20.振り翳す、正義という名の我が侭(1)
転移魔法陣の上に乗ったところで、ふと気付いた。
あれ……何か大事なこと忘れてる? ぼんやりする頭で必死に記憶を探り、ユハたちを思い出す。危なかった、マジで忘れて帰りそうだった。いくらリア充爆発しろと思ったって、敵地に忘れてくのは鬼畜過ぎる。
「ジャック」
まだ喉が痛いので小声で呼びかける。首元で喋ったため擽ったかったのか、首を竦めたジャックに睨まれた。もしかして、奴は首が弱い! 大きな傷がある強面なのに、首が弱いとは……いや、知っても役立たない知識だけど。
「なんだ?」
「ユハを捜して」
「誰だ?」
冷たく絞ったタオルを額に押し当てながら、ノアが首を傾げる。同様にきょとんとした顔のサシャが手を伸ばして、くしゃりと髪を掻き乱した。
「ユハはこの国の騎士だけど亡命希望で、もう1人幼馴染の鳥がいる」
「……鳥1羽と人1人で合ってるか?」
「違う」
話がややこしくなった。怠いし熱があるので手早く済ませたかったのだが、話を簡略化しすぎて意味が通じていない。うー、と唸ってから再び説明を試みる。
「暗殺されそうになって、3階から飛び降りたんだけど」
「ちょっとまて! この足や腹のケガはその所為か? お前がここまでやられるなんて」
「話を最後まで聞いてよ」
ライアンの叫びを遮る。というか、この森の中にまだ追っ手がいたら、この騒ぎは絶対に見つかると思う。小声で喋ってくれ。
彼らが撃退してくれるなら、別にいいのか。でも他国に極秘潜入中だよね? たぶん。
「とにかく殺されそうになった時に、助けてくれた恩人がユハで」
「鳥が?」
「鳥は幼馴染じゃなかったか?」
「あれ、鳥の名前がユハだろ」
混乱をきたした騎士と傭兵を「黙って聞いて」と手を上げて遮る。どうやら話が長くなると判断されたらしく、ジャックがオレを地面に下ろした。ノアが用意した毛布の上に寝転がると、サシャが右手を翳してくれる。
鳥属性は治癒魔法持ちが多い。以前にシフェルの勉強で背中が痛かったときも、こうやってサシャが治癒してくれたのを思い出した。
「ユハはオレの恩人。幼馴染が鳥属性で治癒が使える子らしいんだ。オレが囮になって、2人は別に逃げてるから回収しないと」
ジャックが顔の傷を手で擦りながら眉を顰めた。その顔から「見捨てちゃえ」と言われそうな気がして、眠りそうな意識を必死で繋ぎとめる。今寝たらオレは助かるけど、2人が放置されるだろう。
ジャック達にとってオレは知り合いで仲間だが、ユハ達は敵国の知らない人間に過ぎなかった。サシャは腹部の傷に手を押し当てている。一番派手な傷だし、絆創膏が効かなかったから助かる。
「ここは敵地だぞ」
ジャックの中で見捨てる選択が優位に立っていた。任務に関係ない、それも敵国の人間だ。助けるために同僚を危険に晒すのは気が引けた。キヨは助けられたというが、ユハという男の行動が罠じゃないと言えるか?
