142.物質変換
空を見上げれば生い茂る木々の間から微かにだが、月の姿が見えた。満月まであと少しといったところか。
耳をすませば聞こえてくる虫の鳴き声、遠くの方で獣の遠吠えの声も聞こえた。喧騒とは違う自然の声。良い夜だな。
「タングマリンを超えてジャングル大帝に入ったはいいが、道程は長そうだな」
ポツリと零れた独り言に反応する者はいない。夜も更けた。今この場で起きているのは俺だけだ。
話し相手にと期待していたデュランダルも気付けば寝ているのか、話しかけても反応はない。一人の夜に寂しさを感じるが、この機会に起きた出来事を整理しようと思考を巡らせる。
───首長との謁見⋯⋯及び王宮で暴れたメリアナが逮捕された日から20日ほど月日が経過した。
現在の場所はジャングル大帝北部、タングマリンの国境を越えて5日ほど南下した位置といったところか。場所が大雑把なのは大目に見て欲しい。右を見ても左を見ても似たような景色が続く、深い森───国の名前が表すように前世でいうアマゾンのジャングルのような土地は不用意に入り込めば方向感覚を狂わせる。本当に南下しているかどうかすら怪しいものだ。
ジャングル大帝出身であるトラさんがいなければ俺たちはとっくの昔に迷子になっていただろう。トラさんには感謝しかない。
整備されて道がどれだけ有難いかを再認識させられたな。
「お疲れ様、トラさん」
日中の疲れを癒す為に焚き火の傍で丸くなって眠っているトラさんに、この声が届く事はないだろうが感謝を伝えたくて言葉にする。
道案内もそうだが、魔物との戦闘もトラさんが率先して行動してくれたお陰で被害は一切ない。その分トラさんに無理をさせている気がしてならない。
他の仲間たちは教会が開発したテントで休んでいるので、一緒に休んだらどうかと提案したが断られた。
外で寝ている方が魔物が近付いてきても察知しやすいのと、最低限の睡眠が取れたら俺と交代する為だそうだ。一晩くらい寝なくてもパフォーマンスが落ちる事はないから、気にする必要はないんだが⋯⋯、トラさんのせっかくの厚意だ、素直に受け取っておこう。
余談ではあるが、ノエルが仲間たちと一緒のテントで眠っている事に感動を覚えた。親しくなったとはいえ、なんだかんだ一人で眠る事が多かったんだがな。
目的地までの道程は困難だから少しでも休息を取れるようにと、仲間の事を気遣ってノエルがテント等を手配し、準備してくれた。彼女の成長を感じる。
旅を始めた頃だったら一人だけテントを張って寝ていたな。ちなみに煩いという理由で、メリアナだけ追い出されそうになっていた。
そんな訳で焚き火の傍で眠っているトラさん以外の仲間は近くにはいない。何時もなら酒盛りをしているサーシャですら疲れて眠っているのだから、ジャングル大帝の悪路がいかに大変か伝わるだろう。いや、サーシャの場合は単純に体力がないだけだな。他の仲間はケロッとしていた。
何だったら勇者パーティーの一人でも、騎士でも何でもないただの貴族の令嬢にすぎないメリアナの方が元気だ。険しい道が続くので文句の一つでも言うかと思えば、そんな事もなく鼻歌交じりに歩いていた事からこの令嬢の異質さが伝わるだろう。お前、本当に貴族の令嬢か?
