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春匂う。

 冬の寒さが少し、和らいで

 日差しがキラキラと真っ白に輝き出す頃、

 優しい甘さの可愛らしい花が咲く。


 コロコロと まぁるいその薄桃色の花は

 名前を『沈丁花(ちんちょうげ)』と言って

 三大香木の一つでもあるのです。

 



 春の沈丁花。

 夏の梔子(くちなし)

 それから秋の金木犀(きんもくせい)

 



 草木の中でも香りが強いと言われる

 三つの香木の一つでもある沈丁花。


 その花が咲いて

 甘い香りを放つ麗らかな春の日の午後のこと。

 紫子(ゆかりこ)さんは瑠奈(るな)さんを

 午後のティータイムに誘いました。


 春になったとは言っても

 まだまだ寒くはあったんだけれども

 あったかい紅茶とモコモコブランケット。


 それから ふんわり柔らかなスリッパに

 少し厚着してベランダへと出れば

 楽しいティータイムが

 もう出来る頃なんじゃないかしら?


 ……紫子(ゆかりこ)さんは、そんな風に思ったのでした。


 まぁ、お茶とお菓子を用意するのは

 瑠奈(るな)さんのお仕事なんですけどね。

 毎回なにかを提案するのは

 紫子(ゆかりこ)さんのお仕事って決まってるんです。


 瑠奈(るな)さんは、

『まだ寒いかも……?』とは思ったのですが

 紫子(ゆかりこ)さんの提案に

 逆らえるわけもありません。

 そんなこんなで、二人は

 ベランダでティータイムをすることになりました。



 ベランダへ出るとすぐに紫子(ゆかりこ)さんは

 鼻をクンクンと動かします。


「あ。……甘い、匂い」


 ポツリと呟くその声に、瑠奈(るな)さんは

 紅茶を注ごうとしていたその手を止める。


「ん? 甘い匂い? 紅茶の香りかしら?」


 ──けれど紅茶は、まだ注いでもいない。



「……」

 それなら、花の匂い?




 多分、近くの誰かの庭で

 沈丁花の花が咲いているのでしょう。


 毎年この時期になると

 どこからともなく甘い香りが心地よい風に乗って

 二人がいるこのベランダへと漂ってくるのです。


 どこからか……なんて分かりません。

 けれどそれは、毎年のことですので、

 瑠奈(るな)さんは気にも止めていませんでした。


 季節的には、もう花の終わり頃。

 そのことは違いなかったんだけれど、

 まだまだその香りは清々しい。


 瑠奈(るな)さんは、甘い香りを微かに感じて

 小さく微笑んだ。

 沈丁花の香りを嗅ぐと

『春だなぁ』って思うのです。



「きっとそれは……花の匂いよ。沈丁花というの。

 見回しても花なんて見当たらないんだけどね

 沈丁花は金木犀と一緒で、香りがとても強いのよ」


 そう言って瑠奈(るな)さんは

 再び紅茶を()れるために手を動かした。

 



 コポコポコポ……──




 音を立てながら、淡い琥珀色の紅茶が

 カップにゆっくりと注ぎ込まれていく。


 ふわりと上がるその湯気が

 優しい香りを辺りに振りまいて、

 ただそれだけで、心が和むのです。


 今日のお茶菓子は、ただの ひとくちチョコ。



 毎回毎回、手の込んだお菓子があるわけじゃない。

 けれど今回の紅茶は、アールグレイ。


 ほんのり漂うベルガモットの香りのおかげで

 どこでも手に入れられる、ありきたりな

 そのひとくちチョコが、

 ちょっと贅沢な味に変わるのです。


 だから瑠奈(るな)さんは

 このひとくちチョコとアールグレイの組み合わせが

 実はとっても

 大好きだったりするんです。

 


 チョコと言えばコーヒー?


 そう言う人もいるけれど、

 シンプルなチョコレートには

 やっぱりアールグレイよねー……なんて

 瑠奈(るな)さんは密かに思ってみたりするんです。


 そしてそれは

 春先の今の時期に、とってもピッタリな

 華やかさだと思うのですよ。

 

 ウキウキしながら紅茶を()れていると

 紫子(ゆかりこ)さんが口をへの字に曲げて

 ブンブン! と頭を振った。


「ううん、違うの!

