十二ノ巻 覚醒スル、魂(三)
式神殿から出た将吾郎は、思念を飛ばす。
きっと届くという、確信があった。
「ポンテ、どこだ!? 僕の思念が聞こえるなら、返事してくれ!」
シャーマニュウムを使いこなせるようになってわかった。
指紋や声紋、網膜のように、思念にも個性がある。自分の部屋の鍵を他人が勝手に開けたりできないのはこれによる。
それは人間の感覚器には色や匂いとして感じられた。
ポンテの微かな思念の香りを、将吾郎は鋭敏にかぎ分ける。
「そこか……!」
足裏のノズルからシャーマニュウムを噴出し、清姫が飛翔。
ジグラットに接近するその姿に、ビジネス・フロアの人々が慌てて窓から離れていく。
清姫は、ジグラットの壁面に蝉めいてとりついた。
指を突き入れ、引き千切るようにして壁面を剥がす。
その向こうにポンテはいた。
両手を縄で縛られ、床に転がされている。
少女のように可憐だった顔には、いくつもの青い痣がついていた。
「ショウゴロウ……?」
真ん丸に開かれた目から、大粒の涙が溢れ出す。
「動けるか……?」
「アタシ……」
「いいから、まず乗って。……膝の上に座るな。後ろだよ」
サバイバルキットにあったナイフを使って縄を切る。
将吾郎がポンテを座席の後ろに匿うのと同時に、牢獄の扉が開いた。
雪崩れ込んできた武士たちの中心には、奈々江がいた。
将吾郎がMFを動かしたという報せを聞いてすぐ、奈々江は彼の目的を察したのだ。
慌てて駆けつけはしたものの、だが1歩遅かった。
「ショウ、バカなことはやめな!」
奈々江はまだ、将吾郎を言いくるめられると信じていた。
実の弟と変わらないくらい、小さい頃からよく知っている相手なのだから。
「その子のためにキョートピアを出て行くのかい? 今、ユウがどんな状況か知ってるだろう?」
「ええ。裕飛を助けに行きます。でも、ポンテも助けます」
「その子は朱天王の仲間だ。ほんの小さい頃、反キョートピア勢力に拉致され、兵士として育てられてきた子だ」
ポンテの言っていた『芸』とは、兵士としての訓練のことだったらしい。
「そこからせっかく助けてやったのに、その子は自分の意思で反キョートピア勢力に――朱天王の手下になった。この前ワタナベ邸を襲ったオーガマタも、ポンテが動かしてた。だからもう、救えない」
あの黄色い鬼ロボット。
最初に逸花をさらおうとし、将吾郎たちにこの世界との縁を結んだあの機体。
そのパイロットが、ポンテだというのか。
振り返った将吾郎に、ポンテは首を縦に振ってみせた。
「そうだよ。アタシはあのオーガマタ……伊婆羅岐隠のパイロットだ」
「その子はキョートピアの完全なる敵だ。ポンテを救うってことは、ショウ、あんたもその一味と見なされるってことなんだ。もう後戻りできないんだよ。ユウとも逸花ちゃんとも一緒にいられなくなるんだよ!?」
「それがどうした!」
「……なんだって……?」
将吾郎の目がまっすぐ奈々江の目に向けられる。
――こんな強い目をするような子だったか。
自分の目の前にいる少年が根生将吾郎であったか、奈々江は不安になった。
「あんたの息子の幸せ、僕が友達と一緒にいられること、そんなのは、誰かの命と引き替えにしてまで叶える願いじゃない。そんなものが大義名分になると思うな!」
「ショウ、あたしを困らせないどくれ! あたしのことが嫌いになったのかい?」
「父も母も、自分だけが可愛い人で! 僕を見向きもしなかった!」
「は……?」
「僕は捨てられた子供で、でも奈々江さんはそんな僕を拾ってくれた! そういう人だから、あなたのことが好きでした……。でも、奈々江さんが『人を捨てる人』になったのなら、僕はもう、奈々江さんの敵になります! あなたに捨てられた命は、この僕が拾う!」
一瞬、奈々江には、将吾郎が獣に見えた。
傷ついた我が子を守るため、牙を剥いて威嚇する親オオカミに。
目をこすったとき、清姫の胸甲は閉じられていた。
MFがジグラットから離れていく。
連れてきた武士が矢を放ったが、肝心の目標が見えていないために、それはどうしても精彩を欠いた。
当たったとしても、突き刺さることさえなく装甲に弾かれて虚しく落ちる。
将吾郎は武士たちにはかまわず、清姫を転進させた。
その頰っぺたを、ポンテが引っ張る。
なにするんだ、と振り返った将吾郎は、子供のようにしゃくり上げるポンテを見て、かける言葉を失った。
「バカだよ、ショウゴロウは……。なにもしなくていいって、言ったじゃん……!」
「だったらまず、僕がなにもしなくても心安らかでいられるようにしてくれ」
「アタシのことなんか、気にする必要ないんだよ」
「……ポンテ」
「カルネロは、立派だったよ。最期までなにひとつ喋らなかったんだ」
「ああ。あいつは、すごい奴だ」
「アタシは駄目だったよ……。カルネロが死んで、急に怖くなって、全部洗いざらい喋っちまった」
ポンテは乾いた笑いを浮かべる。
祖父母の命を奪われ、奈々江に捨てられ、友人まで喪った。
もう自分にはなにも残っていない。
胸の奥にあったはずの、命を賭けてキョートピアに抵抗しようという炎。
それさえも今はもう、どこにも見えなくなってしまっていた。
「アタシはダメな奴だ。もう抜け殻だ、ひとりぼっちだ。アタシなんかのために、友達と絶交することないんだよ!」
「絶交なんかしない。裕飛たちは裕飛たちで、ちゃんと助けに行くつもりだ。こうしてポンテを――この世界の友達を助けに来たように」
清姫は東南東に進路を取る。
オトワ・マウンテンはその方向にあると、式神殿に向かう途中に地図で見た。
その時だ。
街の一角が地中から押し上げられたように弾けた。
土煙が立ちこめる。
その中から巨大な黒い影がビルの稜線から頭を出し、吠える。
「……憑鉧神? こんな時に!」
緊急避難命令を告げる思念波放送が脳内を通り過ぎていった。
「大きい……」
ポンテが呟く。
鼻先に巨大なショベルを装備した、4脚の憑鉧神。
ぐっと突き出した2本の角を除けば、ホイールローダーと呼ばれる重機に似ていた。
以前裕飛が戦ったブルドーザー型が子犬なら、その親犬に見える。
「ちょうどいいや――逃げるなら今だよ、ショウゴロウ!」
将吾郎は視線を憑鉧神から東の空に移した。
だがそれも一瞬で、オトワ・マウンテンに向けた機体を、将吾郎は憑鉧神に向き直らせる。
「ショウゴロウ?」
ポンテの顔には、困惑と、責めるような色がある。
さっきフジワラ社に決別したのではないのか。
おまえはどっちの味方なんだ――と無言のうちに問うている。
「僕はただ、自分の好きにしたいだけなんだ」
将吾郎は言った。
「今まで知らなかったけど、僕は結構欲張りなんだ。何事も自分の思い通りにいかないと我慢できないんだ。そして、そうしたいのなら、まず自分の足で動かなくちゃならないってのを、ついさっき理解したところなんだ」
今動いているのは僕の手だ。僕の足だ。
だから僕の好きにさせてもらう。
深紅の清姫は、憑鉧神に向かって急降下していった。




