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19.闘争より逃走(3)

 寒さに目が覚めた。ぞくぞくする。


 無意識に両手で肩を抱き締めて、丸くなって寝ていた。目を開けば視界がぐらぐら揺れる。気持ち悪さに目を閉じて、もう一度開いたが同じだった。


「熱……かな」


 独り言はひどく掠れていた。声はがらがらで、喉は痛くて、唇ががさがさする。ひゅーひゅーと奇妙な呼吸音がするのは、傷による発熱じゃないんだろう。風邪みたいな病気かも知れない。


 ずきずきと呼吸のタイミングで痛いのは、右足首と腹部だった。意識がなくなる前に絆創膏を貼ったけど、腹の傷はまだ塞がっていない。触ると絆創膏の周囲から血が滲んだ。


「ぜんぜん、治ってないじゃん」


 ぼやいて乾いた唇をぺろりと舐めた。荒れすぎて痛いし、声を出すのが辛い。辛いのにぶつぶつ文句言うのは、黙っていると意識が無くなりそうだから。


 早い話、寝たら死ぬ気がする。冬山の遭難と一緒で、ここで寝てしまって誰にも発見されず、気付かれないまま目が覚めない――最悪の事態が脳裏を占めた。


「…うっ」


 右足首を見ようとして足を引き寄せたら、激痛に呼吸が詰まった。恐る恐る両手を添えて動かした先で、右足首の太さが倍くらいになっている。


 捻っただけじゃなかったかも……なんてフラグ立てた自分を殴りたい。間違いなく折れてるじゃねえか。青紫の気持ち悪い色に膨らんだ足首は、パンパンだった。ちょっと針刺したら破裂して、外の皮しか残らないんじゃね?


「動け、ないか」


 崖の壁に寄りかかりながら上を見るが、ここは夜空すら見えない。張り出した大きな天井のような地面を裏側から見上げ、ぱらぱら落ちてきた土に顔を顰めた。


「熱い、痛い、眠い、腹減った」


 そう、こんな時でも腹が減る。人間ってのはどこまで貪欲なんだろう。今にも大きな音で鳴りそうな腹を押さえて、おかしくなった。笑い出しそうだが、さすがに追われる身なので声を殺す。


 腹が減ったと言える間は死なない。根拠なくそう思った。


 ぱらぱらと音を立てて土が零れ落ちる。動きをさかのぼるように見上げて、揺れる視界に溜め息を吐いた。気持ち悪い、乗り物酔いに近い感覚に眉を寄せる。


「……崩れて、ない?」


 誰も聞いていないのに声を出して確認するのは、不安だから。頭の上の迫り出した地面が、徐々に傾いている気がした。もしかしなくても、崩れ落ちるんじゃないか。


 重力を考えれば、当然ながら土は下に落ちる。下が空間ならなおさら、氷山が崩れるように割れて落ちるだろう。このままここに隠れているのは危険という意味だった。


 のそのそ這い出したオレの背中に大きめの石が落ちてきた。拳くらいの大きさだが、2階の屋根から投げたくらいは高さがある。驚くほど痛かった。


「う……動きたくない、けど死ぬの、もっとやだ」


 呻きながら這って進む。右足が半端ない腫れ方をしているので、左足で地を蹴りながら手の力だけで身体を引っ張った。指先が痛いし、爪が割れてる気が……でも見たら動けなくなりそうで、出来るだけ指先を見ずに必死で手を動かす。


 喉が奇妙な音を立てる。粘膜がくっついて呼吸の邪魔をしていた。ぜえぜえと聞き苦しい音がする喉を、ごくりと鳴らした。唾を飲んだつもりだが、まったく唾液がなくて痛いだけ。


「し、ぬぅ……」


 先ほどの崖が崩れたら、離れていないと危険だ。巻き込まれないよう距離を取って、近くの大木に寄りかかった。後ろを見れば、思ったより距離は近い。


 歩いたら数十歩の距離なのに、30分くらい這った気がした。実際の時間はわからないが、ようやく木の枝の間から空が見える場所で苦しい息を整える。


 寄りかかった木に(うろ)があるのを見つけ、中に首を突っ込んだ。根が大きくうねった大木の根元は予想より広く、どうやら下に穴が開いているらしい。そのまま倒れるように転がり込んだ。