 沈丁花じゃなくって、

 別の……別の甘い香り……なの!」


 そう言って、再び鼻をクンクンさせる。

 


 瑠奈(るな)さんは、(いぶか)しむ。

 紫子(ゆかりこ)さんにそう言われると

 その『甘い匂い』が何なのか

 とても気になったのです。


 だからすぐに目をつぶり、

 紫子(ゆかりこ)さんがするみたいにして

 鼻をクンクンと動かしてみたの。


 ……うーん。おかしいな。

 花の香りの他に、甘い匂いなんてするかしら?

 


「…………」

 けれどするのは、先程()れた紅茶の匂い。


 沈丁花の香りも終わりがけのせいなのか

 はたまた風の向きなのか、

 近くでかおるアールグレイの

 華やかな香りにかき消されてしまって

 すっかりナリをひそめてしまっている。



「えっと、じゃあ……紅茶の匂い……?」

 思わずそう、呟いてしまう。


「……」



 紫子(ゆかりこ)さんは

『違う!』と言いたげにムスッとして、

 ひとくちチョコの包み紙をカサカサと開けた。


 中から可愛いチョコレートの粒が転がり落ちる。



 ひとくちチョコは

 紫子(ゆかりこ)さんの好物でもあるのです。


 味が好き……なのもあるかも知れないけれど

 どちらかと言うと

 そのデザインが好きなのかも知れない。


 四角い台形型のてっぺんに

 ちょこんと乗っているトランプのマーク。


 今回のマークはハート型だったようで

 それを覗いて見て、満足気に微笑むと

 紫子(ゆかりこ)さんはチョコレートを

 パクンとひとくちで口の中に入れてしまう。


 モゴモゴと口を動かすと

 甘いチョコレートの味が口の中に広がったのか、

 紫子(ゆかりこ)さんはおもむろに小さく首を傾げ

 頬に手を添えると『たまらない!』と言った風に

 ニッコリと微笑んだのです。


 本人は気づいていないかもだけど

 それはまるで

 空から舞い降りて来た

 天使の微笑みのように見えるのです。


「……」


 ついでに言えば、瑠奈(るな)さんは

 そんな紫子(ゆかりこ)さんの顔を見るのが

 とても好きなのです。

 だからいつも、ついつい甘やかしてしまう。


 どちらかと言うと

 整った顔立ちの紫子(ゆかりこ)さん。


 長くサラサラとしたその髪を

 惜しげもなく肩へと垂らし、

 物憂げな淡い灰青の瞳を細め

 いつもどことなく、つまらなそうにしている。


 本当は黒い瞳なのだけれど

 その瞳は陽の光に透かすと、

 何故か淡い灰色に見えたり

 琥珀色に輝いて見えたりするから不思議なのです。


 まるで陽の光に祝福されたような

 そんな紫子(ゆかりこ)さんの

 その整った容姿を見ていると、

 瑠奈(るな)さんの心は晴れやかになる。


 これが『眼福』と言うやつなのだろうか?



 確かに瑠奈(るな)さんは

 紫子(ゆかりこ)さんが微笑んでいるのを

 覗き見るのが大好きだけれど、

 けれどそんなことを言うと

 気持ち悪がられてしまいそうなので

 そのことは絶対に言わないようにしているの。


 本人に気づかれないように

 そっとその顔を覗き込むのが、彼女の日課。

 ……これホント、内緒だからね。



 ──で、そんなに見られている……なんて

 夢にも思わない紫子(ゆかりこ)さんなんだけれど

 パッと見はどちらかと言うと

 クールビューティと言った感じなのです。


 陶磁器のような白い肌に、濡れ羽色の艶やかな長い髪。

 お化粧しなくても、紅をさしたような綺麗な唇の色。


 瑠奈(るな)さんはいつも

『世の中は不平等だ』……などと思いながら

 こっそり覗き見る。


(せめて、あのサラサラの髪でもあれば良かったのに)

 そう思いながら、少しくせっ毛の自分の髪を見る。


 瑠奈(るな)さんの髪は少し赤茶けている。

 生まれつきだから仕方がない。

『綺麗な栗色ね!』って褒められるとこもあるけれど

 中高生の時は『染めているんだろう!』と

 先生に目をつけられた。

 その上、クセがあるからまとまらない。

 ……中々難儀な髪なのだ。


 だから紫子(ゆかりこ)さんが羨ましい。


 サラサラの髪に透き通るように白い肌。

 少し悲しげなその瞳は、保護欲を掻き立てられる。




 ──だけど中身は、全くの真逆なのよね……。




 どちらかと言うと、ちょっと子どもっぽい。

 やんちゃな感じの いたずらっ子だ。

 何も考えていないようで、考えて悩む人。

 非情なようでいて、実は人を気にかけている。


 見た目と中身がチグハグで、結構、誤解されやすい。

 だから友人は、けして多い方ではない。


 唯一の友人は、目の前の瑠奈(るな)さんだけ(・・)

 そもそも友だちを作ろうと思っているのかしら……?


