大量に作ってしまった、フレンチトーストの話。
「あはははは。
それでここへやって来たの?
なかなかいい鼻を持っているよね?
ちょうど、焼きあがったところなんだ。
良かったら食べていって」
そう言って微笑んだその男性は
一ノ瀬六月という名の好青年でした。
なんでも、最近
この家に引っ越して来たばかりなのだそう。
ひとまず、寝泊まりする屋敷や
道具をしまう倉や、庭は片付けが済んだけれど
さすがに竹林までは手入れが出来なくって
困っていたのだとか。
それもそうよね?
だって、竹の根っこは網目状に拡がるから
それを取り除こうとするには
それなりの道具が必要になるに違いない。
「ひとまず人は来ないから、
地道に片付けるつもりではいるんだけどね」
そう言う一ノ瀬さんの表情は
心做しか暗い。
一ノ瀬さんは、苦笑しながら
カップにお茶を注ぎ入れる。
お茶は、香り高いアッサムティー。
「アッサムティーはミルクとも相性がいいから
きっとフレンチトーストにも合うはずだよ」
そう言ってフレンチトーストを盛り付けてくれ
振舞ってくれました。
その見事さと言ったら……!!
問題のフレンチトーストは
想像していた普通のフレンチトーストとは
まさに雲泥の差。
フワフワの分厚いトーストに、苺と桃。
それからブルーベリーが品良く並べられた
どこからどう見ても
本格的なフレンチトーストだったのです。
紫子さんのテンションは上がりに上がる。
『食べてって』って、食べてもいいってことよね!?
……みたいな視線を、しきりに瑠奈さんに
送っている。
いつもなら『ダメですっ!』て言う瑠奈ママも
今回ばかりは誘惑に負けて
「お……お邪魔します……」
と、紫子さんと一緒に
お招きに預かることにしたの。
「ふふ。どうぞどうぞ。
たくさんあるから、遠慮しないでね……」
そう言って一ノ瀬さんは
優しく微笑んで、席を作ってくれたのでした。
こんな風に、いきなりお客さまってどうなんだろうって、
瑠奈さんはいつも思うのです。
だって迷惑でしょう?
食べ物だってそれなりに用意をしていたわけですし、
いきなり人数が増えたら困るじゃない?
席もテーブルのスペースも、
お皿やカップだって足りなくなる。
けれど今回は、そんな心配いらなかったの。
何故って?
だって十分に、数は揃えられていたからなの。
東屋はそれなりに広く、
中央には木製のガッシリしたテーブルと
ベンチが置かれていて、ゆうに十人は座れそうだし、
お皿やカップやスプーンやフォークまで
たくさん用意されていたの。
少しづつ暮れていく外の風景とは裏腹に、
優しく色づく白熱灯が
レトロな雰囲気を醸し出している。
真っ白なテーブルクロスとバスケット。
今まさに、お茶会が始まろうとしているその様子に
瑠奈さんは少し怯む。
もしかしたら誰かお客さんが来るのかしら?
だったら早く帰らないと……。
「うわぁ。可愛い……っ」
「!」
突然歓喜の声を上げた紫子さんに、
瑠奈さんの警戒心が吹っ飛んでいく。
フレンチトーストだけでなく
フルーツの盛り合わせや焼き菓子、
それからシマエナガのぷっくりした感じの
ティーセットが並べられていた。
「こんなティーセットがあるなんて!」
紫子さんは目を輝かせながら
カップを持ち上げる。
「可愛いだろ? シマエナガ。
俺、動物も好きなんだよ。
花柄のティーセットの方が雰囲気出るけど
どうしても可愛いやつ買っちゃうんだ」
はにかみながら一ノ瀬さんは言う。
問題のフレンチトーストには、たくさんあった。
中央の大皿に重ねられているほか、
いくつかの小皿にも、それは盛り付けられている。
そこには、琥珀色のメイプルシロップをたっぷり掛けた
もったりとした生クリームまでもが添えられて
見るだけでテンションが上がっていく。
ちょこんと乗せられたミントのグリーンが目に鮮やかで
とってもいい感じに、アクセントになっていたの。
「凄い。まるでお店みたい……」
紫子さんが目を潤ませ呟くと
一ノ瀬さんは恥ずかしそうに笑った。
「ホント!?
