六ノ巻 清姫、出陣(五)
自分はきっと馬鹿なことをしている、と米河逸花は思う。
とりあえず当面の目的は、元の世界に帰ることだ。
だから逸花は朱天王を倒す必要がある。
そのためにはフジワラ社の力を借りるのが1番で、力を借りるからにはお返しをしなくてはいけない。
つまり、憑鉧神というあの怪物と、戦わなければならない。
どうせ戦うなら今からはじめても同じ。
グズグズしてないで、裕飛を助けに行くべきなのだ。
しかし、それがわかっていながら、逸花の足は動いてくれない。
――『戦う』だって。
試合やゲームじゃない。殺し合いだ。
殺し合い。
逸花の人生には一生縁がないはずだった行為。
だがやるしかない。じゃあそうしよう――そんな風に割り切れたら、どんなに楽だったか。
割り切れるわけがない。
いくらそれが必要なことでも、正しくても。
昨日まで平和に生きてきたのが「はい今日からは殺し合いましょう」とか、できてたまるか。
そんな奴は頭がどうかしてるに違いない。
どうかしてる。有田裕飛は本当にどうかしてる。
どうせロボットに乗れるのがうれしいあまり、細かいことは考えられなくなったのだろうが。
――なんで、あんな奴、好きになっちゃったかな。
最初は逸花も他のクラスメートと同じく、裕飛のことを珍獣と見なしていた。
だけど裕飛の『人助け』を見て、思ったのだ。
――あたしたちとこいつ、どっちがましな人間だろう?
誰もいちいちすれ違っただけの人間のことなんか気にも留めない。
関わり合いになんかなりたくもない。
むしろ関わるな、知らない大人に話しかけられたら防犯ブザーを鳴らしましょう――そう教えられて育ったクチだ。
だけど裕飛は困った人を見捨てない。めざとく見つけて、手を差し伸べる。
異世界がどうの主人公がどうの、目的は聞いても理解できないけど、それでも誰かが助かったならいいじゃないか。
そう考えはじめると、裕飛のことをこれまでのように珍獣とは見れなくなった。
むしろ、ユカリをいじめて平気でいるような、他の生徒たちのほうが醜悪な獣に見えてくる。
裕飛に対する感情が本当に恋なのか、逸花には今ひとつ自信がない。
でも、少なくとも彼が困っているなら助けてやりたいと思う。
あんなにも必死に周囲を助けようとしてきた奴が、誰にも助けてもらえないで死ぬなんて、そんなに悲しいことはないのだから。
なのにやっぱり、逸花の足は、動かない。
深緑の清姫に向かう将吾郎の背中を、逸花は目で追う。
彼1人で大丈夫じゃないかな、と考えてしまう自分が嫌になる。
でも仕方ないじゃないか。
あの自殺志願者の彼女が言っていたように、死に方にだって良し悪しがある。
こんなワケのわからない世界で化物に殺される最期だとか、ごめんだ。
「――どうされたのですか、ショウゴロウ君?」
ハルアキラの声。
やがて将吾郎はハルアキラと一緒に昇降機で降りてきた。
逸花とヨリミツはへたり込んだ少年に駆け寄る。
「どうしたの、メガネ……?」
ロボットで出ていくんじゃないの?
いつもみたいに、ユウを助けに行ってくれないの?
「……動かないんだ」
「え……?」
「元の世界と同じだ……。なんか、僕じゃ、ロボットは動かせない、みたいだ……」
「なんで……!? そんなの困る!」
「そんなこと言われたって、僕にもわからないよ!」
苛立ちのあまり、将吾郎は頭皮に爪を食い込ませる。
裕飛がピンチだというのに、なにもしてやれない。なにもできない。
それは彼にとってアイデンティティの危機だ。
「仕方ない……。イチカ君が、出撃してもらえますかな?」
「えっ?」
周囲の視線が、逸花1人に向けられる。
ドクン、と心臓が鳴った。
次の瞬間、両脚から力が抜けて、逸花はしゃがみ込んでいた。
「あたしが戦う……」
逸花は無意識に腕をさする。
鳥肌が立っていた。
「それがしが乗るわけにはいかぬのか」
「残念ですがヨリミツ殿、これは渡界人の強大な縁起力を前提に設計しておりますれば。さすがのヨリミツ様とて、とても……」
「なにそれ、喧嘩売ってます……?」
逸花の胸に怒りがこみ上げる。
この世界は、そんなにまでして、自分を戦場に送り出したいのか。
視線の先にはしょぼくれた将吾郎。
なぜか、見ているとひどく腹が立ってきた。
「なんでよ、メガネ……! なんでこういうときに限って!?」
「……!」
「ユウを助けるのが自分の役目って、いつも言ってたじゃん!? 嘘つき!」
八つ当たりである。あとで自己嫌悪に陥るとわかっていても、逸花の舌は止まらなかった。
「いつもユウの後ろにくっついて、ユウのやることなんでも従って……! それで肝心なときにはこれ!? あんた、なんのためにいるわけ!?」
「……言われなくてもわかってる!」
頭に血が上っているのは将吾郎もだ。
縁起力だかなんだか知らないが、散々おだてられてこのざまだ。
主人公補正なんてなにもない。裕飛と同じ舞台に立つことさえできやしない。
「ああそうだよ! 僕なんて、いなくていい奴なんだ! ずっと前から知ってるよ、そんなこと!」
「なにそれ、逆切れ? だっさ!」
「……じゃあなんですか? ピーピーわめいてるだけの自分はダサくないんですか!? 他人のこと言う暇あったら、自分のこと見てみろよ!」
「…………!」
将吾郎が失言に気づいたときには遅かった。
「……そうだよね」
『むしろ、ユカリをいじめて平気でいるような、他の生徒たちのほうが醜悪な獣に見えてくる』
だったら逸花自身はどうなのだ。
友達がいじめられていることにずっと気づけず、助けることも、助けを求められることさえなかった自分は、醜悪ではないというのか。
わかるのは、ここで裕飛を見捨てたら、もうどうしたって言い逃れできないということだ。
「わかった……! 証明すればいいんでしょ!」
「え……なにを?」
「行けばいいんだろ、行けば! あたしが死ねば満足なんだろ! どいつもこいつも!」
「米河さん……?」
「どいてよ!」
この世界の機械を動かすには、ただそう願うだけでいい。
衝動のままに制御卓に手を打ちつければ、昇降機が逸花をコクピットに押し上げる。
逸花が操縦桿を握った途端、深緑の清姫は関節部から鬼火を噴き出した。
「米河さん……!」
目の前で歩を進める巨人。将吾郎たちは慌ててその進路から逃げた。
MFのハイヒールが床板を踏み鳴らすたび、金属音と振動と後悔の念が将吾郎の心身を打ちのめす。
「ちっくしょおおおっ!」
捨て鉢になった逸花の叫びが大気を震わせると同時に、清姫は足底のノズルから内蔵シャーマニュウムを噴射。
深緑の後ろ姿は、あっという間に星空に紛れる。
――僕が余計なことを言ったから。
将吾郎は悔恨に膝を折った。