 よく言えば自分をしっかり持っている紫子(ゆかりこ)さん。

 けれどちょっと、ワガママなのよね。

 ……ワガママと言うより、目が離せない?

 あっちへチョロチョロ、こっちへチョロ。

 気がつけばいなくなっている。

 何をしでかすか分からない。


 だから瑠奈(るな)さんは、いつも心配になる。

 ああしなさい。こうしなさいって、

 まるでママみたいに小言を言う。


(本当は私、迷惑だと思われているんじゃないかしら?)

「……」


 いちいち色んなことに口を出してしまう瑠奈(るな)さん。

 本当のところ紫子(ゆかりこ)さんは

『めんどくさい!』って思っているんじゃないかしら?

「……」

 瑠奈(るな)さんは、時々そう思ってしまう。



 口うるさいよね?

 距離、近すぎやしないかしら……?



 けれど、紫子(ゆかりこ)さんから離れる……

 なんてのは考えられないし、

 かと言って口出しすることをやめるわけにもいかない。

 黙っていたら紫子(ゆかりこ)さん、

 本当に好き勝手やっちゃうもの──!!



「……」

 ……さてさてこれは困りました。

 いったい、どうしたらいいのでしょう?


 紫子(ゆかりこ)さんを想って口を出せば

 煙たがられる。

 けれど黙っていたら、紫子(ゆかりこ)さんは

 危険な目にあうかもしれない……。


 あぁ……このままだと、いつか

『出ていって!』……なんて言われる日が、

 もしかしたら来るかも知れない。


 その時自分は、どうしたらいいんだろう?

「……」


 そんな風に考えると、本当に悲しくなってくる。

 不安になって、夜も眠れない。



 でもね、


 まだ『出ていって』なんて

 言われたことはないし、

 そんな素振りも、紫子(ゆかりこ)さんは

 見せたことがない。


 だからそれは、言われたその時に悩めばいいんだわ……。



 結局瑠奈(るな)さんは仕方がないので、

 いつもそんな風に結論を出す。


 紫子(ゆかりこ)さんに『嫌だ!』って

 言われたその時になって考えよう……。

 それが本当に正しい答えなのかは知らないけれど、

 何も起こっていない今、

 ウジウジ考えても仕方がないんだもん、ね──?




 で、そんな物憂げな

 春先の午後のティータイム。


 ひとくちチョコは、実はあまり買わないの。

 いつでもどこでもあって

 むしろ手に取らない商品の一つじゃない?

 

 嫌いなわけじゃないんだけどね、ひとくちチョコ。

 だけど選ぶなら、違うお菓子買っちゃうよね?

 新作のピスタチオチョコレートとか、抹茶チョコとか。


 いつでもどこでも買える

 限定商品ですらない年中無休のお菓子。


 いつでも買えるって思うから

 いつもは買わない。

 気づけばほとんど買わない、手に取らない

 このひとくちチョコレート。


(でも……紫子(ゆかりこ)さんが好きなのなら

 たまには買ってこようかしら?)


 瑠奈(るな)さんはそんな風に思いながら

 ひとくちチョコをつまみ上げる。


 いつもは見ることのない

 チョコのてっぺんについている

 そのちっちゃなトランプマーク。


 今日は紫子(ゆかりこ)さんの真似をして

 そっと覗いてみる。




 ──マークはダイヤの形だった。




「……」




 ……べつに、なんの感動もない。


 ま。そりゃそうだよね。



 いやむしろ

 マークはほとんど見ないから

 ついてなくてもいいんだけど。

「……」


 ……瑠奈(るな)さんの本音は、そうだ。



 でもそんな風に思うのは私だけ?

 他の人は、気にしながら食べているのかしら?


