きてしまうんだ」
「誤差?」
「私たち神の神的ミスもそうだけど、新たに創られた世界の影響で魂の流れが崩れる事がある。その魂の流れを正常に戻すのが私たちの仕事だよ」
「書類にインクをぶちまけて本来死ぬ筈のない者が死ぬのは?」
「それは神的ミスだね。最高神様が魂の流れを作ってくれてはいるけど、最終的に魂を動かすのは私たち神だからね。そういったミスも起こってしまう」
神を名乗るならそんなミスを起こさないで欲しい。現に僕やティエラはミラベルのミスによって亡くなった。あまりに理不尽な死に方を未だに納得する事が出来ていない。
「話を戻そうか。私たちの仕事については分かっただろう。仕事を続けてある程度の功績を認められると自分の世界を創る事を許される。創った世界は私たちより上の神によって査定され、評価によって昇格したり昇給したりする訳だ」
本当に神の世界なのだろうか? あまりに人間っぽい社会だと思う。前世の世界が神の社会に近いのだろうか? 考えても仕方ない事かな。卵が先か鶏が先か、この場合は神を人が真似たという可能性が高いと思う。
「ちなみにだが、世界を創る際には資格が必要でね。あらゆる万物のモノを創る『創造』の資格と、あらゆるモノを壊す事が出来る『破壊』の資格。この2つの資格を持っていて初めて世界を創る事を許される」
「それもミラベルが話していたね」
「意外と色々と話しているね。相変わらず口が軽いというかバカと言うか。まぁそれは置いておいて。ミラベルによって君が転生した世界は彼女が創った世界ではないんだ」
「別の神が創ったという訳だね」
「その通り。それはまぁよくある事ではあるんだけど、1つ問題が起きてね」
「問題?」
「先程言ったように世界を創るには2つ資格が必要なんだ。その規則を破って『創造』の資格しか持っていない神が『破壊』の資格を持っていると嘘をついて世界を創った。当然だけど直ぐにバレて創った世界は没収され、創った神も罰を与えられた。その後を任されたのがコバヤシ君のよく知るミラベルだよ」
そこまでは分かった。けど。結局何が言いたいのだろうか? 僕たちが転生した世界はミラベルではない別の神が創った。そして没収されミラベルが後を任された。それが僕たちに何か関係あるのだろうか?
「さて私が話したい事はここからでね。ミラベルが後を任された世界は査定の対象に入っていなくてね」
「つまり?」
「その世界を良くしても評価されず、悪くしても罰が下る事はない。つまり好き勝手出来る玩具を手に入れたという訳だよ。その世界には罰として神も閉じ込められていたかな?自業自得だからそんな奴の事はどうでもいいんだけどね」
心底興味無さそうに吐き捨てたクロノスが、こちらを見て続けるよと小さく零した。
「その世界に流れる魂も、出ていく魂もミラベルが差配する事を許された。手に入れた玩具をどう使ったか君なら分かるだろ?」
言わなくても分かる。何をしても許される世界だから僕たち転生者を使って遊んでいた。最後に会ったミラベルの言葉通りなら僕とティエラはそれこそ最初の実験台と言っていい。
僕が死んだ後もミラベル見つけた玩具がその世界に送られてくる事になる。ミラベルの息のかかった転生者はきっとティエラの障害となるだろう。
「転生者に能力や才能を与える事は神の差配として許されている。けど、故意にその運命を歪める行為は許されていない。規則だからというのもあるのだけど、そういった行為が私は大嫌いでね」
「運命を歪める?」
「呪いだね。あの女は加護なんて口にしているけど、やっている事はただ呪いだよ。コバヤシ君、君にもミラベルから呪いがかけられていた。『報われない呪い』だったかな?君の思いは全て報われないそういった類の呪いだよ」
報われない呪い?