ここまでの道中でもそうだが、タングマリンを出立するまでにも色々な事が起きた。まず一つ目、語る必要性すらない気もするがメリアナが捕まった。王宮に入ろうと衛兵たちをちぎっては投げちぎっては投げを繰り返した結果、魔法によって拘束され連行されていった。
その場で対応する事も出来たがメリアナには一度反省して貰った方がいいと判断して、1日放置した後にいつものようにお金で解決して釈放して貰った。
二つ目、手紙の内容と首長との謁見の事でノエルの意見が聞きたくなった俺は教会まで向かい相談に乗って貰った。首長とのやり取りも突然のように盗聴していたので、話は非常に早かったな。
開口一番で手紙を見せるように言われ、素直に渡せば『これはダルの手紙ではないよ』と速攻で否定してくれた。それ素直に嬉しかったな。
ノエルも言っていたがドワーフの国の動向には気を向けなければいけない。特に、因縁があるのはエルフだ。アルカディアが動けない以上、何が起きても可笑しくはない。俺の意見としてダルの傍にはエクレアがいた方がいいと思っている。ノエルも同意してくれた。
ダルが怪しいというよりも、アルカディアや勇者パーティーを崩す為にダルの元にドワーフ⋯⋯あるいは魔族が接触してくる可能性が高いと考えたからだ。不幸中の幸いは、ダルの出自がドワーフと魔族の両方に気付かれていない事だろう。
王族と魔族のハーフである事がバレれば、それが戦争の火種になる。過去の前科が重くのしかかっているようだ。回りに回ってダルの元に返ってきている感じだ。
もう一通の手紙───『魔王の手紙』は俺が期待するような内容ではなかった。名も知らない魔族の部下に向けて魔王が書いた指示書といったところか。当時の情勢が伺えるだけで俺が欲していた情報は入手出来なかった。
既に分かっていると思うが、仲間の字ではなかった。用心深い魔王の事だ、字を変えるか崩すかはしているだろう。最悪の場合、代筆も⋯⋯その場合はもう手紙に証拠として期待するのは無理だな。
それでも進展がなかった訳ではない。ノエルが教会の伝手を使って本国や、教会に献上された手紙を集めてくれている。タングマリンを出る前にノエルの元へ訪れた教会の使者が、報告と共に四通の手紙を持ってきていた。
先立って持ってきた物らしく、かき集めればまだあるだろうと。これで『魔王の手紙』は五通だ。内容は全て確認したが、結果は同じだ。
テスラも言っていたがこればかりは数を集めて一つ一つ比べるしかない。ノエルの怪訝な反応が少し心に来た。
『こんな物君が見たって仕方ないだろう』と。中身を読んで分かるのは当時の情勢くらいだろう。魔王の居場所を見つける為のヒントになるかと思ったと返しはしたが、鼻で笑われたな。
三つ目、時間がある時にサーシャとお酒を飲んだ。その席で世間話として彼女からも少しだけ話を聞く事が出来た。
サーシャが産まれたのはタケシさんの死後、最後の逢い引きの際に出来た子供らしい。幼少期の頃の話は思い出すのが大変なのよと笑っていたな。
俺たち数十年前の記憶を思い出すのとは訳が違う。数百年⋯⋯それこそサーシャの場合は500年か。記憶が薄れているわよと、言いながらもサーシャは話してくれた。
───病に犯されながらも懸命に育ててくれた事に感謝はしている。けど、サーシャを通して自分ではない誰かを見ているような目が嫌いだった。
現実から逃げるようにお酒を飲んでは酔い潰れて眠る母親を見て、あたしは飲まないぞと誓ったそうだ。なら、その誓いを守れよ強く言いたい、なんでそんな誓いをしながらアルコール中毒になってんだよ。ツッコミを入れたの仕方ない事だ。
気になった事と言えばマクスウェルの元までサーシャを送り届けた人物だろう。クロヴィスとかいう名前だったか?サーシャもそれ以来会っていないから今はどうなっているか知らないと言っていた。何故かは知らないがその男の事が妙に引っかかっている。
四つ目、マクスウェルを通してコバヤシから手紙が届いた。その内容を簡潔に言ってしまえば、会談の場所を見つけたよ、日程を決めて落ち合おうよ、といった感じだ。
場所も明記されていたな。場所は『クロ遺跡』と呼ばれる遥か昔から存在する遺跡のようだ。手紙と一緒に同封されていた地図は誰かさんと違って非常に分かりやすい。
先生は教員だった事もあり、こちらに伝わりやすいように文章を書いてくれているから本当に助かるな。聞いているか、タケシさん。貴方の事だ。
それはさておき、今の優先順位は世界樹及びディアボロが上だ。こっちを対処しなければミラベル以前に世界が終わる。もう一度タングマリンに戻った際に連絡すると、返信用の手紙を書いてマクスウェルに渡しておいた。
こちら側の会談の手段としてディアボロの事も記載しておいたが、先生はディアボロの存在を知っているのだろうか? 知っているだろうな。そんな気がする。
最後にタングマリンを出立する前日の出来事。モウデ・バンナイヨが脱獄したそうだ。ジャングル大帝に向かう前に呼び出されたから何事かと思えば、要件がそれだけだったので拍子抜けしたな。マルコスが貴様たちが手引きしたんだろうとか喚いていたが、首長が一喝して終わった。
ただ、去り際にしっかりと釘を刺されたな。裏切り者の可能性がある以上、しっかりと見張っておくようにと。心には留めておこう。
その他にもテルパドーラにお酒を持って行ったら一日で飲み干していたとか、マクスウェルの本をサーシャがお酒で汚して師弟による喧嘩が勃発したとか、色々な出来事があったが些細な事なので置いておくとしよう。
───以上がタングマリンを出るまでに起こった出来事だ。
「⋯⋯⋯⋯」
旅の道中の方が平和だな。王都と違って道を歩いていれば魔物と出会し、戦闘になる事も多いが倒したら終わりだから話は早い。人に迷惑をかける事もないしな。
ジャングル大帝の領地に入ってから道は険しくなり、悪路から疲労は溜まるがそれでもタングマリンで騒動に巻き込まれるよりはマシな気がする。
「ん?⋯⋯あぁ、そういえば忘れていたな」
風に吹かれて揺れる焚き火の炎を眺めているとふとある事を思い出した。鞄を漁って中から取り出したのはタケシさんが書いた手紙である。端の方に小さく書かれた『炙り出し』が憎たらしいが、今回のお目当てはコレである。
───炙り出しとは、乾燥すると無色となる液体で文字や絵を書き、熱を加えて文字や絵を表示させる技法の事だ。一度はやった事がある者も多いんじゃないか?
