狂え
第五話!
「では死ね」
瞬間、無造作に刀が降ってきた。それは技術や剣術なんて欠片もない、力任せの一振り。
それでも鬼の持つ黒々とした大太刀は、地面を深々と抉り、辛うじて刀を避けたスカイラーを吹き飛ばすほどの風圧を放った。
それはもはや切るというよりも、刀で殴るとか抉るとか、そういう野蛮的な破壊のこもった一振りであった。
(集中しないと・・・死ぬわね)
先程探知したもう一つの大きな魔力に気がかりを残しつつも、スカイラーは目の前の鬼に集中する。
そもそも鬼とは、シュラノで発現する魔物の中でも、”戦級”と呼ばれ、名前の通り冒険者で大規模な軍隊を組み、数をもって討伐するのが定石である。
(援軍が来るまでもてばいいけど)
そんな鬼の中でも今回のこの個体、まず人の言葉を話している時点で異常なほど知力が高いのが分かる。
加えてさっきの一太刀、あれだけの斬撃を文字通り片手間で、さほどの消耗もなく放ってのけたのだ。
恐らくランクA+以上。この時点でスカイラーは勝利ではなく、援軍が来るまでの時間稼ぎに全力を尽くすと決めていた。
「おいおい避けるなよ。貴様が苦しむだけだぞ?」
スカイラーは何も言わず、相手に集中する。
鬼の体躯・流れる魔力・武器・環境・体重移動・目線・身体の動き、戦いにおいて必要で有益な情報を、目を、耳を、鼻を、皮膚を、探知を、ありとあらゆるものを使って全力で認識する。
スカイラーがジッと固まって動かないのを見て、鬼は、
「つまらないな。まあいい」
そう言うと姿を、”かき消した”。
消えた――と思った刹那、スカイラーの目と鼻の先に現れた鬼が、その大太刀で乱雑に横薙いだ。
乱雑ながらも間違いなくスカイラーをとらえる太刀筋。だが――
「なに・・・?」
鬼からすると、自慢の大太刀がスカイラーの身体をすり抜けたように見えただろう。
鬼が目の前の不思議な現象に首を傾げている間に、スカイラーは抜刀の構えを完成させる。
「抜刀術――」
それは恐らくこの国でも最高峰の一撃。
国内トップクラスの武力を持つ彼女が繰り出す、剣術と魔術の融合による最速最強の一振り。
――とても綺麗な刀なのに、戦いでその刀身を見たものは居ない。
不可避にて不可視、その名も――
「”一ノ閃”」
瞬間、「キンッ」という金属音のようなものが短く鳴る。
横薙ぎを放った後のがら空きの胴体に、次元の歪みのような、一筋の剣撃がはしり、爆ぜる。
その余りにも大きな衝撃は、まるで爆薬でも使ったかのような爆風を起こし、辺り一面は砂ぼこりに包まれた。
「・・・・」
スカイラーはその場から動かず、顔を歪めていた。
「今のはさすがに驚いた。少々舐めていたようだ」
視界が晴れ、斬撃により数メートルは吹き飛んだはずの鬼が、大したダメージも感じさせずに佇んでいた。
事実、切られた胴体は深く傷ついているものの、みるみる回復し、数刻で元通りになっている。
「今のはなんだ?魔法か?いや・・・違うな」
鬼の言葉に耳を傾けずに、スカイラーは駆けた。
歩数にして十歩はある距離を、わずか一瞬。先ほど鬼の横薙ぎを避ける際にも使用した、地面を蹴るのではなく、”軸足を抜く”歩行法。
一切の無駄のないその歩行法に、完璧なタイミングで完璧な強さの加速魔法と脚力への強化魔法を加え、およそ並みの武人では到達しえない速度で鬼に迫る。