「君の恋心も、娘を蘇生したいという君の思いも、託された親友の息子を守りたいという誓いも全部報われない。君にかけられた呪いが全ての運命を歪めているんだ」
クロノスの語る話を理解するのに数秒要した。難しい話ではない。むしろ分かりやすいと言っていい。けれどその話を受け入れる事は出来ない。なんだそれは。そんな事が許されていいのか。込み上げてくる怒りの感情に任せてクロノスを見る。睨んだといった方が正しいか。
僕を宥めるように優しい笑みをクロノスが浮かべる。
「先程言っただろう、故意に運命を歪める行為は許されていない。バレたら1発で降格処分になる。それくらい許されない行為だ。査定が入る事がない世界だからバレる事はないとタカをくくって好き勝手やっているんだろうね」
「そんな事許していいのかい?」
「本来はダメなんだけどね。追求したら世界そのものを消して終わりだよ。そうなると証拠も丸ごと無くなってしまう。消した理由も、元々規則を破って創られた世界だから簡単に言い訳がつく。『他の世界に悪影響を及ぼすので不要です』とその一言で追求から逃れられる」
「なっ……」
絶句している僕を見てクロノスが楽しそうに笑う。
「君たちが相手にしようとしている神という存在はそういう理不尽の塊なんだよ。言っただろう定命の者では手が届かないと。けど、私の協力があればその手は届くんだ」
「何故僕たちに協力しようとする?」
クロノスがミラベルを嫌う理由はそんな簡単なものだろうか?転生者に呪いをかけて故意にその運命を歪める、その行いは許す事は出来ない。そんな強い口調だった。そういった行いは確かに嫌いなのだろう。けど、それがミラベルを嫌う理由とは思えなかった。
不正を許す事が出来ないほど正義感に溢れているなら納得出来るけど、クロノスは違うと思う。彼からはそんな正義感は伝わってこない。もっと別の私情が動機だと伺えた。
「私がコバヤシ君に協力する理由は簡単だよ。ミラベルが大嫌いなんだ。許せないんだよ。私のモノを盗ったあの女が」
「ミラベルが盗った?」
「そうだよ、あの女が横から掠め盗ったんだ。私が最初に目を付けていたというのに…。
カイルは私の世界で主人公を張る予定だった!幾百の転生を繰り返し磨き抜かれた魂は宝石のように美しかった!彼だけが放つ輝きがあった!彼が私の世界に転生していたならきっと最高の世界になったに違いない!その確信が持てたからこそ首を長くして待っていたよ!彼の次の転生先は私の世界だったからね。それをあの女が歪めた。
本来なら私の元にくる筈だったカイルの魂の流れを変えて自分の手元に持っていった。規則違反なんてどうでもいい、私のモノを奪ったあの女が許せないんだ」
狂気すら感じるクロノスの言動に言葉を無くす。執着、あるいは独占欲と言うべきかな。僕に向けられた感情ではないと分かっているけど、クロノスから発せられるその感情はおぞましいの一言に尽きる。
彼を見るとミラベルに玩具のように扱われるのがまだマシに思えるかも知れない。神に見初められた人間がどうなるか、その答えはかつての世界の神話の物語が示している。クロノスが語るあの子とやらが誰かは知らないけど同情するよ。神が向ける執着は一個人が受け止められる大きさではないだろう。
「あの子を取り戻すためなら何でもやる。規則違反ギリギリの行為でもね。だからコバヤシ君、君を引き上げた。君の人生を歪めたミラベルに復讐したくないかな?」
「…………」
「私の事を信用出来ないのは分かるよ。でもこの機会を逃せば君はまた昆虫としての一生を過ごす事になる。こうして選択肢を提示しているけど、その実は君が選ぶ択は1つだよ」
「僕が昆虫としての生を選べばそうはならない」
「君に出来るのかい?想い人を見捨ててまでエゴを貫く事が…。君の想い人は今もミラベルに抗う為に1人闘っているよ」
「……っ!」
ティエラを引き合いに出されれば僕が取れる選択肢は確かに1つだ。素直に頷くしかないのが腹立たしい。全て分かった上で僕を選んだのだろう。クロノスの提案に乗ればミラベルの掌の上から抜け出す事が出来るかも知れない。けど、それはミラベルからクロノスへと変わるだけ。また別の神の掌の上に乗る事になる。神に弄ばれるだけの一生…か。
反抗心に従って断る事は簡単だ。そうした場合、僕に何が待っている?クロノスの言う通り昆虫としてまた生きる事になる。また全てを忘れて、自分だけ逃げてそれで満足だろうか?
