5 お出掛けしましょう~その三
わたわた、わたわた。
アルと逃げ込んだ先は、小さな公園だった。
昼間はおちびさんたちで賑わっているのだろうが、今は誰の姿も見当たらない。
月明かりでほのかに、さささやかな花壇が見て取れた。
手頃な切り株に腰掛けて、わたしはアルに治癒魔法をかけてもらっていた。
右肩はまだじんじんと熱い。でも魔法のおかげで痛みはだいぶ楽になっている。
他に投げつけるものなかったのかな、あのチンピラ。植木鉢の土のせいで、わたしの肩から背中にかけて泥だらけである。
レンガとか、工具とか、木箱とかさ、汚れないものがよかったな。ただ、どれにしたって全部痛えな。
魔力がごっそりもっていかれて、頭も少しぼんやりしている。
無言のアルの顔が険しく見えるのは、そのせいかな。
きらきらがつんけんしている。棘が出てる。
「……アル、怒ってんの?」
「怒ってないとでも、思ってんの?」
はい、お怒りですね。見たらわかります。
喧嘩になった原因は、わたしがチンピラにジョッキを叩きつけたからだもんね。
だって、ムカついたんだもん。
アル、なんにもしてないのに、あれだけ絡んでくるなんて最低なヤツだよ。
しかも、きったない手でアルの顔を触ったし。
綺麗なアルの顔を見る。
うん、やっぱ、汚い手で触ってはいけない。
わたしが触ったら怒るかな。
手を伸ばそうとしたら、アルがギロっと睨みつけてきた。
うわああん、怖い。
「レイは端くれとはいえ、近衛隊の隊員なんだよ。
近衛隊員が一般人と喧嘩なんて、最悪除隊処分だからね」
「それにつきましては、返す言葉も見つからず……」
「少なくとも、レイにとって、こんなにワリのいいバイトは、今後見つからない」
そうなのだ。バイト扱いのくせに、近衛隊って給料めっちゃいいんだよー! 王様ありがとう!
しかもバディ組んだら、さらに手当ついてさ。仕送りもかなり増やせるようになったんだ。
「俺の顔なんて、どうせトラブルしか生まないんだから」
自嘲するアルは、相変わらずきらきらしてて。
こんな綺麗な顔がトラブルしか生まないなんて、どうかしてるよ。
おかげでアルは自分の顔が嫌いみたいだ。
そんなのやだな。わたしがやだ。
アルの綺麗な顔、好きなのに。
やっぱり、触っちゃ駄目かなあ。
「それにさ、レイ」
えー、まだあるの? わたし、何した?
「今回の召喚、シルフだよね」
アルはわたしが召喚できるやつらを知っている。
もちろんアルにやつらは見えないけど、その特性や性格はきっちり把握している。
実は子供の頃、アルとこっそり『召喚遊び』をして遊んでいたのだ。
魔法適性審査なんぞする前から、召喚魔法の真似事は、けっこうやっていたわたし。
アルと二人の時しかやらなかったけど、召喚しての怪奇現象は、二人で数多く目撃している。
常識はずれなことが唐突に起こるので、子供のころはただ喜んでいた。
今考えると、とても恐ろしいことをしていたのかもしれない。あんまり、詳しく思い出さないようにしよう。
「シルフって、指示も攻撃も一番早いから。早くカタ付けたいなーと思って」
「キミ、子供の頃、シルフに魔力持っていかれて、死にかけたことあったよね!」
……ありました。当時からエゲツない搾取をするヤツで。
魔力を取られすぎて、二日間ほど目覚めなかったことがある。
いやー、あの時はご心配おかけしました。
「シルフはもう、召喚するのやめておきなさい。いい?」
「はあああい」
ちゃんと反省したわたしを見て、アルの目が優しくなる。治癒魔法も優しい。
昔から、アルの治癒魔法は優しい。しかもどんどん上達している。
子供の頃のアルに、なんでだか聞いたことがある。
「身近にいつも怪我ばかりする女の子がいるせい」と答えていた。わたしのせい、だった。
なんか、なつかしいな。
「アルってチビの頃、泣いてばっかだったよね」
「……嫌なこと思い出すなよ」
「可愛かったんだよー、しくしく泣く姿が」
「止めろって」
嫌そうに、その綺麗な顔をしかめている。随分と精悍な、青年のそれだ。
変わったなあ。
「カッコよくなったなあ」
アルが目を見張ってわたしを見ている。ぼんやりしているわたしは気にならない。
小さい頃の面影のあるアルが、大人になって目の前にいる。
さっきまで戦っていたアルの姿が思い出されて、思わず微笑んでしまった。
結構格好いい、大人の男がそこにいた。
わたしはアルの顔に手を伸ばした。
あ、やっと触れた。アルの顔。
綺麗だけど、男の顔だ。
「男らしくなったね」
「レイ」とかすれた声でアルに呼ばれた。
わたしは答えられない。
見たことの無い至近距離で、目を閉じたアルの顔がある。
まつ毛、長い、多い。
切れ長の目。
彫りが深い。
整った眉。
口、柔らかい。
……口、やわらかい?
