06.平和ボケのツケ(1)
僅か数時間前、そんなやりとりをした平和な時間もありました――日記をつけていたら、間違いなく最初の文章はこれだ。
ジャック、ライアン、サシャ、ノアのグループは小隊を組んでいた。
かなり実力は上らしく、周囲の連中が一目置く立場だったらしい。というのも、誰かに言い聞かされたわけじゃない。彼らと歩くと他の連中が一歩引いて道を開けてくれたり、若い兵士なんかは頭を下げた。
まあ、12歳の外見のオレより若い兵士は見かけなかったが、中の精神年齢は高いから観察すればある程度の力関係は把握できる。
そんなわけで、いつの間にか彼らのグループの新入りとして認識されたオレだが……今は彼らと完全に別行動をしていた。
『別行動させられている』が正しい表現で、強制された上に現在進行形だ。
「……あのさ…」
「うるさい! 黙ってろ」
言葉と同時に頬を殴られる。そのまま引きずられて歩き続けるしかなかった。
複数の痣が浮かんだ手足、見えていないが腹部や背中にも傷がある。歩くのも必死の状況だった。
たぶん熱が出てると思う。ひどく喉が渇いて怠いし、傷めていない関節が痛んで辛かった。
両手を拘束する手錠の鎖は長く、男が引っ張って歩くために作られたようだ。
かつての世界ではコスプレでもないと見たことがない青い髪と青い瞳の男は、40歳代くらいに見えた。人並みの顔だが、目つきが鋭く損をしている感じだ。
女子供に泣いて逃げられそうな傷が顔に2本もついていた。さぞやモテないだろう、と気の毒になる顔だ。
ずるずると疲れた足を引きずって歩くが、そろそろ限界が近い。
「……っ」
足元の小さな段差に躓いて、手を突くこともなく転がった。
ああ……もうだめ、動けない。ぶつけた爪先は激痛でずきずきするし、眩暈と怠さに目を開けているのもキツかった。
「起きろ、ほら」
苛立った男に髪を掴んでまた殴られる。痛みが麻痺してきているのか、ふわふわする感覚の中で鈍い衝撃が頭を揺さぶった。爪先の痛みも、身体の辛さも気にならなくなる。
なんで、こんなことになったんだっけ?
地に足が着かない感覚の中で考える。起きろと怒鳴る男の声は遠くて、隣の部屋の音のように現実感がなかった。
じゃらり、鎖を引っ張って立たせようとしているが、体力的に無理なものは無理だ。殴られたいわけじゃないが、動けなかった。
「っ、けほっ」
いきなり腹部を蹴られる。
起きないガキに苛立つのはわかるが、乱暴に扱いすぎだ。死んだらどうしてくれる……。そんな文句が脳裏を踊りながら通り過ぎた。
ほぼ他人事だった。
ああ……そうだ。ライアンと食料品調達に出て、途中で逸れたんだった。
周囲の男達はオレより背が高く、気付けばライアンを見失っていた。慌てて探し回って……昔聞いた話を思い出す。
迷子になったら、逸れた場所から動くな。
慌てて見回した風景は見覚えのないもので……戻ろうにも、逸れた地点すらわからなくなっていた。
知り合いもいない市場の真ん中で、不安に駆られて立ち竦む。そんなオレを格好の獲物と判断した男に騙されたのだ。
“迷子の新人か? しょうがねえな、こっちだ”
引っ張る腕の強引さに、てっきりライアン達の知り合いだと勘違いした。僅か5分後には裏路地に引っ張り込まれ、抵抗むなしく手錠をかけられる。
日本人は平和ボケしている――確かにその通りだ。平和で安全な日本にいたときの感覚が抜けていなかったんだと思う。
知らない人間についていっちゃいけません――言われたな、子供の頃。そんなの当たり前だろって、心の中で罵ったかつての誰かさん、ごめんなさい。知らない人についてった挙句、捕まりました。
手錠はめられるのも、こんなに無造作に人間殴る奴みるのも初めてだ。
初体験に感動する余地はどこにもないが……。
この青い男は他にも2人ほど子供を連れていた。もちろんオレと同じように手錠と鎖に繋がれ、しっかり殴られた痕もお揃いという状況だ。
どうやら、戦場周辺をうろちょろしているガキを捕まえては売りさばく仕事をしているらしい。
正直、男の動きはライアンやジャック達と比べればイマイチ精彩さに欠ける。しかし、まだ碌に訓練も受けていない新人や子供相手なら十分勝てるレベルだった。
元からの体力や腕力が違うのだから、大人の男に敵わなくてもしかたない。
……わかっていても腹が立つ。
騙された自分も、捕まって逃げられない未熟さも、そしてこの男の浅ましさも……何もかもが怒りを向ける対象だった。その苛立ちから、ついくだらない抵抗をして殴られる繰り返しが続いている。
逃げることを優先するなら、抵抗をやめて大人しく体力温存しチャンスを狙う――頭で理解できるが、無理。
我慢できるほど大人なら、かつての世界でもちゃんと就職してイイコでいただろう。
この世界に来て、外見に引きずられて子供っぽい言動が増えていた。ちゃんと甘やかしながら叱ってくれるジャック達の存在が大きい。
長男は弟妹がいると損だった。
いつだって「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」と言われ、彼らの面倒を押し付けられ、場合によっては彼らの代わりに叱られて頭を下げる。そんな中、親に甘えられなくなったのも当然で……気付いたら両親と話をしなくなっていた。
言っても無駄だと思ってしまう。
どうせ弟妹を優先すると決め付け、親が放置したのを幸いと引き篭り一歩手前の体たらく。
まあ、サバゲーのおかげで完全な引き篭りにならずに済んだが、学校を卒業しても定職に就かずブラブラした。だが考えてみると、本当は甘えてたんだろう。
会うことも不可能になった今だから、逆に素直に自分の感情を認められた。
「……クソガキが」
吐き捨てた男の蹴りがわき腹に食い込む。吐き気がして身体を丸くした。
気持ち悪い、
痛い、
苦しい、
ふざけるなよ、
殺してやる……負の感情が湧き出す。
「……っ、して、ゃる」
呻いた声は小さくて、きっと男には届かなかった。
だが睨み付けた視線の鋭さに気付いた青い男が再び足を上げ、今度はオレの右手を踏みつける。
ぎりっ……踏みにじる音が耳に大きく響いた。
感情が命じるままに無理やり身体を動かす。ぎしぎし軋む音が響く関節も、激痛に引きちぎられそうな筋肉や粉々になった気がする骨が警告を発するが、真っ赤に染まった意識がすべてをねじ伏せた。