心が違うと否定する。僕は満足して死んだ訳ではない。ティエラの肉体を蝕む毒を解毒する事も出来ず、魂の宿った剣を取り返す事も出来ていなかった。未練しかない死に様だった。
クロノスの提案は僕に施された最後のチャンスかも知れない。
「分かったよ。クロノス、貴方の提案に乗ろう。僕は何をしたらいい?」
「最高の返答だね。同じ思いを掲げる協力者がまた出来た訳だ。最終目的はミラベルをぶっ飛ばす事だけど、それを行うには幾つかの過程を踏まないといけない」
「なら、最初に何をしたらいいかな?」
「最優先でしないといけない事を君に伝えるよ。コバヤシ君、君が成すべき事は ミラベルから世界の所有権を奪う事だ」
「世界の所有権を奪う?」
クロノスが言っている事が理解出来ない訳ではないけど、それが可能なのかという疑問が浮かび上がってくる。不敵な笑みを浮かべるクロノスを見れば、不可能という訳ではなさそうだ。
「世界の所有権を奪わないとミラベルに世界を消されてしまうんだ」
「その言い方だと世界の所有権を奪えば世界は消されないと解釈してもいいのかな?」
「それで合っているよ。消す事は可能だけど、所有権を持っていない場合は幾つかの手順を踏まないといけない。その中になかなかに面倒な手続きもあってね、めんどくさがり屋なミラベルではやったとしても時間がかかる」
「時間はかかるけど消せない訳ではないんだろう?」
「そうだね、君の言う通り消す事は出来てしまう。けど、目的はその時間を稼ぐ事なんだ。
ミラベルが世界を消すために悪戦苦闘している間に、彼女が行った不正を上に報告する。決定的な証拠がある以上、君たちの世界を私たちの上司が確認すればそれだけで全てが終わる」
「世界の所有権を奪わない状態では、クロノスが上に報告してもダメなのかい?」
クロノスの表情から問いかけの答えを得る事が出来た。分かりやすい渋面だ。不愉快そうに首を横に振っている。
「今の状態だとスイッチ1つで世界が消せる状態なんだ。不正を確認しに来た瞬間に消すよあの女なら。所有権を持っている状態なら消すまでにかかる時間は1秒とない」
「消されると困る訳だね」
「そうだよ。不正の証拠が無くなるのも痛いけど、世界を消されるとその世界に存在する魂も全て消滅してしまうんだ。カイルを取り返したいから、出来ればそれは避けたい」
クロノスの動機は一貫している。お気に入りの魂の持ち主を取り返したい。それだけだ。クロノスの執着はその一人に向けられている。僕もその執着に巻き込まれた訳か…。
ミラベルが行った不正というのはクロノスが語っていた『故意に転生者の運命を歪める行為』が該当すると見ていい。もしかしたら他にあるかも知れないけど、それは僕が考えても仕方ない事だ。
つまり僕がしないといけない事はクロノスとその上司がミラベルの不正を暴くまでの時間稼ぎをする事。言葉にすると簡単に見えるけど、それを実行する事は本当に可能なのだろうか?
道具の所有権を奪うのとは訳が違う。僕が奪わないといけないのは世界そのものの所有権。神だけが持つことを許された所有権だろう。
「話を戻すよ。不正が発覚すれば当然だけど罰が与えられる。私は上に便宜を図ってその罰を与える権利を貰うつもりなんだ。私の今まで功績から考えればそれ自体は容易い事だと思う」
「罰の権利を貰ってどうするつもり?」
「それは後のお楽しみというやつだよ。私が最初に伝えたミラベルをぶっ飛ばす事に繋がると思ってくれていい」
それ以上語るつもりがないのは言外に分かった。追求したとしても時間の無駄かな。それなら有意義な会話をした方がいい。
僕が聞くべき事は世界の所有権の奪い方だ。僕の知識を持ってしてもその方法は思いつかない。考えたこともなかったから仕方ないと言えば仕方ないだろうか。
「それなら世界の所有権の奪い方とやらを教えて欲しい。やり方が分からなければ何も出来ない」
「そうだね。幾つか手段はあるけど1番手っ取り早いのは『世界の記憶』を使う事だ。世界を創る際に神が一番最初に創る世界の核と言えるモノでね、使えば世界に記憶されている歴史を書き換える事が出来る。
