十三ノ巻 地下洞窟、攻防(三)
洞窟の入口に、朱天王のオーガマタの姿はなかった。
レーダーにも反応はなし。
外には皮肉なまでに穏やかな青空が広がっている。
陽気に誘われて、どこかへ行ってくれたのだ。
そういう楽観的な考えを、裕飛はすぐに打ち消した。
自分が横穴を利用して奇襲をかけようとしたように、朱天王にもそれは可能だ。
どこかに息をひそめ、背後から裕飛たちを狙っているのかもしれない。
その可能性に思い至って、血の気が引く。
「逸花がやばい……!」
愚かにも、自分から襲われやすいように戦力を分散してしまった。
元来た道を戻ろうとして、だが、瑠璃色の清姫の足は止まる。
「お、大人しくしていてください、ユウヒさん」
道案内として同乗していたトゥペーラが、裕飛の首にナイフを突きつけたからだ。
「な――なんでだ、トゥペーラ」
「動かないでください」
石を削って尖らせただけの原始的なナイフ。
だが、人間の喉から血を吹き出させるには充分である。
「あなたたちがやってくる前にも、朱天王はボクたちの村にやってきました。近々オトワのエルフとともに、キョートピアとの戦争をはじめるから、協力してくれれば褒美を出すと」
「褒美……?」
「村のみんなは断りました。あの人たちは静かに暮らせればそれでよかった。でもボクは、こんな地の底で、この世界のことをなにも知らず、ただ老いて死ぬのは嫌だったんです」
トゥペーラと初めて会ったときのことを、裕飛は思い出す。
裕飛たちをドワーフたちがけんもほろろに追い返そうとする中、ただ1人、間に立って取りなそうとしてくれたトゥペーラ。
清姫や裕飛の持つ地上の品物を、目を輝かせて見つめていたトゥペーラ……。
「全部芝居だったわけかよ。オレたちを、朱天王に売ったのか」
「あなたたちの作戦を密告し、イチカさんのところに行ける抜け道を教えました。ここであなたを足止めしておけば、朱天王はボクを地上に連れ出してくれる」
伝手も技術もない1人の少女が、外の世界で生きて行くのは難しい。
地上の世界を知りたいのであって、行き倒れたいわけではないのだ。
生き抜いていくには、後見人が必要である。
「ごめんなさい。あなたはいい人なのに」
トゥペーラの手が震えている。
手だけではない。思念も、肩もだ。
「あなたはキョートピアンなのに、ボクたちをウェアモウルなどと言わず、ちゃんとドワーフと呼んでくれた。敵に追いつめられてる最中なのに、迷惑そうな顔1つしないで、地上のことをたくさん、教えてくれた。なのに、ボクは……」
「……許せねえ」
「ですよね」
「違う、許せねえのは、朱天王のほうだ!」
朱天王の実力なら、普通に戦っても裕飛たちを倒すのはさほど難しくなかったはずだ。
無関係なドワーフを巻き込む必要なんか、どこにもなかった。
「あんな奴の言うことなんか聞くんじゃねえ! 地上に出たいんなら、オレが連れて行ってやる!」
「ユウヒさん……?」
「人を裏切れだの、騙し討ちをしろだの、みみっちいことは言わねえ! 少なくとも、おまえにそんな辛いことはさせない!」
裕飛はトゥペーラに向き直り、その肩をつかんだ。
トゥペーラの、目元を覆う長い前髪の隙間から、涙を浮かべた瞳が光を反射していた。
彼女はただ、地上に恋い焦がれただけの少女だ。
人を平気で裏切れるような人間ではない。
むしろ、善良すぎるほど善良だった。
そんな彼女の夢を利用して汚い真似をさせ、その心に傷をつけた朱天王。
裕飛にはそれが許せない。
「こんなやり方で外への切符を手に入れたって、きっとおまえには使えねえよ。お天道様に顔向けできねえ。そうだろ?」
「あはっ……上手いこと、いいますね……」
トゥペーラは、さびしげに泣き笑いを浮かべた。
「今からだって遅くない。オレに手を貸してくれ、トゥペーラ!」
「ユウヒさん……? でも、ボクは……!」
「だったら、オレを助けてくれ。どのルートを進めば、逸花のところに行ける? おまえが不幸にした人を、おまえが助ける。それで差し引きゼロだろ? 同じ地上に出るなら、胸を張って出るんだよ、トゥペーラ!」
「……胸を張って……」
少女の震える指が迷いを見せながらも持ち上がった。
そしてそれは横穴の1つを指差す。
彼女の示す方向へ、瑠璃色の清姫は迷いも見せず飛び込んだ。
「――分かれ道だ! 次は!?」
「次は右――あ、そこは」
「遅い!」
「は、はい! そこで上へ! そのまま正面500キロ、まっすぐ!」
「よっしゃ、スピード上げていくぜ!」
トゥペーラには洞窟の構造がしっかりと『見えて』いる。
来たときの3分の1程度の時間で、裕飛は逸花の待つポイントに辿り着く。
「逸花ァ!」
「……ユウ!?」
高台の上、傷つき膝を折った深緑の清姫。
とどめを刺そうと迫る、手足の生えた戦闘機――朱天王。
その手に握られた金砕棒が、今まさに振り下ろされるところだった。
裕飛にはわかってしまった。
わずかな差で、間に合わない。
「逸花ァァァァ!」
その時だった。
2機の向こうにある岩壁がオレンジ色に輝き、そこからビーム光が噴き出す。
弾かれたように飛び退く朱天王。
ビームの圧で、逸花と裕飛は押し流される。
「なんだ……!?」
洞窟に、もう1つの出入口が生まれた。
MF1機が通れるだけの大きさの、丸くくり抜かれた穴。
そこから差し込む陽光を背に、何者かが洞窟に乗り込んでくる。
全身を包むかのような蒼炎。
1歩ごとに、雅楽の幻調を伴って、闇よりも暗い影がゆっくりと歩を進める。
「赤い……清姫……?」
深紅の胴丸甲冑は、清姫弐号機――根生将吾郎のために造られた機体だ。
「ショウ、なのか……?」
「そうだ」
裕飛は己の耳を疑った。
通信機から、友人だった男の思念が流れてくる。
MFも、通信機も、将吾郎には使えないはずなのに。
喜ぶべきことなのだろう。
友人がハンディキャップを克服し、これからは肩を並べて戦っていける、はずなのだから。
だが裕飛の胸の奥では、ざわざわとした焦燥感のようなものが騒いでいた。
もっと単純に、嫌な予感がすると言ってもいい。
将吾郎の登場を喜べない、そんな自分に裕飛は戸惑う。
「――あんたが朱天王か」
深紅の清姫が剣を抜き、朱天王に突きつける。
「なんだ――やっぱメガネ、あたしたちの味方じゃん?」
逸花の声にも、裕飛の不安は晴れることはなかった。