傭兵としての経験が長いだけに、真っ先に疑いがジャックを支配した。
「……ジャック、見捨てる気でしょ」
唇を尖らせて抗議の声を上げる。眠気は一気に吹き飛んだ。熱の所為だろうか、身体がひどく熱くて感情が吹き出す。
「だったらいいよ。オレも見捨てればいい」
言い切って毛布の上に身を起こした。距離を置くように後ろへ移動し、立ち上がろうとする。しかしまだ使えない右足の激痛に、舌打ちして近くの木に手を伸ばした。
なぜこんなにムキになるんだろう。昨日会ったばかりで、最初は敵だった奴のために危険を冒す必要なんてない。なのに、酷く悲しい気分になった。
木の幹にかけた手に力を込めて、無理やり立ち上がる。
「動くなって」
ライアンが慌てて身体を支えてくれた。苦笑いしたサシャは治癒の手を離す。気付けば腹部の痛みはほとんど感じなかった。痛いのは打ち付けた全身の打ち身や脱臼の打撲、右足首ぐらいだ。かなり楽になった。
「ありがと、サシャ。すごく楽になった」
そう告げて、支えてくれるライアンを振り返る。肩をすくめる彼の表情は明るく、口元の笑みから感じるのは「しょうがないな」と弟の我が侭を見守る兄の余裕だった。もしかしたら助けてくれるかもしれない。
「……キヨ、陛下が心配しているの。早く戻ってあげて」
「わかる、けど…恩人を見捨てるなら帰れない」
クリスの柔らかい声に、少し気持ちが落ち着いた。
この世界に来てから、常に誰かに助けられてきた。だから助けたいのだ。一方通行に与えられるだけじゃなくて、与えたいと思う。かつてのオレなら考えもしなかった事だ。
人のために何かをするなんて、偽善だと言い切る奴だったのに……。
「……はあ、キヨは頑固だからな。わかった、おれ達が探すからお前は先に戻れ」
「やだ」
溜め息をついたジャックの呆れ顔に、首を横に振る。彼が妥協案を出してくれたのは嬉しいが、現実問題として無理があるのだ。
まず、ジャック達はユハの顔を知らない。見つけた瞬間に敵とみなして殺してしまったらどうするのか。それはユハの側も同じで、ジャック達と鉢合わせするなり銃を撃つかも知れない。
敵じゃないのに攻撃し合った挙句、殺し合いに発展しそうな気がした。逃げるときユハは自治領の騎士服のままで、着替える余裕なんてなかったのだ。追っ手の騎士とユハをどう見分ける? この世界には写真すらないんだから。
「オレが行かないと、顔わからないじゃん」
「正論だが……」
うーんと唸るジャックの気持ちも分かる。普段のオレならともかく、歩けない明らかな足手まといを連れて敵地で、人を捜すのは難しい。万が一を考えると先にオレを返して、任務だけでも終わらせたいと思う。理解できても、納得したくなかった。
「ねえ、これは私の案だけど……まず全員で一度帰るの。キヨの足を治癒して、新たな編成でここへ戻ればいいわ」
妥協案だ。待っているシフェルやリアムは心配してるし、報告だけじゃ満足しないだろう。だから顔を見せて安心させてから、また戻ればいい。クリスの言葉に一瞬傾きかけて、警告めいた勘が働いた。
クリスの案はすごくよく出来ている。全員で帰ることで任務を完了させ、足手まといのケガを治す。万全の体制で再びここに戻る――戻れるのか?
過ぎった不安を突き詰めて考えてみた。
目の前でオレを連れ去られたリアムは過保護になる可能性がある。騎士団長であるシフェルも、守られた宮殿の庭から連れ去られたことに責任を感じただろう。オレを連れ戻せば、ユハの話はもみ消されてしまうかも知れない。危険な場所に、再びオレを送り出してくれるのか。
オレなら否だ。逆の立場なら絶対に行かせない。
「ねえ、戻れる保証は?」
「……っ」
クリスが唇を噛んだ。息を飲んだ彼女の様子に確信が生まれた。
間違いない、オレが戻ったら二度とこの国は来れない。ユハの件はなかったことになるか、良くても他の連中が捜して見つからなかったという報告が届く程度だろう。
「ないんだろ?」
ライアンの腕が支える形から、捕まえるように回された。気づいた瞬間、頭の中がかっと熱くなる。熱だけじゃなく、これは暴走した時に似ていた。
身体の中心からマグマが溢れるような感覚だ。傲慢で、我が侭で、世界が自分を中心に回るような万能感が生まれる。反射的にライアンの腕を振り払っていた。
よろめくが、足は不思議と持ち堪える。痛みは感じないのも、暴走した際の特徴らしい。煉瓦の建物を溶かした前回も、小指の骨折の痛みを感じなかった。能力を解放すると細胞が活性化されるのか、傷も勝手に治癒する。
ふわふわした感覚に支配されそうになり、本能的にヤバいと思った。このままじゃクリスやジャックに襲いかかる可能性もある。制御する方法は知らないが、迷って右手でナイフを取り出した。収納魔法の口から引っ張り出した刃は、まだ血がついている。
「キ、キヨ?」