八ノ巻 野次馬、尾行中(三)
ヨリミツと逸花はゴッドファウンテン・パークに足を踏み入れていた。
そこはキョートピア最大の自然公園である。
都市建設以前に存在したオアシスの面影を残すそこは、身分の別なく住民たちの憩いの場となっていた。
ベンチ代わりの縁石に、2人は腰を下ろす。
「あの、すいません、すっかりお世話になってしまって……」
逸花はヨリミツに頭を下げる。
ヨリミツの隣にどっさりと置かれた袋の中身は、逸花の衣類だ。
その購入費を出してくれたのもヨリミツなら、ここまで運んでくれたのもヨリミツである。
「よいのだ。これは礼だと言ったであろう。元より笛くらいにしか趣味のない野暮助でな。せっかくの俸禄も死に金になっていた。君の笑顔の糧となるなら安いものだ」
「あ……ありがとうございます。でも、なにかお返しさせてください」
イケメンがデートに誘ってくれて、欲しいものをなんでも買ってくれて、荷物持ちもしてくれる。
うれしいが、反面怖いとも思う。
精神的に貸しを作るのも実際よくない。こんな世界など見捨ててさっさと帰る、その決意が鈍りそうだ。
「――あ、そうだ、お腹減ってませんか?」
逸花は目ざとく屋台を見つけて、言った。
移動販売のクレープ屋みたいな外観で、タコ焼きのようなものが並んでいる。
「では、ありがたく受け取ろう」
「なにがいいです? なんか種類あるみたいですけど」
「任せる。――君がなにを買ってくるか、楽しみだ」
「後悔してもしりませんよ?」
ヨリミツには座ったままでいてもらい、逸花は1人で屋台の前に移動する。
その時、ちらと視界の端に見覚えのある影が映った。
逸花は溜息を1つついて、そちらに向かう。
「……なにしてるんですか?」
ハルアキラと、将吾郎、ポンテ――それから逸花の知らない癖毛のエルフがそこにいた。
「もう、博士が身を乗り出すから見つかったじゃないですか」
ポンテが頬を膨らませると、陰陽師はすまなさそうに頭をかく。
「あいや、これは失態。おお、しまった。隠行の術を使ってないの、忘れておりました。そもそも式神に見張らせればよかったですな」
「もう、抜けてるんですから」
「ハッハッハ、面目ない」
「しっかりしてくださいよーもー、アッハッハ」
「……笑って誤魔化さないでくれます?」
逸花にきつく睨まれて、陰陽師とメイドは早々に降伏を表明した。
「すみませんでした」
「うう……ヨリミツ様には笑顔、ボクには冷たい眼差し……。美形は得ですなぁ、うらやましい」
「いくらイケメンでもストーカーに向ける笑顔はありません。だいたいメガネまでなにやってんの」
「僕は……つきあわされただけで」
「ひどいですぞ、言い出しっぺはショウゴロウ君だというのに」
「ちょ、怒られるのが嫌だからって嘘つかないでくださいよ!」
罪のなすりつけ合いをはじめるストーカーたち。
逸花は心の底からの侮蔑をくれてやった。
「……あれ?」
お邪魔虫は、ヨリミツのほうにも現れていた。
位の高そうな中年の貴族男性。
ヨリミツは唇を引き結び、事務的な様子で応対している。迷惑そうだ。
「これはいけない」
ハルアキラが小走りでヨリミツと貴族に近づいていく。
気づいた貴族が、あからさまにいやそうな顔をする。
逸花たちがハルアキラに続くと、貴族はついに退散した。
「……誰ですか?」
「ムネタダ・ノ・フジワラ様です」
ムネタダという貴族が去った方向に、ハルアキラはしかめっ面を送る。
「渡界人諸君もおぼえておくとよいでしょう。フジワラ社には専務が2人おられます。ミチナガ様とコレチカ様です。2人のうち、どちらかが次の社長となられるわけですな。そしてムネタダ様は、コレチカ様の一派に属する御仁です」
「そんな人がヨリミツさんに、なにを……?」
もしや、よくない嫌がらせでも受けていたのでは。
そう思うと、逸花の胸にはムネタダ、ひいてはコレチカへの敵意が先走る。
「そうではない」
逸花の表情に気づいて、ヨリミツが取りなすように言った。
「たいした用事ではなかった。心配することは、なにもない」
「そうですか……?」
「それよりだ。陰陽博士とショウゴロウ、それに……」
ポンテです、とスカートの端をつまみ上げ一礼するポンテ。
ただでさえ丈の短いスカートでそんなことしたら下着が見える、と横で見ている将吾郎は焦った。
「……ここで出くわすもなにかの縁でありましょう。せっかくですから、昼食をご一緒にいかがですかな」
「えっ……」
逸花は、ヨリミツの発言に少し傷ついている自分を発見した。
――なに考えてるんだ、あたし。
彼にとってこれはデートではない。
上司として、部下を息抜きに連れて行った。ただそれだけ。
そうやって自分に言い聞かせる逸花の内面は、彼女自身よりも、その横顔をうかがう将吾郎のほうが把握していたかもしれない。
将吾郎の胸に、グチャグチャとした黒い感情が渦巻く。
――色目使っちゃって。随分、ヨリミツさんと仲いいんだな? 日本に戻るんじゃなかったの?
喉のあたりまでせり上がってきた嫌味を、慌てて呑み込む。
まるでハルアキラが邪推したとおりみたいじゃないか。
将吾郎としては、逸花には裕飛と仲良くしていてもらいたい。
アルディリアにしてもヨリミツにしても、あるべき関係に割って入ってくる害虫だ。
もちろんそれは自分のわがままに過ぎないとわかっている。
2人がこの世界で新しい恋を見つけたのならそれもいい。祝福すべきだ。
頭ではわかっている。頭では。
「……お誘いありがたいのですが、急用を思い出しましたので」
将吾郎の口が、勝手に申し出を辞退していた。
うっかり醜い内心までも吐き出してしまう前に、そそくさとその場から離れる。
キョートピアにやってきて以来、ずっとフジワラ社の敷地で生活していた。
土地勘などもちろんない。右も左もわからぬ。
それでも、ヨリミツと逸花から離れられればそれでよかった。