……ふふ、そう言ってもらえると とても嬉しいよ。
お菓子でみんなを喜ばせるのが
俺の夢だったから……」
そう言って、はにかんだ顔が可愛らしい。
青年と言うよりも
まだあどけない感じがあって、
『少年』に近い感じもする。
歳の頃は二十代半ば……と言ったところかな?
瑠奈さんは、一ノ瀬さんを
そっと覗き込みながらそう思う。
中肉中背の、少し可愛らしい顔立ちの人だから
もしかしたら実際の年齢よりかは
若く見えるのかも知れない。
……と言うことは三十代?
いやいや絶対に二十代だ。
「俺ね、お菓子屋さんになりたかったんだ」
一ノ瀬さんが おもむろにそう言って
淹れたての紅茶も並べてくれる。
ふわりと漂う、あったかい紅茶の香り。
紫子さんは早速
フレンチトーストを口へと運んだ。
「うわぁ……ふわふわぁ……」
紫子さんは涙目になって
フレンチトーストを頬張った。
それを瑠奈さんと一ノ瀬さんは
目尻を下げて眺めている。
あぁ、紫子さんは
なんでこんなに可愛いんだろう?
「……っ」
そこまで考えて、ハッとする。
ちょっと待って、一ノ瀬さんも
紫子さんに見惚れていない!?
慌てて一ノ瀬さんを仰ぎ見ると
幸せそうに紫子さんを見て
優しそうに微笑む一ノ瀬さん。
瑠奈さんはそれを見て、眉間にシワを寄せる。
思わず一ノ瀬さんを
マジマジと見てしまったの。
まるで獲物を横取りされるのを
警戒する猫のように……。
「……──っ!
あ……ごめ、
そんなに見るつもりはなかったんだけど……」
瑠奈さんの視線に気づいて
一ノ瀬さんは唸る。
「俺、お菓子を幸せそうに食べる
みんなの顔が好きなんだ……
別にやましい気持ちなんて……って、
そういうこと言ってること自体
めちゃくちゃ怪しいけど
でも違うから……っ!」
冷や汗を掻きながら、
一ノ瀬さんは必死に言い訳をする。
その姿が可笑しくて
瑠奈さんは思わず笑ってしまう。
「そんなに焦らないでください……。
私もすみません。
無遠慮に見てしまったりして……」
瑠奈さんの顔も赤くなる。
けれど、取られまい……と思っていたのは事実で──。
けれどそれは、見知らぬ人に対しての
基本的な警戒心であって、
けして紫子さんを独占しようとか
そんなんじゃない。そんなんじゃない……。(──と、思う)
「……」
瑠奈さんは、変な顔をする。
独占欲とかそんなんじゃない。
ただ、警戒してるだけだから。
だって、変な奴だったら困るもの。
……フレンチトーストもらって言うのもなんだけど……。
「…………」
そう、自分に言い聞かせて
瑠奈さんもフレンチトーストを
ひとくち食べてみた。
「──!」
一口食べて、一変に今までのモヤモヤが吹き飛んだ。
「美味しい!!」
思わず叫んでしまう。
それほど一ノ瀬さんのフレンチトーストは
絶品だった。
「え?
なんでこんなに、ふわふわなんですか!?」
家で作っても、こんな風にはならない。
何かコツでもあるんだろうか?
すると一ノ瀬さんは、笑って教えてくれる。
「フレンチトーストに限らず、
料理って細かいところで差がつくんだ。
例えばパン選び。
卵液につけるから、柔らかすぎるパンは
ドロドロになっちゃうし
固すぎるのも歯触りが悪くなる。
卵液をたっぷり染み込ませたいからって
牛乳を多くすれば味は薄くなるし
逆に少なくすると吸い込みにくい。
もちろん焼き方にだってコツがある」
「う……。結構ハードル高いヤツだったんですね、コレ……」
簡単に作ろうとしていた瑠奈さんは
少し恥ずかしくなる。
「ふふ。そんな事ないよ?