「抜刀術――」
しかし眼前の鬼はそんなスカイラーを捉え、的確に大太刀で突きを放ってくる。
剣先がスカイラーを捉えた――と思った刹那、
「”二ノ葉”」
身体を回し、突きを反らす。それはまるで空中を漂う落ち葉のように、ひらりと。
そのまま鬼の懐に潜り込み、回転の勢いを脚から腰、胴体そして腕へと活かし、抜刀する。
攻防一体のカウンター技。相手の攻撃後の隙を突く、これまた不可避の一振り。
しかし――
「こんな感じか」
スカイラーが放った斬撃は、鬼の身体を”すり抜けた”。
「ふむ。思ったよりも難しいな。だがまぁ・・・くだらん”技術”だ」
いや。すり抜けたのではない。他ならぬスカイラーが一番分かっていた。
この鬼は、スカイラーが横薙ぎを避けたのを一度見ただけで、真似てみせたのである。
「こんな事が・・・・」
あり得るのか。一番の問題は、スカイラーが長年の鍛錬で得た歩行法を、鬼が一度見ただけで真似た事――”ではない”。
鬼は今、”技術”と確かに言った。つまりこの鬼は、技術を知っている。
戦いにおける技術とは、つまり”武術”である。
この鬼の太刀筋にはおおよそ”武”を感じない。しかし現に今そうしたように、技術という概念を理解しているという事は、武術を”学ぶ”ことができるということである。
人間と魔物の決定的な差はここにある。
人間も魔物を魔法を使う。しかし人間は一部例外を除き、魔物に比べ身体が脆い。
その不利を覆すための”技”である。魔物にはない知性で、技を学び、生み出し、引継ぎ、極めていく。
しかしこの魔物――鬼は、技術を理解しているうえに、とんでもないスピードで習得したのである。
「・・・・なら道は一つね」
スカイラーは鬼から距離を取ると、刀を収め、
「切りなさい。私を」
全身の力を抜いた。
■■■
「くそっ・・・一体どこに!」
ハヅキは森を駆けていた。魔法の使えないハヅキは、探知や加速魔法が使えるわけもなく、闇雲に走るしかなかった。
スカイラーは報告を受けるなり、「一番隊と三番隊を向かわせて。あとキヌガサにも傭兵申請。銀二がギルドに居れば応援を頼んで」と、
端的に素早く管理人に指示を出すと、全力疾走で現場に向かってしまった。きっと僕でもそうする。
報告によると鬼はギルドの目前まで迫っていた。事は一刻を争う。最速で現場に向える最高戦力、つまりスカイラーが、真っ先に迎撃に向かうのが妥当と言える。
「どうやってポータルも無しににギルドの近くまで・・・防衛網をかいくぐるなんて・・・」
いや。きっとそうじゃない。今回の鬼の発現にはなにかモヤモヤとした違和感がある。
「兎に角、急がなきゃ。悪い予感がする」
ハヅキは目を閉じ、呼吸を整える。魔法が使えないなら、人間が持つ五感で探るしかない。
目を開け、辺りを見回す。耳を澄まし、風を読み、観察する。
なんでもいい。何か道しるべを――
「おい。お前」
ふいに声を掛けられ、ハヅキは顔に出さずに驚く。
「冒険者?こんなところで何してるんだ?・・・まぁいいや。鬼が出たらしいから、とっととギルドに帰んなー」
不審そうな目でハヅキを見る二人組の男。
(確かこの人は・・・衣笠霧生。・・・いや、それよりも)
ハヅキは男の数歩後ろにいる初老の男に目を向ける。
(衣笠法衣・・・剣術の当主にして一族の長が、なんでこんなところに?)
