大事な戦を邪魔されました。
天獣帝と呼ばれる天子の収める都
“エスカニヤ”
雲を突き抜けるように白くそびえ立つ塔の城。
”天楼城”を中心に、東西南北の四方を守護する
北武城、東龍城、西虎城、南雀城の四つの護城が建っている。
護城は天楼城を守護すると同時に
「東氏」「西氏」「南氏」「北氏」と、扇状に分割された領地を統治していた。
この日。
東龍城と西虎城ではまだ夜が明けきれない時間であるにも関わらず、人の出入りが慌ただしかった。
城中の誰も彼もが殺気立ち。
鎧を纏った兵士や官服姿の文官達が、大きな荷物や大量の書簡を持って彼方此方へと駆け回っていた。
東氏軍、西氏軍による戦が始まろうとしていたのだ。
ー東龍城・司令部「群青の間」ー
「エル。準備はどうだ」
黒い軍服に身を包んだシルバートが、猫の耳と尻尾を持つ金髪の少年に現状を尋ねた。
「シルバート様。
荷はあらかた積み終えました。
もう間もなく全てが整います。」
「よし。
では予定通り七の鐘で出陣する」
「心得ました。
我らが東氏の主。シルバート様のご武運をお祈り致します」
シルバートはその言葉にうなづくと、まだ暗い空の下。
薄っすらと姿を現し始めた西虎城を睨み付けた。
「クロード。
今日こそ決着をつける!」
一方、西虎城でも戦の準備が終わろうとしていた。
ー西虎城・中園練武場ー
従者を率いたクロードが練武場に現れると、集まった騎士達が剣を掲げた。
「聞け!
今日こそは、我が愚弟シルバートの首を取る。
剣の導くままに我らが宿敵、東氏の軍兵を討ち滅ぼせ!」
クロードの言葉に騎士達から歓声が上がった。
「シルバート。
貴様の生意気な顔を見るのもこれで最後だ」
ー東龍城、西虎城「闘門前」ー
それぞれの護城には、軍事のみ開かれる “闘門”と呼ばれる巨大な扉がある。
門前には既に数千の兵士が待機し、今か今かと刻の鐘を待っていた。
空が白み。陽の光が指し始めた頃、天楼城の大鐘が刻を知らせる鐘を打ち始めると、それを合図に闘門の重厚な扉がゆっくり音を立て開いていった。
開門を終えると、城主 (シルバートとクロード)は出陣の遠吠えを上げ。
両軍は進軍を開始した。
彼らが目指すのは一山越えた先に拓かれた。
東ヶ原と呼ばれる戦場である。
両者は向き合うように陣を構え、戦闘体制を整えると。
空から斥候が狼の紋章を縫い込まれた、黒と銀の旗を同時に振り下ろし合図を送った。
「突撃!」
その一言を皮切りに。
兵士達は鬨の声を上げ、一斉に敵陣目指し進軍した。
獣人達の足は早い。
たとえ歩兵であっても、スピードに特化した四足形態をとる事で騎兵と同様の速度で進む事ができる。
瞬く間に敵の姿を捉えると、そこから更に加速し敵を蹴散らしていく…。
筈だった…。
ところが先頭を走っていた兵士達は、突然血飛沫を上げ倒れていった。
異変に気付いた後衛は慌てて減速を始めたが…。
時すでに遅く。
そのまま前衛の部隊に激突してしまった。
「何事だこれは…」
シルバートもクロードも目の前で起きた出来事を理解できなかった。
両軍合わせて一万を超える兵が、あっという間に崩れ去ってしまったのだ。
ふと。
シルバートの目に少女の姿が飛び込んできた。
あの娘は?
何故こんな場所に…
まさか…我らの邪魔したのはこの娘か?
