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18.裏切りか、策略か(6)

 間に合え!!


 全力で走った先、短剣が僅かに浮くのを足で踏みつけた。つんのめって転びそうになるが、なんとか踏ん張る。しかしオレはすっかり忘れていた。短剣の柄を踏むには、持ち主である黒尽くめの腕が届く範囲に飛び込むのと同じ。


「……っ」


 無言のままの男に首を取られた。黒尽くめの腕が首に回り、ぐいと締め付ける。そこで右肩の痛みを思い出した。マジ痛い。暴れようにも右手は動かないし、左手だけで自分よりガタイの良い男から逃げ出す手段がなかった。


「ぅ、る……しぃ」


 苦しすぎて男の腕に爪を立てるが効果はない。逆にさらに締め上げられて、骨が軋む音が聞こえた。


 ザクロで死ぬか、垂れ流しで死ぬか……やだ、どっちも取り縋って泣ける死体にならない。そんなことを考えたのは酸欠の影響かも知れない。首絞めて苦しんで死んだら、あれこれ溢れて零れて大惨事になるのだ。そんな汚い死に方は断固拒否する。


 立ち向かう気持ちはあるが、脱臼した右腕が動かない以上、左腕だけの抵抗はほぼ無意味だった。しかも身長差の所為で、オレの足は浮いている。まったく踏ん張りが利かなかった。


「離せっ!!」


 若くんの声だろう。銃声が2発聞こえ、続いて黒尽くめの力が緩んだ。喉を絞める腕から解放されて、左手で喉を撫でる。


「げほっ……けほ、ごほ…」


 (むせ)てしまって上手に息が吸えない。とにかく苦しくて、必死に吸い込もうとするが酸素が足りなかった。喉がひゅーひゅー変な音を立てる。


 粘膜が乾いて張り付いた感じで、隙間がなくて息が吸えなかった。吸い込もうとしても詰まって、空気が先に行かない。


「大丈夫だ、ゆっくり吐いて」


 吸いたいのに吐けと言われて、涙が滲んだ目で睨む。吐くような空気は胸に入ってないと思うが、酸欠でぼけた頭は言葉に従って息を吐いた。すると自然に鼻と口から空気が入ってくる。


 一度思い出せば、考えなくても呼吸を繰り返せた。


 普段何も考えずに呼吸してたけど、こんなに空気が美味しいと感じたのは初めてだ。


「…よかった。助けてくれてありがとうな」


 頭を撫でる手に顔を上げる。きっと涙以外にもアレやらコレやら溢れて汚くなってるだろう顔を、ぐいっと左手の袖で拭った。皇帝らしくなくても構わない。


 優しく笑う若くんがハンカチを手渡してくれた。白いハンカチの角にイニシャルらしき、Wに似た飾り文字が刺繍されている。


「あり、がと…」


 汚してしまうが、遠慮なく借りる。いろいろ付いた状態で返されても困るだろうが……。


「いや、礼を言うのはこちらだ。短剣を押さえてくれて助かった」


 囚われ人が皇帝陛下だと知らされていないのか、敬語を使わない若くんは優しく背を撫でてくれる。やっぱり彼はいい人だ。西の国と戦うときは、彼を殺さないように気をつけよう。


 西と北が手を組んで中央に攻め込むという話は、もう秒読み段階だった。彼に逃げるよう忠告したくなって、でもギリギリのところで口を噤む。


 今のオレはリアムだと思われている。皇帝が敵国の兵に忠告などおかしい。どこまで戦況を掴んでいるのか聞き出そうとしている可能性が脳裏を過ぎった。


 ああ、シフェルの教育は確かに身についている。こういった場面で、自分の命を助けてくれた若くんすら疑うのだから。なんだか汚い人間になった気がした。


「男は始末した……君を助けに来た仲間ではなかったな」


 慰める口調が意外だった。本当は助けに来た仲間なら良かったのに、そう言いたそうな声色に顔を上げる。借りたハンカチで涙を拭い、それから鼻や口から溢れた涎や鼻水を綺麗にふき取った。濡れた表面を見たくなくて、そっと折り返して隠してみる。


