Episode5.デュランダルの憂鬱 前編
───眠れない夜が続いている。
理由は分かっている。怖いからだ、カイルに私の事を伝える事が。今まで築いてきた関係性が壊れるかも知れない。カイルから嫌われるかも知れない。その事実をただ恐れている。
伝えるメリットはなんだ? 伝えるデメリットはハッキリしている。ならばメリットは?
ミラベルがしてきた事に信憑性を付ける為か? それならばタケシの残した言葉だけで足りるだろう。タケシに対する信頼はカイルを見ていれば分かる。しっかりした証拠があれば疑う事はまずない。
タケシが転生者の為に各国を駆け回り資料を集めていたのをこの目で見てきた。多くの学者に話を聞き、知見を広めていくのを共に聞いていた。タケシの言葉に重みを乗せるには十分な証拠だ。タケシの積み上げてきた努力は信頼という形でカイルをこちら側に引き寄せる事が出来るだろう。
私の事を言わなくてもミラベルを敵視する事になる。共に戦ってくれる筈…。伝える事のメリットがない。
「……………」
ベッドの上で静かな寝息を立てるカイルがいる。あまりに無防備だ。ここがエルフの国だという事を忘れているのか?
あの種族のしてきた事を考えれば私は心を許して眠る事など出来ないだろう。神聖さ主張する裏側で毒や暗殺を平気で行う陰湿な種族だとカイルは理解しているのだろうか?
エルフは私たち魔族の事を嫌っていた。憎んでいた。同時に共闘関係にあった人間の事も嫌っていた。邪魔だったからだ。
エルフが支配する世界を作るにはあまりに強大な力を人間達が持っていた。私たちの相手をする裏側で人間の国の有力な魔法使いを攫っては拷問や薬で知識を引き出し、魔族の仕業と見せかけて殺していた。
その尻拭いを押し付けられ、強勢となった人間共と何度も戦ってきた。あの連中からすれば共倒れこそが望ましかったのだろう。
永き時の流れでエルフの考え方も変わったと言うのだろうか?少なくとも500年前…まだタケシが生きていた時代はエルフによる世界統一の野心を感じ取れた。
「……………」
羨ましいと思えた。カイルに好意を向けられているあのエルフが。憎らしいとすら思った。
この刀身では何も出来ない。カイルと話す事は出来ても触れ合う事も愛し合う事も出来ない。私に出来ない事が出来るあのエルフが憎たらしい。
カイルと結ばれる事が決まっているあの阿婆擦れがただただ忌々しい。幼少の頃に無理やり押し付けた婚約でカイルを縛り、その心を自分のモノにしようとしているのが許せない。
狂気でカイルの思考を止めて関係を築いた事が腹立たしい。
「……………」
分かっている。ただの嫉妬だ。その感情が自分が卑しい女である事を実感させ、殺してやりたいくらいに見苦しかった。
───魔王として生きてきた。種族の為だけに戦ってきた。多くのモノを犠牲にして私の信念を貫く為に戦ってきた。
テスラもアデルもいた。そこに愛があったかと問われれば、なかったと言える。
いや、今心に蓋する必要はないか。愛していた。テスラもアデルも私にとって大切な存在だった。二人とコバヤシと、同胞達と世界を変える為に戦った事に後悔はない。
同時に失うモノの多い人生だった。テスラを目の前で失い、戦友はデュランダルを取り戻す為に戦い命を落とした。
大切なアデルに私の後を押し付けてしまった。私が魔王でなければアデルがイバラの道を進む事はなかっただろう。
何もかもミラベルの掌の上と考えると腹立たしくて仕方ない。必ずあの女に一矢報いてやる。
タケシと出会えたの幸運だったな。あの男の協力がなければカイルと共にミラベルに立ち向かうビジョンは浮かばなかった。
私だけではカイルがミラベルに丸め込まれていた可能性が高い。それだけ私が魔王である事実は重たい。伝えれば今までの関係は砂の城が崩れるように簡単に無くなるかも知れない。
───伝えるメリットはなんだ?