馬から降り。
近づこうと歩みを進めたその時。
見えない何かに阻まれた。
「壁…?」
(陣を崩したのはこれか…)
予想を超えた出来事に戸惑いながらも。
シルバートは目の前でうずくまる少女へ声を掛けようとした。
ところが。
「おい。貴様一体何をした!」
一足先に壁の向こうでクロードが少女に向かって声を荒げた。
「小娘!何故我らの邪魔をする!」
後手に回ったシルバートは、クロードに先を越された事に苛立ち。
うっかり声を荒げてしまった。
しかし目の前の少女は顔を上げると、キョトンとした様子でこちらを見つめ返してきた。
だが両者の問いに何も答えようとはしない。
「これは一体どういう事なのでしょうか…」
明るい茶の髪を一括りに纏めた。
鹿の角と耳を持った男が馬から降りると。
起き上がった兵達がペタペタと見えない壁を探る様子を眺めながら、シルバートの側へと近づいた。
「ダン。中央司書官の家系である君だったら何か思い当たる事があるんじゃない?」
エルは濃いグレーの髪と丸みを帯びた耳を持つがたいの大きな男に尋ねた。
「いや…このような事象は文殿の書物でも目にした事はない。
おそらくエスカニヤ最古の文献にも記録はないだろう」
ダンと呼ばれた男もまた首を傾げ困惑している。
「フィル。負傷した兵の様子は?」
シルバートが鹿角の男に尋ねた。
「出血は派手でしたが。
殆どの者は頭部の裂傷だけで、現在のところ重傷者はおりません。
衛生隊が傷の接合処置を行っておりますので、西氏軍との戦い自体に支障はないと思われます。
ですが…」
フィルは壁に手を当て言葉を濁した。
「シルバート様。如何なさいますか?このままでは御勤めを果たす事ができませんが…」
どうやらエルも困惑している様子で、フィルの報告に割って入った。
「エル。少し落ち着け」
「すまないフィル。続けてくれ」
「あ。…はい。
この正体不明の壁も問題なのですが。
兵達の間で動揺が広がっており、徐々に士気も落ち始めております。
この状況が長引けば、戦闘を続行させるのは難しいかと…」
「そうか…」
フィルの言葉に、シルバートは頷くしかなかった。
「エル。
ひとまず兵達の手当を優先させろ。
状況次第では西氏軍との共闘もあり得る。
くれぐれも身を引き締めよと各部隊へ伝令を回せ。
もう一つ。
元狼様へ、事の詳細を報告せよ」
「はっ!」
焦りで会話を遮った事に落ち込んでいたエルだったが、主の言葉に気を取り直し。
深く一礼すると瞬く間にその場を後にした。
シルバートは未だ無言を貫く黒髪の少女の方へと視線を戻し。
謎の壁の正体について考えを巡らせていた。
だが何より気になっていたのは、壁の正体よりも目の前の”彼女自身“だった。
これまで見たことないほどに艶かしく艶のある長い黒髪と、日焼けしていない玉のような白い肌。
黒く大きな瞳が印象的な美しい少女に、何故か惹かれずにはいられなかったのだ。
言葉が通じていないのだろうか…。
或いは耳が不自由なのだろうか。
(ならばこちらの言葉に反応しないのも頷ける)
そう考えると急に彼女が不憫に思えた。
しかしこの娘。
何という度胸の持ち主だ。
普通ならば、これ程の兵士を前にああも落ち着いていられる筈はないのだが…。
見たところ武器を隠し持っている様子はない。
種族を特定できる特徴がない事と、あの奇妙な格好を除けば普通の娘にしか見えない。
だが…何故こうも気になる?
まさか妖か?
いや、そんな禍々しさは感じられない。
だが何かがおかしい…
妙な胸騒ぎがした。
クロードも同じ事を感じているのか、彼もまた少女を凝視したまま動かない。
その後もシルバートとクロードが根気強く何度も話しかけたが、答える素振りを見せず。
それどころか睨み返してくる始末だ。
未だ“壁”が消える気配もなく。
手がかりとなる少女は押し黙ったまま。
しかしこの状況をどうにかしない事には、戦どころか東氏への帰還さえ怪しくなってくる。
時間だけが虚しく過ぎてゆく。
何とか打開策はないものかと考えを巡らせていると。
突然少女が何かに狼狽え。
急に立ち上がると袖をまくり、腕に巻かれた何かを凝視した。
「あ“ぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ‼︎⁈」
叫ぶと同時にいきなり頭を抱えこみ、苦悶の表情を見せその場にへたり込んでしまった。
彼女の不可解な行動に、兵士達の間で動揺が広がり始めた。
(このままではまずい…)
クロードも同じく焦りを覚えた様子だったが。
それ以上に打っても響かない相手と、何もできないこの状況にイラついたのだろう。
不満をこちらに向けてきた。
「シルバート!これはお前の仕組んだ事ではないだろうな!」
「馬鹿な事を言うな!
