19 危険な魔法
危機一髪。
カン中隊長に経緯を話し、レールド家の調査が極秘理に進められている。
軍の内部でも、水面下で情報がかき集められているそうだ。
レールド家の金の流れとか人の流れとか、その辺はわたしたちでは掴めない情報なので、ノータッチである。
我々ができることと言ったら、転送器の発見と、カウパト山から出ている、魔石隠蔽の証拠を掴むこと、になってくる。
実際、レールド家に魔石と転送器がセットであるとしたら、実に理にかなっている。
魔石を馬鹿みたいに使う転送器だが、自分の山で魔石が取れれば、ランニングコストはかからないようなものだ。
問題があるとしたら、この国のすべての魔石は王国の管理下に置かれている、ということだな。
勝手に採掘・使用していたら、間違いなく捕まるだろう。
ギャラクに何度も呼び出されたレールドの屋敷には、転送器や魔石を保管する特殊な建物は見られなかった。
レールド家の他の持ち家も調査が入っているが、怪しいものは見つかっていない。
そんな中、軍が一番怪しいと睨んでいる場所がある。
レールド家の経営する、精錬所だ。
掘り出した鉱石を金属に分別する作業場である。
かなり規模が大きく、敷地も広い。
鉱山に隣接した立地にあり、カウパト山の裾野を背後に背負っているような場所だ。井戸水も豊富に使えるため、作業場としては最適らしい。
ここの調査に許可が下りたのは、それからしばらく経っての事だった。
その日は鉱山で魔物出没の報が入り、朝からバタバタしていた。
アルは魔物出没の現場に向かわなくてはいけなくなり、わたしは精錬所へ調査に向かった。
なんせ、転送器の実物知ってるの、わたしとカン中隊長だけなんで。中隊長自ら調査に出向くわけにもいかず、わたしが便利に使われている。
もちろん、わたしの他に調査員兵士が、十名ほどいる。名目で言うと、彼らの調査がメインだ。通常の武器を扱う工兵と、魔道具を扱う工兵なども混じっている。専門家も必要になって来るであろう、という配慮だ。
カン中隊長がわたしに護衛として、屈強な女性兵士をつけてくれた。
一兵士に護衛とは? とカン中隊長に尋ねたら、「君に何かあったら、俺の責任になるんだよ」と苦笑いで答えてくれた。そういえば、一連の情報の提供は、ノームだった。
わたしは軍の中で、召喚士として重要人物になってしまっているらしい。貧相な重要人物で、すんません。
わたしの護衛さんは、大きくて筋肉むきむきなおねいさんだった。笑顔が素敵である。
女性でここまで鍛えてるって、相当だなー。
「おねいさんおねいさん。腕触ってみていいですか?」
「どうぞ」
「おおー、ガチガチだー。すげー」
「私は腕力だけですから。
戦闘状態に入ったら、カリキス副官に適うとは思えません」
「わたしなんぞ、魔力っていうゲタ履いてる、ただのチビですよ」
「それ、他の兵士に言っちゃだめなヤツです。
自信なくして軍を辞めるやつ、続出になりますからね」
お茶目に片目を瞑ってくる、おねいさん。
すごく、いい人そうだ。
精錬所へ向かうと、スーツを着た男性が出迎えた。
精錬所の所長さんだそうだ。
小金持ってそうなおじさんだ。
工兵の兵士が代表で挨拶をかわしている。
所長の受け答えに、特に怪しいところもない。
そのまま精錬の作業場へ向かうことになった。
作業場はいくつかの建物に分かれて建っていた。
そのうちの一つの作業場の入口で、見たくないやつが出迎えに来た。
ギャラクである。
相変わらず派手な衣装で、宝石の光るアクセサリーを身につけている。
香水までつけているようで、甘い香りがしている。
やはり、チャラい。
「おや、ローレイちゃんも調査員なのかい」
「……どうも」
おねいさんがすぐに、わたしの前に立ってくれる。
いやん、頼もしい。
「カリキス副官に近づかないでください」
「知り合いがいて、安心しただけですよ。
ねえ、ローレイちゃん」
にやりと笑う顔が気持ち悪い。
