五ノ巻 再会、御姉様(一)
空港か軍事施設を思わせる広大な敷地、
その中心に、それは記念碑のように突き立っていた。
フジワラ・ジグラット。
地上99階地下50階の超高層ビル。
キョートピアを実質支配し、超次元風水計画と称し周辺各国を侵略して回っている悪徳巨大企業フジワラ社の本社ビルである。
その正面玄関を、将吾郎はくぐった。
キョートピア城壁にあったのと同じミソギ・ゲートが彼を出迎える。
目の前には裕飛の背中がある。
将吾郎よりひと月早くこの世界に来たという彼。
道案内に迷いのない足取りは、それを裏付けていた。
「ここだ」
横開きのドアの前で、裕飛が足を止めた。
「ここに、米河さんが?」
将吾郎はなんとなく前髪に手をやって、だがやめた。
彼女によく思われたいのか。未練がましい奴め。
「逸花ー、今いいか? 入るぜ」
即座にドアを開こうとする裕飛。
将吾郎は慌てて止めた。
「いや待て待て。おまえそれで吊し上げ食らったの忘れたのか」
小学五年生の頃だったか。
教室で女子が体操服に着替えている最中に起きた、痛ましい事件だ。
あの時も裕飛は中にいる人間が許可を出す前にドアを――いや、地獄の蓋を大開きにしてしまった。
その日のHRはすごかった。女子からの糾弾はまさに言葉の機銃斉射。
見ているこちらまで心を蜂の巣にされそうな勢いだったが、当の本人はこたえていなかったというのか。
「ああ、あれはきつかったなぁ」
「あの惨劇に対してコメントそれだけだと……? ……いやまあ、わかってくれればいいんだ」
そうこうしている間に室内から許可が降りた。
扉を開く。真っ先に目に入ってきたのは、寝間着姿の逸花だった。
さっきまで寝ていたのだろうか、下半身は布団の中にある。
やつれた印象があるのは、別に異世界にやってきた心労だけではないだろう。
「……具合、悪いの?」
「うん、ここに来てすぐ熱出しちゃってさ。でも、もう大丈夫」
「そうか……」
「メガネも来てたんだね。無事でよか……って、無事じゃないかぁ、あはは」
正直、『メガネ』という愛称は好きではない。「名字+さん」以上の隔たりを感じる。そんな眼鏡をかけていれば誰にでも当てはまるような呼び名じゃなく、もっと個人を特定できるものにしてほしいものだ。
だが嫌だったはずの呼び名が、今日は耳に心地いい。
逸花が自分の無事を喜んでくれている――自分に笑いかけてくれている。
言葉に言い表せない幸福感が将吾郎の胸で渦巻いた。
それを表に出せば、きっと『キモい』顔になってしまうのだろう。
だから将吾郎は必死にポーカーフェイスを保とうとしたが、その試みは半分くらいしか成功しなかった。
結局、逸花からは「なんて顔してんの。キモい」というありがたいコメントをいただいた。
「ぶ、無事でよかった、よ、米河さん、も」
胸が詰まりそうで、それだけ言うのが精一杯だった。
こっちは大変だったんだ、森の中を追いかけ回されたり弓矢で狙われたりロボットに追われたり怪物に襲われたり――。
話したいことは山ほどあるが、言葉がつっかえて出てこない。
いや、本当にしたいのは話すことじゃない。
目の前の少女を力いっぱい抱きしめたい。しがみつきたい。泣いてしまうかも。
今の状況なら許されるだろうか。いや駄目だろうな。
ああ、でも――。
「――ちょ、ちょっと怖いよ、メガネ?」
「…………」
将吾郎の自制心が限界を迎える寸前、鈴の音が鳴った。
ちょっと待って、と言いながら裕飛が襟元からネックレスを引きずり出す。
ネックレスにはアーモンド型をした琥珀がぶら下がっていた。
裕飛らしくもない、お洒落なアクセサリ――ではない。
電脳式神というやつだ。
「――はい、オレです」
ネックレスに向かってユウヒが思念を飛ばす。
携帯電話のようなものらしい。
向こうから裕飛に送られてくる思念は小さすぎて、将吾郎は感じ取ることができなかった。
「……はい。はい、じゃ訊いてみますね」
裕飛はこちらを見た。
「逸花、もう動けるか? ショウは大丈夫だよな」
「うん、あたしならもう平気だけど」
「偉い人がこれから会いたいって言ってるけど、どうする? 行く?」
「つまり、いろいろ説明してくれるんだよね? あたしは知りたい。この一週間、なにもわかんなくてずっと不安だったんだ」
「僕も同意見」
「OK,行くって伝えとくわ。早くしろよ逸花」
「だったら出て行ってよ。着替えるから」
部屋の外で待って数分後、逸花は出てきた。
平安衣装でも黒服でもない、自殺オフ会で着ていたのと同じ格好だ。
少し皺になっている。
「なんだよ、着替え置いてあっただろ」
「……なんかさ、ここの服着ちゃったら、もう一生戻れない気がして」
「いいけどよ、ちょっと臭うぞ」
「えっ、マジ!? 嗅がないでよキモい!」
逸花は将吾郎の背中に隠れて、裕飛を睨む。
僕に嗅がれるのはいいのか、と将吾郎は思ったが、心を許してくれているわけではなく、まったく意識されてないだけだろう。悲しくなった。
「……ねえ、ここ、なんか……平安時代っぽい、よね?」
ジグラットの内装を見て、逸花が言う。
寝殿造といったのだったか。
廊下の内装は、平安時代に建てられた貴族の屋敷を彷彿とさせる。
床はリノリウムでもカーペットでもなく、フローリング。
外壁と廊下の間には『庭』がある。
時代劇や大河ドラマのセットがビルのフロアに丸々押し込められたようだ。
すれ違う者たちの衣装も、やはり平安時代風――烏帽子に狩衣、束帯――日本史の教科書に載っていたのとそっくりそのままのものだった。
「ユカリが見たら喜んだだろうな。平安時代が舞台の話とか、好きだったから」
泣き出しそうな逸花の表情に、将吾郎の胸が痛む。
なにか気の利いたこと言ってやれよ、と裕飛を見たが、バカはお構いなしにズンズン歩いていく。
かといって自分がなにか言うのは、コナをかけているみたいで気まずい。
それにきっと、望まれていない。
内装は平安時代風でも、設備までそうだというわけではなかった。
水洗樋殿もあれば自動ドアもある。
エレベーターの手前で、裕飛は足を止めた。
行き止まりで、先に進む道はない。
にも関わらず裕飛はエレベーターを操作するでもなく、壁に背を預ける。
「……乗らないのか?」
「このビル、社員のクラスに応じて行ける範囲が決まっててさ。オレじゃここから先へは行けねえんだ。迎えが来るから待ってようぜ」
と、エレベーターのチャイムが鳴った。
ドアが開き、十二単をまとった女性数名が姿を現わす。
先頭の女性は他より一回り若い。まだ20代くらいだろうか。
長い髪をポニーテールにまとめている。
どこかで見たような顔だ。
既視感の正体を探る将吾郎を見て、十二単の女性はニヤリと笑った。
――あ。
「なんだよ、迎えが来るって、姉ちゃんだったのかよ」
裕飛が言う。
そうだ――なぜ気づかなかったのだ。
「と。奈々江、さん!?」
「――久しぶりだね、ショウ」
有田奈々江――裕飛の姉が、そこにいた。