19.闘争より逃走(2)
「へ?」
なんで? 疑問のまま、もう一回火を放つ。が、やはり届く直前で消えた。黒豹は当然無傷だ。何が起きたのか分からないが、結界の魔力は感じられなかった。
固有の能力とか? なにそれ、ゲームみたいで狡い。
「……やばい」
足を止めた上、豹は目の前。じりじり近づいてくる豹に後ずさりし、今度は銃を抜いた。こっちは使えるだろう。これが弾かれたら、見えない結界の存在を疑うしかない。
パンパン、2発放ったうち1発が豹の後ろ足付け根付近に当たった。
「え、銃はOKなの?」
状況を整理したいところだが、敵は目の前で唸りながら牙を剥いている。検証は後回しだ。もう1発放って眉間を貫くつもりが、避けられた。そう、豹は横とび出来る。逃げるなら良かったが、捕獲命令に忠実な豹はそのまま飛び掛ってきた。
「ちょ、無理無理ぃ~」
叫んで全力で走り出す。木から落ちた時に痛めた右足首が痛いが、止まる余裕はなかった。振り返った先で、黒豹は付いてくる。しかし追いつかない。
奴のが足は速いのに?
もしかして、どこかへ誘導されてる可能性ないか? 疑問が浮かんで、魔力感知を出来るだけ広範囲に散らす。網の目が粗くなったが、かろうじて反応があった。2人……おそらく追っ手だ。
豹に追わせて捕まえる、または疲れたところを捕まえるつもりか。どっちにしても――そんなの狡い!! オレは自分の力で頑張ってるのに、魔獣使うのは卑怯だ。
意味不明の怒りがわいて、近くの木の幹に抱きついた。勢いでぐるりと回転し、一時的に豹の後ろに回りこめる。ベルトから銃を抜きながら安全装置を外して撃つ。この訓練はレイルに言われて繰り返し行ったから、考えるより早く身体が動いた。
「うっし!!」
ガッツポーズが出た。やっと一息つける。豹は怪我をしているが、まだ死んでいなかった。伏せて唸る黒豹の前に近づき、ぽんと背中を叩く。
「悪かったな」
追いかけて来れない状況なら、殺す必要はない。そのまま立ち上がって歩き出すが、無理して走ったのがいけなかったのか。徐々に右足首が痛くなってきた。
捻っただけじゃなかったりして。嫌なフラグを立てながら足を引き摺って進む。茂みの間で少し休もうと転がり込んだところ、そこに地面はなかった。踏みしめるべき地面がない宙を左足から落ちていく。
「まぁ~たぁ~かぁ~~!?」
前世界での死因は転落死でした。つい昨夜も3階から飛び降りて、今回もまた。
転がりながら彼方此方ぶつけ、痛みに呻く。昨夜脱臼した右肩も痛いし、腹や背も打ち付けた。どのくらい落ちたのか感覚が麻痺しているが、とにかく転がる身体が止まる。
「……痛ぇ」
痛いときほど隠して笑ってろ――レイルに教えられた心得だが、一人で強がる意味も趣味もない。痛いものは痛いのだ。呻きながら身体を丸めた。引きつる背中も痛いし、なぜか腹部がめちゃくちゃ痛い。撫でる手がぬるりと濡れた。
何か刺さっている。引き抜いて大丈夫だろうか…迷うより前に抜いてしまった。考えるより反射的な行動だ。自分の腹に何か刺さってれば、ほとんどの奴が抜くと思う。
どばっと血が溢れる感覚に「ああ、失敗した」と声が漏れた。収納魔法で絆創膏を取り出しながら、血を拭う時間も惜しいので貼り付ける。沁みないし臭いがない湿布みたいな絆創膏は、血の上から貼っても効果があると実証済みだった。
問題があるとすれば、絆創膏で傷の治癒が始まっても完治するまで痛い。痛みの緩和は含まれていないらしい。片手落ちの機能だ。いつか改造してやると思っていたが、もっと早く着手すべきだった。
後悔しながら何とか身体を起こして、落ちた崖を見上げる。かなり高い。黒豹がいるから登る気はないが、迫り出した形の崖は屋根のように姿を隠していた。