だめだ、こいつは生理的に無理。
ギャラクはこの精錬所の、オーナーである。さっきの所長さんがぺこぺこしている。そういう関係性なのね。
彼らは調査員たちを、精錬の作業場の一つへ案内した。
かなり大きな建物だ。
金属を溶かし精錬する場所なため、頑丈そうである。上部に設置された換気窓からの熱で、外まで熱気が溢れている。相当暑い。
「中は大分高温になっています。
危険ですから、作業員の指示には必ず従うように願います」
「質問などは自由にしても?」
「構いません。何でもお聞きください」
ギャラクと調査員たちは作業場の中に入って行く。
扉の向こうに、たくさんの作業員と、時々炎が見えた。
おねいさんが続こうとして、わたしを促した。
「カリキス副官?」
「……ここじゃないと思う」
「なぜです?」
「魔石を扱う場所は、一般作業員のいる建物内には置かない」
わたしは作業場の外周を辿った。
作業場の奥には、これもかなり大きな倉庫。続いて作業員たちの休憩場、医務室などの建物が並ぶ。
さらにその奥に、平屋建ての小洒落た建物が建っていた。背後にはカウパト山の岸壁が迫っている。
レールド家の一族が使用する棟だろう。明らかに金かかっていた。
「あそこが見たいな」
「勝手に入って、大丈夫でしょうか」
「ちょっと迷ったフリしようよ」
「騙されないと思いますが……」
「迷子の演技なら、自信がある」
「……」
見つかったら、一緒に謝りましょうねと言ってくれた。おねいさんは、やっぱりいい人だと思う。
建物の中は、それほど広くはなかった。
リビングルーム一つと、ベッドルームが二つ。ダイニングルームが一つ。
小綺麗に整えてあって、あまり使っている様子はなかった。
どの部屋を探してみても、転送器は見つからない。
あとは魔石を保管できるような設備か。
わりとゴツくなると思うんだけど。
リビングルームを見渡して、わたしは思案した。
ここでもないか。
後はどこ探せばいいだろう。
外にまだ何かあったかな……。
「……ああん」
ため息のような声と、どさっと隣で何かが倒れる音がした。
おねいさんが、床に崩れ落ちている。
「おねいさん?!」
「……随分、嗅ぎ回ってくれたみたいだね、ローレイちゃん」
ギャラクがいた。
相変わらずニヤけた顔をしながら、わたしに近づいてくる。獲物を狙うような、野卑な気配が加わった。
「おねいさんに、何したの」
「護衛が女でよかった。俺の力が使えるからね」
ギャラクの瞳が揺れた気がした。
途端に、ぐらりと目眩がする。
魔法防御が間に合わない。
目眩がするのに、ギャラクの青い目から目が離せない。
「以前掛かりが悪かったから、強めにしてみたよ。
わかる? 俺の能力」
「……魔法……」
「そうだ。護衛の子は魔法防御力が弱いようだね。すぐに意識を奪えた。
さあ、俺の魔法は、何ていう魔法かな?」
ギャラクがすぐ目の前に立った。
濃い金髪がわたしのすぐ目の前にある。
甘い香水が漂った。
……欲しい、と思った。
そんなはずないのに、すごく欲しいと思った。
わたしの心を全部預けてしまいたい。
そしてギャラクの心が全部欲しいと。
そんなはず、ないのに……!
「……チャーム」
「正解だ、ローレイちゃん」
魔法、チャーム。
対象を強制的に自分に魅了させる魔法。
要は魔法の力で、無理矢理惚れさせるってことだ。
なんでそんな危険な魔法、こんな危険な男が持ってるんだよ!
わたしはギャラクの魔法から逃れようと、一二歩後ずさる。目ざとくそれをに気づいたギャラクが舌打ちした。
「……まだ落ちないのか。あんたの魔法抵抗力は相当だな」
ギャラクの瞳がさらに揺れた。
わたしの頭がくらくら回る。
ギャラクの手がわたしの身体を抱き寄せた。
気持ち悪いと思うと同時に、歓喜が沸き起こる。
自分の感情がコントロールできない。魔法の力が感情をねじ曲げる。
「女にしか使えないんだが、なかなか強力だろ?
