四ノ巻 遭遇、鋼鉄死霊(四)
憑鉧神は、アンダースローを投げるように右腕をすくい上げた。
バケットに引っかかったビルが宙に舞い上がる。
人の身には巨大隕石にも見えるビルの破片が、将吾郎の頭上を通過して落下。建物や通行人を押し潰す。
行く手を塞がれた将吾郎たちの影が、より大きな影に呑み込まれた。
将吾郎は背後を振り仰ぐ。
日の光を遮って立つ、塔のような巨影が彼を見下ろしていた。
逃げなければとはわかっているが、少年たちの足はすくむ。
圧倒的体積が生む圧倒的絶望が、彼らの心と足を縫い止めていた。
バケット状の拳が振り上げられる。
「――そこまでだぁ!」
なにかが憑鉧神の背を打って、はねた。
槍だった。電柱のように太くて長い、巨大な十字槍だった。
首から上だけだけを回転させ、背後を覗く憑鉧神。
だが、そこには誰もいない。
「ここだっ!」
ビルに隠れて回り込んだ影が、肉食獣さながらに側面から怪物に飛びかかる。
牙の代わりに刃を構え、青い炎の毛皮をまとった鋼鉄の獣。
黒い陣笠、プラネタリウムのような顔面。
そしてその咆哮は将吾郎のよく知る、少年の思念。
「アシガリオン――裕飛か!?」
しかし、その刃が届くことはなかった。
憑鉧神の腰から上が独楽のように回転し、一手早く足軽MFを打ち据えたからだ。
アシガリオンは打ち取られたソフトボールのように放物線を描いてビル街に落下した。
「裕飛が、なんで……?」
「お友達は後! 今は逃げないと!」
歩みを止めた将吾郎の腕を、ポンテが引っ張る。
が、将吾郎は大地に踏ん張って耐えた。
アシガリオンは早速ピンチだ。
前回も今回も、アシガリオンは銃器や弓矢の類を持っていない。
憑鉧神と戦うにはまず、刀の届く間合いに飛び込まねばならない。
だが、長いリーチを誇る憑鉧神はそれを許さない。
たった一撃でアシガリオンの装甲は大きく破損してしまった。
おそらく次はあるまい。
もう一度喰らえば、鋼の巨人といえど粉と砕けるに相違なかった。
そういうわけで、アシガリオンはすっかり攻めあぐねていた。
睨み合う、鉄の武者と鋼の悪霊。
だがこの状況に最も胃を痛めているのは、向かい合う当人たちでなく、見ている将吾郎だっただろう。
まずい。
長年の付き合いで、親友の癖は知っている。
裕飛の忍耐力は低い。
こういう状況に陥ったとき、すぐに痺れを切らせるのが彼の悪い癖だ。
きっと今回も、自棄になって特攻をかけ――死ぬ。
「ショウゴロウ、逃げよう?」
「……ポンテはああ言ってくれたけど、なにもできなかったなら、なにもしなかったのと同じだ。……僕自身が言ったことだ」
小学生の時である。
引っ越しを控えたクラスメートがペットの引取先を探していた。
もちろん裕飛はそれに手を貸す。けれど結局、ペットは保健所に送られた。
その時に将吾郎は裕飛に言ったのだ。
良い結果が出なければなにもしなかったのと同じだ、おまえの行動は無意味だった――と。
危険なヒーローごっこをやめてくれればいいと思っての一言だ。
結局それでも裕飛は変わらなかったし、将吾郎もそれ以来、無駄なことは言わなかった。
だが、言った内容自体は正しいと、今でも思う。
「……この世界に来てわかった。僕は今まで自分からなにもしてこなかった。だから今、なにもできない」
ロボットに踏み潰される人々を救うことも。
暴行されるポンテたちのために声をあげることも。
憑鉧神から人々を逃がすことさえ。
将吾郎は無力だ。
「でも、裕飛を助けてきたことは、数少ない、僕が『やってきた』ことなんだ。だからそれをやめてしまったら、本当に、僕はなにもできない人間になってしまう……と思う、のだ、けど……」
「…………」
MFが発する雅楽のような駆動音。
それが裕飛の助けを求める声であるように、将吾郎には聞こえた。
弾かれたように、元来た道を引き返す。
「裕飛ィィィ――――!」
声の限りに叫ぶ将吾郎。
アシガリオンの頭部が動く。
「……なんだ。お友達のためなら、声、出るんだ……」
ポンテはさびしげな表情を浮かべ――戦う巨人たちに背を向けた。




