18.裏切りか、策略か(5)
ぴくんと肩が揺れた。なんだか、ひどく嫌な感じがする。目をうっすら開いて周囲を確認するが、異常は感じなかった。今度は目を閉じて気配を探る。うろうろ歩き回る廊下の男、部屋の入り口で監視にあたる兵、屋外を見回りする兵、魔力を頼りに人の動きを確認した。
ひとつだけ、奇妙な動きをする魔力に気付く。揺れる感じが魔力を使用していることを示していたが、何をしているのか。ひとつ所から動かないのだ。揺れながら、でも近づいている感じがした。
縦に近づいている? もしかしたらだけど、壁を上ってるんじゃないか。だから平面地図だと動かないが、近づいた気がするとしたら……。助けか、新たな敵か。
ここの兵なら壁のぼりしなくても、普通に階段を使う。階段を使えないのに皇帝リアムに近づこうとする存在は、普通に考えて『新たな敵』だろう。だってオレの居場所をジャック達は知らない。助けに来るにしても、顔見知りを寄越す筈だった。
知らない奴に「味方です、こちらへ」と言われ、バカ正直についていくような教育はされてない。ついてったら、シフェルあたりに「単細胞バカが」と舌打ちされること請け合いだった。
うーん。この場合、当初の作戦を変更すべきだろうか。
もし『敵の敵は味方』だったなら、付いて行けば中央の国に帰れるかも? 知れない。そのまま敵だとするなら、兵に知らせた方がいいよな。でも皇帝が自ら動くのはらしくない。
偉い人ってのは、してもらうのが当たり前。守られるのは当然。危険があっても自ら首を突っ込まない生き物だ。オレがいそいそ動いて敵を排除しちゃったり、自ら戦うのは大国の皇帝らしくなかった。
中央との国境に近い西の首都へつく前に、暗殺とか仕掛けられるのも困る。リアムと勘違いされてる可能性から言えば、西以外の国に暗殺される可能性もあったな。
え、オレ暗殺されちゃうの?
突然どきどきしだした胸元を押さえ、もう一度魔力を探ってみる。かなり近い、明らかにこの部屋を目指してるよな。ほぼ真上……ん? 天井裏、とか?
気付いた瞬間、咄嗟に身体を丸めてベッドの下へ転がった。
ドスッ! 鈍い音でベッドの上に剣が突き立てられる。続いて、がらん…と天井板が落ちた音がした。
「あっ、ぶね!」
漏れた声は小さくて、きっと聞こえなかっただろう。ベッドの上に降って来た黒い人影が、1m近くある剣を突き立てていた。ベッドの下のマットレスまで抜ける勢いだ。後を追って落ちた天井板は割れて粉々になった。
飛んできた破片が降り注ぐ。結構派手に飛び散ったため、音も大きかっただろう。
すると当然、こうなる。
「何事だ!」
威勢のいい声と同時に扉が開かれ、ベッドの陰に転がり落ちたオレに気付かない兵が「貴様っ!」と叫んで走り出す。といっても狭い6畳間だ。2、3歩でベッドの脇に到達して、そのまま構えた銃を向けた。深く刺さった剣を諦めた黒い奴が別の短剣を抜く。
短剣と銃なら銃が強い。そう思ったオレの予想を裏切り、短剣は銃身を切り裂いた。すぱんと切られて落ちた金属は、鋭い断面を見せて床に転がる。
「っ、ばかな」
「うそぉ!」
兵に被ってオレまで叫んでいた。すると、オレを見失っていたらしい黒い奴に睨まれる。
叫ばなきゃよかった……反省する前に左側へ転がる。右は壁だし、後ろは窓だった。転がった先で、ベッドの柱がすぱっと切られる。あまりの切れ味に、自分の首が飛ぶ姿まで想像できてしまった。
応援の兵が駆けつけても、たぶんこの黒い奴が一番強い。冷静に判断する反面、内心はめっちゃ焦っていた。どうしよう、強い暗殺者の対策って習ったっけ? 焦り過ぎて、口元が歪んで笑みのようになった。
余裕の笑み――に見えるビビリの引きつり――と冷静な対応が予想外だったらしい。暗殺者は一瞬迷った。振り翳しかけて止まった短剣ではなく、黒い奴の目を睨んだまま……オレはダイブした。
この部屋は3階だ。このまま狭い部屋にいるより、外へ飛び出した方が生き残れる確立は高い。
ガシャン!!
