彼女とは婚約解消した方がいい
───彼女といるのは、君の為にならない。
───彼女にあれだけ言われて、君は何も思わないのか?
─────彼女とは婚約解消した方がいい。
耳にタコができるほど聞かされた、忠告とも言えるようなその言葉たち。
彼女とは、僕─アンリ・ルメールの婚約者、エマ・クラルティ。男爵家次男である僕が、学園を卒業後婿入りすることになっている伯爵家の長女だ。
波打つ赤毛が印象的で、美人ではあるが、少しだけ吊り上がり気味な目がきつい印象をもたらしてしまうこともある。
だからこそ、余計にでも彼女からの僕への言葉が、学友たちには酷く聞こえてしまうのだろう。
「彼なんて、顔も性格も平凡で地味な男よ。運動もできずノロマだし。いいところなんて、ちょっとばかし成績がいいことくらい」
放課後。週末、先月開店したチョコレートパフェが美味しいと噂のカフェや、観劇にでも誘おうかと彼女の教室へと向かうと、教室へと入る一歩手前で、彼女の声でそんな言葉が聞こえた。
人が少ない教室には思いの外声は響くらしい。と呑気に考えながら、音を立てないように静かに教室へ足を踏み入れた。
─婚約解消した方がいい。
そう言われてしまう理由は、彼女の“これ”である。
「あら、そんなことないわよ。実直そうで優しい方だと思うわ」
「そうよ。この前、先生に沢山の荷物を運ぶよう頼まれて困っていたとき、手伝ってくださったもの」
「ふん。言い換えれば、それだけしか取り柄がないってことでしょう」
僕から見たエマはこちらに背中を向けていて、どんな顔をしてこの会話をしているのか伺い知ることができない。
また、背中を向けている為、僕に気づく様子もない。
さて、どうしようか。と少しの間悩んでいると、エマの向かい側に座っている彼女の学友が僕に気づき、そっと目配せを僕に送ってきた。
僕はそれに軽く頷くと、引き続き静観することに決めた。
「あら、そんなことないわよ。彼、意外と女生徒には人気があるのよ?」
「そうよ。今噂のカルメル様からもアプローチをされてるらしいわよ」
カルメル嬢とは、元平民であったが子爵家の養子となり、最近学園に編入してきた女生徒のことだ。
「ふん。彼が男爵家で平民に近いから、他の生徒に比べて話しかけやすいだけでしょ」
─それに、今噂とは。決して良い噂ではなく、元平民ということから不慣れを免罪符に、婚約者のいる男子生徒にも馴れ馴れしい。と不名誉な噂だ。
「あら、そんなことないわよ。高位貴族からも慕われてるのよ?」
「そうよ。ポートリエ様からもアプローチをされてるらしいわよ」
ポートリエ嬢とは、公爵家の令嬢であり、今学園の中で一番身分の高い女生徒のことだ。
「ふん。彼とポートリエ様となんて、身分が違いすぎて話にならないわ」
─それに、ポートリエ様には婚約者がいる。
アプローチをされてると言うのは、少し語弊がある。熱心に生徒会に勧誘されている、が正しい。
「それに。出かけるのはカフェや観劇ばかり。彼には面白味がないのよ」
─まさしく。
今、またカフェや観劇に誘おうとしていたところだ。
僕に気づいてるエマの学友と目が合うと、彼女は僕に苦笑いをこぼした。僕は曖昧に笑ってそれを誤魔化す。
「あら、それなら彼とは婚約解消してはどう?」
「そうよ。エマの方が身分は上なんだし、難しい話ではないでしょう?」
─婚約解消。僕自身、ずっと周りから言われ続けている言葉だ。
「ふん。彼みたいな人、わたしくらいしか貰ってくれる人なんていないわ。そんな可哀想な人、捨てるわけにはいかないわ」
先程までの、意外と女生徒に人気がある。アプローチされている話なんてなかったことにし、その上、結局僕を手放そうという考えのないその返しに、思わず「ふふっ」と小さな笑い声が漏れてしまった。
その笑い声に大袈裟なくらい肩を上げたエマが、淑女のしの字もないような勢いでこちらを振り返り顔を向けた。
その顔は赤く、口をぱくぱく開いては閉じてを繰り返しているが、「あ」「う」と情けない声を出すだけである。
「僕を貰ってくれるんだ?」
「ど!どこから聞いてらしたの!?」
「彼なんて、顔も性格も平凡で「ほとんど最初からじゃない!」
エマが質問に答える僕の言葉を大声で遮る。
羞恥からか、体が小さく震えているのは気のせいではないだろう。
─婚約解消した方がいい。
そう言われてしまう理由は、彼女の“これ”である。
が、婚約解消しない理由も、彼女の“これ”である。
なにも、エマは誰彼構わずこういったことを言ってる訳ではない。
他人、知り合い、既婚者、未亡人、未婚者、学園生徒、学友、まだ小さい子ども問わず、僕の話をする“女性”にだけこういったことを言っているのだ。
─万が一にも、僕に好意を寄せない為に。
“女性”たちは“これ”が照れ隠しやある種の牽制であると理解しており、生暖かく見守っているのだが、“これ”を偶々聞いた僕の学友や“男性”たちが僕に忠告をするのだ。
─彼女とは婚約解消した方がいい。と。
僕としては、最初こそショックを受けたものの、“これ”はエマの愛情表現だと知り、それから忠告を受ける度、嬉しく思うようになったのだ。
エマが僕に心を向けている事実に。
─それに。
僕が揶揄う度大袈裟なほど反応をしてくれる彼女が、すぐに赤くなってしまう彼女が、照れ隠しや牽制の仕方が斜めっている彼女が、僕は堪らなく可愛く思える。
この栗色の髪や瞳、取り立て上げることがないようなパーツばかりの顔や、同年代と比べ落ち着いてると評価される性格を好ましく思ってくれていることも。
乗馬が苦手な僕の為に、なんだかんだと言いながら一緒に付き合ってくれることも。
テストで1位の成績をとった僕を、自分の事のように喜び、心からの「おめでとう」をくれたことも。
何も個性がないと落ち込む僕に、あなたはここが素敵だと一生懸命伝えようとしてくれたことも。
嫉妬してくれることも。
好きなものを覚え、一緒に趣味を楽しめるのが嬉しいと思っていることも、
僕は知っているから。
─彼女とは婚約解消した方がいい。
と、何回何十回何百回何千回何万回と言われようとも、僕は今日も彼女の婚約者で在り続けるのだ。
「でも、僕を貰ってくれる人がいなくても僕が貰う人がいるかもしれないよ」
「だ、男爵家の次男に嫁ごうなんていう酔狂な方なんていませんわ!」