『世界の記憶』を使って世界に記憶された所有権を書き換えれば、ミラベルから所有権を奪える」
「肝心の『世界の記憶』は何処にあるんだい?」
クロノスが顔を顰めた。知らないみたいだ。彼が僕に何をさせたいかを理解した。
「残念ながら何処にあるかが分かってなくてね、最初に世界を創った神が何処かに隠したみたいなんだ。ミラベルも何処にあるか分かっていない」
「僕にやらせたい事は『世界の記憶』を見つける事でいいかな?」
「そういう事になるね。コバヤシ君に『世界の記憶』を探して欲しい。見つからない場合は他の手段を伝えるから、安心して欲しい」
簡単には見つからないだろうね。腐っても神であるミラベルが見つけられていない。クロノスも知らない。『世界の記憶』を探す唯一の方法があるとすれば、それはこの世界を創った神から聞き出す事。
天界に居るとされる神に会う方法から探す必要がある…。クロノスに視線を向ければ左手につ付けた腕時計を見ている。聞きたい事があったけど、どうやら時間はあまりないようだ。
「あぁ、すまないね。しっかり説明したい所なんだけど、私も仕事があるんだ。ここからは手短に説明するよ。聞きたい事はまた改めて聞いて欲しい」
「分かった。後で必ず答えて貰うよ」
「今から君を転生させる。その前に聞いておくよ、魔族としての転生するか人間として転生するかどちらがいいかな?」
「僕は魔族である事を望む」
「人間じゃなくていいのかい?魔族としての転生すればまた隠れ潜む事を強要され、世界の敵として見られる事になる。不自由な生活を送ることになる。選択肢があるなら魔族以外を選ぶべきだと思うけど」
「僕の心は既に魔族の為にある。共に立ち上がった同胞を見捨てるような真似は出来ない。それにティエラを1人にする訳にはいかない」
人としての生きた人生よりも魔族としての生きた年月の方が長い。耐え難い迫害の記憶も、人間たちとの戦いの記憶も全て刻み込まれている。僕の心は既に魔族として染まっている。今更人間としての生きるのは難しいだろう。
それこそ記憶を消さなければ僕は罪悪感を背負って生きていく事になる。後悔だけはもうしたくない。
「分かったよ。魔族としての転生させるなら君の生前の体の方が都合がいいだろう。カイルが生きている時代は君の死後から1000年以上経っている。魔族の数も減っているから、転生させるにしても枠がなかなか見つからなくてね」
「1000年以上も過ぎているのか」
僕が思っていた以上に時の流れが早い。昆虫として生きている時間が思ったより長かったのだろうか。あるいは時の流れが違うとか? 考えた所で答えには辿り着けない。
あれから1000年…。ティエラは今も1人でミラベルに抗っている可能性がある。彼女の性格は長年の付き合いで分かっている。一矢報いると決めたのなら彼女は諦めないだろうな。
どんなに不利でも絶望的な状況でも彼女は活路を見出してきた。彼女が今も抗っているならそこに僕も加わろう。
「君の体を蝕んでいた心臓の病も毒も、ミラベルが与えた加護も全て取り除いてある。君の全盛期の肉体で万全な状態で送り出すことを保証する」
「感謝するよ」
「能力はどうする? 転生者に与える事が出来る能力は1人1つ。ミラベルが与えた能力を破棄するなら、代わりに私が能力を与える事も出来るけど」
「能力はこのままで構わないよ。奴隷から立ち上がった時も、人間たちとの戦いでも僕はこの能力に救われてきた。ミラベルに与えられたというのは癪だけど、僕は『テレパス』を信じているからね」
この能力がなければ秘密裏に魔法の知識の共有は出来なかった。『テレパス』がなければ反逆の為に立ち上がる事も出来なかったかも知れない。
いや、ティエラなら1人でも立ち上がっただろうな。今よりずっと厳しい闘いを強いられていたとしても。
「いい返答だよ。実に私好みだ。今から君を送り出す。時間を作って、またコバヤシ君に会いに行くから聞きたい事はその時に聞いて欲しい」
「ミラベルと同じようにかな?」
「そうなるね。直接地上に降りる事が出来ないから夢の中になると思う。あぁ、それと言い忘れていた事があった。