派手な音でガラスが割れた。落ちながら、魔法が使えないことに気付く。
飛び出す前に気づけ、オレ! 手首に巻いた紐は魔力を封じている。仕組みはわからないが、とにかく魔法は使えなかった。つまりこのままだと、地面に激突してザクロだ。
ザクロ危機、再び!――冗談じゃない。
くるっと回転して足ではなく身体全体で衝撃を吸収する。息が止まるような痛みはなかったが、やっぱり痛い。右肩から落ちたため、脱臼した。運がいいのか悪いのか、脱臼して手首の角度が変わったために紐が緩む。
「いっつぅ…」
引き抜こうとしたオレの感覚が危険を叫んだ。咄嗟に転がって顔を上げると、さっきの落下地点に黒尽くめが立っている。全身黒スパッツみたいな? ぴったりした服装だが、頭から布を被っていて顔は見えなかった。布は尻のあたりまである。体型も判別しにくく、隠密行動には最適だった。
しばらく逃げる気はないが、大人しく暗殺されてやるつもりもない。だけど右肩が痛い。とにかく痛い。たぶん過去に骨折した時くらい痛いぞ。
唸りながら男を睨みつけた。短剣片手の男に勝てる自信はある――ケガしてなければ、という注釈つきだ。この肩が動かしたら痛いし、動かなくても痛い。ずきずき鼓動のタイミングで痛むから集中できなくて、魔法も上手に扱える気がしなかった。まあ、紐解かないと使えないんだけど。
「無事か?!」
「…無事に見えるか?」
窓から身を乗り出した兵の呼びかけに、思わず呟いてしまう。短剣片手の黒尽くめ男に追い詰められてるように見えないか? 出来たら助けに来て欲しい。この痛みで戦うとかぞっとするわ。
「今行く!」
オレの気持ちを察したように、若い兵が飛び降りた。魔法を上手に使ってふわりと着地する。オレだって紐さえなければ、脱臼なんてしなかった。羨ましさ半分、応援半分で期待を込めて若い兵を見守る。安心しろ、お前がやられたらオレは紐外して仇を取ってやる。
よく見れば、彼は寝る前に上掛けをかけてくれた優しい兵隊さんではないか。先ほどの言葉は訂正だ。やられそうになったら、助けてやる! とりあえず『若くん』とよくわからないあだ名をつけ、声に出さず応援した。
頑張れ、若くん!
「大人しく投降すれば命は取らない」
儀礼的だがきちんと警告する兵は、構えた銃口を黒男の胸にあわせていた。相手の力量がわからないときは、頭を狙うより胸や腹を狙えと習ったのを思い出す。頭は的として小さい上に動かしやすい部位だ。狙うなら大きな的の方がヒット率が高い。
大人しく紐を解かずに待っているオレを一瞥し、男は兵に向けて両手を挙げた。その手から短剣が落ちる。足元の芝に刺さった短剣を見ながら、きらきらする何かに気付いた。
なんだ、あれ?
「よし、そのままだ」
投降する所作を見せた黒尽くめに緊張を緩めた若くんが近づく。オレの視線はきらきらする糸状の何かを凝視していた。もしかしたら光の関係で、若くんには見えてないのかも知れない。
「危ない! 短剣に糸が…」
男が腕を少し動かした途端、くっきりと糸が浮かび上がった。透明に近いワイヤーのような糸が、短剣の柄に結ばれている。つまり引っ張ったら、糸の先にある短剣は男の手に戻るのだ。
若くんが危ない! 咄嗟に動いていた。