 子供の身体をすっぽり包み込んだ木が風を遮るのか、なんとなく温かい。ほっと息をついて身体を丸めた。痛い場所を庇う形で、自然と胎児に似た体勢になる。


「……オレ、もうダメかな」


 涙が滲んできた。


 ひどく惨めな気分だ。


 半日前の午後はリアムと一緒にお茶を飲んでいた。愚かにも実力を過信して泥に飲まれ、敵地に放り出され、殺し屋に狙われた。楽をしようとした考えを戒めるように逃げる破目になり、豹に追われて怪我した挙句に、このざまだ。


 腹に刺さった枝を抜いた傷は激痛の温床で、飛び降りた際に痛めた右足首は骨折かもしれなくて、発熱で意識は朦朧とするわ、喉が痛くて呼吸が苦しい。


 ……カミサマ、ホトケサマ、もう調子に乗らないから助けて。


 かつての世界の癖で、適当な祈り言葉を思い浮かべながら両手を合わせた。しばらくそうしていて、なんだかおかしくなる。目尻に滲んだ生理的な涙を拭いて、ひとつ大きく息を吐いた。


 うん、まだ頑張れそうだ。


「あ、いた」


 虚を覗き込む人の気配に、びくりと肩を震わせる。いつの間にか寝ていたらしく、見上げる先は明るかった。夜が明けている。


「心配したぞ、キヨ」


「大丈夫か? うわ、ケガしてる」


「え? 絆創膏使わなかったのか」


「いや貼ってあるけど、治ってないな」


「それより外へ出せよ」


 暗い虚の中にいたので、穴の外はひどく明るかった。眩しくてよく見えないが、聞こえる声はすべて顔見知りだ。レイル、ライアン、ノア、ジャック、サシャ……幻聴か。


「お迎えが来た……」


 ついに幻聴が聞こえ始めた。もしかしたら幻覚も始まってるかもしれない。悲壮感を込めた『お迎え』の覚悟を込めた呟きだが、自動翻訳は違う意味で彼らに伝えていた。


「そうだぞ、迎えに来たんだ」


「こんな遠くに飛ばされるなんて、運がないよな」


 笑いながら伸ばされた腕に抱きかかえられるようにして、虚の外へ出る。狭い穴の中で折りたたんでいた手足は痺れ、ぎこちない動きしか出来なかった。


「……ほん、もの?」


 掴まれた腕の感触、ぎこちない手足の強張り、腹部や足首の痛みに至るまで……すべてが現実らしい。穴の外には15人ほどがいた。レイルを含め、顔見知りの傭兵が6人。シフェルはいないが、残るメンバーは近衛騎士団の制服を着ていた。


「本物よ」


 クリスが笑いながら水の入ったコップを差し出す。金髪美女から受け取った金属製のコップの取っ手を掴み、中の水を勢いよく飲み干した。


「はぁ…っ、げほ、けほ」


 半分ほど零してしまったが、喉のひりつく痛みが楽になる。ぐらぐらする視線の先で、サシャが右手を額に当てて眉を顰めた。


「熱が高い、傷のせいならいいが」


「感染症か? だったら、これを」


 ジャックが小さな白い錠剤を摘んで、オレの唇に押し当てる。困惑して見上げると、「あーんしろ」と言葉で促された。こんな場面だけど言わせてくれ『クリスにあーんして欲しかった』と。


 大人しく錠剤を口に入れると、空のコップにまた水が満たされる。誰かが魔法を使ったのだろう。そこで気付いた。喉が渇いたなら、水を魔法で作り出せばよかったのだ。


 魔法がない世界から来たので、いざという時に魔法の存在を忘れてしまう。


「とりあえず戻るぞ」


「魔法陣の準備を」


 ばたばた騒ぐ彼らが大きな布を地面に敷く。そこに描かれた魔法陣の文様は見たことがあった。転移用の魔法陣の大きさから考えると、複数の人間を転移させられるだろう。複数人の魔力がないと作動しないかも知れない。


 ジャックが縦抱っこで背中を叩きながら魔法陣へ向かう。血と泥で汚れているのだが、気にした様子はなかった。こういうとこが彼の格好いいとこだと思う。表現するなら大人の余裕ってやつだ。見た目だけ24歳になっていたが、前世界のオレじゃこうはいかない。


 助かったこと、助けが来た事実だけは理解できた。国家予算がつく珍獣だから捜してくれると思いたかったが、諦めて見捨てられる可能性も脳裏を過ぎっていたため、安心して肩から力が抜ける。


 これで夢オチだったら立ち直れない――断じてフラグなんかじゃないぞ! 

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