109.気まずい関係
───綺麗にセンターで分けられた少し長めのプラチナブロンドの髪と錨のような形の特徴的な顎髭。切れ長の青い瞳からは俺に対する敵意を感じる取る事が出来る。パッと見で判断しても俺より年上な事は分かった。30代後半、あるいは40代くらいか。
貴族が着るような上品な服を身に纏い、怒りの感情を武器にしてこちらに向かって殴りかかってくる男が目の前にいる。
完全な奇襲であったにも関わらずここまで冷静にいられるのは目の前の男が大して強くないからだろう。体捌きから荒事が得意のようには見えなかった。
この男は誰だろうか? 当然とも言える疑問を浮かべながら迫ってくる拳を後ろに下がって躱す。フェイントも何もない大振り拳だった。トラさんのような練度を感じない素人丸出し拳だ。
「何者だ?」
問いかけの返答もまた拳だった。話が通じない。いや、俺とは話す気がないのか?ため息を吐きながら迫ってくる拳を躱す。
「ティエラを幸せにすると言え小僧!お前との話はそれからだ!」
───顔の横を拳が通る。
ちょっとびっくりした。男が繰り出す拳が思いの外鋭かったとか早かったとかではなく、単純に男の口から出た言葉が信じられなかっただけだ。
どうやら先程の言葉は聞き間違いではなかったらしい。俺はどうして初対面の男に、その配偶者を幸せにしろと言われているのだろうか?
頭を巡らせろ。何かヒントがあったんじゃないか?
此処は夢の中だ、これまでの経験でそれは分かっている。ただ、ミラベルと普段会う場所とは違うように思える。彼女と出会う場所は室内と分かるように壁や天井があった。だが、今俺がいる空間は突き当たりが本当にあるのか疑問に思う程に広大な空間だ。
白一面の何もない広大な空間。やはり覚えがある。そうだ!此処はディアボロと対峙した時に同じ空間。ならこれはディアボロが見せている夢か?
いや、違うようだ。男の拳を掌で受け止めてみたが痛みがない。ディアボロが見せる悪夢は痛みがある、その事からあの女が見せる夢では無い事が分かった。
決めつけるのは早計か。ディアボロは 夢を操る事が出来るのだから痛みを無くす事も出来る筈…。なら俺は今、ディアボロが見せる夢の中にいると考えていいのだろうか?
残念ながら答えは分からない。対処は簡単とはこれ以上殴りかかられるのは面倒な為拳を受け止めた状態から力任せに男を組み伏せる。
「もう一度聞こう、お前は何者だ?」
「何度も言わせるな、ティエラを幸せにすると言え!話はそれからだ!」
まるで怒声だな。言っている言葉は相変わらず意味の分からないものではある…。
なんだこの男は?何故、自分の嫁を俺に幸せにさせようとしている。意味不明だな。
嫁は自分で幸せにするものではないのか? 他人に嫁を幸せにするように強要するなんて……いや、出来ないのか。
パズルのピースがハマったような感触だ。元々、可能性として浮かぶ上がっていた事象であった事から答えにたどり着く事は難しくなかった。俺としては会いたかったのはこの男ではなく、セシルではあるのだが…。
「お前はもう死んでいるんだな。だから俺に代わりに幸せにしろと言っている」
「そうだ、俺の代わりにティエラを幸せにしろ」
組み伏せている状態でも態度はまるで変わらない。押し問答だな。この感じでは俺がどれだけ聞いても疑問に答えてくれる事はないだろう。
今の状況はルークが語っていた現象の一つだと推測している。夢の中に道具に魂が宿った者が現れるというものだ。魂が宿った物として頭に浮かぶのが相棒であるデュランダルと、セシルの魂が宿ったネックレス。
当たり前の事ではあるが目の前の男とは違う。なら俺の夢に出ているこの男は誰なのか…一人だけ思い当たる人物がいる。タケシさんの部屋でデュランダル…ティエラとの会話から可能性があるんじゃないかと思えたからだ。
「お前はティエラの夫であってるか?」
「………………」
「いや、こう呼んだ方がいいのか…。
『暗愚の暴君』テスラ・デュランダル」
「『賢者の出涸らし』、人間の中にはそう呼ぶ者も多い」
「やはりそうか…。お前…いや、貴方はティエラの事が心配だった。その思いが未練となり現世に留まった」
「そうだ、修羅の道を進もうとするティエラを一人残して俺だけが逝く…それだけは許せなかった。彼女を一人にする訳にいかない。小僧が言うように未練は形となり俺を導いた。俺の魂はティエラの使っていた剣の鞘へと宿った」
あの時のティエラの告白は長すぎたし…なんと言うか思いやら勢いが強気すぎた所為で全てを覚えている訳ではないのだが、気になる部分として記憶していた事もあった。
その中の一つに夢の中に何度か出てきたというフレーズがあった。枕元に立つなんて事が前世でもあったらしいが、この世界の場合は物に魂が宿るという事象が存在し親しい者の夢の中に出てくる事例が幾度も確認されている。
俺が彼にとって親しい訳がないので、俺の夢に出てきたのは何か別の事情だと思う。
彼からの証言もあり男がティエラの夫であるテスラ・デュランダルである事が判明したが…気まずいな。彼とはどう接したらいいのだろうか?