女であれば、何でも落とせる。雌の動物だろうと、傾城の美女であろうと……」
ギャラクがわたしの唇を指でなぞった。
とろりと気持ちいい気がした。
違う違うと、わたしがどこかで叫んでいる。
「あんたみたいな、女まがいなガキだろうとね」
ギャラクが自分の言葉に、肩を揺らして笑う。
「俺はこの能力のおかげで、いつでも美女を抱き放題だ。だからさあ、飽きるんだよ、美女ばっかじゃ。
たまにはこんな珍味も味わっておかないと」
それにさ、としたり顔でわたしを眺める。
「あのお綺麗な顔した隊長さん、あんたを寝盗られたと知ったら、どんな顔すんのかな?
見てみたいじゃん、美形の吠え面」
……それは、アルか?
アルのことか?
ギャラクはわたしの顔を上向かせ、その顔を近づけた。
甘い匂いがさらに濃くまとわりつく。
益々とろりとした気分が心を満たす。
「どんな味するのかな、ローレイちゃん。
楽しみだな。
軍の情報は、コトが済んだら、ゆっくり聞かせてもらうからね」
……わたしは体の全ての力を抜いた。
わたしが観念したと思ったギャラクが、わたしを抱く力を強め、ねっとりと目を光らせる。
ギャラクの唇が、わたしの唇に届きそうになった。
その寸前、全魔力を使ってわたしは右手を動かした。
人差し指を突き出して、ギャラクの鼻を押し上げた。
鼻の穴が全開で見える。
「……豚っ鼻。
へっ、ブッサイク」
豚っ鼻を晒したギャラクはそのまま、一時硬直した。
イケメン風なその豚鼻面は、しっかりとブサイクだった。
直後に、怒りでギャラクの顔が朱に染まる。
ギャラクのチャームが緩んだ隙に、わたしは自分の身体と心の支配権を取り戻した。
変な気持ちはもう起こらない。嫌悪がしっかりと勝っている。
ただ、まだ自分の魔力を操れるほど戻ってこない。
わたしはそのまま、ギャラクに力ずくでソファに押し倒された。
「テメエ、ふざけんなっ! 珍味のくせに!」
「そっちこそふざけんなっ! 魔法使って女抱いてんなら、犯罪だ!」
「それも含めて俺の魅力だ!」
「勝手なことほざいてんじゃねえ!」
目いっぱい抵抗してたら、唐突にふっと軽くなった。
ギャラクが、わたしの上から持ち上げられている。
アルがいた。
本気で怒ったアルが、両腕でギャラクの襟首を掴み、持ち上げていた。
そのままギャラクを、壁に叩きつける。勢いで壁がめり込んだ。
呆気に取られている兵士たちに、すぐに指示を投げた。
「婦女暴行の現行犯だ。すぐに憲兵に引き渡せ」
「はっ!」
「魔法による余罪が多数あると思われる。徹底して洗い出すように」
「そのように連絡致します!」
「作業員に聴取を取る。作業場の人間は一人も帰すな」
「わかりました!」
「敷地内をくまなく調査せよ。魔石保管庫と加工場があるはずだ」
「了解しました!」
「廊下に倒れている女性兵士をすぐに医療班へ。
チャームの魔法が掛けられている可能性がある。解呪の能力者を至急手配」
「はっ! ……ソファの、そちらの女性兵士は?」
「……必要ない。行ってくれ」
アルが連れてきた兵士たちが、テキパキと動き出す。鼻血を出して意識を失っている、ギャラクが連行された。
おねいさんも丁寧に連れて行かれた。よかった。
兵士たちが皆出払うのを、わたしはソファの上でボーっと眺めていた。ギャラクの魔法の残滓が残っている気がする。ゆるく頭を振った。
そういえば、屋敷のメイドさん達に、ギャラクは指を鳴らして正気付かせていた。あれが解呪か。
解呪はないけどなんとか自分を取り戻したし、消費した魔力が回復したら元に戻るだろう。
アルが膝をついてわたしを覗き込む。
「レイ? 大丈夫だった?」
「アル。
……お前、大丈夫じゃないな」
アルは全開で泣いていた。
綺麗な目から、ぼろぼろ涙がこぼれている。
即座にわたしの腰にしがみついて、顔をわたしに押し付けてきた。
「ギャラクの能力がチャームだって聞いて。
……間に合わないかと思った! もうダメかと思った!」
「わたしも、ちょっとダメかも、とは思った」
「レイに何かあったらどうしようかと」
「危なかったけど、何もなかったし」
「何かあってからじゃ遅いんだよっ!