それはこちらのセリフだ。
貴様こそ姑息な策を仕掛けたのであろう⁈」
「誰が姑息だと⁈」
「クロード。貴様以外に誰が居るというんだ!」
そこから先は、シルバートとクロードの言い争いが続き。
とうとう双方の側近達に肩を掴まれ宥められた。
何とか落ち着きを取り戻すと二人はその場に座り込み、再び少女の様子を伺うことになった。
更に時が立ち。
正午も近くなった頃。
少女は背負っていた袋から包を取り出すと、こちらを睨みつけながら食事を始めたではないか。
(…この状況でよくも飯が食えるものだ)
初めこそ呆れた気持ちで眺めていたシルバートだったが。
何やら旨そうに食事する少女を見ているうちにだんだん腹が立ってきた。
それはクロードも同じだったようで、ついに口火を切った。
「おい貴様!何をしている!
それは食い物か?
ずっと人の事を無視しておきながら一体どういう了見だ!」
少女のこれまでの不遜な態度に、クロードが喚き立てたくなる気持ちは分からないでもない。
だが、相手がただの小娘だとしても下手に刺激するのは得策ではないように思える。
あの見慣れない着物。
使われている布地を見ても、ただの平民の娘と思えない。
耳も尾も見えないせいで、何処の種族かも分からない。という点もシルバートの不安を煽るのに充分すぎる要素だった。
万が一にも彼女が他国から来た身分の高い者だったとしたら…。
こちらが下手に手を出してしまえば、エスカニヤに無用な火の粉を降らせる事になりかねない。
何があってもそれだけは避けたい。
シルバートはできるだけ冷静な口調で声を掛けた。
「小娘。
それは見たことのない食べ物だが、お前何処の国の者だ?」
だが少女は無反応で、それどころか本格的に食事を楽しみ始めた。
そこへ任務を終えたばかりのエルが、主への不躾な態度を目の当たりにした。
報告も忘れ、怒りを露わに腰の獲物に手をかけると少女に声を荒げた。
「この無礼者!
我らが主の問いに答えよ!」
「エル!落ち着け」
慌てたシルバート達は、なんとか刀を抜かせまいとエルを落ち着かせようとした。
しまった。
つい“小娘”と口走ってしまった。
それが気に食わなかったのだろう。
私もかなり動揺しているようだな…。
もっと慎重にならねば。
シルバートの心配を余所に、少女は相変わらず無関心を貫いている。
食事を終えるとまたこちらを睨み返してきた。
その直後。
遂に我慢の限界を超えたクロードが、少女に向かって抜剣してしまった。
「おい!貴様何とか言わんか!
この小娘がっ!」
「!」
(あの馬鹿なんということを!)
クロードの取った行動に両陣営からどよめきと共に緊張が走った。
その時だった。
差し向けられた切先を少女が目にした途端。
「は?」
少女の放ったその一言は一瞬で周囲の空気を変え、シルバートは本能的にグッと身構えた。
「さっきから…
人の事を“貴様”だの“小娘”だの適当に好きに呼んでくれちゃってるけどさ。
お前らこそ何様だよ」
彼女が言葉を発する度身体はどんどん重くなり。
少女の氷のように冷たい眼差しからは凄まじい殺気を覚えた。
「後から人の目の前に現れておいて…。
無礼だと?
無礼はどっちだよ!」
シルバートは張り詰める空気に気圧されながら、少女が放った聞きなれない単語に困惑していた。
この娘。
我らの言葉を話せるのか⁈
まさかエスカニヤの民なのか?
いやそんな筈はない。
「コスプレ?」
「戦争馬鹿?」
「コウコウセイカツ?」
一体何の話をしてるんだ?