古典的ではあるが、炙り出しによってタケシさんが伝えたい本当の文章が浮かび上がってくるかも知れない。
焚き火に手紙を近付け炙り出しを試しているが、一向に文字が浮かび上がらない。炎に近付けてみたり、遠ざけてみたり、炙る位置を変えてみたり、色々と試してみたが変化はない。
「⋯⋯⋯⋯ふぅ」
込み上げてきた感情を抑える為に大きく息を吐く。タケシさんに遊ばれたか? 結論付けるのは早い気もするが、手紙に変化がないからな。
これ以上は時間の無駄だと判断して手紙を炎の傍から遠ざけた時、変化が起きた。
「これは⋯⋯」
文字が浮かび上がるだけなら驚きはない。俺が驚いた理由は手紙が形を変えたからだ。
「『物質変換』ですね」
「起きていたのか?」
「えぇ、周りに人がいるので静かにしていただけですよ」
俺以外には聞こえないように配慮しているのか小さな声だ。こうしてデュランダルと言葉を交わしている間にも変化は進み劇的に姿を変える。
たった一枚の紙切れだった物が分厚い本へと様変わり。摩訶不思議な光景だな。
───土属性の最上級魔法『物質変換』
名が表す通り物質を取り替える魔法だ。原理を説明したいところなんだが、俺も説明出来るほど理解していない。二つの物質に魔法をかける事で、特定の条件下で物質の切り替えが出来るとか、そんな感じの魔法だった筈だ。
確か、魔法をかけた時点で二つの物質が合体して一つの物になる。元となる物質は選べる筈だ。
今回の場合は手紙と本が合体して、元の物質として手紙を選んだ。特定の条件下は『炙り出し』だろうな。火に炙る事で条件が満たされ、手紙が本へと変換された⋯⋯そんなところか?
おそらく逆も出来る筈だ。
「前のマスターの日記ですね」
「日記?タケシさんのか?」
「はい。毎晩寝る前に書いていたのを覚えています。懐かしいですね」
人の日記を勝手に読むのはどうかと迷いはしたが、わざわざ手間をかけて残した物だ。見る事に意味がある気がする。
表紙を捲り一ページをその目に映して、目眩がした。汚い字が並んでいる。パラパラと日記を捲っても文字の上達は見られない。
非常に見にくいが、我慢して読み進めるしかないのか。
──年 ──月 ──日 晴れ。
某五歳でござる。義理の父親であるマックス殿から魔法の日記を貰ったでござるよ。何でも偉大な魔法使いが作った日記らしく、理論上無限に書き込む事が出来るとか!
おほー!何たるマジックアイテムか!某、興奮してきたでござるよ!せっかくなので今日から毎日起きた出来事を日記に書き記していくことにしたでござる。
記念すべき一日目はこの本を貰った以外特に何もなかったでござるからなー。代わりに転生して間もない頃の話でも書くでござるかな。
某の両親は山賊でござったよ。産まれて直ぐに察したでござるな。これはマズいと。案の定捨てられたでござるよ!義理の父親であるマックス殿に拾われなければ某の冒険は終わるところでござった。
この先、二度と名乗る事はないと思うでござるが、一応この世界の両親が某に唯一与えてくれた名前を日記に記しておくでござる。
───クソビッチ・ゲリュート。
何たる名前でござろう。主人公に相応しくない名前ゆえ、二度と名乗る事はなし!
前世の名前を引き継ぎ、某は合田 武としてこの世界で生きていくでござるよ!
───タケシさんが前世の名前を名乗っている理由が分かった気がする。
「あれ、もう読まないんですかマスター」
「字が汚すぎて目で追うのに疲れたんだ。それにあまりに分厚くて読む気が失せてな」
「その日記は前のマスターが5歳の時から毎日書いていた物ですからね。二十数年の出来事を書き記しているとその分厚さにもなりますよ」
広辞苑の三倍の分厚さはありそうな日記を見て、無言で閉じた。さて、本を手紙に戻す条件を探すか。このままだと邪魔だ。