アルがハッと口を離して、即座にその場に土下座した。つむじがしっかり見えている。
世界でいちばん、美しい土下座姿勢だと思った。
じわっと、わたしにも理解が及んできた。
……キス、されたのか、わたし。
「ごめんっ」
アルが頭を下げたまま謝ってきた。
なんだ……なんだったんだ……。
「……好きぃぃぃ」
「……へ?」
「レイが、好きぃぃぃっ!」
くぐもった声でアルがうめいている。
そりゃそうだ、土下座ポーズのままだもの。
……何、好きって。
わたしが、好きって。
キスからの好きって、まるで告白じゃん。
――――ってか、これは告白か!
わたしは、わたわたと両手を騒がした。もちろん何の意味もない。
どうしよう。これ、答えなきゃいけないやつなのかもしれないけど、何をどうすればいいのか、全く見当がつかない。
周囲を見渡すが、助けになるようなものは何も無い。そらそーだ、人気のないとこ探したからね!
肝心のアルは土下座姿勢のまま、ピクリとも動かない。
超綺麗な造形物だけど、そのままにしておくわけにはいかない。
しょうがないので、そーっとつむじを、つんつんつついてみた。
ゆっくりとアルの顔が上がってくる。
ブルーグレイに光る美貌の涙目は、なぜかこちらに罪悪感を与える。
わたし悪くない……よね?
「ええっと、それで、どうしましょうか」
「……レイはどうなの?」
「ななな何がっ?」
「だから、レイの気持ちはどうなのかって」
わたし?
わたしの気持ち? 何が、何の、何で?
思考が纏まらずに、またもわたわたするわたし。
アルは両手でわたしの顔をつかみ、自分に向かせた。まっすぐな視線がわたしに突き刺さる。
「俺は思わずキスしちゃうくらい、レイのことが好きなの。
レイは俺のこと、好きじゃないの?」
噛み砕いた説明、ありがとうございます。
ようやく回転の悪い頭でも、理解できるようになりました。
アルのことを好きかどうか、答えます。
簡単簡単。
アルでしょ。えーっと、アルでしょ。
アル……。
………………あまりに身近すぎて、まるで分からねえ。
アルのこと、どんな風に普段見てるんだ?
でっかいのが隣に立ってんな、とか?
こんだけきらきらしてたら、夜も照明いらず、とか?
いや、さすがにそれだけじゃないだろ、わたし!
もうちょっと、掘り下げてみろや!
……アルは好きだよ。頼りにしてるよ。バディだし。
幼なじみとしても、いい奴だと思うよ。へたれだけど。
だけど、キスしたいと思ったことはない。
一度もない。
そもそも、そういう概念がわたしの中にない。
……それが答えだろうなあ。
「アルをそういう風に、見たことない」
「……そうだと思ってた」
アルが寂しそうに笑う。
目に溜まっていた涙がひとつ、耐えきれないように流れ落ちた。
綺麗だな、と思った。でも見たくないな。
わたしはポケットのハンカチを取ろうとして、違うものが手に触れるのを感じた。
これは、もしや……。
黄昏た雰囲気満点のアルに、わたしは黙って手に触れた何かを差し出した。
それは、先程の居酒屋で使っていたフォーク。
喧嘩の時、何かの役に立つかもしれないと、くすねていたんだった。
「アル。さっきの店、支払いしてないよね……」
「――――!」
喧嘩の場面を思い出して、沈痛な面持ちで頭を抱えるアル。
支払う間なんてなかったし。喧嘩終わった途端、逃げ出したし。
今現在の我々は、ただの食い逃げ犯である。
アルの涙は引っ込んだようだ。
「レイ、憲兵まだいると思う?」
「いるんじゃない? ちょっと派手な流血沙汰になっちゃってたし」
「……裏口からなら、見つからないか」
「よし、頑張れよ」
「レイも行くんだよ! ジョッキ壊したりカトラリー盗んだりしたの誰だよ!」
「おおぅ、思い当たる節しかない」
わたしたちは、ちょっと犯罪者の気分を味わいながら、店に戻ることにした。
二人の距離感が変わらないことに、すごく安堵を覚えながら。
アルはまだ次期侯爵です。そのうち侯爵になります。
タイトル嘘っぱち疑惑、更新中。