モフオとは何だ。
まさか我らの事を言っているのか?
それにしてもこの威圧感は何なのだ…。
「ねぇ。誰か責任取ってくれんの?
って言うか?
お・ま・え・ら
そんなに戦争やりたきゃどっか他所でやれや!
殺し合いでも何でも好きにしろ!
そして勝手に死ねっっ!」
なっ!
何と乱暴な物言いをする娘なのだ。
まずいぞ…流石にこれは兵達の怒りを買うだろう。
なんとかせねば…。
そう思った時だった。
「⁈」
ピシッ…。
少女が拳を振り下ろした地面に亀裂が入った。
メリメリメリッ。
ビシビシッ…
それはあっという間に大地を駆け抜け…。
ドゴォーーーーーーーーンッ‼︎‼︎
割れた地面から凄まじい量と勢いの土柱を上げ、目の前の少女もその先にいたクロード達の姿も見えなくなってしまった。
これは一体⁈
東氏の兵も、西氏の兵も悲鳴を上げながらその場を逃げ出し、両陣共に総崩れとなってしまった。
「シルバート様!
ここは危険でございます。
一度引きましょう!」
フィルはシルバートの身を庇いながら、指笛で馬を呼んだ。
「待て!
あの娘は⁈」
フィルを振り払い、見えない壁に向かって手を伸ばした。
するとその手は難なくすり抜け、少女の座っていた場所へと近づく事ができた。
壁が…消えている…?
娘は?
ようやく土煙が収まるとシルバートの目の前にクロードが現れた。
どうやらクロードも少女の様子を見に来たらしい。
「おい。お前しっかりしろ!」
少女はその場で気絶しているようだった。
二人が手を伸ばそうとしたその時。エルとクロードの側近ギールがそれを静止した。
「シルバート様、クロード様!
近づいてはなりません!
この娘。本当に妖かもしれません。
連れ帰るにしても、拘束しておかなければ危険でございます!」
「しかし…」
『なりません!』
エルとギールの剣幕に押され、シルバートもクロードも彼らの意見に同意するしかなかった。
「この娘を東龍城へ連れ帰る。
馬車に敷物を敷き、出来る限り静かに運ぶのだ」
シルバートがエルに命じるとクロードがそれに反対した。
「勝手にお前の城に連れて行こうとするな!
この娘は我が西虎城に連れて行く!」
「勝手はお前の方だクロード。
ここは東ヶ原、我ら東氏の領土だ。
領内で保護した娘を東氏に連れ帰るのは当然だろう」
「いいや。
最初に見つけたのは西虎城城主であるこの俺だ!
こういう話は早い者勝ちが原則だ!」
「誰が先だと⁈
私が娘を見つけ、声を掛けようとしたところに貴様が割って入っただけだろうが!」
「馬鹿かお前は。
事実、娘に声を掛けたのは俺が先だ!
貴様にこの娘を連れ帰る権利などない!」
側近達は顔を見合わせながら、頑として互いに譲ろうとしない二人の姿に深い溜息を吐いた。
その時、空から白い翼に白い軍服を着た獣人が舞い降りて来た。
するとシルバート、クロードは膝を折り深く頭を下げた。
続いて両軍の兵士全員が一斉に平伏した。
白軍服の獣人はシルバート達の元へ歩み寄ると、胸に手を当て一礼した後。
淡々と言葉を発した。
「天子様からのお言葉に御座います。
“西氏軍、東氏軍共に此度の勤しばし延期とする。
急ぎ彼の娘を天楼城にお連れせよ”
以上で御座います」
「この娘を天楼城に?
しかし御使殿…それはあまりに危険なのでは?」
顔を上げたシルバートは軍服の獣人に意見を述べたが、彼はそれを制し言葉を繰り返した。
「以上に御座います」
そして
丁寧に一礼すると再び空へと飛び立って行った。
「天子様は一体何をお考えなのでしょうか…」
都へと戻っていく御使を見送りながら、黒猫のギールが主達の方を伺った。
二人はしばらく考え込んでいたが。
すぐさま踵を返し撤退の指示を出した。
「天子様からの命が下った。
皆の者直ちに帰城せよ!」