六ノ巻 清姫、出陣(六)
隻腕の黄色い鬼械人形は取り戻した左腕を一旦道端に下ろした。
それから鈍重そうなボディをアシガリオンに向け、前進。
重い足音が響くたび、柳に似た街路樹が身を揺らす。
裕飛が立てと命じれば、アシガリオンは酔っ払ったようにふらつきながら、緩慢に身を起こした。
動作が鈍い。動くたびにフレームが軋みをあげる。
電脳式神に、裕飛は機体状況の提示を要求。
すぐさま脳内にデータが送られてきた。
「左腕は全損、右腕は手首から先がパア、脚部フレーム負荷甚大、出力60%なおも低下中――」
たとえ鬼監督でも「いいから休め」と言ってくれそうな、最悪のコンディションだった。
逃げるしかない。
裕飛がアシガリオンに後退を命じたときだった。
オーガマタが足を止めた。巨大な右腕に握った大型金棒を、ホームラン予告をするように突き出す。
どういう意図が――と裕飛が思った瞬間、金棒の先から閃光と煙が迸った。
なにかがアシガリオンの頬をかすめて、遥か後方へ飛んでいく。
背後にあった家屋が爆ぜたのは、その直後だ。
「まさか……銃、いや、グレネードランチャーかよ!?」
式神からの分析結果を受け取って、裕飛は叫んだ。
MFは銃火器を持たない。
いや、この世界全体で、銃砲の類はまだ発明されていなかった。
銃をこしらえるだけの技術水準自体なら充分すぎるほどあるのだが、発想がなかったのだ。
MF用の弓矢すらない。
指先まで式神に思念を伝達させられるMF使いがほとんどいないからだ。
MFのマニピュレーターがひどく雑な作りになっているのは、そういう事情からだった。
そういう事情があって、MFでの戦闘においては剣や槍といった近接武器が主流となっている。
そんななかで、敵はグレネードランチャーを使ってきた。
「てつはう」と呼ばれる手榴弾を金棒型の発射装置で遠くに飛ばすというものだ。
アシガリオンの電脳式神が分析した結果では、有効射程は1キロを越す。
つまり、裕飛は既に敵の攻撃範囲の只中にいた。
オーガマタの右肩に装着された自動給弾装置が、金棒先端に空いた穴から砲弾をセットする。
裕飛は深呼吸。手に滲んだ汗を、ズボンで拭う。
落ち着け、と自分に言い聞かせる。
こういうときこそ『主人公』としての真価が問われるのだから。
逃げる。その場合、背中から撃たれる可能性がある。それは格好悪い。
ビルを盾にすれば? それもダメだ。ヒーローらしくない。
「だったら――前進あるのみ!」
敵はどうやら1発撃つたびに弾を込め直さねばならないらしい。
ならば、相手が撃ってきた弾をかわして、次の弾を込める間に近づいて――右のシェイキングアームを叩き込んでやる! 完璧な作戦だ!
飛んでくる弾丸を避けることがどれだけ難しいか、裕飛は考えもしなかった。
きっとどうにかなる、そう無根拠に信じ込んでいた。
なんといっても、自分には強力な縁起力があるのだから。
オーガマタの指先をモニターに拡大表示する。
あれが動いた瞬間に、右でも左でも、大きく移動すれば――。
バン!
金棒が火を噴いた。
縁起力の加護か、幸運は裕飛に味方した。
砲弾はアシガリオンを逸れて破裂。てつはう内部の金属片が塀を蜂の巣にしたが、アシガリオンには届かない。
オートリローダーが仕事をはじめる。
「やらせるか! 行け、アシガリオン!」
裕飛は忘れていた。
自分の機体が傷ついているという重大な事実。
銃器の登場というインパクトによって、それはトコロテン式に彼の意識から押し出されてしまっていた。
数歩踏み出したところで、右膝が砕けた。
走り出した勢いのままアシガリオンは地面を滑るが、もちろん敵にまでは届かない。
推進器を内蔵している脚部、その1本を失った。
それ以前に推進剤として備蓄しているシャーマニュウムがもうない。
もはや、行動不能。
一方、隻腕のオーガマタは装填を完了。
余裕たっぷりに照準を定める。
――まずい、やられる――。
「ちっくしょおおおっ!」
そう叫んだのは裕飛ではなかった。
青い炎に包まれた深緑の影が、裕飛を飛び越える。
影――清姫は鬼に膝蹴りを食らわせ、その向こうに着地。
勢い余って、路面を削りながら数メートル滑っていく。
「もしかしてその声、逸花……?」
「そうだよこれで満足でしょ! あたしが死にに行けば満足なんだろうがッ!」
「…………?」
逸花が乗っている機体はなんなのか、逸花はなにを怒っているのか、裕飛にはわからない。だが今彼女に話しかけてはいけないことだけは理解できた。
「――ああもう、武器は? えっ、こんなのしかないの!?」
標準装備である剋金刀は、刀身を加熱させることにより、MFの装甲相手にも充分な破壊力を誇る。
だがそれを知らない――元の世界では戦いをゆっくり見物している余裕はなかった――逸花には、ひどく頼りないものに思えた。
「なにかもっと、役に立ちそうなもの……!」
左右に目を走らせた逸花の目が1カ所に止まる。
「これだ!」
塀よりも高くまっすぐ伸びた1本の針葉樹に、逸花は清姫の手を伸ばした。
甲手についた3本の指が幹に食い込む。
みしみしと幹に亀裂が走り、中継映像を見ていたハルアキラは悲鳴をあげた。
『待たれよ、なにをするつもりですかイチカ君!? それは左大臣殿が大事にされている――』
「知るかァ!」
ぼっきりと中程から折れた大木を、深緑色の清姫が槍のように小脇に抱える。
「うわあああ!」
捨て鉢になった逸花の激情が、清姫に通常以上の加速を与える。
隻腕のオーガマタが銃爪を引くのと、大木の先端が砲門に潜り込むのは同時だった。
撃ち出されるはずの砲丸は砲身の中で押し留められる。
当然の結果として、金棒は破裂。
「逸花!」
「うッ……」
清姫は無事だ。
前方に回転し、伸長した両大袖が機体を守っていた。
だが次の瞬間、清姫はシールドごと吹き飛ばされる。
オーガマタはなおも健在。
寸前に金棒を手放したおかげで、本体はほぼ無傷だ。
武器は失えど闘志はまだ死んでいない。
オーガマタの右拳が、深緑の清姫を執拗に追いかける。
繰り返される剛腕の一撃に、右のシールドを支えるアームがへし折れた。
左シールドもすぐに後を追う。
「やっぱり、無理だった……!」
ひときわ強い衝撃が来た。清姫は転倒。
逸花は本能的に操縦桿から手を離し、シートの上で胎児のように丸まった。
その瞬間、主の思念を見失った式神たちが待機状態に。
機体を包む青い炎が鎮火する。
大地に転がって動かなくなった清姫。
だが隻腕のオーガマタは容赦しない。
どっしりとした足で華奢なボディを踏みつけ、体重をかけていく。
不吉な音を立てて、装甲が凹んだ。