君以外にも既に送り込んでいる者もいるんだ」
「僕以外にも?」
「共通の目的で動いているけど無理に協力をする必要はない。まずは『世界の記憶』を探して欲しい。出来る限りのサポートはするよ」
教える気はないのかな。同じ転生者である事は予想出来るけど、彼の言い方から察するに魔族ではないと思う。それに彼は何か企んでいる。
神を信用出来ないのはこういう所だ。肝心な部分を話さない。ミラベルをぶっ飛ばす為に彼を利用をするけど、彼の語る言葉全てを信じてはいけない。同じ轍は踏まない。魔族の為に神を利用する。
「それじゃあ送るよ。次は後悔のないように」
僕の視界が真っ白に染まっていく。体の感覚が少しずつ無くなる感覚に嫌悪感を覚えながら、次を見据えて思考を巡らせる。
クロノスの言葉通りなら僕の死後から1000年の時が経過している。そこは残念ながら魔族が望んだ未来ではないだろう。数を減らしながらも今もまだ魔族は戦いを続けている。
やっぱり人間とエルフは邪魔だね。魔族の立場を確立するには2つの勢力を滅ぼさないといけない。生半可な方法では彼等を滅ぼすのは不可能だ。それは今までの戦いで分かっている。二度と立ち上がれないくらいの敗北を与えるしかない。
「ミラベルが鬱陶しいな」
僕たちが動けば間違いなくミラベルが立ち塞がってくる。彼女に抗おうとしても最悪の場合を想定すれば僕たちは何も出来ずに世界ごと消される事も有り得る。
魔族の繁栄のため、転生者たちの未来の為にミラベルを陥れよう。
『世界の記憶』。まずはその在処を知る事からだ。
クロノスやミラベルすら知らないその隠し場所を探すなら隠した本人に聞くのが早いけど。この世界を創った神…か。
───神を殺すのも一つの手だ
情報を聞き出せばその後は用済みだ。神を殺す方法はティエラと共に考えてある。ミラベルにそれが通用するか実験台としても丁度いい。
まぁ何にせよ現状の把握が最優先だ。1000年の月日による変化は著しいものだろう。世界の情勢がどのようなモノに変わったか知る必要がある。
「魔族は悪だ。それは認めよう」
世界にとって僕たちという存在は悪だった。世界の大多数を支配していたのは人間とエルフだ。数は力であり、力とは正義だ。力を持たない弱者は常に強者に言い様に扱われる。抑圧する立場から解放される事を望んだ。それが悪だと言うなら僕たちは悪でいい。
「僕たちが始めた戦いは僕たちが終わらせる」
魔族の中には争いを好まない者もいた。僕たちが起こした反逆に巻き込まれた者もいた筈だ。戦場に身を置かずに済んだかも知れない。終わりの見えない戦いの為に命を落とす事もなかっただろう。悪として魔族が見られる事はなかった筈だ。
それでも奴隷として抑圧される立場でいるよりはずっといい。あの時の魔族に未来などなかったのだから。種族全体の思いが一つだったからこそ僕たちは立ち上がる事が出来た。
クロノスに人間としての転生も提示されたけど、同胞達を見捨てるような事は出来なかった。人間として生きた一生よりも魔族として生きた一生の方が長い。
生きた年月が全てとは言わない。それでも魔族として生きた一生は僕の価値観を変えるには十分過ぎる程に濃い一生だった。その最後は納得出来るものではなかった。
「魔族の未来の為に僕は巨悪になろう」
世界全てに恨まれても構わない。そこにティエラや魔族が笑って暮らす未来があるのなら、僕はこの身全てを犠牲にしよう。もう二度と後悔などしない。
かつて人間だった僕はこの場に捨てていく。僕は魔族の一人『校長』のコバヤシとして、悪として人間とエルフを滅ぼす。それが僕の生きる意味。ミラベルにだって邪魔はさせない。
───もう一度始めよう。僕たちの反逆を。
校長先生のNEW GAMEです。
思ったより長くなったので前編後編で分けております。
前編後編合わせると4万字近いかな?
後編はコバヤシ先生が再転生した事により、世界に起きた影響を描きます。
また、コバヤシは魔族として生きる事を選んでいるので、人間やエルフの敵になります。
ミラベルという共通の敵がいるのでカイルと協力しますが…最終的に敵対するでしょうね