少し、休もう……あいつら逃げたかな。幼馴染の少女と逃げたはずのユハを思い浮かべ、なぜかムカッとした。
ちきしょう、リア充爆ぜろ! 溢れた本音を声にすることなく、寄りかかったまま意識を失った。
華美ではないが実用的なテーブルに両手を乗せ、レイルは報告を聞いていた。執務に使う部屋は質の高い家具が並ぶが、壁紙や装飾品は地味な色合いで整えられている。落ち着きを優先した実務向きの部屋は、彼の爪が机を叩く音が響く。
「…それで?」
言い訳を許さないレイルの冷たい声に、部下は言葉を失った。感情を表に出さず冷たい態度で接するのはいつも同じだ。しかし今のレイルは、ひどく苛立っていた。それを部下に感じさせるのは珍しい。
まだ見つからない旨を報告した部下に、レイルは淡々と言い聞かせた。
「言い訳も見つからない報告も不要だ。さっさと情報を集めろ。すべての網を使え、絶対に見つけ出せ」
皇帝の命令だとして、自由人であるレイルは気に入らなければ撥ね退ける。それだけの実力と実績、勢力を誇る組織を束ねる存在だった。なのに宮殿から戻るなり、子供一人を探せと命じて自らも動いている。
よほどその子供が気に入ったのか。
「はい」
反論すれば射殺されそうな眼差しから目を反らし、部下は頭を下げた。彼が下がるのを待って、人口密度の高い部屋で溜め息を吐く。
「ったく、1日だって大人しくしてられないのかよ……あいつは」
銀と見間違う白金の髪と紫の瞳、見た目の整った子供を思い浮かべる。あの子供は面白い。少なくともレイルが知る中で、これほど興味を引かれる他人はいなかった。
「レイル、方角だけでも分からないのか?」
ジャックの苛立った声に肩を竦める。サシャ、ノア、ライアン、ヴィリ、一流の名を冠した傭兵がうろうろ歩き回っていた。落ち着きのない所作は本心から心配し、奪われた苛立ちや不安に駆られている証拠だ。ただの子供なのに、不相応な実力を持つキヨヒトは人々の中に浸透している。
皇帝もその騎士シフェルも、今頃助けに駆けつける準備を整えている筈だった。必要なのはレイルが持ち返る情報、すなわち『キヨの居場所』だけだ。
「転移魔法の解析が早いか、おれの情報網が優秀か……」
そう呟いたところに、真っ赤な顔で駆け込んだ部下が「見つけた!」と叫ぶ。よほど急いで走ってきたのか、息を切らせた男は唾を飲み込んでから報告を始めた。
「西の辺境です。自治領があり、そこの領主が最近転移魔法陣を購入したと……ここですね」
手早く地図を広げたレイルの前で、部下はじっくり眺めてから右側の隅を指さした。西の国でも権力を持つ貴族の領土だ。北の国の王妹を娶った先代は、妻の実家の権力を笠に着て独立を宣言した。その自治領が未だに残っているのだ。
「……厄介な地域だな」
西の国は再び自治領を統合しようとしている。その最初の段階として、自治領当主の母である北の国の王妹が振り翳した権力を封じようとした。もちろん北の国を承諾させるために、中央の国へともに攻め込む密約を結んでいる。
北の国は嫁がせた前王妹より、実質的な同盟を求めた。この情報は先月に掴んでおり、それがキヨの聞いた『近々北の国と西の国が攻めてくる』の根拠だった。情報収集を担当したのはレイル自身なので、内容はすべて記憶している。
「ふーん、だとすれば……自治領を維持するために、中央の皇帝を誘拐し人質として利用する。西の国に恩を売るつもりだな」
「……誘拐されたのはキヨだぞ」
眉を顰めたジャックの指摘は複雑な心境を滲ませた。レイルの推察が正しければ、キヨは人違いだ。
「バレたら殺される」
ノアは指の背を噛みながら、最悪の予想を口にした。
「あのキヨが、そんなヘマすると思うか?」
レイルの言葉に一斉に首を横に振った5人の傭兵は、顔を見合わせて苦笑いする。心配なのは変わらないが、それでも少しだけ余裕が出てきた。