自分の中で内省する。やはりどう考えてもメリットがない。伝えない方が今までのようにカイルと関係を築く事が出来る。
敵対する事もなく共にミラベルと戦えるだろう。
「今までと同じか…」
零れ落ちた声にカイルが身動ぎしたが、起きる様子はない。色々と心労の溜まる出来事が多かった。カイルがゆっくり休めている事に安堵する自分がいた。
「……そうか」
私はカイルとの関係を変えたいんだ。今のままの関係が嫌で、剣ではなく私を見て欲しいのか…。
ふふふ、どこまでも卑しい女だな、私は。
「私は幸せになりたいのか?」
夢の中のテスラとのやり取りが脳裏を過ぎ去っていく気がした。あのバカは自分の感情に蓋をしてまで私の背を押そうとしていた。
私の幸せを望んでいると。今の俺では私を幸せには出来ないと。そんな事はないと反論出来れば良かったんだがな…。結局、テスラに伝える事は出来なかった。ただ一言、言うことが出来ていれば変わっていたか? いや、変わらないだろうな。あのバカは妙な所で意思が硬い所がある。
───幸せか。
考えた事もなかった。思い出すのも難しくなるほど時が流れたが前世の私は幸せになろうとしていた。それが本当に幸せだったのかどうかは今の私では分からない。
幸せとはなんだ?結局は個人の感性であろう。自分にとって望ましい状態を差すのであれば今世において幸せなど感じた事はない。
「だからこそ、私に幸せになって欲しいのだな…テスラ」
だから私の背中を押そうとする。俺の事を忘れろと何度も口にする。
「……………」
カイルの姿が視界に映る。自分にとって望ましい状態。それが何か夢想する。その時に浮かんだ光景はどこまでも愚かで、あまりに浅はかな女の自分だった。
───カイルに愛されたい。
テスラから沢山の愛を受け取っておきながら、ろくに返す事をしなかったバカな女が愛されたいと想ってしまった。この身が自由に動くならば今すぐにでも自決したい所だ。
「カイル…」
カイルに出会ったその時から彼に惹かれていく自分がいた。そんな私の想いを察したからこそテスラは…。
「何故、お前に惹かれるのだろうな」
同郷の者だからか? 同じ世界の同じ境遇の者だから、カイルにここまで惹かれるのか?
違うな。それならばコバヤシもそうである筈だ。カイルよりも長く苦楽を共にした。そうであるのならば同じように惹かれている筈だ。別の何かが原因。
一つ思いあた事があった。この世界の神が言っていたか、『縁』だと。
カイルが築いてきた『縁』が大きな力となって今、この世界を変えようとしている。
その『縁』はきっとこの世界だけでも、前世だけでもない。数え切れない複数の世界から築かれたものだろう。その『縁』とやらが私にも影響を及ぼしているのか?
あるいはその魂か…。
───コバヤシから『テレパス』で連絡があった。
6代目となる勇者パーティーだが、勇者であるエクレア以外の5人に『テレパス』を使う事が出来るとコバヤシは言っていた。これまでに多くの勇者パーティーを見てきたがここまで歪なのは初めてだな。勇者以外という事はカイルもか?
だからと言ってカイルが同胞だと喜ぶ事は出来ない。身近でカイルを見て接してきたからこそ分かる。カイルは魔族ではない、人間だ。それはあのエルフの小娘も同じ事。
魔族には決して適正のない聖属性を使えるノエルと、『審判』を受けても影響のなかったカイル。それだけで魔族ではない立証となる。ならば何故コバヤシの『テレパス』が二人に届くのか?
コバヤシの『テレパス』は肉体ではなく魂に関与して言葉を届けているんじゃないか?一つの仮説として浮かび上がったものだが、強ち間違いではないだろう。
魔族の肉体を持つシルヴィに対してコバヤシの『テレパス』は届かない。生前のシルヴィには届いていたにも関わらず。届かなくなったのはシルヴィに魂がなくなったからだ。
その事からコバヤシの『テレパス』が魂に関与している事が分かる。
カイルとノエルの二人に『テレパス』が届くという事は、二人の魂は魔族に近いのだろう。前世は違うな。私と同郷の筈だ。ならばそれ以前。魂に魔族だった頃の記憶が刻まれているというのか? ないとは言えないな。
『テレパス』もそうだが、カイルに惹かれる理由もそこにある気がする。
私と同じようにノエルもまた、カイルに惹かれるものがあったのかも知れない。エルフが如何にチョロい種族と言えどあれほどの執着を見せるのは稀だ。魂の記憶が二人を結び付けようとしているのか? それは嫌だな。
私も同じようにカイルに惹かれている。ならばそれはノエルでなくてもいい筈だ。私が結ばれても…。
「まずは想いを伝える事からか…」
───伝えるメリットやデメリットがなんて考えている時点で逃げていたか。
嫌われるのを恐れて、関係が崩れるのが怖くて現実から逃げようとしている。私はそんなに弱い女か?魔王と恐れられた私が逃げたままでいいのか?
伝えよう。私の過去も、想いも全て。
「眠たくなってきたな…」
不思議な話だ。肉体などないこの刀身でも睡眠は必要らしい。私と同じように道具に魂を移したテスラは睡眠すら必要ないというのに…。
私がまだ死んでいないからだろうか?自分に尋ねた所で答えなど返ってこないが、何故か夢の中で答えてくれる気がした。
───懐かしい夢を見た。昔の夢だ。
魔族の為に立ち上がって3年と半年が過ぎた頃か。その男は私の前に現れた。
「お初にお目にかかります、麗しき魔王陛下。ワタクシめは首長の命で此度の案内役を仕りましたエトナ・ルシルフェルと申します。これより先の交渉役ともなりますので、お見知りおきいただけますと幸いです」