「どういう、意味だ?」


「僕は君ぐらいの弟がいる。まだ幼い君を強引に連れ去るなんて、ご家族はさぞ心配だろう」


「……家族はいない」


 本音で返答していた。もう家族には会えない。


「会えない」


 声は乾いていた。もっと寂しさや恋しさが込み上げると思ったのに、ぜんぜん平気だった。いつからこんなに冷めてしまったんだろう。


 リアムもオレと同じなんだよな……母は父に、父は兄が殺した。その兄も死んでいるから、リアムも孤独なのだ。知り合いも家族もいないオレとは少し違うが、異世界人で誰も頼る人がいない状況を理解してくれたから優しかったのかも。


 そうか、家族がいないと呟いた本音は、リアムと重なるんだ。若くんが居心地悪そうに視線を伏せた。


「悪いことを聞いた」


「いや、構わない」


 それ以上追求されないように、肩を竦めようとして激痛に顔を歪めた。早朝訓練で結構痛い目を見てきたので、呻き声を出さなかったのは偉い。自分で自分を褒めておいた。


 オレが顔を顰めたことで、若くんは慌てて手を伸ばす。触れた瞬間、あまりの痛さに喚きそうになった。生理的な涙を誤魔化すように上を見上げれば、夜空は少し明るくなっている。あと1時間ほどで夜が明けるだろう。


「ちょっと痛いぞ」


 ケガの具合を確かめるために右肩を揺らしたり動かす。そのたびに激痛が走って、反射的に歯を食いしばった。深呼吸して誤魔化すオレに、若くんが何か言いかけたとき……ようやく他の兵が駆けつけてくる。


「何があった!」


「脱走か?」


「いや、襲撃があった。そこの黒尽くめが犯人だ」


 最初に襲われてからどのくらい経ったのか、時間経過がはっきりしない。長かった気もするが、とにかく若くんと他の兵の交代時間だったのだろう。入り口の若くんはいないし、中は窓をぶち破った痕跡と無人のベッドという状況だ。脱走があったと思って追いかけてきたのも当然だった。


 魔法が使えれば、収納魔法で大量にストックしている絆創膏が使える。骨折に効いたのだから、きっと脱臼も治せると思う。ただ……魔力を封印している紐を彼らが解いてくれる筈はなく、また目の前で収納魔法を使うのも良くないと判断した。


 この国にも絆創膏がある筈! 中央の国では訓練中も大盤振る舞いだったから、重要な人質に使ってくれると期待しながら待った。痛みがあるのに、兵達の話が終わるまで待った。そりゃあもう、夜明けの青紫の空を見つめるまで待ったのだが……。


 絆創膏が出てこない。それどころか、予想外の事態になった。


「動くなよ」


「逃げると余計に痛いぞ」


「……」


 まさかの原始的な方法での治療。芝の上に横たえられたオレの腹の上におっさん兵、足を押さえる若い兵、若くんが右腕をゆっくり持ち上げていく。


「うっ」


 一定まで持ち上がったところで、外れたときと同じくらいの激痛が走った。殺しきれなかった声が漏れる。たぶん、リアムの代理という意識がなかったら「ちょ、マジ無理、痛っ! やめろって」くらいの叫びと同時に押さる連中を殴ったり蹴ったりする事案だった。


 パキン……嫌な音がして骨が戻ったのを感じる。肩の痛みはまだジクジクしているが、キンと響く電気刺激のような激痛は和らいだ。


「よし、入ったぞ」


「……」


 素直に礼をいえなかったオレだが、相手が子供だからなのか。おっさん兵がポケットから飴を取り出して機嫌を取ろうとする。


「ほら、泣かなくて偉かったぞ」


「チョコもやろう」


 何だろう、この国の衛兵は普段からポケットにお菓子を忍ばせているのか? 足を押さえた若い兵までチョコを差し出す。いわゆる一口サイズの小さなチョコだ。


「ありがと…」


 今度は素直に礼を言える。だって、あんな原始的な治療に礼を言うのは無理がある。絆創膏ケチられたとしか感じなかった。人質より捕虜扱いなのかも知れない。だから治療はするけど、装備品は使えないとか。


「偉かったな」


 若くんの少しがさついた手が銀髪を撫でてくれた。

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