亡くなっているとはいえ彼はティエラの夫だ。彼が聞いていたであろう状態で俺はティエラから告白を受けている。告白を受け入れた訳ではないが、夫の目線から見れば気分のいいものではないだろう。どういう思いで俺にティエラを幸せにしろと告げているのだろうか?考えるだけで恐ろしいな。
「何故、俺にティエラを幸せにしろと?」
「俺は既に死んだ身だ。肉体はとうの昔に朽ち果て、魂だけの存在となり現世に留まっている。腹立たしい話ではあるが今の俺ではティエラを幸せにする事は出来ない」
「だから俺に?」
「そうだ!ティエラが今好意を寄せているのは憎たらしい事に貴様だ、小僧!だからお前が俺に変わってティエラを愛せ!ティエラを幸せにしろ!小僧の幸せがティエラの幸せであるように、ティエラの幸せこそが俺の幸せ。
ティエラが幸せになるのならば俺の思いなど投げ捨ててくれる!」
「………………」
「だから俺の事など気にせずにティエラを愛し、ティエラを世界一幸せにしろ!俺はその光景を見てなんとも言えない気持ちになって、勃起する!」
───何だこの変態は。
「初めての感覚だった。大切な者を失う喪失感、それ以上に感じた喜び!俺の愛するティエラが嬉しそうにしている光景こそが俺が最も見たかったものだ。俺ではティエラの気持ちを引き出す事は出来なかった。それだけは後悔として残っている」
「ティエラは貴方の事を確かに思っていた」
「そんな事は分かっている!あの告白を俺も聞いていたからな!ティエラの俺への思いを聞いて感動した!飛び跳ねるように喜んださ!
だがな俺以上にティエラは小僧の事を愛している。その事実は全身を駆け抜けるような強烈な一撃だった!俺は!新たな扉を開いてしまった!」
「……そうか」
「小僧がティエラを幸せにする光景を見れば俺はこの感覚をまた味わう事が出来るだろう。俺の体が喜ぶと共に、ティエラの幸せそうな姿が見れる。素晴らしい!これこそが俺の新たな境地!」
───言葉に出来ない気持ち悪さを感じて、組み伏せている状態を解いてサッとテスラから距離を取る。この世界で28年生きてきたが初めて会うタイプの人種だ。
俺の視線の先では倒れたまま体をビクンビクンとさせているテスラがおり、失礼な事を言うが…気持ち悪い。早く夢が醒めないかなと悪夢のような光景から目を逸らそうとした時、白い1メートル程の光弾が床でビクンビクンとしているテスラに直撃し吹き飛んでいく。
───その光景を見てスイッチが入るように頭が瞬時に切り替わる。武器を手に取りたい所だが、夢の世界にはデュランダルがない。徒手空拳しかないか。
魔法が飛んできた方向へと最大限の警戒しながら視線を向けると、そこには見覚えのあるエルフの姿があった。
「セシル!」
俺の言葉に花が咲くような笑顔を浮かべる金髪碧眼の美少女。見惚れてしまうような笑みでこちらに駆け寄ってくる姿は誰が見ても、勘違いしてしまうだろう。コレで男だと言うのだから世の中は不思議な事に溢れている。
「義兄さん!」
俺の胸へとセシルが飛び込んでくる。勢いのままに床に倒れ込まないように足を魔力で強化して、しっかりと受け止める。
間違いないセシルだ。あの時、俺の腕の中から消えていった…だが今はこうして俺の胸の中でいる。
「会えて嬉しいよ、セシル」
「僕もです義兄さん!もう会えないと思っていたけど…神様が僕の願いを聞いてくれて」
「そうか…、良かったよ。俺ももう会えないと思っていたから」
「はい。こんな形でも義兄さんに会えて嬉しいです。ずっと…ずっと会いたかったけど上手くいかなくて」
声が震えている。何も言わずセシルの頭を撫でると、えへへと嬉しそうにセシルが笑う。
良かった。泣いてる顔は彼女には似合わない。セシルには笑っていて欲しい。
「俺を無視してイチャイチャするな、小僧と小娘」
───そういえばいたな、テスラ。