……心配させんなよ。おとなしくしてろよ」
「それは無理な相談かな」
「知ってるよ! 言わせろよ!」
なんか、すんません。
アルがグスグスしながら顔を上げた。
それでもきらきらしてんだから、すごいよな。
……ああ、そうか。
「アルのおかげで、抵抗できたのかも」
「俺?」
「わたしはアルのきらきら、毎日さんざん浴びてるんだよ」
「うん」
「ギャラクのチャームの効きも、悪いはずだよ。
きらきらで免疫できてるっての」
「……俺の体質が、役に立ったのか?」
「そう。アルのおかげだよ。
ありがとう、アル」
きゅっと、アルの頭を抱きしめる。
アルの耳が真っ赤になるのを見て、思わず笑ってしまった。
よく見ると首筋まで赤い。
そこで、わたしは気付いた。
アルってなんか、いい匂いしない?
さっきの、ギャラクの甘い香水が鼻に残っていて、胸くそ悪かったんだよね。
アルって、香水つけてないし、アルの匂いだよね。
爽やかっつーか、香ばしいっつーか。
アルの首元に顔を近づけた。
アルが硬直している。
気にせずアルの首筋に鼻をつけて、くんくんしてみた。
うん。これはいい。
新発見だ。
ただ、アルが慌てだした。
なんだか両手を上げて、すごくわたわたしている。騒がしい。
「……レイ、それはマズイ。無理だ」
「何が?」
「……俺が」
「?」
きょとんと顔を上げたわたしに、アルが覆いかぶさってきた。深く口付けされる。
今度はわたしが、わたわたし出した。
ちょっと待て。口が塞がって息できない。
何が、どうしてこうなった?
アルを叩くが、言うこと聞かない。
息ってどうするんだった? こうだっけ?
「…………んっ……」
……我ながら、変な声出た。
それにより、アルに火がついたようだ。
もっと深く求めてくる。
ダメだ。息が持たない。
アルはどうやって息してんだ?
死ぬ。死んじゃう。こんな死に様は、想定してない!
だからわたしは、なんとか魔力を繰り出すことにした。
一箇所に魔力を集中させる。
――――せぇの。
ビリリリリリリリリリッ。
……口を抑えて、悶絶するわたしたち。
唇のヒリヒリがヒリヒリで、痺れて痛い。
「……何した?」
アルがまだ口を抑えたまま、わたしに涙目をむけた。
わたしも口を抑えながらもごもご言う。
「あんまり止まらないから、魔力を唇から流したらどうなるかと思って」
すごく激しい静電気が、ものすごく長く流れたと思ってください。
とても、痛いです。
アルが両手で顔を覆ってうめいた。
ソファにその綺麗な顔を突っ伏す。
その後、バシバシソファを殴っていた。
かなり力任せだった。
「バカっ、俺のバカっ!
ちょっとレイが応えてくれたとか、喜んでるんじゃない!
レイだぞ、あのレイなんだぞ! そんな素直なレイは、有り得ないだろが!!」
……ちょっと、アル。
なんか、酷い言われような……気がする。
でも正座しとこう。多分、その方がいい。
アルはちんまり正座したわたしの前で、まだ身悶えている。
「この、無駄に器用な魔力の扱いと、発想が大逆転した魔法の使い方。
役に立たない天賦の才能、いらん才能、才能の無駄っ!」
やっぱり、酷い言われ方してる気がする。
完全に呆れられたとしか、思えない。
そりゃそうだ。助けてもらってからの、これだもん。助けた甲斐ないもん。かわいくないもん。
だからわたしは、恐る恐るアルを見上げて、尋ねた。
「……アル」
「なんだよっ」
「……わたしの事、嫌いになった?」
「大好きだっ!」
ちょっと食い気味に反論された。
ブレない男だった。
その後、現場の指揮に戻ったアル。
真っ赤な口紅を塗ったような、ふっくらとなまめかしい唇をしたアルは、控えめに言って妖艶な美女、というビジュアルになっていた。
「今日の小隊長、色気が半端ねえ」「あれで男ってサギだよな」と兵士たちの間で噂が瞬く間に飛び、入れ代わり立ち代わり見物人が押しかけた。
ますます機嫌の悪くなるアルを、わたしはなるべく避けて過ごした。