ハヅキが何も言わないのを見て、霧生は面倒くさそうに「あやしいもんじゃないよ」と、説明を始めた。
「ここから北西に十分程歩いた箇所に鬼が出たらしい。つまりギルドが危ねぇ。あんたはギルドに帰って待機しておきな」
腐ってもキヌガサの一員。飄々とした態度だが、言っていることは至極真っ当である。
法衣はハヅキなんて気にも留めずに辺りを見回している。――なるほど。
流石は国内外で武力を轟かせているキヌガサ一族の頭。たったそれだけの所作でとんでもない実力が伺える。
「おい。聞いてる?」
「・・・分かりました。ギルドに戻ります!」
そういってハヅキは霧生が指さした方向、北西に向けて駆けだした。
キヌガサの実力者が二人もギルドのすぐそばに現れたのは驚きだが、今はそれよりも優先すべき事がある。
「おい、ギルドはそっちじゃ――」
「霧生よ。なにか妙じゃぞ」
あんな奴など放っておけと言わんばかりに、法衣は霧生にくぎを刺した。
去っていくハヅキを尻目に、二人は周囲への警戒を強める。
「妙な気配が二つする。おかしいのぉ・・そんな報告は受けてないんじゃが」
「んんー?鬼が二体も同時に現れるわけ・・・」
そう言おうとした瞬間、霧生の顔が曇る。
「来てるな。まっすぐ。俺たち狙いかね?」
「鬼はより強い魔力を好むというからのぉ・・・いまここら辺で断トツで魔力が高いのはわしらじゃろ」
二人が鞘に手を置く。兜割剣術の使い手であるキヌガサ一族。その中でもトップクラスの使い手――担い手が、刀を構える。
「鬼が同時に二体なんて聞いたことねぇぞ・・・こりゃ大変だね」
霧生が不敵に笑ったその瞬間、山林の樹木が織りなす闇の中から溶け出たように、漆黒を全身にまとった鬼が現れた。
「うんまっそぉだなァオイ!死ねや!!」
キヌガサvs鬼――シュラノ国内トップクラスの武力が炸裂する。
■■■
「つまらんな・・・勝負を投げるとは。まあいい」
スカイラーが闘気を無くしたのを見て、鬼は心底つまらなそうにゆっくりと歩み寄った。
スカイラ―は何も言わず、俯く。その表情を伺うことは出来ない。
「貴様はもう少し面白いやつだと思ってたのだがな。所詮人間か・・・では今度こそ」
鬼はスカイラーを刀の間合いに置くと、大太刀に手をかけ、
「死ね」
だらんと脱力したその脇腹に、無慈悲に、無情に、大太刀を薙いだ――
「があぁぁあ!!!」
大太刀はスカイラ―を両断することなく、脇腹を抉り、止まった。
「はぁ・・・はぁ・・・・想像以上に痛いけど・・・”捕まえた”」
スカイラーは脇腹を抉られながらも、その両腕で大太刀と鬼の腕をつかみ、不敵な笑みを浮かべている。
しかしその笑みとは裏腹に、脇腹からは大量の血が流れ、額には大粒の汗が滲んでいる。
太刀が内臓まで達しているのか、行き場を失った血液が内臓を逆流し、吐血する。
「そもそも・・・防御魔法は・・・得意じゃないんだけど・・・・」
スカイラ―は最初から”勝利なんて考えていない”。
時間稼ぎに全力を尽くすと決めている。戦えば戦うほど、鬼はスカイラ―の技術を吸収してしまう可能性が非常に高い。
現状でもA+ランク以上。そんな魔物に、”国内最高峰の武術が備わってしまったら”――
いよいよそれは戦級どころではない。魔物の枠を超えた存在――天災級まで進化してしまう可能性がある。
戦ってはいけない。しかし時間は稼がなければならない。まさに命がけの賭けであった。
「防御魔法といっても・・・色々ある・・アンタが物理だけの脳筋でよかったわ」
煽り、会話を扇動して時間を稼ぐ。
しかし言っていることは紛れもない事実であった。
スカイラーは大太刀のインパクトの瞬間、局部的に耐物理魔法を全開にすることで斬撃を受けた。
それでも内臓を抉る威力である。
もし大太刀が魔力を帯びていたら、間違いなくスカイラーは真っ二つ――死を迎えていた。
「・・・お前はつまらん。離せ」