本格的に作ろうとするとそうなるんだ。
だから、料理って面白くもあるんだ」
一ノ瀬さんはニッコリ笑って
フレンチトーストにパクついた。
「ん。コレは上出来。
ふわふわにする時のコツはね
焼く時にフライパンを揺するんだ」
「フライパンを揺する?」
「そう。フライパンをこう小刻みに揺するとね
重力で潰される分が分散されるんだよ」
言われて『あぁ〜』と納得する。
そのまま焼けば、パンは下に押し付けられるけれど
フライパンを揺することでそれを防ぐ。
そんな風に料理を工夫しようなんて
瑠奈さんには思いもつかなかった。
「すごい。……私も今度試してみますね」
「ふふ。やってみて。結構奥が深いから」
とろけるようなフレンチトーストを口に運びながら
瑠奈さんは紫子さんを見る。
紫子さんは、会話には全く興味を示さず
夢中になってフレンチトーストを食べていた。
口いっぱいにトーストを詰め込んで
モフモフと食べているその様子は
まるで小さなリスのようで
瑠奈さんは少し吹き出してしまう。
「ほらほら紫子さん。
ほっぺに生クリームがついてますよ」
言って取ってあげると
紫子さんは
くすぐったそうに目をつぶった。
「二人はとても、……仲が良いんだね」
一ノ瀬さんが、ポツリとそう呟いた。
その少し悲しげなその表情に
瑠奈さんの手が止まる。
「あ。……と、一ノ瀬さんは……」
一瞬、
──『一ノ瀬さんは、お友だちいないんですか?』
なんて失礼な文言が頭をよぎり
瑠奈さんは冷や汗をかく。
(ちょっと私ったら、初対面の人に何聞こうとしてんのよ!
友だちがいるかいないかなんて、どうだっていいのに……。
……なんだってそんな言葉、出てきたんだろ……?)
「……」
でも、そもそもこの状況はおかしくもある。
だってたくさん焼かれたフレンチトースト。
それだけだったのなら
ただ単に作り過ぎたのだと思うけれど
このたくさんの小皿にたくさんのカップ。
どう考えても一ノ瀬さん一人で
この家に住んでいるようには見えなかったの。
……けれど誰も来ない。
(お茶会を計画して、
お客さんが誰も来なかったみたい……)
そんな風にも見えた。
焦って頭を軽く振って、
瑠奈さんは言い直す。
「一ノ瀬さんは
ひとりでこちらに、いらしたんですか?」
思わず声が大きくなってしまい
一ノ瀬さんは目を丸くした。
あちゃーやっちゃった……と
肩を竦める瑠奈さんに対して
一ノ瀬さんはそれを軽く笑って
受け流すと『そうなんだよ』と言って頷いた。
「そうなんだ。家族がいれば良かったんだけどね。
生憎とここには俺一人で来たんだ」
そう言って、一ノ瀬さんは
悲しそうに建物の方を見る。
「もともとここは、俺の祖父の家だったんだ。
祖父はずいぶん前に亡くなってしまって
身寄りもなかったものだから
今まで荒れ放題だったんだけど
俺がここをもらう事にしたんだよ。
遊ばせておくには勿体ない家だろ?
今どき珍しいよな、あんな古びた蔵がある家なんてさ」
「確かに……。
素敵なおうちですよね」
紫子さんが
生クリームをたっぷりつけた
フレンチトースト最後の一口を飲み込んで
ニッコリと笑った。
お腹も膨れたせいか、今まで散々
フレンチトーストを食い散らかしていた人間とは
とても思えないほどの優雅なその態度に、
瑠奈さんは思わず目が点になる。
そんな事とは気づかない紫子さんは
ゆっくりと紅茶のカップを持ち上げて
優雅にお茶を飲んでいる。
(……普段から、そうしてればいいのに)
見た目はセレブなのに、中身は残念……。
瑠奈さんはそう思って呆れはしたけれど、
けれどそこがまた
紫子さんのいいところでもあるのです。
見た目通りの紫子さんだったのなら、
瑠奈さんはもしかしたら
近づく事すら出来なかったかも知れないものね?
人として完璧であるには、欠点も必要なんだなぁ……
なんて訳の分からないことを考えながら、
瑠奈さんは溜め息をつきながら
一ノ瀬さんの淹れくれた
紅茶を啜ったの。
フレンチトーストが甘いので、あえて砂糖は入れず
ストレートで飲んでいる。
紅茶の渋みが心地よかった。
「はぁ……」
思わず溜め息が漏れる。
一ノ瀬さんはそんな二人を見て
少し吹き出し、慌てて口を押さえ言葉を続ける。
「ふふ……そうだろ?
