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九ノ巻  不確定、我心(四)


 ミチナガは満月を見上げていた。

 本物の月ではない。

 フロアの天井に3D投影されたCGの満月だ。

 専務以上が暮らすフロアだけに許されたオプションで、望むなら三日月にも、満天の星空にも変えられる。


 その中で、ミチナガは闇夜にただひとつ浮かぶ満月がお気に入りだった。

 膝の上ではテンロウマルが寝息を立てている。

 息子もまた満月が好きなようだった。そこに血の繋がりを実感し、ミチナガの口元は満足げに緩む。


 女官が酒のおかわりを持ってきたので、寝ついてしまった息子を部屋に運ぶよう命じた。

 テンロウマルを抱え上げようとして、女官は数歩よろめく。

 大きゅうなられました、と照れ隠しのように微笑む女官。ミチナガは軽く頷きを返した。


 彼が子供の頃は「大きくなった」の前か後には「図体ばかり」という文面がセットになっていたものだ。

 そう考えると、利発に育つ息子を誇らしく感じる反面、もっと腕白であればいいのにという気持ちがミチナガの胸に去来する。


「――ミチナガ様」


 テンロウマルと入れ替わるようにして、ハルアキラが現れた。

 作り物の満月には目もくれず、本題に入る。


「やはり、ショウゴロウ君はエルフに取り込まれておったようですな」


 ハルアキラが式符を放つと、それはタブレット端末に姿を変えた。


『ああ。オレはヒーローだよ。キョートピアの人々を守る、な。知ってる? こないだ、寺子屋の子供たちが感謝の手紙とか送ってくれて――』

『そりゃキョートピアの人間は喜んでくれてるだろうよ。でも、外の人たちは?』


 自動再生された動画は、将吾郎が裕飛を説得しようとしたときのものだ。

 ちなみに将吾郎の台詞には字幕がついていて、ミチナガも発言内容を把握することができた。


 画面が切り替わる。

 街の映像。

 座り込んだ男を前に、ショウゴロウと褐色肌のメイドと癖毛のエルフが並ぶ。


『……ミチナガは、知ってるのか』

『知らないと思った? ここの社会を作っているのはフジワラ社よ。専務様ともあろう者が、把握してないはずがない』


「……この者は?」

「ポンテ・ゲイブリッジという、半月前に入ったばかりのメイドですな。ソーシャルクリアランスカードに入力されていた経歴はダミーでした」

「そんな者をフジワラ・ジグラットに入れたのか。人事担当には罰を与えるべきだな」

「隠蔽工作は見事なものでした。どうか寛大な配慮を」

「よかろう。任せる」

「なおこのポンテなる者、何度かこのフロアへの侵入を試みている形跡がありました」

「……ほう」


 ミチナガは酒を呷る。

 ハルアキラにもすすめたが、固辞された。


「……ショウゴロウは、使い物になりそうか」

「渡界人の星は、わたくしには読み辛うございますので」

「占師はいつもそうだ。普段は無駄に偉そうなくせに、肝心なときには『当たるも八卦』とか申して逃げる。気に入らんな」

「ショウゴロウ君が奉葬士として使えるかはさておき、ユウヒ君とイチカ君への人質としては使えると思われます」

「捨てておけ、と?」

「彼は添え星です。他の星の輝きあってこそ光り輝くもの。捨て置いたところでなにができましょうや。なに、彼を閉じ込めるなら空き部屋にでも放り込めば充分。監視や拘束などもったいないかと」


 添え星。自らは大望も野心もなく、他人に命じられてはじめて動くタイプの人間というわけだ。まるで式神のよう。ミチナガが最も嫌うタイプの人間だった。


 そんな者に、超次元風水計画を邪魔されてはたまらない。

 あれはミチナガの祖父、いやもっと前から進められてきたものなのだから。


「ミチナガ様は、常人を遥かに越えた縁起力をお持ちでございます」

「うむ」


 ミチナガには何人もの兄がいた。

 先祖代々受け継がれてきた役職も土地も、兄たちに分配されれはもう、ミチナガにはなにも回ってこない。

 食うには困らないだろうが、この社会に居場所はない。

 生まれつき日陰者であることが決まっていた男、それがミチナガだった。

 だが、兄たちが次々に事故や流行り病で死んだことで、彼の人生は一変する。


 念の為に言っておくと、兄たちの不幸に関してミチナガやその配下はなにもしていない。

 すべてただの成り行きだ。

 これが縁起力の導きであるなら、確かに自分は強い力の持ち主だろうとミチナガは思う。


「ミチナガ様の前に立ち塞がる者は、ミチナガ様がなにをするまでもなく滅びるさだめ」

「だといいがな」


 しかしミチナガは悠長に天の采配を待つほど気長ではない。


「ポンテとかいう小娘を泳がせ、その目的を見極めよ。それを利用し、ショウゴロウを拘束するのだ。添え星とはいえ、ウロチョロされてはたまらぬわ」


 空には満月だけが輝いていればいい。

 ましてや月に害をなそうなどという屑星など。


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