鬼が空いている左腕でスカイラーを殴りつける。
殴られる度、肉体が破裂したかのような痛みに襲われ、意識がとびそうになる。
スカイラーは物理防御魔法を大太刀以外に回す余裕はない。
それでもスカイラーは距離を取らない。刀を離さない。鬼を逃がさない。
(・・・はは。殴られる度に、死に近づいてるのが分かる)
事実、この鬼の魔物としてのランクはS以上まで引き上がっていた。
並の――というよりも、シュラノ国下のほぼ全ての武人が、逃げることも諦めて死を受けいれる強さである。
時間を稼ぎ、援軍を待ったところで、相手は戦うほどに強くなる。援軍が逆効果になる可能性が大いにあった。
この鬼を倒すには初撃で、一撃で再生速度を上回る火力をぶつけるしかなかったのである。
それはスカイラーも重々承知の事実。
それでも彼女が鬼を離さないのは、援軍ではない、別のものを信じていたから。
「お互いが主語の・・・守護契約よ」
スカイラーは魔力を持たない魔無の彼の、冒険者としての権利を守る。
魔無の彼は――スカイラーの”命”を守る。
「”動くな”」
鬼の動きが止まる。
まるで時間が止まってしまったかのようにピタリと。
「”吹き飛べ”」
瞬間、鬼はまるで大砲にでも打たれたかのように、スカイラーの対角線上に吹き飛んだ。
吹き飛んだ鬼の身体は木々をなぎ倒しながら遠のき、二人の視界から消えた。
ここまで必死に走ってきたのだろう。
額には大粒の汗を流し、呼吸は乱れ、ところどころにすり傷や切り傷が見える。
「・・・ごめん」
ハヅキはスカイラ―に目を向けず――目を向けられずに小さく呟いた。
何が守護契約だ――この惨状が守ったと言える言えるものか。
ハヅキは乱れた呼吸を息吹で整え、鬼が吹き飛んだ方向を見据える。
「”捉えろ”」
ハヅキがそう呟いた瞬間、鬼が吹き飛んだ先で爆発が起きた――と。
認識した時には鬼はハヅキの目前に迫り、大太刀を上段から振り下ろした。
「”止まれ”」
しかし大太刀はハヅキまであと数センチのところで静止する。
「なん・・だ?・・・これはッ・・魔法では・・・ない・・な?」
鬼は辛うじて動く口で明らかに怒りを露わにしながら、ハヅキを睨みつけている。
「これは魔法でも・・・ましてや技術でもない。魔物ごときじゃ分からないよ」
「ッ・・・!」
「”跪け”」
鬼はあからさまに顔をしかめる。怒気と困惑を隠そうともせず、苦悶の表情を浮かべている。
しかしそんな感情に伴わず、鬼は屈強な体を地面を覗き込むように垂れる。
両膝と両手を突き、ハヅキの足元で頭を垂れる。
まさに修羅のような表情を顔に浮かべながら、怒りに身を震わせている。
「がッ・・・ああああああああああああああ!」
「ッ!?」
いよいよ鬼は怒りが頂点に達したのか、言霊の圧を逃れ、身体を大きく起き上げた。
「小手先の妖術がッ・・・我に通じるとでも!?」
言霊の力は絶対ではない。その意思が、心が、言霊を撥ねることだってある。
「この屈辱ッ!!・・・貴様は楽には殺さ・・」
「言霊には禁句と呼ばれるものがある」
ハヅキは鬼の言葉に耳を傾けず、目も向けず、話す。
「その言葉は何かを壊し、何かを変えて、何かをおかしくして、何かに耐えられず、何か取り返しがつかない結果を生み出してしまうかも知れない――けど」
大太刀を振るう鬼を見据え、ハヅキが”発する”。
「禁句発現――”狂え”」
「――・・・・・・あ?」
鬼の動きが止まる。先程とは違い、鬼はまるで何も理解していない赤ん坊のように、虚空を見つめている。
するとハヅキは何も言わずゆっくりと、鬼に近づき、そして、
「”――”」
鬼の首が落ちた。
朦朧とする意識の中、スカイラーが感じたのは、
(これが・・・”言霊の力”・・・)
見知ったはずの親友から感じた、底知れぬ異質と恐怖だった。
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