この家の奥……ほら、あっちに少し見えてるだろ?
道場の屋根」
「道場……?」
そう言われて見てみると
奥の方にもまだ、建物があるみたいでした。
ここは思っていた以上に
大きな屋敷なのかも知れない……。
一ノ瀬さんは頷く。
「祖父は剣道を教えていたんだよ。
俺もここで習ってたんだけどね、
何年前だったかな……もともと持っていた持病のせいで
早くに他界してしまったんだ。
えっと、知らないかな?
一ノ瀬葉月っていって
顔に似合わず可愛い名前してたんだけど……」
フフと笑いながら、一ノ瀬さんは尋ねてくる。
「いいえ……。祖父なら知っているかも知れませんが」
と言っても、瑠奈さんのおじいちゃんは
剣道ではなくて空手専門だったから
知らないかも知れないと思い直す。
一ノ瀬さんは
そんな事は気にとめず、先を続ける。
「茅葺き屋根の家に道場と蔵。
荒れ果てさせるのも勿体ないと思って来たんだけど
やっぱり俺には荷が重い」
眉を寄せ、困り果てた顔をする。
「やっぱり手放そうかどうしようかって
考えながらフレンチトースト作ってて
気がついてみればこのありさまさ」
言って肩を竦め
大量に焼かれたフレンチトーストの山を見る。
それを見て紫子さんは再び目を輝かせ始め
それを見て『ヤバい』と思った瑠奈さんは
慌てて話を振る。
「あぁ、だからずっといい匂いがしていたんですね」
「そう。そして、こうして君たちが来たってわけ」
「す、すみません! いきなりお邪魔してしまって……!
もしかして、別のお客さまが来るのでしょう?
綺麗に用意されていましたし。
どうしよう。すっかり長居した上に
こんなに食べ散らかしてしまって……」
焦って立ち上がろうとする瑠奈さんを
一ノ瀬さんが慌てて止めました。
「いや、いいんだ。
だから言ったろ? おかげで助かったって。
本当に作り過ぎてしまったんだ。
これからの三食フレンチトーストになるのかと思うと
さすがに頭が痛かったんだ。
それにさ、お客さんなんて来ないよ?
あの竹やぶを越えて来てくれる客なんて、
君たちくらいだよ」
言って一ノ瀬さんはフフフと笑う。
「す、すみません……っ、」
瑠奈さんは真っ赤になって謝った。
なんてことだろう。
やっぱりお邪魔してしまっていたんだ。
申しわけなさで
いっぱいになりながら頭を下げていると
一ノ瀬さんが慌てたように
手を差し伸べてくれました。
「いや、だから助かったんだって。
作り過ぎたついでだから、お茶セットを持ち出して
俺なりに祖父の供養をしてたんだよ。
祖父は甘いものよりお酒を好んだけれど、
俺はこういう事しか出来ないから……」
「だからたくさんのお皿やカップを
用意したんですね……」
「そう。賑やかな方が祖父が喜ぶかなって。
俺来たよって。
またお世話になりますって」
そう言った一ノ瀬さんの笑みが消える。
「……」
その表情に、瑠奈さんは少し
言いようのない不安を覚えたの。
なぜだか分からないけれど、
少しの違和感──
「──あ!」
突然の紫子さんの叫びに
二人は身を強ばらせる。
「なっ、いきなり叫んでどうしたの?」
「大変! 瑠奈さん!
……私たちもフレンチトースト作っている最中だった……」
「あ……」
「……」
忘れてた。
…………でも、もう食べちゃったしね。
フレンチトースト。
これからまた帰って、作る気も起きない。
そもそも一ノ瀬さん以上の
フレンチトーストを作り上げる自信もない。
「う。どうしよう……卵液」
瑠奈さんは唸る。
「卵液?」
一ノ瀬さんが首を傾げた。
瑠奈さんは困った顔で
一ノ瀬さんに事の経緯を
説明したのでした。
┈┈••✤••┈┈┈┈••✤ あとがき ✤••┈┈┈┈••✤••┈┈
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