「……」

 瑠奈(るな)さんはそんなことを

 真剣に考えている。


 そしてそれを紫子(ゆかりこ)さんがこっそり

 覗き見て笑っている……。

 いつもは周りのことがよく見える瑠奈(るな)さん。

 けれど肝心なそんな事には、全く気づいていない。


 クスクス笑っている紫子(ゆかりこ)に気づきもしないで

 瑠奈(るな)さんは真剣に悩んでいる。



(この絵柄は、本当に必要なのかしら……?

 いえでも、紫子(ゆかりこ)さんは喜んでいるし……)


 当たり前って思っていたことも

 本当は当たり前じゃないかも知れない。

 自分の当たり前(・・・・)

 みんなにとっての変わったこと(・・・・・・)かも

 知れないじゃない?


 そもそも紫子(ゆかりこ)さんは

 お菓子についた絵柄は必ず確認して食べている。

 コアラのマーチとか、さくさくぱんだ とか。

「……」

 

 そう言えば、さくさくぱんだ、美味しいよね。

 今度買ってこようかしら?


 そんな他愛もないことも考えながら

 今、手に取ったひとくちチョコを

 パクンと口に放り込む。


 悩んでもしょうがない。

 ついているものはついているんだし。

 消せないしね、これ。ううん。食べて消しちゃえ──!


 そんな他愛もないことも考えながら

 今、手に取ったひとくちチョコを

 パクンと口に放り込む。


「……──っ!」


 すると、甘い香りが口いっぱいに広がった。


 そこにアールグレイを少し口に含むと

 優しいベルガモットが香る。

 こってりチョコレートが、さっぱりとしたお菓子になる。


 

 初めてアールグレイを飲んだ時は

 変な香りだと思ったけれど

 慣れてくると この香りは

 チョコの為にあるんじゃないかと

 錯覚してしまいそうになる。



「美味しい……」


 思わずそう呟いて、ほっとため息を吐いた頃

 紫子(ゆかりこ)さんが再び口を開いた。

 

「あのね、瑠奈(るな)さん。甘い匂いがしたの。

 バターと砂糖と、……卵の匂い?

 誰かがお菓子を作ってるみたいな、そんな匂い……」


「お菓子? ここの近くで?」


 ふわりと冷たい風が吹いてきて、

 瑠奈(るな)さんは思わず

 近くにあったブランケットを手繰り寄せた。

 

 やっぱりまだ

 外でのお茶は早かったかもしれない。


 やっと春になりかけたその日の風は

 意外にもとても冷たくて

 いつも薄着の紫子(ゆかりこ)さんの肩が ふるっと震えた。


 見ると紫子(ゆかりこ)さんの着ている服は

 長袖ではあるものの、肩口が開いていて

 そこから真っ白な細い肩が覗いて見えた。


「──ちょ、」


 瑠奈(るな)さんは唸る。

 それ。この前買った服じゃん。

 

 あったかくなるからと、

 紫子(ゆかりこ)さんがウキウキと買っていた。


 まだ早いから着ちゃダメですよって

 あれだけ言ったのに……!

 


「なんて格好しているの!

 この服はまだダメだと言ったでしょう?

 そんなワガママするんなら

 今日のお茶は室内ですよ!!」


「ええ〜!?」

「『ええ〜!?』じゃない。

 風邪引かれて看病するこっちの身にも

 なってちょうだいっ!!」


 ぷんぷん! と怒る瑠奈(るな)さん。

 紫子(ゆかりこ)さんはへの字眉で睨んでる。


 紫子(ゆかりこ)さんは、

 けして病気に弱い方ではないけれど

 今の春先は、病気が流行る時期でもある。

 用心にこしたことはない。


 カチャカチャとわざとらしく音を立てながら

 ティーセットを移動させ

 瑠奈(るな)さんは唸った。


 こんなにも心配しているのに、

 なんで紫子(ゆかりこ)さんは分からないんだろう……?


 グズグズとベランダに居座る紫子(ゆかりこ)さんを

 思わずキッと睨んだ。


 睨んだその時、

 ほんの少し、甘い香りを嗅いだ。

 


「あ。甘いかおり……?」


(……これは)




 瑠奈(るな)さんはベランダの向こうへ視線を向けて

 小さく呟いた。

 



「……フレンチ、トースト……かしら?」

 



 目の端で、紫子(ゆかりこ)さんが

 満足気に微笑んだのが見えた。




   ┈┈••✤••┈┈┈┈••✤ あとがき ✤••┈┈┈┈••✤••┈┈



     お読み頂きありがとうございますm(*_ _)m


        誤字大魔王ですので誤字報告、

        切実にお待ちしております。


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